学位論文要旨



No 213661
著者(漢字) 荻田,光彦
著者(英字)
著者(カナ) オギタ,テルヒコ
標題(和) リゾホスファチジルコリンによる血小板活性化因子受容体を介した細胞内遊離カルシウムイオン濃度上昇作用
標題(洋)
報告番号 213661
報告番号 乙13661
学位授与日 1998.01.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13661号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中原,一彦
 東京大学 教授 飯野,正光
 東京大学 助教授 森田,寛
 東京大学 助教授 後藤,淳郎
 東京大学 助教授 田島,惇
内容要旨 [緒言]

 粥状動脈硬化の発生過程における,酸化変性を受けた低比重リポ蛋白質(LDL)の役割の重要性についてはこれまで多くの証拠があげられてきた。近年,酸化LDLあるいは-VLDLといった動脈硬化促進性の(atherogenic)リポ蛋白質中で著明に増加しているリン脂質であるリゾホスファチジルコリン(lyso-PC)の関与が示唆されている。すなわち,単球,リンパ球に対しては走化因子として働き,血管内皮細胞に対してはこれを活性化して,接着分子の発現,血管平滑筋細胞に対する増殖因子,あるいはNO合成酵素の産生・放出を刺激するといったことなどが報告されている。また,マクロファージに対しても,これを活性化してその貪食作用を促したり,増殖を刺激するといったことが報告されている。本研究では,lyso-PCのマクロファージに対する細胞内シグナルとして細胞内遊離カルシウムイオン濃度([Ca2+]i)が関与するかどうか,またその経路についても検討を行なった。

[方法]1.マウス腹腔マクロファージの調製

 8から10週齢の雌ICRマウスに予めチオグリコレート培地を腹腔内注射して滲出性マクロファージを誘導した。注射後3日ないし4日後に屠殺して,冷リン酸緩衝食塩水(PBS)を用いて腹腔よりマクロファージを回収した。遠心分離後1mM CaCl2を含むハンクス氏液(HBSS)で懸濁した。光学顕微鏡上,90%以上が生細胞であり,マクロファージであることを確認した。

2.CHO(Chinese hamster ovary)細胞の調製

 ヒト血小板活性化因子(PAF)受容体を安定過剰発現するCHO-K1細胞株(CHO[hPAFR])は中村らが樹立したものを供与していただいた。ベクターのみを導入した対照株については以下のように調製した。まず,細胞傷害性の少ない遺伝子導入剤のトランスフェクタムを用いてベクター(pcDNA I Neo)のみをCHO-K1細胞に導入した。細胞を低濃度で播種して,高濃度(1g/l)ジェネティシン(G418)含有培地にてジェネティシン耐性株の選別を行なった。それぞれの細胞株は0.3g/lのジェネティシン,10%ウシ胎児血清(FCS)を含むハムF-12培地にて維持した。[Ca2+]i測定にはEDTAのみにて剥離した細胞を用いた。

3.細胞内遊離カルシウムイオン濃度([Ca2+]i)の測定

 1mM CaCl2を含むHBSSで細胞を懸濁して,1M fura-2 AMを室温で50分間細胞に負荷した。測定は緩やかに攪拌を行ないながら,分光蛍光計で340nmならびに380nmの励起波長を用いて,492nmの蛍光波長を測定する二波長励起蛍光測定法にて行なった。ジギトニン,EGTAを用いて最大蛍光強度比,最小蛍光強度比を測定して,fura-2の解離定数を用いて近似式に従い,[Ca2+]iを算出した。

4.乳酸脱水素酵素(LDH)の測定

 均等に混合するためにマイクロチューブミキサーを用いた。細胞外液中のLDHと,Triton X-100を用いて細胞を融解処理して細胞内に残存するLDHを測定した。LDH活性の測定はPromega社のキットを用いて可視光吸光度計により行なった。

[結果]1.lyso-PCによるマクロファージの[Ca2+]i上昇作用

 15Mのlyso-PCでマクロファージを刺激すると急峻な第一相とそれに続くなだらかな持続性上昇を呈する第二相からなる二相性の[Ca2+]i上昇反応が認められた。この第二相部分はlyso-PCをコレステロールと等モル混合後投与することで消失した。lyso-PCは界面活性剤様作用をもち,その作用はコレステロールとの混合にて減弱することが報告されており,この第二相部分は主としてlyso-PCの界面活性剤様作用により細胞外からのCa2+流入及び細胞内fura-2の流出に伴ったものと考えられた。コレステロール単独投与あるいはホスファチジルコリン投与にては[Ca2+]iの変化は認めなかった。また,細胞外液中に漏出するLDHを測定することにより,lyso-PCとコレステロールとの等モル混合によるlyso-PCの界面活性剤様作用の減弱を確認した。

