学位論文要旨



No 213671
著者(漢字) 宇佐美,徳隆
著者(英字)
著者(カナ) ウサミ,ノリタカ
標題(和) 分子線エピタキシー法により作製したSi系ヘテロ構造の分光学的研究
標題(洋) Spectroscopic study of Si-based semiconductor heterostructures grown by molecular beam epitaxy
報告番号 213671
報告番号 乙13671
学位授与日 1998.01.29
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13671号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 白木,靖寛
 東京大学 教授 花村,榮一
 東京大学 教授 伊藤,良一
 東京大学 教授 尾鍋,研太郎
 東京大学 教授 三浦,登
 東京大学 助教授 長田,俊人
内容要旨

 半導体のエピタキシャル成長技術は、原子スケールでの構造制御が可能なまでに発展し、量子井戸、量子細線、量子ドットといった低次元系半導体ヘテロ構造が盛んに研究されている。これら低次元系半導体の電子帯構造は、バルクとは大きく異なるため、その電子物性および光物性には、低次元系に特有な現象が数多く見られ、新たな機能性を持った素子を開発するための材料として期待されている。特に、シリコン(Si)とゲルマニウム(Ge)、および、その混晶であるシリコンゲルマニウム(SiGe)を組み合わせたヘテロ構造は、移動度の増加による電子デバイスの高速化に代表されるように、既存デバイスの高性能化に寄与するだけでなく、発光作用のように、Si単独では得られない新しい機能を付加することもできる。これは、従来の電子回路に光回路を組み込んだ、光集積回路の実現に道を開くものと考えている。また大きな利点として、卓越したSiのプロセス技術を活用できることが挙げられ、基礎研究から、デバイス化への移行が、極めて円滑に行えることが予想される。本研究では、特にSi系ヘテロ構造の発光作用に注目し、その効率を改善するための、種々のヘテロ構造を提案し、実際に分子線エピタキシー法により作製し、その発光特性を詳細に検討した。

 SiGe/Siヘテロ構造の中で最も広く研究されてきた、歪みSiGe/Si量子井戸構造は、Ge組成の小さい時は、type-I型であり、Ge組成の大きい時は、type-II型となることが知られている。しかし、type-I型においても、バンド不連続量は価電子側に大きく偏っており、有効に閉じ込められるのは正孔のみである。電子と正孔の両方を有効に閉じ込めるバンド構造として「隣接閉じ込め構造(NCS)」という半導体超構造を、歪みを利用したバンドエンジニアリングを駆使し、SiGe系に適用することを試みた。この構造は、タイプIIのヘテロ接合をバリア層で挟んだものであり、電子と正孔は、隣接するキャリア閉じ込め層に空間的に分離されて閉じ込められる。k空間でも、実空間でも間接となる構造にも関わらず、キャリア閉じ込め層の厚みを最適化することにより、発光効率を向上させることができる。

 NCSをSiGe/Si系に適用するには、緩和したSi1-xGex層に格子整合させて、Si層とSi1-yGey層(y>x)をエピタキシャル成長させればよい。Si層には引っ張り性歪みが、Si1-yGey層には圧縮性歪みが導入されることから、伝導帯、価電子帯ともに縮退が解け、(2)電子と重い正孔がNCSを構成する。伝導帯と価電子帯の両方に100meV程度の比較的大きなバンドオフセットをとることが可能であり、Si基板上のSiGe歪み量子井戸が価電子帯のみに大きなオフセットがあるのと対照的である。x=0.18、y=0.36とし、歪みSi層と歪みSi1-yGey層の層厚を10ÅにしたときのNCSの発光は、タイプII量子井戸、タイプI量子井戸と比較して非常に強くなった。特に、無フォノン(NP)強度が非常に強くなった点が特徴である。

図1 隣接閉じ込め構造のバンド構造図2 発光スペクトルの比較(a)10Å-stained Si type-II量子井戸(b)10Å-strianed-SiGe量子井戸(c)隣接閉じ込め構造

 このNP強度の増大効果は、熱処理によって減少することがわかった。また時間分解フォトルミネッセンス分光により、NP発光の減衰時間が熱処理により早くなることがわかった。発光再結合寿命の温度依存性を調べたところ、as-grownの試料ではNP強度増大が観測される温度領域で、明確な温度依存性が見られず励起子が局在している様子が明らかになった。一方、熱処理を施した試料では、通常の自由励起子のように発光再結合寿命は温度の増加関数となった。励起子局在の起源としては、タイプIIのヘテロ界面におけるroughnessが考えられる。

