学位論文要旨



No 213669
著者(漢字) 大堀,達也
著者(英字)
著者(カナ) オオホリ,タツヤ
標題(和) 有機金属気相成長法によるHEMT集積回路用結晶成長技術の開発
標題(洋)
報告番号 213669
報告番号 乙13669
学位授与日 1998.01.29
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13669号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西永,頌
 東京大学 教授 神谷,武志
 東京大学 教授 鳳,紘一郎
 東京大学 助教授 中野,義昭
 東京大学 助教授 平川,一彦
 東京大学 助教授 田中,雅明
内容要旨

 高電子移動度電界効果トランジスタHEMT(High electron mobility transisitor)は,すでに,通信衛星からの微弱な電波を増幅する低雑音増幅素子として製品化されており,一方では高速・低消費電力集積回路への応用が期待されている。しかし,シリコン集積回路,特にCMOSFET(Complementary metal-oxide-semiconductor field-effect transistor)の近年における著しい性能向上を考慮すると,HEMT集積回路を,シリコン集積回路と差別化した製品として実用化するためには,更に高性能な素子を,高い歩留りで,より安価に作製する技術の開発が必要である。HEMTの場合には,CMOSFETやMESFET(Metal-semiconductor field effect transistor)と異なり,その特性や製造偏差が結晶成長の段階で決定される要素が大きいため,上記の目標は,結晶成長技術の側で解決すべき課題と言える。

 本論文は,有機金属気相成長(MOCVD)法による,HEMT集積回路への応用を目的とした,結晶成長技術の開発に関するものであり,大型炉を用いて成長を行った場合の技術的問題の解決,高性能化を実現するためのヘテロ結晶構造の成長技術,及び低コスト化実現のためのシリコン基板上選択ドープ構造成長技術に関する研究結果をまとめたものである。本論文で明らかにした内容は,各章ごとに以下のように要約される。

 第1章では,HEMT集積回路への応用において解決すべき,結晶技術の課題について概観し,本研究の目的,論文の構成について述べた。

 第2章では,高品質かつ高均一なAlGaAs/GaAs選択ドープ構造の,多数枚(3インチ12枚)同時成長技術の開発を行った結果をまとめた。このような大型炉を用いたMOCVD法によるHEMT用結晶成長技術の試みは,本研究が初めてのものであるが,開発当初は,きわめて移動度の低い選択ドープ構造しか成長することができなかった。PL(Photo-luminesence),SIMS(Secondary ion mass spectroscopy),DLTS(Deep level transient spectroscopy)といった各種物性測定から,移動度の劣化がAlGaAsの酸素汚染によるものであることを明らかにした。しかし,汚染対策を行った後も,微小なリークや基板の出し入れに伴って発生するものと推測される炉の汚染を完全に除去することは困難であり,良好な特性を再現性良く得ることはできなかった。SIMS分析及び,移動度のスペーサ厚依存解析を行い,炉内に微小な汚染(水分と推測される)が存在する場合には,AlGaAs成長初期に酸素がAlGaAs/GaAs界面近傍にパイル・アップすることが,特性劣化を引き起こしていることを明らかにした。この結果に基づき,AlGaAs/GaAs/AlGaAs3層構造をバッファとするダブルバッファー構造が,炉内汚染の除去に有効であることを見いだした。本構造の採用により,電気的特性の再現性・均一性が大きく改善されることを示した。開発技術を用いて,64kbitメモリ回路の試作を行ったところ,動作が確認され,MOCVD法により成長した結晶を用いてHEMT集積回路の試作が可能なことを実証した。

 第3章では,GaAsに格子整合するSiドープしたIn0.48Ga0.52Pをキャリア供給層とし,歪みの入ったInGaAsをチャネル層としたInGaP/InGaAs選択ドープ構造の検討を行った。この構造においては,急峻なヘテロ界面を得るには,適切な成長中断条件を選択する必要があることを見いだした。基板温度が低い(650℃以下)場合には,PH3雰囲気中でGaAsあるいはInGaAsが表面に露出していてもリンが取り込まれにくいのに対し,InGaPが表面に露出している場合には,AsH3雰囲気中で砒素の取り込み率が高く,表面にInGaAsP層が形成されることを見いだした。この結果に基づき,例えばGaAs/InGaP/GaAs構造を成長する場合には,GaAs成長後いったんPH3雰囲気に切り換えてAsH3が完全に排出されるのを待ってから,III族原料を流してInGaPの成長を行い,成長終了後にはPH3雰囲気を保ち,GaAs成長時にはIII族の供給とV族の切替えを同時に行うシーケンスが最適であることを示した。

