学位論文要旨



No 213677
著者(漢字) 戸塚,護
著者(英字)
著者(カナ) トツカ,マモル
標題(和) 抗原のアミノ酸置換による免疫応答の制御に関する研究
標題(洋)
報告番号 213677
報告番号 乙13677
学位授与日 1998.02.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第13677号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 教授 野口,忠
 東京大学 教授 松澤,洋
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 助教授 飴谷,章夫
内容要旨

 免疫応答の調節にはT細胞が中心的な役割を果たしている.T細胞は細胞表面上のT細胞抗原レセプター(T cell receptor;TCR)を介して,抗原タンパク質由来のペプチド断片と主要組織適合遺伝子複合体(major histocompatibility complex;MHC)分子との複合体を認識し,活性化される.したがって,TCR・ペプチド・MHC分子の3分子間の相互作用はT細胞応答,すなわち免疫応答の調節において重要な鍵をにぎっていると考えられる.事実,近年の研究により抗原上のT細胞が認識する部位(T細胞抗原決定基)を含むペプチドについて,MHC分子,あるいはTCRとの結合に関与するアミノ酸残基を置換することにより,様々なT細胞応答の変化が誘導されることが観察されている.

 そこで本研究では,この3分子間の相互作用に着目し,免疫系が認識する抗原の構造操作により,アレルギーや自己免疫疾患など有害な免疫応答を抑制・制御する可能性について追求した.抗原の操作による免疫応答の制御とは,すなわちその抗原に特異的な免疫応答のみを制御するということであり,これが可能になれば根本的かつ副作用のない安全な治療法の開発,さらに低アレルゲン化食品タンパク質,あるいは抗アレルギー活性をもつタンパク質の設計への道が開かれると期待される.本研究では,抗原として主要な食品アレルゲンの一つである-ラクトグロブリン(-Lg)を対象とした.まず-LgのT細胞抗原決定基を3系統のマウスにおいて詳細に解析した.そのうちの一つの主要な決定基に着目し,MHCクラスII分子,TCRとの結合残基を同定した.これらを置換したアナログペプチド,あるいは酵母分泌発現系を用いて作製した-Lg変異体を用いたときに観察される抗原特異的な免疫応答の変化の解析をおこなった.

1.-LgのT細胞抗原決定基の同定

 タンパク質抗原のT細胞抗原決定基は,通常全アミノ酸配列を網羅するように互いに一部のアミノ酸残基を重複させた一連の部分ペプチドを用いて同定されてきた.少数の部分ペプチドを用いた場合には,隣接する二つのペプチドにまたがって存在するようなT細胞抗原決定基は見逃される可能性がある.そこで,ウシ-Lgのアミノ酸配列から得られる全ての15残基の部分ペプチド(148種類)を合成し,-Lgで免疫したマウス由来リンパ節細胞の増殖応答を誘起する活性を解析した.その結果,異なるMHCをもつ3系統のマウス(C57BL/6,C3H/He,BALB/c)においてT細胞抗原決定基を同定し,各決定基のT細胞応答誘起能に重要な領域(コア領域)を同定することができた.各系統のマウスにおいて強いT細胞応答を誘起した決定基(免疫学的に優勢な決定基)は,C57BL/6(B6)マウスにおいては122-130残基,C3H/Heマウスでは140-148残基,BALB/cマウスでは67-75残基,71-79残基,および80-88残基をそれぞれをコア領域とする部分であることが明らかとなった.これ以外にB6マウスで2ヶ所,C3H/Heマウスで5ヶ所,BALB/cマウスで10ヶ所のT細胞抗原決定基が同定された.これらの結果を各MHC分子ごとに定義された,結合するペプチドに特徴的な配列(MHC結合モチーフ)をもとに予測される決定基と比較したところ,既報の結合モチーフによる予測は有効性に乏しいことが判明した.

