学位論文要旨



No 213654
著者(漢字) 安原,三紀子
著者(英字)
著者(カナ) ヤスハラ,ミキコ
標題(和) 新規ウレイドフェノール誘導体の抗動脈硬化作用に関する研究
標題(洋)
報告番号 213654
報告番号 乙13654
学位授与日 1998.01.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第13654号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 助教授 岩坪,威
 東京大学 助教授 新井,洋由
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
内容要旨 緒言

 動脈硬化は日本人の死亡原因の上位をしめる虚血性心疾患の基礎病態をなすものである.動脈硬化の発症進展には血中の低比重リポ蛋白(LDL)の血管壁周辺における酸化変性すなわち酸化LDLの生成とそれに続くマクロファージの泡沫化が関与することが広く知られている.従って,これらの過程を抑制することで動脈硬化進展の予防,または治療が期待できる.本研究においては,抗酸化作用を指向して考案されたウレイドフェノール誘導体T-2591(Fig.1)の抗動脈硬化薬としての有用性を検討した.

Fig.1 T-2591の化学構造式
T-2591の抗酸化作用

 動脈硬化発症初期には酸化LDLの生成が引き起こされることから,T-2591の酸化LDL生成抑制作用をin vitroで検討した。LDLを銅イオンと共にインキュベーションしたときに生成する過酸化脂質(TBARS)生成に対するT-2591の作用を検討した.その結果,T-2591はTBARS生成を抑制し,その作用は抗酸化作用を有するコレステロール低下剤として知られるプロブコールより強力であった.次に,より生体環境に近い系を指向して培養血管内皮細胞により惹起される酸化LDLの生成に対するT-2591の作用を検討した.その結果,T-2591は酸化LDLの生成をプロブコールより強力に抑制した.この時,LDLの蛋白部分の変性を反映するアガロースゲル電気泳動上のLDLの移動度の増加もT-2591により抑制されていた.また,酸化LDLの生成により引き起こされた細胞障害も,T-2591の酸化LDL生成の抑制に伴い抑制された.

 次に,T-2591の生体内における抗酸化作用発現の証明を試みた.これまで生体レベルで抗酸化作用を評価する方法はほとんど報告されていなかった.そこで本研究ではin vivoで抗酸化作用を評価する実験方法を開発し,この系を用いてT-2591の作用を検討した.

 微量の鉄/ニトリロ三酢酸錯体(Fe/NTA)を長期間ラットに投与すると腎臓ガンを誘発することが報告されているが,そのメカニズムとして鉄イオンによるラジカルの発生が示唆されている.そこで,Fe/NTAを大量に投与することによりラジカル発生に基づく脂質過酸化を短期間に惹起できるのではないかと考え,ラットを用いてFe/NTA投与後の血漿、腎臓、肝臓におけるTBARSの経時変化を調べた.その結果,いずれの臓器においても,Fe/NTA投与後3時間をピークにTBARSが増加することが判った.この系において血漿TBARSの増加は抗酸化剤tert-butyl hydroxytoluene(BHT)の経口投与で抑制されたことから,本系は薬剤の抗酸化作用をin vivoで評価することができる系と考えられた.次に,本系ておけるT-2591の経口投与の効果を検討したところ,T-2591は血漿TBARSの増加をBHTより強力に抑制した.

 以上の成績から,T-2591はin vitro,in vivoにおいて抗酸化作用を発揮し,生体内において酸化LDL生成抑制作用を発現することが期待された.

T-2591の抗動脈硬化作用

 次に,T-2591の酸化LDL生成抑制作用に基づく抗動脈硬化作用の評価に着手した.動脈硬化モデルは種々報告されているが,いずれも試験期間が長いなどの欠点があり,薬効評価には不適であった.そこで私はハムスターを用いて薬物の抗動脈硬化作用を評価する簡便な動物モデルの作成を試みた.高コレステロール高脂肪食(AD)で8〜10週間飼育したハムスターの大動脈弓部の血管内腔に脂肪染色を施し,その染色領域を画像解析することにより,血管への脂質蓄積,すなわち泡沫細胞の形成を簡便に数値化することに成功した.この系において,抗酸化作用を有する化合物(プロブコール,BHT)はコレステロール値に影響を与えることなく大動脈弓部における脂質の沈着を抑制した.この時,各群の血中LDLの被酸化性をex vivoで測定したところ,プロブコール,BHTいずれの投与群から調製したLDLにも酸化LDL生成までの時間(ラグタイム)の延長,すなわち被酸化性の抑制がみられたことから,両化合物は酸化LDL生成抑制作用により脂質沈着抑制化作用を発揮したと推察された.