 第二にIn0.48Ga0.52P/InxGa1-xAs/GaAs(x=0.15,0.2)構造の熱的安定性の評価を行った。この構造においては,原子半径が大きく拡散しにくいはずのInが,界面での相互拡散を律速していることを見いだし,その拡散係数の大きさがレーザやHEMTで用いられている他のヘテロ構造と同等であり,実用上安定した構造であることを明らかにした。

 InGaP/InGaAs選択ドープ構造を用いてDCFL(Direct coupled FET logic)リング発振器を試作し,基本特性を評価したところ,低電圧でも良好な特性が保持されることを確認し,CMOS回路と対抗し得る高速・低消費電力集積回路素子として有望であることを示した。なお,本結晶構造は,低電圧で良好な増幅特性を示すことから,すでに超低雑音増幅素子として,実用化されている。

 第4章では,シリコン基板上選択ドープ構造成長技術の開発を行った結果を述べた。第一に,転位が選択ドープ構造の移動度をどの程度劣化させるか調べ,理論的及び実験的検討から,77Kでは5x106cm-2以上,300Kでは5x107cm-2以上の転位密度に対して,移動度が急激に低下することを明らかにし,室温動作のHEMTについては,転位密度はさほど大きな問題とはならないことを明らかにした。但し,特性の劣化したシリコン基板上HEMTの分解調査から,製造途中において,エッチングガスと反応して,1m程度の大きさのピットを発生する特殊な欠陥が存在することを明らかにし,大規模集積回路を作製するには,このような欠陥の発生をなくす必要があることを示した。

 第二に,島状成長によって発生する表面ラフネスを低減する技術に関する研究を行った。凹凸を低減する手法として,シリコン基板上にGaAsを成長後,表面を研磨し,選択ドープ構造を再成長する方法(研磨・再成長法と呼ぶ)を試みた。選択ドープ構造の再成長条件と表面の平坦性の関係を調べ,低圧(〜76torr)で,トリエチルガリウム(TEGa)を原料に用いた時に良好な平坦性が得られることを示した。本手法により表面ラフネスを低減した結晶を用いてHEMTを作製し,特性を評価したところ,特にディプレーション・モードHEMTの特性が改善されることを明らかにした。

 第三に,基板の反りを低減する技術の検討を行った。基板の反りは,成長が終了して降温時に,GaAsがSiよりも大きい熱膨張係数を持つことによって発生する残留応力(引っ張り応力)によって生じる。本研究では,GaAsよりも格子緩和しにくい材料あるいは構造を採用することによって,なるべく大きな圧縮応力を選択ドープ構造成長時に保持し,降温時に発生する引っ張り応力と相殺させることによって残留応力を低減することを試みた。格子緩和しにくい材料としてInGaAsを選択し,InGaAs/GaAs/Si構造を成長して,残留応力の構造パラメータ依存を調べ,InAsモル比の増加によって実際に応力(反り)が減少することを確認した。格子緩和に関するFox-Jesser理論を多層構造に拡張して実験結果の解析を行い,InGaAsにおける転位運動に対する摩擦力の増加が応力の低減に寄与していることを明らかにした。但し,単純なInGaAs/GaAs/Si構造では,反りの低減効果が不十分であることから,InGaAsの代わりにInGaAs/GaAs歪み超格子を用いることを検討したところ,更に有効に反りを低減できることを明らかにした。これらの検討を基に,選択ドープ構造本体をSi-ドープInAlGaAs/InGaAs/InAlGaAs(In比0.05),バッファ層をAlGaAs/InAlGaAs(In比0.15)とした構造をSi基板上に成長したところ,反りの大きさを従来の約1/4に低減できることを示した。この構造によって,プロセス上問題なく,基板の口径を6インチに拡大することが可能となった。