2.-Lgの122-130残基をコア領域とする優勢なT細胞抗原決定基の抗原構造の解析

 B6マウスにおける優勢なT細胞抗原決定基のコア領域である122-130残基について,MHCクラスII(I-Ab)分子,およびTCRとの結合に重要な役割を果たすアミノ酸残基を同定した.この決定基を選択した主要な理由は,2種類のMHCクラスII分子をもつ他の2系統のマウスとは異なり,B6マウスはI-Ab分子しかもたないこと,B6マウスでは-LgのT細胞抗原決定基が他と比べて少なく単純であることから,-Lg変異体を作製して応答を見る場合に単純な実験モデルとなることが期待されることである.B6マウスの脾臓細胞よりI-Ab分子を精製し,119-133残基に相当するペプチド(p119-133)の一残基置換ペプチドとの結合性を調べることにより,置換により結合性が低下する残基を同定した.その結果,126Pro残基,128Val残基がMHCクラスII分子との結合に重要な残基であることが判明した.また,この結果から新たなI-Ab分子の結合モチーフを推定した.

 さらに,上記の置換ペプチドに対する,-Lg免疫マウス由来リンパ節細胞,およびp119-133特異的CD4+T細胞クローンG1.19の増殖応答を調べ,応答誘起能を低下させる残基を同定した.その結果,122-130残基のうち上記の2つのMHC分子結合残基を除く全ての残基が,置換するアミノ酸によっては応答誘起能の低下を示すことから,TCRとの結合に関与することが判明した.そのうち,127Glu残基は相同性の高いアミノ酸であるAspへの置換によっても,どちらのT細胞の応答性も認められなくなったことから,TCR結合に重要な残基であると推測された.

3.-Lgの酵母における分泌発現系の構築

 上記の知見をもとに-Lg変異体を調製するため,酵母Saccharomyces cerevisiaeにおいて-Lgの分泌発現系を構築した.ウシ乳腺由来のmRNAを鋳型としてcDNAライブラリーを作製し,[32P]ラベルしたオリゴヌクレオチドプローブを用いたコロニーハイブリダイゼーション法により-LgのcDNAをクローニングした.その全翻訳領域を酵母発現ベクターであるpYG100に挿入し-Lg発現プラスミドpYBSSIを作製した.これで形質転換した酵母の培養上清中に組換え型-Lgが最大約6mg/lの濃度で検出された.これを陰イオン交換カラム,ゲル濾過カラムを用いて精製した.精製した組換え型-LgはSDS-ポリアクリルアミドゲル電気泳動において天然型-Lgと同じ移動度を示し,-Lgのコンフォメーション変化を認識する抗-Lgモノクローナル抗体に対して天然型-Lgとほぼ同様の反応性を示した.また,N末端配列を解析したところ,-Lg由来のシグナル配列が酵母細胞においても正しく切断されていることが判明した.

4.MHCクラスII分子結合残基の置換による免疫原性の低減化

 T細胞抗原決定基を含むペプチドはMHC結合残基の置換によりMHC分子との結合性が低下すると抗原提示の効率が低下するため,一般にそのin vivoにおける免疫応答誘起能(免疫原性)は低下する.126Pro残基をAlaに置換したペプチドpP126Aは,p119-133と比較してI-Ab分子との結合性が低下した.これをB6マウスに投与したところ,T細胞応答・抗体産生応答がほとんど認められなかったことから,p119-133の免疫原性における126Pro残基の重要性が確認された.しかしながら,一般に複数のT細胞抗原決定基をもつタンパク質抗原において,一つの決定基のMHC結合残基の置換がタンパク質全体に対する免疫応答にどのような影響を与えるかについては明らかでない.そこで,酵母発現系を用いてpP126Aと同じ置換をもつ-Lg変異体mutP126A,およびTCR結合残基である129Asp残基をAlaに置換した変異体mutD129Aを調製した.天然型-Lg,あるいはmutD129AでB6マウスを免疫した場合には,血清中に強い特異抗体の産生が認められた.一方,mutP126Aで免疫した場合には特異抗体はほとんど検出されず,免疫原に対するT細胞応答も天然型-Lg免疫マウス由来のものと比べ弱かった.これより,わずか1残基のアミノ酸置換により,タンパク質抗原の免疫原性を大きく低下させることが可能であることが明らかとなった.