 さらに,この系においてT-2591の作用を検討したところ,T-2591は用量依存的に動脈への脂質蓄積を抑制した.この時のLDLの被酸化性はT-2591の用量に依存して抑制されていた.また,血管の顕微鏡観察を行ったところ,AD群では大動脈内膜に泡沫細胞が認められたがT-2591投与群ではほとんど観察されず,病理学的にもT-2591の泡沫細胞形成抑制作用が確認された.一方,本実験においてT-2591の血中コレステロール低下作用も観察されたので,T-2591はその酸化LDL生成抑制作用およびコレステロール低下作用によって動脈への脂質沈着を抑制した可能性が考えられた.そこで,動脈への脂質沈着抑制に酸化LDL生成抑制作用とコレステロール低下作用がどの程度寄与しているかを明らかにする目的で,コレステロール低下剤CI-976を用いてT-2591投与群と同程度にコレステロールを低下させた群とT-2591投与群とで比較を行った.その結果,T-2591投与群ではCI-976投与群に比して強力な動脈への脂質蓄積抑制作用が見られた.この時,T-2591投与群ではLDL被酸化性の抑制が見られたがCI-976投与群には全く変化は見られなかった.

 以上の結果から,T-2591は抗酸化作用に加えコレステロール低下作用をも有することにより,強力な脂質沈着抑制効果を発揮したものと考えられた.

T-2591のACAT阻害作用

 これまでの成績から,T-2591の動脈への脂質蓄積抑制作用にコレステロール低下作用が関与することが示唆された.さらに,T-2591は血管内皮下における泡沫細胞の形成も抑制した.これらの結果から,T-2591が細胞内コレステロール代謝に影響を与える可能性が考えられた.コレステロールは細胞内では中性コレステロールエステラーゼとアシルCoA:コレステロールアシルトランスフェラーゼ(ACAT)の働きにより,エステル型と遊離型の調節が行われるが,これらの酵素が小腸粘膜ではコレステロール吸収,肝臓ではVLDL分泌,マクロファージでは泡沫化に寄与している.そこで,次にT-2591のACATに対する作用を検討した.

 ウサギ諸臓器由来のACATに対するT-2591の作用を,強力なACAT阻害剤であるCI-976と比較しながら検討した.T-2591は小腸ACATに対してCI-976と同等の阻害作用を示し,肝臓ACATに対してもCI-976より弱いながらも阻害作用を示すことが判った.一方,マクロファージ(J774A.1細胞)由来のACATに対しては,T-2591はCI-976よりはるかに強力な阻害作用を示した.そこで,マクロファージの泡沫化に対する作用をコレステリルエステル生成量に対する作用として検討したところ,T-2591はCI-976に比して強力なマクロファージ泡沫化抑制作用を有することが明らかとなった.

 以上の結果から,T-2591のコレステロール低下作用やin vitro泡沫細胞形成抑制作用は本化合物のACAT阻害作用に基づくものであることが示唆された.

総括

 本研究の結果を要約すると以下の通りである.

 1. T-2591は銅イオンおよび血管内皮細胞により惹起されるLDLの酸化を強力に抑制した.

 2. in vivoで抗酸化作用を評価する系を確立し,T-2591が経口投与で抗酸化作用を発揮することを確認した.

 3. ハムスター動脈硬化モデルを作成し,動脈への脂質蓄積を簡便かつ定量的に評価する実験系を確立した.その結果,酸化LDL生成抑制作用に基づく動脈への脂質蓄積抑制作用の評価を可能とした.

 4. 上記の系において,T-2591は動脈への脂質蓄積を抑制したが,この時,血中LDLの被酸化性が抑制されていた事より,T-2591の抗酸化作用の寄与が示唆された.一方,T-2591には血中コレステロール低下作用も認められた.

 5. T-2591はACAT阻害作用を有し,特にマクロファージにおける作用が強力であった.

 以上,私は本研究において,抗酸化作用および動脈硬化を評価する新しい実験系を確立し,T-2591が当初期待された作用(抗酸化作用に基づく酸化LDL生成抑制作用)の他にもコレステロール低下作用やマクロファージ泡沫化抑制作用を併せ持つことを発見した.これらはT-2591のACAT阻害作用に基づくものであることが示唆された.T-2591は酸化LDL生成抑制とACAT阻害作用の両面から血管壁における泡沫細胞形成を抑制し,動脈硬化の進展を抑えると考えられた(Fig.2).

