内容要旨 | | I.緒言 1988年,Yanagisawaらによって発見されたエンドセリン-1(endothelin-1,ET-1)は,強力な血管収縮作用を有するペプチドとして知られている.眼科領域においても,ET-1,あるいはET-1の2つの受容体(ETA,ETB)は,網脈絡膜血管内皮だけでなく虹彩・毛様体にも存在することが報告され,ET-1は血流調節だけでなく,眼圧あるいは前眼部の炎症に関与している可能性も示唆されている.とくに眼圧に関しては,ET-1の眼局所投与により,一過性の眼圧上昇に引き続いて,長時間持続する眼圧下降作用が生じることが報告されており,抗緑内障治療薬としての臨床応用が期待されるが,同時に房水蛋白濃度の上昇も指摘され,ET-1が前眼部炎症を引き起こす可能性が示唆されている。したがって,ET-1あるいはその拮抗薬の眼科における将来的な臨床応用を考える場合,この炎症反応の機序を明らかにしておくことが必要である.しかし,ET-1投与後の房水蛋白濃度の経時的変化やET-1濃度による炎症強度の差など,ET-1による前眼部炎症に関しては,これまで検討されていない.そこで筆者は,前眼部炎症の鋭敏な指標といわれる房水蛋白濃度の変化を,レーザーフレアセルメーター(FC-1000,興和)を用いて測定し,ET-1による前眼部炎症の機序を検討した.なお,実験動物には有色家兎を使用した. II.房水中ET-1濃度の検討<実験1> 高感度サンドイッチ酵素免疫測定法(Suzuki,1989)を用いて,正常家兎眼(n=15)およびサルモネラ・エンドトキシン全身投与による実験的ぶどう膜炎惹起眼(endotoxin induced uveitis,EIU眼)(n=10)における房水および血中ET-1濃度を測定した. <結果> 正常家兎眼の房水中ET-1濃度は2.4±0.1×10-12M(平均±標準誤差),EIU眼の房水中ET-1濃度は3.7±0.2×10-12Mであり,後者が有意に高値であった.また,両群とも房水中ET-1濃度は常に血中濃度の1.5〜3.9倍高かった. <考察> 房水中ET-1は,血管からの漏出だけでなく,生理的状態でも房水中に産生あるいは分泌されている可能性が高いこと,前房内の炎症によってET-1の産生が亢進する可能性が高いことが考えられた.したがって,ET-1が眼内の炎症反応に関与している可能性が推測された. III.ET-1眼内投与と前眼部炎症<実験2-1> 房水中の濃度が10-7M,10-9M,10-11M,10-13Mになるように換算して眼内灌流液で調整したET-1(human)(ペプチド研究所)溶液を,前房内に10 l投与し,房水蛋白濃度の経時的変化(24時間)を測定した(各n=10). <結果> 10-7Mから10-11Mの濃度の場合,ET-1の濃度に依存して房水蛋白濃度は上昇し,ET-1投与後約1〜2時間にピークを迎え,12時間後までに正常化した.10-13M ET-1では房水蛋白濃度の上昇はみられなかった. <実験2-2> ET-1溶液(10-4M,10-5M,10-6Mおよび10-7M)10 lを硝子体に投与し,房水蛋白濃度の経時的変化(7日間)を測定した(各n=8). <結果> 10-4M群では,ET-1投与後1時間から房水蛋白濃度は上昇し,4時間と48時間に二峰性のピークを示した.その後徐々に房水蛋白濃度は下降したが,ET-1投与後7日でも房水蛋白濃度は正常化しなかった.10-5M群では,房水蛋白濃度は投与4時間後にピークに達したが,10-4M群のような二峰性は示さず,48時間後にほぼ正常に復した.10-6M群,10-7M群の場合は,正常対照群と比較して蛋白濃度の有意な上昇はみられなかった. <実験2-3> 10-4M ET-1を硝子体に投与したときの角膜,虹彩,毛様体の組織学的変化を光学顕微鏡にて観察した.摘出眼球を冷2.5%グルタール液に浸積後分割し,小組識片を作製.