学位論文要旨



No 213653
著者(漢字) 長島,健
著者(英字)
著者(カナ) ナガシマ,ケン
標題(和) 腎循環病態におけるアデノシンA1受容体拮抗薬KW-3902の薬理学的検討
標題(洋)
報告番号 213653
報告番号 乙13653
学位授与日 1998.01.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第13653号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 長尾,拓
 東京大学 助教授 本間,浩
 東京大学 助教授 遠藤,泰之
内容要旨 序論

 アデノシンは、細胞内において主にadenosine triphosphateの分解により産生され、細胞膜上に存在するアデノシン受容体に結合して種々の細胞・組織で生理・薬理作用を発現する。腎臓においても他の組織と同様に、アデノシンは多くの生理・薬理作用を発現する。キサンチン誘導体であるカフェインやテオフィリンは利尿作用を示すが、その作用がアデノシン拮抗作用に基づくことが1975年に明らかにされ、1990年以降にはアデノシンがA1受容体を介して腎血行動態や尿細管での電解質再吸収を調節していることが明らかとなった。

 我々は、アデノシンA1受容体に選択的に拮抗する8-(noradamantan-3-yl)-1,3-dipropylxanthine(KW-3902)を見い出した。KW-3902はKi値が0.19nMのアデノシンA1受容体結合阻害作用を示し、A2受容体結合阻害作用と比較して800倍以上の選択性を有する。また、KW-3902はNECA誘発心拍数低下を抑制したことから、in vivoの実験系でA1受容体拮抗作用を示すことが確認されている。

 近年、生理的条件下でのアデノシンの作用のみならず、病態時にアデノシンが増加して病態の進展を修飾することが明らかにされてきている。心筋虚血時においては、虚血により増加したアデノシンが心機能あるいは好中球活性化を抑制することで心保護作用を示し、脳虚血時においては、虚血により増加したアデノシンが神経伝達物質の放出を抑制して脳神経障害の進展を抑制する。しかし、病態時の腎臓におけるアデノシンの役割については不明な点が多く残されていた。本研究では、KW-3902をツールとして各種腎循環病態におけるアデノシンの病態生理学的役割の解明を試みた。

 今回の研究で、各種腎疾患の動物モデルにおいてKW-3902が有効であることを明らかにし、本薬が臨床においても有用である可能性が示唆された。現在、KW-3902は本邦および欧州において臨床試験が進行中である。

1.正常動物におけるアデノシンの腎薬理作用

 正常ラットおよびイヌにおいてKW-3902はNa選択的利尿作用を示した。このKW-3902の利尿作用は腎血行動態とは無関係であり、近位尿細管を主とした尿細管での再吸収阻害によるものであった。本研究では、KW-3902投与後の各種尿中電解質排泄を他の利尿薬と比較検討し、KW-3902の腎尿細管での作用点を考察した。KW-3902は尿中K排泄量には影響せず、近位尿細管に作用するアセタゾラミドと同様に、尿中HCO3排泄量を増加させるとともに尿pHをアルカリ側へ移行させた。また、ループ利尿薬であるフロセミドと同様に、尿中Na、Ca、MgおよびCl排泄量を増加させた。すなわち、KW-3902は近位尿細管において電解質の再吸収を抑制するとともに、遠位尿細管やヘンレ上行脚にも作用する可能性が考えられた。

 以上より、腎臓でのKW-3902の薬理作用を調べることにより、正常状態においてアデノシンは腎血行動態の調節には関与しておらず、尿細管における水や電解質の再吸収を促進していることを見い出した。

2.病態におけるアデノシンの病態生理学的役割(A)腎血行動態に対する作用

 シスプラチンは抗癌作用を示すプラチナ製剤として、造影剤は診断薬として、それぞれ臨床で繁用されているが、使用時の副作用として急性腎不全が知られている。急性腎不全時には腎血流量(RBF)および糸球体濾過量(GFR)の低下が認められるが、外因性に投与したアデノシンはA1受容体を介した輸入細動脈収縮作用によりRBFおよびGFRを低下させ、アデノシンの作用と急性腎不全病態では類似性が認められる。

(A-1)シスプラチン誘発腎不全

 急性腎不全モデルを作製してKW-3902の作用を検討することで、急性腎不全時におけるアデノシンの腎血行動態への関与を検討した。ラットにシスプラチン5mg/kgを静脈内投与すると、クレアチニンクリアランスおよびパラアミノ馬尿酸クリアランスの低下が認められた。シスプラチン腎不全発症ラットにおいて、KW-3902は0.001mg/kg以上の用量で水およびNaの再吸収を抑制したことに加え、正常動物とは異なり、腎血行動態を改善(RBFおよびGFRを増加)した。

