学位論文要旨



No 213681
著者(漢字) 樫田,陽子
著者(英字)
著者(カナ) カシダ,ヨウコ
標題(和) 若齢ラットの筋骨格系組織におけるキノロン薬による毒性病変の発現機序
標題(洋) Pathogenesis of quinolone-induced musculoskeletal disorders in juvenile rats
報告番号 213681
報告番号 乙13681
学位授与日 1998.02.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第13681号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長谷川,篤彦
 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 助教授 中山,裕之
 東京大学 助教授 辻本,元
内容要旨

 抗菌力に優れ、組織内移行性も高く、広域性抗菌活性を示すキノロン系抗菌薬は、臨床上広範囲に用いられているが、まれに筋骨格系に対する副作用がみられることが報告されている。これらの多くは筋肉痛および関節痛で、最近、投薬に関連すると思われる腱障害および横紋筋融解症がそれぞれ主にフランスおよび日本で報告されている。腱障害は時に外科的処置と長期の治療が必要で、一方では横紋筋融解症は二次的に腎障害を惹起して死に至ることもある。いずれも発症頻度は低いが、重篤な副作用として注目されている。実験動物においては、若齢動物にキノロン薬を投与した時にのみ可動関節関節軟骨の空洞形成およびびらんが惹起されるが、関節軟骨以外の筋骨格系組織におけるキノロン薬の毒性に関する報告はほとんどない。そこで、pefloxacinあるいはofloxacinを若齢ラットに単回投与したところ、アキレス腱に病変が発現することが確認された。しかし、これがヒトでの副作用と一致するものかどうかは明らかでなく、その発生機序も不明である。したがって本研究では、ラットの筋骨格系組織においてキノロン薬の毒性病変を作出して実験動物モデルとしての確立を試みるとともに、病変の発生機序について検討した。

 まず第1章では、現在市販されている10種のキノロン薬を用いてアキレス腱病変を再現し、その強さを比較した。4週齢の雄ラットに各キノロン薬の100,300あるいは900mg/kgを経口単回投与し、翌日剖検してアキレス腱を組織学的に検査した。比較に用いた10種のキノロン薬の中で、fleroxacinおよびpefloxacinは最も毒性が強く、100mg/kg以上で病変を惹起した。また、lomefloxacin、levofloxacinおよびofloxacinは300mg/kg以上、sparfloxacinおよびenoxacinは900mg/kgでそれぞれ病変が発現した。これに対して、norfloxacin、ciprofloxacinおよびtosufloxacinは900mg/kgの高用量投与でも病変は惹起されなかった。高頻度に病変を惹起したfleroxacin、pefloxacinおよびlevofloxacinはキノロン基本骨格の第7位の側鎖にmethylpiperadinyl基が存在するのに対し、毒性が弱いかあるいは900mg/kgでも病変が惹起されなかったenoxacin、norfloxacinおよびciprofloxacinでは7位の側鎖がpiperadinyl基であることが判明した。このことから、病変の強さはキノロン基本骨格の第7位側鎖の化学構造に関連があるものと考えられた。ヒトでの腱障害は多くがpefloxacinによるものでり、若齢ラットにおいてもpefloxacinは比較的高頻度に病変を惹起することから、以下ではpefloxacinを用いて検討した。

 ヒトでの副作用は、多くはアキレス腱に認められているが、それ以外にも二頭筋長頭筋腱、長母指伸筋腱での発症が報告されている。また、横紋筋融解症例では全身の倦怠感、筋肉痛が報告されている。したがってキノロン薬投与によってアキレス腱周囲以外の筋骨格系組織にも障害が惹起される可能性が疑われる。