 この知見に基づき、活性層に引っ張り歪みSi/圧縮歪みpure-Geを用いることを試みた。この構造では、電子(正孔)に対するバリアの高さ(井戸の深さ)が増大するため、圧縮歪みSiGeを用いた場合と比較して、励起子は活性層により強く閉じ込められることが予想される。また、pure-Ge層における大きな圧縮歪みに起因した面内の膜厚分布により、面内のエネルギー分布も大きくなることが予想され、より高温までNP強度の増大が観測されることが期待される。実際に、Ge層厚が島状成長の臨界膜厚に近く、微視的な膜厚ゆらぎが顕著であるとき、NP強度は約100Kまで観測された。今後は、さらに構造の最適化をはかり、この系において室温までの発光を実現することが課題である。

 また、パターン基板上へのヘテロ構造の再成長により、リソグラフィ技術の限界よりも微細な量子構造を作製することが可能であることを利用し、V溝に加工したSi基板の溝底部にSiGe量子細線構造を作製することを試み、その発光特性について検討した。周期が2〜4mのV溝基板上へ、Si0.82Ge0.18/Si単一量子井戸上を、ガスソース分子線エピタキシー法で成長したところ、発光スペクトルは、3種のNP発光とフォノンレプリカが重なった複雑な形状を示した。これらは、カソードルミネッセンスを用いて、高エネルギー側より、(111)斜面量子井戸、溝底量子細線、溝間(100)量子井戸からの発光であることが確認された。量子細線の発光のシフト量は、溝底における歪みが一軸性ではなく、静水圧に近いものであることを反映している。

 これら3種のNP発光の相対強度は、測定温度やV溝の周期に強く依存し、熱平衡状態に至るまでに励起子のSiGe層内での再分布が起きることが示唆された。斜面量子井戸の蛍光寿命の周期依存性を系統的に調べたところ、周期が短い程、蛍光寿命が短くなることがわかった。また蛍光寿命は温度の減少関数となった。これらは、斜面量子井戸に捕獲された励起子の拡散による密度減少が短周期の試料ほど、また温度が高いほど顕著に現れることを反映している。このように、パターン基板上の量子構造の発光特性は、蛍光寿命の長い場合、拡散による励起子の再分布により大きく影響を受けることを明らかにした。

 この拡散現象を利用して励起子を細線部に集中させるために、V溝間の平坦部を酸化膜で覆い、V溝内部のみへの選択成長により、量子細線を作製することを試みた。実際に、発光スペクトルは、細線部からの発光が支配的であり、また量子井戸とは異なる偏光特性が得られた。

図3 V溝基板上SiGe/Siの発光スペクトル図4 斜面量子井戸の発光寿命のV溝周期依存性

 また、低次元半導体を実現する新たな手法として、格子不整合系のエピタキシャル成長に特有な、島状成長した結晶を利用することを試みた。通常の量子井戸構造の最表面に、島状の結晶を歪み導入層として成長し、量子井戸層に面内で不均一な歪みを加えようとするものである。Si0.82Ge0.18/Si単一量子井戸上に、歪み導入層としてとして、島状Si1-xGex層(x=0.64,0.81)を成長させたものを作製したところ、スペーサSi層厚を薄くするに伴い、発光エネルギーが低エネルギー側にシフトし、半値幅が増大する様子が明らかになった。この事から、埋め込み量子井戸のポテンシャルが、歪み印加層の影響で変調されていることが示唆され、歪み導入による低次元構造の作製が可能であることが実証された。

 本研究では、間接遷移型半導体であるSiGe/Si系ヘテロ構造の発光特性を改善する目的で、種々のバンド構造を提案し、実際に歪みを考慮に入れたバンドエンジニアリングを駆使して、その構造を実現し、発光特性について詳細に調べた。本研究により、フォトニクス材料としてのSiGeの有効性が示され、今後のデバイス応用への指針を確立する一助になるものと考えている。

審査要旨

 本論文は、「分子線エピタキシー法により作製したSi系ヘテロ構造の分光学的研究」と題し、Si系ヘテロ構造の発光特性を改善する目的で、種々のバンド構造を提案し、歪みを利用したバンドエンジニアリングを駆使し、その構造を実現し、発光特性について詳細に調べているものであり、六章から構成されている。