(A-2)造影剤誘発腎不全

 造影剤誘発腎機能低下モデルを作製してKW-3902の作用を検討するとともに、実際に造影剤投与時における腎組織中アデノシン濃度の変化を定量した。麻酔下のイヌに造影剤4mlを腎動脈内投与すると、RBFおよびGFRの低下が認められ、同時に腎組織中においてアデノシン濃度は約2倍に増加した。KW-3902は3g/kg/min以上の前処置で造影剤投与によるRBFおよびGFRの低下を抑制した。

 以上より、正常状態とは異なり、腎不全時には腎組織中において増加したアデノシンがA1受容体を介してRBFおよびGFRの低下に関与していることが示唆された。また、KW-3902はアデノシンA1受容体拮抗作用により腎不全病態での腎血行動態を改善することを見い出した。

(B)近位尿細管に対する作用(B-1,2)急性腎不全発症におけるアデノシンの関与

 抗生物質セファロリジンや抗癌剤シスプラチンは、高用量投与により近位尿細管を主とした腎不全を引き起こす。これら薬物はいずれも腎排泄型であり、近位尿細管に高濃度蓄積することで細胞障害を起こすと考えられる。本研究では二種類の腎不全モデルを作製し、KW-3902の前処置による予防作用の有無を検討することで、腎不全発症におけるアデノシンの役割について検証した。

 ラットのセファロリジン(600mg/kg,i.v.)誘発腎不全に対する薬物の予防効果を血液生化学的および病理組織学的に検討した。KW-3902は、セファロリジン投与による血清パラメーターの上昇を抑制した。病理組織学的検討においても、KW-3902はセファロリジンによる近位尿細管を中心とした組織障害を抑制した。一方、従来の利尿薬(フロセミドおよびトリクロロメチアジド)は腎不全を悪化させた。また、新たに構築したシスプラチン頻回投与誘発腎不全モデル(2.5mg/kg,i.v.,6回投与)においてもKW-3902は予防作用を示した。以上より、近位尿細管を中心とした薬剤誘発性腎不全に対してKW-3902が予防効果を示すことを見い出した。

(B-3)食塩感受性高血圧

 本態性高血圧症は環境因子と遺伝的因子の相互作用により発症するが、環境因子の一つである食塩の過剰摂取により食塩感受性高血圧症が発症することが知られている。食塩感受性高血圧モデルであるDahl食塩感受性(Dahl-S)ラットの血圧上昇に対するKW-3902の作用を検討した。8%食塩食負荷(6週間)によるDahl-Sラットの血圧上昇は、KW-3902の0.017%混餌投与により抑制された。Dahl-SラットではDahl食塩抵抗性ラットと比較してリチウムクリアランスが低下しており、Dahl-Sラットの血圧上昇の一要因として近位尿細管でのNa再吸収亢進が想定された。KW-3902の0.1mg/kg静脈内投与はDahl-Sラットのリチウムクリアランスを増加させ、Na利尿作用を示したことから、近位尿細管でのNa再吸収亢進にアデノシンが関与することが示唆された。また、KW-3902がDahl-Sラットの血圧上昇抑制作用およびNa利尿作用を示したことから、食塩感受性高血圧に対してKW-3902が有効であることが示唆された。

(C-1,2)遠位尿細管に対する作用-浮腫疾患

 浮腫は、組織間液と血管内液とのバランスの異常に起因した疾患である。ネフローゼ症候群では、糸球体の障害によりタンパク尿が発現し、血中アルブミン濃度の低下および腎臓でのナトリウム再吸収の亢進により浮腫が引き起こされる。浮腫性疾患における電解質排泄に対するアデノシンの関与を検証するために、ラットにピューロマイシンアミノヌクレオシド(PAN)100mg/kgを静脈内投与して腎性浮腫モデルを作製し、KW-3902の薬理作用を検討した。KW-3902はPAN投与7日目より一日一回3日間経口投与した。KW-3902は0.01mg/kg以上の用量で腹水の貯留を軽減し、正常動物と同様に尿中ナトリウム排泄を促進したが、尿中カリウム排泄を有意に抑制した点において正常動物と異なる特徴を示した。また、四塩化炭素誘発肝性浮腫モデルにおいても、KW-3902はナトリウム利尿作用を示すと共に腹水の貯留を軽減した。

 以上の成績より、浮腫モデルにおいてKW-3902がナトリウム利尿に伴う腹水軽減作用および尿中カリウム排泄抑制作用を示すこと、浮腫病態においてアデノシンが水およびナトリウム再吸収亢進のみならずカリウム排泄にも関与することが示唆された。

(D)エリスロポエチン産生に対する作用-腎性貧血

 エリスロポエチン(EPO)は赤血球産生を促進するホルモンであり、貧血時に主として腎臓で産生されて赤血球数の恒常性維持に働く。EPO産生にアデノシンが関与することを示唆するin vitroでの研究成績が幾つか報告されていた。本研究では、ラットの貧血モデルを作製し、アデノシンアゴニストおよび拮抗薬の薬理作用を検討することで、貧血時の腎臓でのEPO産生にアデノシンが関与することをin vivo実験により初めて明らかにした。また、貧血病態におけるアデノシンのEPO産生はA2a受容体を介しており、KW-3902の貧血に対する影響は認められなかった。