 さらに,B6マウスにおいて2番目に強い抗体産生応答を誘導した16-26残基をコア領域とする決定基に対するT細胞応答の変化を解析するため,この決定基に特異的なT細胞ラインを樹立し,mutP126A,天然型-Lgに対する増殖応答を調べた.その結果,mutP126Aに対してより強い応答を示したことから,126Pro残基の置換により16-26残基をコア領域とする決定基の抗原提示が増大したことが示された.これらの結果よりタンパク質抗原分子全体に対する免疫応答を考えると,優勢な抗原決定基がMHC結合残基の置換により抗原提示されなくなった場合,その他の優勢度の低い決定基の抗原提示が増大するが,それが誘起するT細胞応答は,置換によるタンパク質分子全体に対するT細胞応答の低下分を補うことはできないことが示唆された.

5.TCR結合残基の置換による抗原特異的免疫応答の抑制

 近年の研究から,抗原ペプチドのTCR結合残基を置換したアナログペプチドの中にはT細胞に対し,増殖を伴わないサイトカイン産生応答の誘導などの部分的活性化を誘起するもの(部分的アゴニスト),T細胞の増殖応答を抑制するもの(TCRアンタゴニスト)があることが報告されている.後者は抗原特異的な免疫応答抑制に有効であると期待されている.p119-133のTCR結合残基を置換したアナログペプチドから,p119-133特異的CD4+T細胞クローンG1.19のp119-133に対する増殖応答を抑制する活性をもつものを検索した.その結果,129Asp残基をAlaに置換したペプチドpD129Aが強いTCRアンタゴニスト活性をもつことが判明した.pD129Aは新たに樹立した他の3つのp119-133特異的T細胞クローンのうち,2つに対しても抑制効果を示した.また,p119-133免疫B6マウス由来のリンパ節細胞のp119-133に対する増殖応答も抑制した.そこで,pD129Aのin vivoにおける免疫応答抑制効果を検討したところ,pD129Aをp119-133と同時に投与することにより,p119-133に対するT細胞応答,抗体産生応答はともに強く抑制されることが明らかとなった.これまでTCRアンタゴニストはin vivoにおいて病因性のT細胞応答に由来する実験的自己免疫疾患の発症を抑制することは報告されているが,抗体産生応答に対しても同様に抑制効果を示すことは新しい知見といえる.したがって,IgEなどの抗体応答が関与するアレルギーなどにおいてもTCRアンタゴニストが有効に抑制効果を示すことが示唆された.

 TCRアンタゴニズムなどの現象は従来ペプチドを用いて解析されてきたものであり,変異をもつタンパク質分子が同じ効果を示すかどうかは明らかにされていない.そこで,pD129Aと同じアミノ酸置換をもつ-Lg変異体mutD129Aが上記のT細胞クローンの-Lgに対する増殖応答に対して抑制効果を示すかどうかを調べた.その結果,pD129Aと同様に3つのクローンに対して抑制効果を示したことから,変異体タンパク質でもTCRアンタゴニスト活性を発揮しうることが明らかとなった.

6.まとめ

 本研究ではT細胞認識における-Lgの抗原構造を詳細に解析し,-Lgおよびそれ由来ペプチドの1アミノ酸残基の置換により,抗原特異的に免疫応答を制御することが可能であることを示した.すなわち,MHCクラスII分子との結合残基の置換によって-Lgの免疫原性を著しく低下させることができ,TCR結合残基の置換により-Lgに免疫応答抑制活性をもたせることができた.今後,このような方法を実際にヒトに対して効果を示すような応用を目指す場合に障害となるのが個人ごとのMHC分子の多型性である.個人によってT細胞応答に重要な残基が異なることが予想され,現在のところその同定にはアミノ酸置換分子を作製し実際にその活性を調べる以外に方法はない.本研究でおこなったような詳細な抗原構造の解析の蓄積により,置換の標的残基を抗原の一次配列から予測する方法の開発が進むことが期待される.

審査要旨

 免疫応答の調節にはT細胞が中心的な役割を果たしている.T細胞は細胞表面上のT細胞抗原レセプター(T-cell receptor,TCR)を介して,抗原タンパク質由来のペプチド断片と主要組織適合遺伝子複合体(major histocompatibility complex;MHC)分子との複合体を認識し活性化される.したがって,TCR・ペプチド・MHC分子の3分子間の相互作用はT細胞応答,すなわち免疫応答の調節において重要な鍵をにぎると考えられる.本研究はこの3分子間の相互作用に着目し,抗原の構造操作により免疫応答を制御する可能性について検討したもので,全7章からなる.