 次に第2章では、若齢ラットの筋骨格系組織に対するpefloxacinの影響を病理組織学的に検討した。まず、pefloxacin900mg/kgの単回経口投与後、翌日ラットを剖検し、四肢組織の連続切片を作成し、光顕的に精査した。さらに、5-bromo-2’-deoxyuridine(BrdU)染色、および電子顕微鏡によって観察した。その結果、筋/筋膜、腱/腱鞘、滑膜および関節軟骨に病変が観察された。足根部および肘部で病変の頻度が高く、その程度も顕著であった。足根部では、踵骨隆起上部のアキレス腱鞘に単核性細胞の増加を伴う水腫が認められた。単核性細胞の増加は隣接する滑膜および関節腔にもみられた。病変の程度が強くなると、病巣は表層腱組織にも波及し、不規則に配列した膠原線維束は互いに乖離し、線維芽細胞の核は濃縮または崩壊していた。肘部では、上腕骨滑車の関節軟骨に空洞形成およびびらんが認められ、拡張した周囲の関節腔には漿液性滲出物および少数の単核性細胞が含有されていた。滑膜には細胞密度の増加および水腫が認められ、これが隣接する筋線維間にまで波及する場合もあった。上腕三頭筋あるいは尺側手根屈筋では、尺骨肘頭への付着部において水腫および単核性細胞の増加が顕著であった。また同部位の筋間質において細胞核の濃縮および崩壊が認められた。さらに同様の変化が尺側手根屈筋遠位部の筋膜および腱に認められる場合もあった。これら水腫性病変部では、筋線維束は収縮あるいは萎縮性で、毛細血管腔は拡張していた。

 以上のように、筋/筋膜、腱/腱鞘および滑膜における病変は類似し、水腫および単核性細胞の増加が特徴的であった。この細胞は毛細血管周囲の大食細胞および増殖した線維芽細胞であることがBrdU染色および電子顕微鏡検査で確認され、さらに血管内皮細胞の増殖も認められた。しかし、好中球の浸潤は認められなかった。これらの組織所見は血管透過性の亢進を示唆するものであった。ヒトの腱障害における病理学的所見の記述は少ないが、アキレス腱断裂部の膠原線維の変性、不整配列、水腫、細胞増加および血管新生などが認められている。本実験で認められた筋/筋膜、腱/腱鞘の病変はヒトでの所見と共通するものであった。第1および2章の実験の結果、若齢ラットで認められた病変は、ヒトにおけるアキレス腱障害および横紋筋融解症の動物モデルとして活用できるものと思われた。

 第3章では、pefloxacinによる腱病変の発生機序を明らかにするために、pefloxacinと抗酸化剤(catalaseおよびdimethylsulfoxide)、ステイロイド系抗炎症剤(dexamethasone)、cyclooxygenase阻害剤(indomethacin)、cyclooxygenase/lipoxygenase阻害剤(phenidone)、lipoxygenase阻害剤(2-(12-hydroxydodeca-5,10-diynyl)-3,5,6-trimethyl-1,4-benzo-quinone;AA861)、抗ヒスタミン剤(pyrilamineおよびcimetidine)あるいはnitricoxide(NO)合成阻害剤(N-nitro-L-arginine methyl ester;L-NAME)を併用投与し、アキレス腱病変に対する影響を検討した。アキレス腱病変はdexamethasoneあるいはL-NAMEを併用投与することによって有意に抑制された。PhenidoneあるいはAA861も腱病変の発現頻度および病変の程度を軽減させた。Catalase、dimethylsulfoxide、indomethacin、pyrilamineおよびcimetidineは腱病変の頻度および程度に対して影響を示さなかった。これらの結果により、pefloxacinによる腱病変の発現にはNOおよびlipoxygenase productsが関与することが示唆された。

 そこで第4章では、pefloxacin投与後のNO産生をin vivoで測定するとともに、アキレス腱病変の発現を経時的に観察した。その結果、体内におけるNO産生を反映する尿中nitrate/nitrite排泄量はpefloxacin900mg/kg投与後4時間までは有意に減少、4-8時間では有意差はなく、8-24時間では有意に増加した。病理学的には、腱病変は投与4および8時間後では認められず、24時間後に認められた。腱病変の発現は体内のNO産生が高くなる時期と一致していた。病理学的に大食細胞および血管内皮細胞の増加、水腫が明らかであったことから、pefloxacinが大食細胞あるいは血管内皮細胞を直接あるいは間接的に刺激し、合成、放出されたNOが血管を障害して水腫および細胞浸潤を惹起するものと考えられた。

 以上のように、キノロン薬の単回大量経口投与により若齢ラットにおいて関節軟骨以外にも腱、筋および滑膜に病変が惹起され、その腱病変の程度は7位側鎖の構造に関連する傾向が示された。病変の組織学的特徴は水腫および大食細胞、線維芽細胞および血管内皮細胞の増加で、血管の透過性が亢進しているものと考えられた。腱病変発生はNO合成阻害剤の併用で顕著に抑制され、また病変発現時間と一致して体内でNO産生の増加が示唆された。これらのことから、キノロン薬が大食細胞あるいは血管内皮細胞を刺激し、NOが放出されて血管障害が惹起されるとともに、血管の透過性が亢進し、水腫が発現するものと考えられた。