3.まとめ

 本研究では、各種病態モデルを用いてアデノシンA1受容体拮抗薬KW-3902の腎循環に対する薬理作用について検討することで、腎循環病態におけるアデノシンの病態生理学的役割の解明を試みた。その結果、KW-3902が(1)急性腎不全病態における腎血行動態を改善すること、(2)Na選択的利尿に基づく血圧上昇抑制および浮腫軽減作用を示すこと、および(3)各種薬剤誘発性急性腎不全に対して予防作用を示すことを明らかにした。すなわち、腎臓においてはアデノシンは貧血を改善する作用を持つ一方で、各種病態において腎機能を悪化させる病態生理学的側面を持つことを明らかにした。

 今回の研究成績から、食塩感受性高血圧症、浮腫疾患および腎不全の各病態において、KW-3902がアデノシンA1受容体拮抗作用に基づく新しいタイプの利尿降圧および腎保護薬として、臨床的に有用である可能性が示唆された。

審査要旨

 腎にはアデノシンA1とA2受容体が存在するが、最近、アデノシンがA1受容体を介して腎血行動態や尿細管での電解質再吸収を調節していることが明らかにされた。本研究は、アデノシンA1受容体の選択的拮抗薬8-(noradamantan-3-yl)-1,3-dipropylxanthine(KW-3902)を用いて、各種腎循環病態におけるKW-3902の有用性を検討すると同時に、アデノシンの病態生理学的役割の解明を試みようとしたものである。

1.正常動物における腎薬理作用

 まず、正常ラットおよびイヌに於けるKW-3902の作用を調べたところ、腎血行動態とは無関係なNa選択的利尿作用を示した。さらに検討したところ、KW-3902が近位尿細管に於ける電解質の再吸収を抑制すると共に、遠位尿細管やヘンレ上行脚にも作用する可能性が明らかとなった。

2.病態における薬理作用2.1腎血行動態に対する作用

 シスプラチンによる腎不全発症ラットに於いては、正常動物のときとは異なり、KW-3902はシスプラチンによる腎血流量(RBF)および糸球体濾過量(GFR)の低下を改善した。また、イヌに造影剤を腎動脈内投与すると、腎組織中のアデノシン濃度が増加すると同時にRBFおよびGFRの低下が認められたが、KW-3902の前処置でこれらの低下は抑制された。このことより、腎不全時には腎組織中において増加したアデノシンがA1受容体を介してRBFおよびGFRの低下に関与していることが示唆された。

2.2近位尿細管に対する作用

 KW-3902は、セファロリジンおよびシスプラチンにより惹起される腎不全に於ける近位尿細管を主とした組織障害を抑制した。一方、従来の利尿薬(フロセミドおよびトリクロロメチアジド)は腎不全を抑制せず、むしろ悪化させた。また、シスプラチン頻回投与誘発腎不全モデルを構築し検討したところ、KW-3902は予防作用を示した。以上より、近位尿細管を中心とした薬剤誘発性腎不全に対してKW-3902が予防効果を示すことを見い出した。

 8%食塩食負荷による食塩感受性高血圧ラットの血圧上昇は、KW-3902混餌投与により抑制された。これは、近位尿細管でのNa再吸収亢進に於けるアデノシンの関与を示唆していた。

2.3遠位尿細管に対する作用

 ピューロマイシンアミノヌクレオシドによる腎性浮腫モデル、あるいは四塩化炭素誘発肝性浮腫モデルラットを作製し、KW-3902の薬理作用を検討したところ、KW-3902がナトリウム利尿に伴う腹水軽減作用および尿中カリウム排泄抑制作用を示すことが明らかとなり、このことより、浮腫病態においてアデノシンが水およびナトリウム再吸収亢進のみならずカリウム排泄にも関与することが示唆された。

 一方で、ラットの貧血モデルを作製し、アデノシンアゴニストおよび拮抗薬の薬理作用を検討したところ、貧血病態に於いてアデノシンがエリスロポエチン産生を促進し、それはアデノシン2a受容体を介していることが初めて明らかとなった。

 以上、本研究は、KW-3902が1)急性腎不全病態における腎血行動態を改善すること、2)Na選択的利尿に基づく血圧上昇抑制および浮腫軽減作用を示すこと、および3)各種薬剤誘発性急性腎不全に対して予防作用を示すことを明らかにすると同時に、アデノシンが各種病態に於いて腎機能を悪化させる病態生理学的側面を持つことを示唆したものであり、薬理学、病態生理学の発展に寄与すると思われ、博士(薬学)に相応しいと認めた。

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