学位論文要旨



No 213675
著者(漢字) 小林,徹
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,トオル
標題(和) 染色体操作によるサケ科魚類の三倍体および雌性発生二倍体の生物学的特性並びに形質の遺伝に関する研究
標題(洋)
報告番号 213675
報告番号 乙13675
学位授与日 1998.02.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第13675号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 会田,勝美
 東京大学 教授 若林,久嗣
 東京大学 教授 黒倉,寿
 東京大学 助教授 小林,牧人
 東京大学 助教授 鈴木,譲
内容要旨

 集約的飼育を特徴とする我が国の魚類養殖業は生産量の増大を最大の目的に技術開発を進め,経営の安定化をはかってきたが,生産魚の価格の低迷,飼料原料価格の上昇等に伴う生産コストの高騰,養殖環境の悪化,各種疾病の多発等により厳しい環境に直面している。このような事態を打開するためには,養殖対象魚種に遺伝的改良を加えて,耐病性や高成長性等を備えた養殖に最適な系統や品種を作出したり,性成熟に伴う養殖上の各種の弊害を除去して,養殖経営に関わる損失を最小限に押さえるとともに質的にも向上させ,付加価値の高い養殖魚を生産することも重要な課題の一つと考えられる。

 本研究では,養殖魚の遺伝学的改良技術の開発とその効果の解明を目指し,染色体操作によるサケ科魚類の三倍体および雌性発生二倍体の作出機序を細胞学的に明らかにするとともに,これら作出生物の生物学的特性に関する基礎的知見の集積,新しい品種改良法としての雌性発生技術の確立,養殖に適した優良系統の作出を行った。

1.染色体操作による三倍体および雌性発生二倍体の細胞学的誘起機序

 まず,染色体操作による三倍体の誘起機序を明らかにした。媒精15分後に受精卵を26℃の温水に20分間浸漬する高温処理によって,第二極体の形成が阻止され,第二極体中の遺伝物質は卵内に保留され,三倍体が形成される。この過程において,第二極体中の遺伝物質と雌性前核が接合または融合して二倍性の雌性前核を形成するのではなく,卵内に留まった第二極体になる予定の各染色体はいくつかの染色体胞となり,それらの染色体胞は雌性前核とともに,既に星状体の中心に位置していた雄性前核の方向に曳かれてゆき,接近し,接合してブドウ状の受精核を形成することが明らかになった。

 さらに紫外線照射精子を用いて雌性発生半数体を誘起した場合では,精子由来の遺伝物質の発生卵における遺伝学的拒絶は,精子由来の遺伝物質が中期核盤から取り残される形で起きることがニジマスとアマゴにおいて細胞学的に証明された。

 また,雌性発生二倍体作出操作では,精子への紫外線照射による遺伝的不活性化と高温処理による倍数化操作という2つの人為的操作によって,雄性前核,雌性前核,および第二極体の3組の遺伝物質は接合してブドウ状の三倍性の受精核を形成した後,紫外線照射精子に由来する雄性前核の遺伝物質が第一卵割の後期に脱落することによって雌性発生二倍体胚が形成されることが判明した。

 また,発生初期の核の行動と分裂速度について,アマゴの通常発生,アマゴ雌とニジマス雄との交雑発生,そしてアマゴの雌性発生の3つのグループで比較を行った。交雑胚と雌性発生胚の第一卵割は通常発生胚に比較して遅れ,また雌性発生胚は交雑胚よりも遅れた。雌性発生胚の第一卵割阻止の適正時期と考えられる積算温度68h・℃における分裂ステージは前中期であった。交雑胚の発生では第一卵割以降,いくつかの染色体が徐々に脱落していくのが観察され,この現象が,交雑胚の発生途上でおこる死亡や形態異常の主たる原因と考えられた。

 これらの研究によって,これまで理論的推定であった染色体操作を施した卵内の紫外線照射精子の細胞学的動態,高温処理による第二極体の放出阻止に関する細胞学的知見が示され,三倍体と第二極体放出阻止型雌性発生二倍体の作出機序が明らかになった。

2.三倍体の生物学的特性生殖腺の発達

 三倍体ニジマスにおける精巣は,9〜10月にかけて生殖腺指数7となり二倍体と同様に発達する。三倍体の卵巣は生殖腺指数は終始0.04程度であり,二倍体に比べてきわめて未発達であった。

成長

 三倍体の成長は,性成熟の関与しない期間では雌雄とも二倍体に比べて成長がやや劣った。この原因は,三倍体が二倍体との摂餌競合に破れるためであることがわかった。しかし,3+年以降の三倍体雌の体型は二倍体雌に比較して遥かに大きくなり,52ケ月齢(1989年4月)では二倍体雌の平均体重が4.2kgであったのに対して三倍体雌では6.5kgとおよそ1.5倍となった。これは,成熟にかかるエネルギーがすべて成長に振り向けられたためと考えられた。