同液で前固定.さらに1%オスミウム酸で後固定ののち脱水,エポック812樹脂に包埋.ミクロトームで切片作製後,トルイジンブルーで染色した. <結果> 正常対照群に比べて,リンパ球の浸潤が随所にみられ,浮腫,フィブリンの析出,マクロファージの侵入などが観察された.特にET-1投与48時間後では,虹彩・毛様体上皮の細胞間隙の離開が顕著であり,血液房水柵の高度の破綻が生じていることがわかった. <考察> 生理的濃度をこえるET-1を眼内に投与した場合,投与したET-1濃度に依存して房水蛋白濃度は上昇した.組織学的にも,ET-1の眼内投与によって高度の炎症反応が生じ,上皮細胞間隙の離開,すなわち血液房水柵の破綻によって房水蛋白濃度の上昇が生じると考えられた. IV.ET-1眼内投与後の房水蛋白濃度とアラキドン酸カスケードの関連<実験3-1> プロスタグランジン合成阻害薬(PG阻害薬)点眼を,10-7,10-9,10-11Mの各ET-1前房内投与の2時間前から投与直前まで行った場合(PG阻害薬前処量)の房水蛋白濃度の経時的変化に対する影響を検討した(各n=5). <結果> PG阻害薬点眼前処置によって,ET-1投与後の房水蛋白濃度の上昇はすべての群で抑制された. <実験3-2> 10-4および10-5M ET-1硝子体投与後の房水蛋白濃度上昇に対する,PG阻害薬の効果を検討した.PG阻害薬の点眼は,a)ET-1投与の2時間前から直前まで30分毎に行う方法(前処置)(n=8),b)PG阻害薬をET-1投与直後から30分毎に2時間点眼する方法(後処置)(n=8),c)PG阻害薬後処置に加えてPG阻害薬1日3回点眼を3日後まで継続する方法(持続投与)(n=6)の3種類とし,それぞれの場合の房水蛋白濃度の経時的変化を測定した. <結果> ET-1硝子体投与による房水蛋白濃度の上昇は,10-5Mの場合はPG阻害薬の前処置で完全に抑制された.10-4Mの場合は,a)前処置によって4時間後のピークは抑制され,b)後処置によって48時間まで抑制,c)持続投与によって48時間以後も房水蛋白濃度の上昇は抑制された. <実験3-3> ET-1溶液硝子体投与の一定時間後に房水を採取し,プロスタグランジンE2(PGE2)濃度とロイコトリエンB4(LTB4)濃度をradioimmunoassay法により測定した.測定は,10-4M ET-1投与群で2,4,24,48時間,10-5M ET-1投与群で2,4,24時間とし,正常(無投与)眼の濃度と比較した(各n=8).房水採取の前に房水蛋白濃度を測定した. <結果> すべての時間で房水蛋白濃度とPGE2濃度の有意な上昇をみとめたが,LTB4濃度に差はみられなかった.同じ測定時間で両濃度のET-1投与群を比較したところ,PGE2濃度はすべての時間で10-4M ET-1投与群の方が有意に高値であった. <考察> ET-1の眼内投与によって生じる房水蛋白濃度の上昇は,アラキドン酸カスケードのうちcyclooygenase系を介すること,そしてPGE2がこの反応のmediatorの一つであり,LTB4は関与しない可能性が高いと考えられた. V.ET-1硝子体投与後の房水蛋白濃度変化を司る受容体の検討<実験4-1> 選択的ETA受容体拮抗薬(97-139,シオノギ)を用いて,ET-1投与による房水蛋白濃度上昇とETA受容体の関連を調べた.投与した97-139の濃度は10-1M〜10-5Mまでの5種類とし,10-4Mあるいは10-5M ET-1の硝子体投与の1時間前に97-139溶液の前処置を行ったときの,房水蛋白濃度の経時的変化を測定した. <結果> 97-139の濃度に応じて,房水蛋白濃度の抑制効果が見られた.