 以上の検討に基づき,反り低減構造を用いてSi基板上に,プリスケーラと呼ばれるHEMTの小規模集積回路(トランジスタ数190)を作製したところ,最大動作周波数3.6GHzと,GaAs基板上に作製した回路と全く同等の性能が得られ,この程度の集積規模であれば,十分実用化が可能な特性が得られることを示した。

 第5章では,本研究によって得られた知見と今後の課題についてまとめ,本論文の結論を述べた。

 以上のように,本研究ではMOCVD法を用いたHEMT集積回路のための結晶成長技術の開発を行い,炉を大型化しても,集積回路動作を可能とする高品質かつ高均一な,選択ドープ構造結晶の成長が可能であること,V族原子の切替えが比較的容易なMOCVD法の特徴を生かした,InGaP/InGaAs構造の作製により,素子の高性能化が可能なこと,シリコン基板上に実用に耐え得る小規模集積回路を作製できることを示し,より高性能で安価なHEMT集積回路を作製するための,結晶成長技術の基礎を確立した。

審査要旨

 本論文は,高電子移動度電界効果トランジスタ(HEMT)を用いて集積回路を作製することを目的とし有機金属気相成長(MOCVD)技術を開発したもので,大型炉を用いる場合の技術的問題の解決,高性能化を実現するためのヘテロ結晶構造の成長技術および低コスト化実現のためのシリコン基板上選択ドープ構造成長技術に関する研究結果をまとめたものである。

 第1章では,HEMT集積回路への応用において解決すべき,結晶技術の課題について整理し,本研究の目的,論文の構成について述べている。

 第2章では,高品質かつ高均一なAlGaAs/GaAs選択ドープ構造を得るための,多数枚(3インチ12枚)同時成長技術の開発を行った結果をまとめている。大型炉を用いたMOCVD法によるHEMT用結晶成長においては,きわめて移動度の低い選択ドープ構造しか成長することができない。PL(Photo-luminescence),SIMS(Secondary ion mass spectroscopy),DLTS(Deep level transient spectroscopy)といった各種物性測定から,移動度の劣化がAlGaAsの酸素汚染によるものであることを明らかにした。さらに移動度のスペーサ厚依存解析から,炉内に水分と推測される微小な汚染が存在する場合にはAlGaAs成長初期に酸素がAlGaAs/GaAs界面近傍に蓄積することが,特性劣化を引き起こしていることを明らかにした。これらの結果に基づき,AlGaAs/GaAs/AlGaAs3層構造をバッファとするダブルバッファー構造が,炉内汚染の除去に有効であることを見いだし,これを用いて電気的特性の再現性・均一性が大きく改善されることを示している。

 第3章では,GaAsに格子整合するSiドープしたIn0.48Ga0.52Pをキャリア供給層とし,歪みの入ったInGaAsをチャネル層としたInGaP/InGaAs選択ドープ構造につき研究を行っている。この構造の場合,急峻なヘテロ界面を得るには,適切な成長中断条件を選択する必要があることを見いだした。650℃以下と基板温度が低い場合には,PH3雰囲気中でGaAsあるいはInGaAsが表面に露出していてもリンが取り込まれにくいのに対し,InGaPが表面に露出している場合には,AsH3雰囲気中で砒素の取り込み率が高く,表面にInGaAsP層が形成されることを見いだし,GaAs/InGaP/GaAs構造を成長する場合には,GaAs成長後いったんPH3雰囲気に切り換えてAsH3が完全に排出されるのを待ってから,III族原料を流してInGaPの成長を行い,成長終了後にはPH3雰囲気を保ちGaAs成長時にはIII族の供給とV族の切替えを同時に行うシーケンスが最適であることを示している。

 次にIn0.48Ga0.52P/InxGa1-xAs/GaAs(x=0.15,0.2)構造の熱的安定性の評価を行っている。この構造においては,原子半径が大きく拡散しにくいはずのInが,界面での相互拡散を律速していることを見いだし,その拡散係数の大きさがレーザやHEMTで用いられている他のヘテロ構造と同等であり,実用上安定した構造であることを明らかにした。さらに,InGaP/InGaAs選択ドープ構造を用いてDCFL(Direct coupled FET logic)リング発振器を試作し,基本特性を評価しているが,低電圧でも良好な特性が保持されることを確認し,CMOS回路と対抗し得る高速・低消費電力集積回路素子として有望であることを示している。