血液性状

 三倍体の赤血球は二倍体よりも大きく,特に長径の伸長が観察された。この結果,赤血球の長径が三倍体を簡易に判別する指標として有用であると考えられた。しかし,ヘマトクリット値は倍数性による差はなく,三倍体は血球数を減じることで,恒常性を保っていることがわかった。

 強制運動に対する生理学的反応 三倍体の血球サイズの増大がもたらす影響として酸素結合能の低下が考えられた。そこで,平常時や過激運動を強制した場合の酸素消費量と血液性状の変化について調べた。三倍体の酸素消費量は平常時も強制運動後も二倍体と有意差はなかった。強制運動後の鰓蓋運動数を指標にした回復過程の観察において,三倍体は二倍体よりも回復が有意に遅れることから,強制運動による酸素債を解消するのに二倍体よりもやや時間がかかることが判明した。三倍体を取り扱う際には二倍体よりもこれらの点に注意が必要である。しかし,三倍体は平常時の脾臓に二倍体よりも多数の血球を貯蔵することによって,有事の際の酸素需要に備えていることも判明した。

不妊性と生殖生理

 三倍体の雄の血中生殖関連ホルモン濃度は二倍体とほぼ同様な変化を示し,生殖腺指数(GSI)も同程度に高くなる。しかし,殆どの生殖細胞は減数分裂へ移行した直後に分裂を停止し,完成された精子は少なかった。また,三倍体の精巣の退縮過程は二倍体よりも急激であった。三倍体の雌の血中生殖関連ホルモン濃度は二倍体に比較して極めて低く,生殖腺は殆ど糸状であった。しかし,一部の3+年魚の卵巣には卵黄胞期や卵黄球期まで発達した卵母細胞が観察された。三倍体の生殖腺発達の異常は基本的に第一減数分裂における染色体の対合分離現象の不全によって起こっており,そのことに関しては,雌も雄も差はない。しかし,減数分裂の開始が卵巣では孵化後間もない時期に起こるのに対して精巣では精原細胞の増殖と減数分裂が産卵期に起こることや,GSIの増大が精巣では主として精原細胞の増殖によっているのに対して卵巣では卵母細胞そのものが発達肥大することによっていることなど,雌雄の生殖腺の発達機序の違いから,外観上の生殖腺のサイズの増大や,二次性徴の発現に差が生じたものと考えられる。

3.選抜雌性発生育種

 雌性発生法のうち比較的容易に作出が可能な第二極体放出阻止型雌性発生二倍体の作出技術を従来の選抜育種に導入し,ニジマスとアマゴを対象として親魚選抜と雌性発生の繰り返しによる養殖集団の遺伝学的改良効果について検証を試みた。具体的には,第二極体放出阻止型雌性発生法を使って再生産形質や体型,パー・スモルト形質など産業的に重要な形質について実際に選抜雌性発生育種を行い,ニジマスの早期産卵大卵系,超肥育系,およびアマゴのパー系,スモルト系などの特徴ある系統を作出した。さらに,本方法で固定された雌性発生各系統の特徴や固定の程度等についても検討を加えた。

 このように第二極体放出阻止型雌性発生を選抜育種に導入することによって,着目した様々な形質について数代で育種効果が得られることが明らかとなった。

4.クローンの作出

 第一卵割阻止型雌性発生操作により,アマゴとニジマスにおいて雌性発生同型接合体性クローンを作出した。第一代としての第一卵割阻止型雌性発生二倍体は紫外線照射したニジマス精子で媒精した卵の第一卵割を高水圧処理によって阻止することで作出し,第二代は5尾の第一代同型接合性雌性発生二倍体雌の卵から,第二極体放出阻止による雌性発生によって作出した。これらの系統のクローン性は系統内姉妹同士における移植鰓蓋の体表組織への活着およびDNAフィンガープリントによって判定した。この技術は,わずか2代で純系を作出する方法として極めて有効である。

 以上のように,染色体操作は養殖魚の生理学的特性や遺伝学的形質を人為的に変革する非常に有効な手段であり,今後これらの方法によって養殖対象魚の生物学的特性が大きく変えられるものと思われる。特に雌性発生法は,これまで野生種を飼育増産してきた水産養殖業において,畜産分野のように様々な品種の作出を可能とする優れた方法である。今後,これらの方法を用いて水産養殖業に本格的な育種が展開されるものと思われるが,作出されたそれらの品種の血統管理体制の確立が大きな課題となろう。また,現在生理学的研究分野では遺伝子レベルでの解析が急速に進んでいる。今後は,さらにこれらの知見をもとに,養殖魚の様々な生物学的特性について遺伝的改良がはかられるようになり,より様々な形質をもつ品種が作出されていくものと推察される。

審査要旨

 養殖業の発展のため効率的な育種技術の開発が求められている。本研究は,染色体操作によるサケ科魚類の三倍体及び雌性発生二倍体の作出機序を細胞学的に明らかにするとともに,これら作出生物の生物学的特性に関する基礎的知見の集積,新しい品種改良法としての雌性発生技術の確立,養殖に適した優良系統の作出を行ったものである。