Fig.2 T-2591に作用メカニズム

 T-2591はコレステロール低下作用を中心とした従来の薬剤とは異なるユニークな抗動脈硬化薬になるものと期待される.

審査要旨

 動脈硬化は日本人の死亡原因の上位を占める虚血性心疾患の基礎病態である.動脈硬化の発症進展には血中の低比重リポ蛋白(LDL)の酸化LDLへの変性とそれに続くマクロファージの泡沫化の関与が知られている.従って,これらの過程の抑制により動脈硬化の進展抑制が期待できる.本研究においては,抗酸化作用を指向して考案されたウレイドフェノール誘導体T-2591の抗動脈硬化薬としての有用性を検討した.

 まず,T-2591の酸化LDL生成抑制作用をin vitroで検討した。LDLを二価の銅イオンまたは培養血管内皮細胞により酸化したときに生ずる過酸化脂質(TBARS)量に対するT-2591の作用を検討した結果,T-2591は既知の抗酸化剤であるプロブコールより強力にTBARS生成を抑制した.

 次に,T-2591のin vivoでの抗酸化作用の証明を試みた.微量の鉄/ニトリロ三酢酸錯体(Fe/NTA)を長期間ラットに投与するとラジカルの発生により腎臓ガンを誘発することが報告されていることから,Fe/NTAの大量投与によるラジカル発生に基づく短期間での脂質過酸化の惹起が出来ると考え,Fe/NTAをラットに投与し血漿TBABSの経時変化を調べた.その結果,Fe/NTA投与後3時間をピークに血漿TBARSが増加し,その増加は抗酸化剤tert-butyl hydroxytoluene(BHT)の経口投与で抑制された.本実験法は,薬剤の抗酸化作用をin vivoで評価する系として有用であることが明らかになった。T-2591の効果を検討したところ,T-2591は血漿TBARSの増加をBHTより強力に抑制した.

 次に,抗動脈硬化作用の検討をおこなった.動脈硬化惹起飼料(AD)で8〜10週間飼育したハムスターにおいて,抗酸化作用を有する化合物(プロブコール,BHT)はコレステロール値に影響を与えることなく大動脈弓部における脂質の沈着を抑制した.この時,両群のLDLに被酸化性の抑制がみられたことから,本系では酸化LDL生成抑制作用により脂質沈着が抑制されたと推察された.この系においてT-2591は用量依存的に動脈への脂質蓄積を抑制し,この時のLDLの被酸化性もT-2591の用量に依存して抑制されていた.一方,本実験においてT-2591の血中コレステロール低下作用も観察されたことから,コレステロール低下剤Cl-976とT-2591の作用比較を行った.その結果,同程度のコレステロール低下作用条件下でもT-2591はCl-976に比して強力に動脈への脂質蓄積を抑制した.T-2591は抗酸化作用に加えコレステロール低下作用をも有することにより,強力な脂質沈着抑制効果を発揮したと考えられた.

 T-2591がコレステロール低下作用を示したことから,T-2591がコレステロール代謝に影響を与える可能性が考えられたので,細胞内コレステロール代謝を調節するacyl CoA:cholesterol acyltransferase(ACAT)に対するT-2591の作用を検討した.ウサギ諸臓器由来のACATに対するT-2591の作用をACAT阻害剤Cl-976と比較検討した.小腸,肝臓,大動脈,マクロファージ由来ACATに対するT-2591の阻害作用のIC50値はそれぞれ0.26,4.6,4.0,0.06Mで,Cl-976(IC50;0.77,0.58,5.8,4.1M)に比し,マクロファージACATへの阻害作用が強力であった.そこで,マクロファージの泡沫化に対する作用を検討したところ,T-2591はCl-976に比して強力なマクロファージ泡沫化抑制作用を示した.このことからT-2591のコレステロール低下作用や脂質蓄積抑制作用は本化合物のACAT阻害作用に基づくものであることが示唆された.

 本研究において抗酸化作用および動脈硬化を評価する新しい実験系を確立し,T-2591が抗酸化作用に基づく酸化LDL生成抑制作用の他にもコレステロール低下作用やマクロファージ泡沫化抑制作用を併せ持つことにより抗動脈硬化作用を発揮しうることを明らかにした.T-2591は酸化LDL生成抑制とACAT阻害作用の両面から血管壁における泡沫細胞形成を抑制し,動脈硬化の進展を抑えるユニークな化合物であるとと考えられた.以上、本研究は抗動脈硬化薬の新しい開発方向を示しただけでなく、病因・病態の解明にも貢献するものである。従って、博士(薬学)に値すると判定した。

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