 第4章では,シリコン基板上選択ドープ構造成長技術の開発を行った結果を述べている。第一に,転位が選択ドープ構造の移動度をどの程度劣化させるか調べ,理論的及び実験的検討から,77Kでは5x106cm-2以上,300Kでは5x107cm-2以上の転位密度に対して,移動度が急激に低下することを明らかにし,室温動作のHEMTについては,転位密度はさほど大きな問題とはならないことを明らかにした。しかし,特性の劣化したシリコン基板上HEMTを分解して調べたところ,製造途中において,エッチングガスと反応し,1m程度の大きさのピットを発生する特殊な欠陥が存在することがわかり,大規模集積回路を作するには,このような欠陥の発生をなくす必要があることを示している。

 次に,島状成長によって発生する表面ラフネスを低減する技術に関する研究を行っており,ここでは凹凸を低減する手法として,シリコン基板上にGaAsを成長後,表面を研磨し,選択ドープ構造を再成長する方法(研磨・再成長法と呼ぶ)を試みている。再成長においては選択ドープ構造の再成長条件と表面の平坦性の関係を調べ,低圧(〜76torr)で,トリエチルガリウム(TEGa)を原料に用いた時に良好な平坦性が得られることを示した。本手法により表面ラフネスを低減した結晶を用いてHEMTを作製し,特性を評価したところ,特にディプレーション・モードHEMTの特性が改善されることを明らかにしている。

 さらに,基板の反りを低減する技術の検討を行っている。基板の反りは,成長終了後,降温時に,GaAsがSiよりも大きい熱膨張係数を持つことによって発生する残留応力(引っ張り応力)によって生じるため,GaAsよりも格子緩和しにくい材料あるいは構造を採用することにより,なるべく大きな圧縮応力を選択ドープ構造成長時に保持し,降温時に発生する引っ張り応力と相殺させることによって残留応力を低減することを試みている。格子緩和しにくい材料としてはInGaAsを選択し,InGaAs/GaAs/Si構造を成長して,残留応力の構造パラメータ依存を調べ,InAsモル比の増加によって実際に応力(反り)が減少することを示している。これを理解するため格子緩和に関するFox-Jesser理論を多層構造に拡張して実験結果の解析を行い,InGaAsにおける転位運動に対する摩擦力の増加が応力の低減に寄与していることを明らかにした。一方,単純なInGaAs/GaAs/Si構造では,反りの低減効果が不十分であことから,InGaAsの代わりにInGaAs/GaAs歪み超格子を用いたところ,更に有効に反りを低減できることを示している。これらの結果を基に,選択ドープ構造本体をSi-ドープInAlGaAs/InGaAs/InAlGaAs(In比0.05),バッファ層をAlGaAs/InAlGaAs (In比0.15)とした構造をSi基板上に成長したところ,反りの大きさを従来の約1/4に低減できることに成功している。この構造により,プロセス上問題なく,基板の口径を6インチに拡大することが可能であることを示した。

 以上の結果から,反り低減構造を用いてSi基板上に,プリスケーラと呼ばれるHEMTの小規模集積回路(トランジスタ数190)を作製しているが,最大動作周波数3.6GHzと,GaAs基板上に作製した回路と全く同等の性能を得ており,集積回路として十分実用化が可能な特性を得られることに成功している。

 第5章では,本研究によって得られた知見と今後の課題についてまとめ,本論文の結論を述べている。

 以上これを要するに,本研究ではMOCVD法によりHEMT集積回路を工業的規模で作製するための結晶成長技術の開発を目的とし,成長装置の大型化にともなう不純物汚染およびヘテロ界面急峻性の劣化を防ぐ成長基盤技術を確立するとともに,シリコン基板上に平坦でそりのない選択ドープ結晶を得ることに成功し、より高性能で安価なHEMT集積回路を作製するための結晶成長技術を確立したもので電子工学上貢献するところが大である。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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