1.染色体操作による三倍体及び雌性発生二倍体誘起の細胞学的機序

 まず,染色体操作による三倍体の誘起機序を明らかにした。媒精15分後に受精卵を26℃の温水に20分間浸漬する高温処理によって,第二極体の形成が阻止され三倍体が形成されるが,この過程において,卵内に留まった第二極体になる予定の各染色体はいくつかの染色体胞となり,それらは雌性前核とともに,雄性前核の方向に曳かれてゆき,やがて接合してブドウ状の受精核を形成することが明らかになった。

 また,雌性発生二倍体作出操作では,精子への紫外線照射による遺伝的不活性化と高温処理による倍数化操作という2段階の人為的操作によって,雄性前核,雌性前核および第二極体の遺伝物質は接合してブドウ状の三倍性の受精核を形成した後,紫外線照射精子由来の雄性前核の遺伝物質が第一卵割の後期に脱落することによって雌性発生二倍体胚が形成されることが判明した。

 これらの研究によって,これまで理論的推定であった三倍体と第二極体放出阻止型雌性発生二倍体の作出機序が明らかになった。

2.三倍体の生物学的特性生殖腺の発達:

 三倍体ニジマスの精巣は,9〜10月にかけて二倍体と同様に発達したが,三倍体の卵巣は二倍体に比べてきわめて未発達であった。

成長:

 三倍体雄の成長は1+年の産卵期までは二倍体雄に比べてやや劣ったが,それ以降両者の成長差は無くなった。一方,三倍体雌の場合は当初二倍体に比して成長がやや劣ったが,二倍体が成熟する3+年以降は三倍体が二倍体に比較して遥かに大きくなった。これは,成熟にかかるエネルギーがすべて成長に振り向けられたためと考えられた。しかし,二倍体と混合して飼育すると三倍体の成長は劣った。これは投餌に対する三倍体の反応が二倍体よりも鈍いためと考えられた。

 血液性状:三倍体では赤血球は二倍体よりも大きいが血球数は少なかった。しかし,ヘマトクリット値は両者で差がないことから,ほぼ同量のヘモグロビンを有することが分かった。

 強制運動に対する生理学的反応:三倍体の酸素消費量は平常時も強制運動後も二倍体と有意差はなかった。しかし,強制運動後三倍体は二倍体よりも回復が有意に遅れた。従って,三倍体を取り扱う際には二倍体よりもこれらの点に注意が必要である。三倍体は平常時の脾臓に二倍体よりも多数の赤血球を貯蔵することによって,有事の際の酸素需要に備えていることも判明した。

不妊性と生殖生理:

 三倍体の雄の血中生殖関連ホルモン濃度は二倍体とほぼ同様な変化を示し,生殖腺指数も同程度に高くなった。しかし,殆どの生殖細胞は減数分裂へ移行した直後に分裂を停止し,完成された精子は少なかった。三倍体の雌の血中生殖関連ホルモン濃度は二倍体に比較して極めて低く,生殖腺は殆ど糸状であった。三倍体の生殖腺発達の異常は雌雄とも基本的に第一減数分裂における染色体の対合分離現象の不全に起因するが,生殖腺指数や血中生殖関連ホルモン濃度における性差は,減数分裂の開始時期の相違など雌雄の生殖腺の発達機序の違いに基づくものと考えられた。

3.雌性発生法による育種

 第二極体放出阻止型雌性発生二倍体の作出技術を従来の選抜育種に導入し,ニジマスとアマゴを対象として親魚選抜と雌性発生の繰り返しによる養殖集団の遺伝学的改良を行った。具体的には,ニジマスの早期産卵大卵系,超肥育系,及びアマゴのパー系,スモルト系などの特徴ある系統を作出した。さらに,本方法で固定された雌性発生各系統の特徴や固定の程度等についても検討を加えた。この結果,第二極体放出阻止型雌性発生を選抜育種に導入することによって,着目した様々な形質について数代で育種効果が得られることが明らかとなった。

4.クローンの作出

 第一卵割阻止型雌性発生操作により,アマゴとニジマスにおいて雌性発生同型接合体性クローンを作出した。第一代としての第一卵割阻止型雌性発生二倍体は紫外線照射したニジマス精子で媒精した卵の第一卵割を高水圧処理によって阻止することで作出し,第二代は5尾の第一代同型接合性雌性発生二倍体雌の卵から,第二極体放出阻止による雌性発生によって作出した。これらの系統のクローン性は系統内姉妹同士における移植鰓蓋の体表組織への活着及びDNAフィンガープリントによって判定した。この結果,この技術はわずか2代で純系を作出する方法として極めて有効であることが判明した。

 以上,本研究は,染色体操作法による倍数体の作出機序を明らかし,新しい品種改良法として確立するとともに,養殖に適した優良系統の作出を行ったもので学術上,応用上寄与するところが大きい。よって,審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文に値すると判定した。

UTokyo Repositoryリンク