 第1章の緒論に続き,第2章では主要な食品アレルゲンの一つであるウシ-ラクトグロブリン(-Lg)について,その一次配列から得られる15残基の部分ペプチド全て(148種類)を用いてT細胞が認識する部位(T細胞抗原決定基)を同定した.その結果,異なるMHCをもつ3系統のマウス(C57BL/6,C3H/He,BALB/c)においてT細胞抗原決定基の分布とそれぞれが誘起するT細胞応答の強さ(免疫学的優勢度),各決定基のT細胞応答誘起能に重要な領域(コア領域)を詳細に同定できた.

 次に第3章では,C57BL/6マウスにおいて強いT細胞応答を誘起した優勢な抗原決定基である,122-130残基をコア領域とする領域に着目し,MHCクラスII(I-Ab)分子およびTCRとの結合に重要な残基を同定した.この決定基を含む119-133残基に相当するペプチド(p119-133)の一残基置換ペプチドを用い,精製I-Ab分子との結合能,T細胞応答誘起能を調べた.その結果,126Pro残基,128Val残基がMHCクラスII分子結合残基であり,それ以外の122-130残基はTCRとの結合に関与する残基であることが判明した.

 第4章においては,上記の知見をもとに-Lg変異体を調製するため,酵母Saccharomyces cerevisiaeにおいて-Lgの分泌発現系を構築した.酵母の培養上清中に組換え型-Lgが最大約6mg/lの濃度で検出され,精製した組換え型-Lgは天然型と同じ構造をもつことが明らかとなった.

 複数のT細胞抗原決定基をもつタンパク質抗原においては,一つの抗原決定基内のMHC分子結合残基の置換がタンパク質全体に対する免疫応答にどのような影響を与えるかは明らかでない.-Lgには122-130残基をコア領域とする優勢なT細胞抗原決定基の他に2つのより優勢度の低い抗原決定基が存在する.そこで第5章においては,優勢な抗原決定基中のMHCクラスII分子結合残基である126Pro残基をAlaに置換した-Lg変異体mutP126Aを作製し,それに対する免疫応答を解析した.天然型-LgでC57BL/6マウスを免疫した場合には,強い特異抗体産生,T細胞応答が誘導されたのに対し,mutP126Aで免疫した場合には特異抗体はほとんど検出されず,T細胞応答も著しく弱かった.これより,わずか1残基のアミノ酸置換により,タンパク質抗原の免疫原性を大きく低下させることが可能であることが明らかとなった.

 TCR結合残基を置換した抗原ペプチドのアナログの中にはT細胞の増殖応答を抑制するもの(TCRアンタゴニスト)があり,抗原特異的な免疫応答抑制に有効であると期待される.第6章ではTCR結合残基である129Asp残基をAlaに置換したp119-133アナログペプチドpD129AがTCRアンタゴニスト活性をもつことを明らかにした.pD129Aのin vivoにおける免疫応答抑制効果を検討したところ,pD129Aをp119-133と同時に投与することにより,p119-133に対するT細胞応答,抗体産生応答はともに強く抑制されることが明らかとなった.TCRアンタゴニストがin vivoにおいて抗体産生応答に対しても抑制効果を示すことは新しい知見であり,IgEが関与するアレルギーなどにおいてもTCRアンタゴニストが有効に抑制効果を示すことが示唆された.一方,TCRアンタゴニズムは従来ペプチドを用いて解析されてきたものであり,変異タンパク質分子が同じ効果を示すかどうかは明らかでない.そこで,pD129Aと同じ置換をもつ-Lg変異体mutD129AのTCRアンタゴニスト活性を調べたところ,pD129Aと同様に抑制効果を示したことから,変異体タンパク質でもTCRアンタゴニスト活性をもちうることが判明した.

 第7章では本研究の意義とその応用の可能性について総合的に討論した.

 以上,本論文は抗原構造を詳細に解析し,抗原に対してタンパク質工学的操作を施すことにより,抗原特異的に免疫応答を制御することが可能であることを示したものであり,免疫系による抗原認識機構に新知見を与えたものとして学術的に優れたものであるとともに,今後,応用面での発展が期待できるものでもある.よって審査員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた.

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