2.lyso-PCによる[Ca2+]i上昇作用の性質

 次にこの[Ca2+]i上昇反応の第一相部分についての検討を行なった。この反応はlyso-PCの濃度が100Mまでは濃度依存性を認めた。このCa2+がどこから動員されているかを検討するために,細胞外液よりCa2+を除いてlyso-PCで刺激したところ,[Ca2+]i上昇反応は消失しなかったことより,細胞外液中のCa2+は必須ではないと考えられた。また,細胞内Ca2+-ATPase阻害薬で処理を行ない,細胞内貯蔵Ca2+を枯渇させた後にlyso-PCで刺激すると[Ca2+]i上昇反応は消失することから,主として細胞内貯蔵Ca2+が動員されているものと考えられた。

3.血小板活性化因子受容体拮抗薬の効果

 以上の結果から,lyso-PCによる[Ca2+]i上昇作用は何らかの受容体を介している可能性が考えられた。そこで,lyso-PCと構造的に類似するコリン型リン脂質である血小板活性化因子(PAF)受容体の選択的特異的拮抗薬であるWEB 2086にて前処理を行なった後に刺激してみたところ,ほぼ[Ca2+]i上昇反応は消失した。

 マクロファージをPAFで刺激すると濃度依存性の[Ca2+]i上昇反応が認められ,これらはWEB 2086の投与にて抑制されることから,マクロファージの細胞膜上にはPAF受容体が存在し,細胞内には[Ca2+]i上昇反応のシグナル伝達経路が存在するものと考えられた。

 PAF受容体ではリガンド(ligand)による反復刺激によって脱感作反応が認められることが知られている。マクロファージをPAFで反復刺激したところ脱感作様反応が認められた。次にPAFで刺激してからlyso-PCで刺激してみると[Ca2+]i上昇反応が消失し,PAF受容体を介した脱感作様反応の可能性が考えられた。

4.lyso-PCによるPAF受容体を安定発現したCHO細胞における[Ca2+]i上昇反応

 lyso-PCがPAF受容体を介して[Ca2+]i上昇反応を起こし得るかどうかを確認するためにCHO細胞にPAF受容体を安定発現した株と対照のベクターのみを導入した株を樹立し,実験を行なった。lyso-PCはPAF受容体を安定発現したCHO細胞株でのみ[Ca2+]i上昇作用を示した。そこで,独自の受容体を介して[Ca2+]i上昇反応を来たすリゾホスファチジン酸で対照株を刺激したところ,[Ca2+]i上昇が認められた。

 また,lyso-PCによるPAF受容体を過剰発現したCHO細胞における[Ca2+]i上昇反応は濃度依存性を認め,PAF受容体の選択的特異的拮抗薬であるWEB 2086による前処理で抑制された。

[考案]

 以上の結果から,lyso-PCがマウス腹腔マクロファージにおいてPAF受容体を介して[Ca2+]i上昇作用を示すことが強く示唆された。第一に,lyso-PCによる[Ca2+]i上昇作用はコレステロールとの混合によりlyso-PCの界面活性剤様作用を減弱しても認められた。これはlyso-PCによる[Ca2+]i上昇作用が界面活性剤様作用に伴う非特異的反応ではないことを示唆する。第二に,細胞内貯蔵Ca2+を枯渇させてからlyso-PCで刺激すると[Ca2+]i上昇反応は認められない。第三に,PAF受容体の選択的特異的拮抗薬であるWEB 2086の前投与により,lyso-PCによる[Ca2+]i上昇作用がほぼ消失したこと,またPAF受容体を介すると考えられる脱感作反応が認められたこと。さらに,CHO細胞ではPAF受容体を過剰発現した株のみにおいてlyso-PCによる[Ca2+]i上昇作用が認められたことなどによる。

 lyso-PCによる作用の一部が非特異的反応あるいは界面活性剤様作用を介したものである可能性は考えられる。また,他の細胞を使った報告では細胞外液中のCa2+を必要としたという報告もある。しかしながら,マウス腹腔マクロファージではPAF受容体を介した反応の存在が強く示唆された。lyso-PCによる界面活性剤様作用および細胞毒性を軽減するためにコレステロールとの混合を行なったが,生体内の酸化LDL中のlyso-PCなどを考えた場合,単独で存在するよりも周りに多く存在するコレステロールなどと何らかの複合体を形成していることは十分考えられる。

 近年,PAFおよびPAF受容体に関して多くのことが明らかとされてきた。PAF受容体にリガンドが結合して活性化されるとホスホリパーゼCの活性化,アデニレートシクラーゼの抑制,MAPキナーゼ系の活性化などの細胞内シグナル伝達系の活性化が起こることが報告されている。lyso-PCによるPAF受容体を介したマクロファージにおける[Ca2+]i上昇反応が他の細胞内シグナル伝達系をどのように活性化あるいは抑制しているか,それがlyso-PCの示す多彩な作用のどの部分に関与しているのか,抑制あるいは活性化は可能なのか,など多くの課題が残されてる。

審査要旨

 本研究は粥状動脈硬化の発生過程において重要な役割を演じていると考えられているリゾホスファチジルコリン(lyso-PC)の細胞内シグナル伝導機構を明らかにするため、マウス腹腔マクロファージを用いて細胞内遊離カルシウムイオン濃度([Ca2+]i)の変化を解析したものであり、下記の結果を得ている。

 1.lyso-PCでマクロファージを刺激すると二相性の[Ca2+]i上昇反応が認められた。この第二相部分はlyso-PCをコレステロールと等モル混合後投与することで消失し、主としてlyso-PCの界面活性剤様作用によるものと考えられた。コレステロール単独投与あるいはホスファチジルコリン投与にては[Ca2+]iの変化は認めなかった。また,細胞外液中に漏出するLDHを測定することにより,lyso-PCとコレステロールとの等モル混合によるlyso-PCの界面活性剤様作用の減弱を確認した。

 2.[Ca2+]i上昇反応の第一相部分についての検討を行なったところ、lyso-PCの濃度が100Mまでは濃度依存性を認めた。このCa2+がどこから動員されているかを検討するために,細胞外液よりCa2+を除去後にlyso-PCで刺激してみたが,[Ca2+]i上昇反応は依然認めることより,細胞外液中のCa2+は必須ではないと考えられた。また,細胞内Ca2+-ATPase阻害薬で処理を行ない,細胞内貯蔵Ca2+を枯渇させた後にlyso-PCで刺激すると[Ca2+]i上昇反応は消失することから,主として細胞内貯蔵Ca2+が動員されているものと考えられた。

 3.lyso-PCによる[Ca2+]i上昇作用は何らかの受容体を介している可能性が考えられた。そこで,lyso-PCと構造的に類似するコリン型リン脂質である血小板活性化因子(PAF)受容体の選択的特異的拮抗薬であるWEB 2086にて前処理を行なった後に刺激してみたところ,ほぼ[Ca2+]i上昇反応は消失した。

 マクロファージをPAFで刺激すると濃度依存性の[Ca2+]i上昇反応が認められ,これらはWEB 2086の投与にて抑制されることから,マクロファージの細胞膜上にはPAF受容体が存在し,細胞内には[Ca2+]i上昇反応のシグナル伝達経路が存在するものと考えられた。

 PAF受容体ではリガンド(ligand)による反復刺激によって脱感作反応が認められることが知られている。マクロファージをPAFで反復刺激したところ脱感作様反応が認められた。次にPAFで刺激してからlyso-PCで刺激してみると[Ca2+]i上昇反応が消失し,PAF受容体を介した脱感作様反応の可能性が考えられた。

 4.lyso-PCがPAF受容体を介して[Ca2+]i上昇反応を起こし得るかどうかを確認するためにCHO細胞にPAF受容体を安定発現した株と対照のベクターのみを導入した株を樹立し,実験を行なった。lyso-PCはPAF受容体を安定発現したCHO細胞株でのみ[Ca2+]i上昇作用を示した。そこで,独自の受容体を介して[Ca2+]i上昇反応を来たすリゾホスファチジン酸で対照株を刺激したところ,[Ca2+]i上昇が認められた。

 また,lyso-PCによるPAF受容体を過剰発現したCHO細胞における[Ca2+]i上昇反応は濃度依存性を認め,PAF受容体の選択的特異的拮抗薬であるWEB 2086による前処理で抑制された。

 以上、本論文はマウス腹腔マクロファージにおいて、[Ca2+]iの解析から、lyso-PCによるマクロファージへの細胞内シグナル伝達機構のひとつとして、PAF受容体を介した[Ca2+]i上昇反応の存在を明らかとした。本研究はこれまで十分に知られていない、lyso-PCのシグナル伝達機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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