 第1章は序論であり、本研究の動機と、論文の構成について述べている。半導体のエピタキシャル成長技術を利用して、原子スケールで構造制御を行ったヘテロ構造の導入により、既存のSi電子デバイスの高性能化や、Si単独では得られない新しい機能の発現が可能であること、その中でも重要なものが,SiGeとSiから構成されるヘテロ構造の発光作用であることが説明されている。

 第2章では、歪みとバンド構造の一般的な関係と、SiGe系ヘテロ構造に適応した場合の、種々のバンドラインアップの実現の可能性について述べている。また、MBEを利用した、この材料系の結晶成長技術の現状と、SiGe/Si量子井戸構造の発光に関する過去の研究例についても説明し、本研究の位置づけを明らかにしている。

 第3章では「隣接閉じ込め構造(NCS)」という新しい半導体へテロ構造を、SiGe系に適用することを試みている。この構造は、タイプIIのヘテロ接合をバリア層で挟んだものであり、電子と正孔は、隣接する量子井戸に空間的に分離されて閉じ込められる。これは、通常の歪みSiGe/Si量子井戸構造においては、電子の有効な閉じ込めが実現できないという問題点を克服する構造となっている。NCS構造を実現するために、緩和したSi1-xGex層に格子整合させて、引っ張り歪みSi層と圧縮歪みSi1-yGey層(y>x)を交互にエピタキシャル成長させている。NCSの発光スペルトルは、タイプII量子井戸、タイプI量子井戸とは大きく異なり、無フォノン(NP)強度のフォノンレプリカに対する相対強度が非常に増強されている。このNP強度の増大が、タイプIIのヘテロ界面におけるroughnessに起因した励起子の局在であることを、井戸幅を変えた試料の系統的な測定および、発光再結合寿命の温度依存性等から明らかにしている。

 また、より高温まで、強いNP発光を持続させる構造として、正孔の閉じ込め層を圧縮歪み純Geとし、Ge層厚を島状成長の臨界膜厚に近く選びことにより、実際に約100Kまでの観測に成功するとともに、今後の構造最適化への指針を述べている。

 第4章では、パターン基板上へのヘテロ構造の再成長により、リソグラフィ技術の限界よりも微細な量子構造を作製することが可能であることを利用し、V溝に加工したSi基板の溝底部にSiGe量子細線構造を作製することを試みている。発光スペクトルは、3種のNP発光とフォノンレプリカが重なった複雑な形状を示したが、(111)斜面量子井戸、溝底量子細線、溝間(100)量子井戸からの発光であることをカソードルミネッセンス法により確認している。また、細線部の発光エネルギーから、溝底における歪みが一軸性ではなく、静水圧に近いものであることを指摘している。これら3種のNP発光の相対強度の、V溝周期、温度依存性、および蛍光寿命の系統的な測定により、励起子のSiGe層内での拡散による再分布と発光再結合の競合について定量的に議論し、励起子の拡散長を算出している。また、この拡散現象を利用して励起子を細線部に集中させるために、V溝間の平坦部を酸化膜で覆い、V溝内部のみへの選択成長により、量子細線を作製することを試み、細線部からの発光が支配的なスペクトルを観測するとともに、量子井戸とは異なる偏光特性について述べている。

 第5章では、低次元半導体を実現する新たな手法として、格子不整合系のエピタキシャル成長に特有な、島状成長した結晶を利用することを試みている。通常の量子井戸構造の最表面に、島状の結晶を歪み導入層として成長し、量子井戸層のポテンシャルを、歪みにより変調することにより、低次元構造の作製が可能であることを実証している。また、島状結晶の形成位置、大きさを制御する手法として、歪み量子井戸構造のへき開面への再成長が利用可能であることを提案し、その手法の有効性について議論している。

 第6章は結論であり、本研究において提案した新しいSi系ヘテロ構造の光学特性についての総括と、フォトニクス材料としてのSiGeの有用性について述べられている。

 以上をまとめると、本論文では、Siを利用した集積デバイスの高機能化を念頭に置いて、ヘテロ構造の導入により、Si系の材料に新しい機能を発現させることが可能であること、特に間接遷移型半導体でありながら、発光機能を実現させることができることを実証している点で、物理工学に寄与するところが非常に大きい。

 よって本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54043