とくに10-4M ET-1投与群においては,10-1M97-139前処置によって,10-5M ET-1投与群においては,10-2M97-139溶液の前処置によって房水蛋白濃度の上昇は完全に抑制された. <実験4-2> ETA受容体拮抗薬(97-139)の前処置を行った場合の,10-4M ET-1硝子体投与後の形態学的変化を,実験2-3と同様の手技を用いて光学顕微鏡にて観察した.97-139の濃度は10-1Mとし,房水蛋白濃度上昇の抑制と同様に,角膜,虹彩,毛様体における炎症反応が抑制されるか否かを,ET-1投与後4,48時間で観察した. <結果> ET-1単独投与実験2-3の結果と比較して,組織の変化は明らかに少なかった.各組織ともリンパ球の軽度の浸潤が見られ,細胞間隙の拡大は軽度認められたものの,全体に形態学的変化はほとんどみられず,ET-1による炎症反応はETA受容体拮抗薬の前処置によって抑制されることが,組織学的にも確かめられた. <実験4-3> ETA受容体拮抗薬(97-139)の前処置を行った時の,10-4M ET-1硝子体投与後の房水中PGE2およびLTB4濃度をradioimmunoassay法で測定した.前処置は,対照液あるいは10-1M,10-2M,10-3M97-139とし,各群とも房水採取時間によって4,24,48時間群に分類した(各n=8).なお,房水採取前に房水蛋白濃度を測定した. <結果> 房水蛋白濃度の抑制がみられた群において,PGE2濃度は有意な抑制がみられ,その抑制の程度は,97-139溶液の濃度に依存していた.LTB4濃度に関しては,実験3-3と同様,すべての時間値において,4群間に有意差はみられなかった. <実験4-4> ET-1による房水蛋白濃度の上昇に対するETB受容体の関与を調べるために,選択的ETB受容体拮抗薬(BQ-788,Research Biochemicals International)の前処置を行った場合の房水蛋白濃度の経時的変化を測定した.ET-1は10-4M,10-5Mの2種類,BQ-788は眼内潅流液に溶解しうる最高濃度の1.6×10-3Mの1種類のみとした(各n=6). <結果> ET-1による房水蛋白濃度の上昇は,ETB受容体拮抗薬の前処置によって抑制されなかった. <考察> ET-1は,ETB受容体でなくETA受容体を介してアラキドン酸カスケードのシクロオキシゲナーゼ系に作用し,PGE2をmediatorとして房水蛋白濃度の上昇を生じると考えられた. VI.ET-1硝子体投与後の眼圧変化とETA受容体拮抗薬の影響<実験5> ET-1硝子体投与後の房水蛋白濃度の上昇を抑制しうる濃度のETA受容体拮抗薬の前処置によって,ET-1の眼圧下降作用が影響されるか否かを検討した.ET-1の濃度は10-4Mおよび10-5Mとし,それぞれ単独あるいは10-1M97-139溶液の前処置をおこなった場合で眼圧を検討した(各n=5).眼圧測定には,Pneumatic tonometer(アルコン社)を用い,168時間まで測定した.なお,検討項目は,ET-1投与直前の眼圧を基準値とし,各測定時間における眼圧と基準値との差(=眼圧変動値)とした.また,眼圧測定直前に房水蛋白濃度を測定した. <結果> 房水蛋白濃度の上昇を抑制しうる濃度の97-139の前処置は,両濃度のET-1硝子体投与による眼圧下降果にほとんど影響しなかった. <考察> ETA受容体は,ET-1による眼圧下降効果には関与しない可能性が高いと考えられた. VII.結論 以上の結果から,ET-1はETA受容体を介してアラキドン酸カスケードにおけるシクロオキシゲナーゼ系に関与し,この系の代謝産物であるPGE2をmediatorの一つとして前眼部炎症に関与していると考えられた.また,ETA受容体拮抗薬は,ET-1による房水蛋白濃度の上昇を有意に抑制する一方,ET-1の眼圧下降効果に対してはほとんど影響しなかったことから,ETA受容体を介する作用を抑制することによって,ET-1の抗緑内障治療薬としての今後の臨床応用の可能性が示唆された. |