審査要旨

 キノロン系抗菌薬の投薬に関連すると思われる腱障害および横紋筋融解症が最近臨床的に問題となっていることから、ラットの筋骨格系組織におけるキノロン薬による毒性病変の発生機序を検討した。

 まず第1章では、現在市販されている10種のキノロン薬を用いてアキレス腱病変を再現し、その強さを比較した。比較に用いた10種のキノロン薬の中で、fleroxacinおよびpefloxacinは最も毒性が強く、100mg/kg以上で病変を惹起した。また、lomefloxacin、levofloxacinおよびofloxacinは300mg/kg以上、sparfloxacinおよびenoxacinは900mg/kgでそれぞれ病変が発現した。これに対して、norfloxacin、ciprofloxacinおよびtosufloxacinは900mg/kgの高用量投与でも病変は惹起されなかった。この病変の強さはキノロン基本骨格の第7位側鎖の化学構造に関連があるものと考えられた。

 次に第2章では、若齢ラットの筋骨格系組織に対するpefloxacinの影響を病理組織学的に検討した。まず、pefloxacin900mg/kgの単回経口投与後、翌日ラットを剖検し、四肢組織の連続切片を作成し、光顕的に精査した。さらに、5-bromo-2’-deoxyuridine(BrdU)染色、および電子顕微鏡によって観察した。その結果、筋/筋膜、腱/腱鞘、滑膜および関節軟骨に病変が観察された。足根部および肘部で病変の頻度が高く、その程度も顕著であった。筋/筋膜、腱/腱鞘および滑膜における病変は類似し、水腫および単核性細胞の増加が特徴的であった。この細胞は毛細血管周囲の大食細胞および増殖した線維芽細胞であることがBrdU染色および電子顕微鏡検査で確認され、さらに血管内皮細胞の増殖も認められた。しかし、好中球の浸潤は認められなかった。これらの組織所見は血管透過性の亢進を示唆するものであった。

 第3章では、pefloxacinによる腱病変の発生機序を明らかにするために、pefloxacinと抗酸化剤(catalaseおよびdimethylsulfoxide)、ステイロイド系抗炎症剤(dexamethasone)、cyclooxygenase阻害剤(indomethacin)、cyclooxygenase/lipoxygenase阻害剤(phenidone)、lipoxygenase阻害剤(2-(12-hydroxydodeca-5,10-diynyl)-3,5,6-trimethyl-1,4-benzo-quinone;AA861)、抗ヒスタミン剤(pyrilamineおよびcimetidine)あるいはnitric oxide(NO)合成阻害剤(N-nitro-L-arginine methyl ester;L-NAME)を併用投与し、アキレス腱病変に対する影響を検討した。アキレス腱病変はdexamethasoneあるいはL-NAMEを併用投与することによって有意に抑制された。PhenidoneあるいはAA861の投与によっても腱病変の発現頻度および病変の程度は軽減した。これらの結果から、pefloxacinによる腱病変の発現にはNOおよびlipoxygenase productsが関与することが示唆された。

 そこで第4章では、pefloxacin投与後のNO産生をin vinoで測定するとともに、アキレス腱病変の発現を経時的に観察した。その結果、体内におけるNO産生を反映する尿中nitrate/nitrite排泄量はpefloxacin900mg/kg投与後4時間までは有意に減少、4-8時間では有意差はなく、8-24時間では有意に増加した。血清中のNO濃度は投与4時間後にpefloxacin投与群で有意に高く、8および24時間後には差はなかった。病理学的には、腱病変は投与4および8時間後には認められず、24時間後に認められた。病変発現と体内におけるNO産生の増加が関連しているように思われた。

 以上のように、キノロン薬の単回投与により、若齢ラットにおいて関節軟骨以外にも腱、筋および滑膜に病変が惹起され、その組織学的特徴は水腫および大食細胞、線維芽細胞および血管内皮細胞の増加で、血管の透過性が亢進しているものと考えられた。また、本病変の発現には、キノロン薬が大食細胞あるいは血管内皮細胞を刺激して産生されるNOが関与していることが示唆された。

 よって、本研究はキノロン薬による副作用の発現機序を解明する上で極めて重要な知見であり、またその副作用対策にも寄与するものであり、学問的および応用上価値あるものと認めた。したがって本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク