本研究はインスリンの代謝作用の分子レベルにおける制御機構を明らかにするため、インスリン感受性培養細胞である3T3L-1脂肪細胞およびL6筋原細胞に、protein kinase B(PKB)の恒常的活性型であるGagPKBや優勢抑制型Ras(DNRas)あるいはMAPキナーゼ(MAPK)を発現させ、グルコースの取り込み、グリコーゲン合成、タンパク質合成能などを検討し、下記の結果を得ている。 1.3T3L-1脂肪細胞においてもL6筋原細胞においても、内因性のPKBはphosphatidylinositol-3kinase(PI3-K)の制御を受けるが、GagPKBはPI3-Kのインヒビターであるワートマニンによっても抑制されない。また、PKBの活性化にはRas/MAPKの経路は関与しない。 2.両細胞において、インスリン依存性のグルコースの取り込みはワートマニンで抑制され、GagPKBの発現により増大する。また、両細胞ともRas/MAPKの経路は関与しない。両細胞ではインスリン依存性のグルコース取り込みがGLUT4の細胞膜への移動により起こっていることを考えあわせると、インスリンによるグルコースの取り込みには、PI3-K→PKB→GLUT4の経路が働いていることが示唆される。 3.3T3L-1脂肪細胞においては、インスリン依存性のグリコーゲン合成は、ワートマニンにより抑制されるがGagPKB発現の影響を受けない。また、Ras/ MAPKの経路は関与しない。L6筋原細胞においては、GS活性はワートマニンにより抑制されGagPKBの発現により増大する。同じようにPI3-Kの制御を受けながら3T3L-1脂肪細胞とL6筋原細胞では、GS活性化のシグナル伝達経路に違いがある。 4.GSの活性化の経路には、protein phosphatase IG(PPIG)の活性化を介する経路とglycogen sinthase kinase3(GSK3)の不活性化を介する経路があると考えられているが、PPIGは両細胞に発現しているがGSK3はL6筋原細胞のみに発現が認められる。3T3L-1脂肪細胞ではGSK3活性は感知されない。3T3L-1脂肪細胞にGSK3を発現させるとGS活性は抑制されその時同時にGagPKBを発現させるとGS活性の抑制は起こらない。従って、インスリンによるグリコーゲン合成の活性化は、L6筋原細胞の場合はPI3-K→PKB→GSK3→GSの経路とPI3-K→PPIG→GSの両経路が関与するが、3T3L-1脂肪細胞の場合にはPI3-K→PPIG→GSの経路のみで制御されていることが示唆される。 5.3T3L-1脂肪細胞においてもL6筋原細胞においても、mRNAの翻訳開始を制御してタンパク合成を調節する4E-BPIのリン酸化はPI3-Kの抑制により減少しGagPKB発現により増大するが、Ras/MAPKの経路の関与を受けない。タンパク質合成能も、PI3-Kの制御を受けPKBの活性化により増大する。両細胞においてインスリン依存性のタンパク質合成は、PI3-K→PKB→p70S6キナーゼ→リボゾームS6タンパク質およびPI3-K→PKB→4E-BPIの両経路によって制御されていると考えられる。 以上、本論文はインスリンの標的器官である脂肪細胞や骨格筋細胞の培養細胞系において、インスリンの主たる代謝作用であるグルコースの取り込み、グリコーゲン合成、タンパク質合成において骨格筋細胞ではすべての作用について、脂肪細胞ではグルコースの取り込みやタンパク質合成に関してPKBによる調節を受けていることを明らかにした。本研究ではこれまで未知であったインスリン依存性の代謝作用とPI3-Kを結ぶ分子機構の一端を初めて明らかにしたもので、今後のインスリンの生理作用の制御機構の解明に貢献をなし学位の授与に値するものと考えられる。 |