学位論文要旨



No 213682
著者(漢字) 平賀,敦
著者(英字)
著者(カナ) ヒラガ,アツシ
標題(和) 育成調教期のサラブレッド種競争馬の呼吸循環機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 213682
報告番号 乙13682
学位授与日 1998.02.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第13682号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菅野,茂
 東京大学 教授 佐々木,伸雄
 東京大学 助教授 局,博一
 東京大学 助教授 西原,眞杉
 東京大学 助教授 西村,亮平
内容要旨

 サラブレッドの呼吸循環機能が他の動物種に比べて優れていることは、最大酸素摂取量()が著しく大きいことからも理解できる。しかし、このように優れた呼吸循環機能を有するサラブレッドでも、トレーニングなしに競馬で勝利することはできないのであり、トレーニングの重要性は言うまでもない。競走馬のトレーニングにあたっては、走路におけるトレーニングだけでなく、育成調教初期に行なわれる放牧や騎乗馴致(ブレーキング)も重要であると考えられているため、育成調教期はサラブレッド種競走馬において最も重要な期間のひとつであるといってよい。しかしながら、育成調教期のトレーニングの重要性が指摘される一方で、この期間におけるサラブレッドの呼吸循環機能の特性やトレーニングによる変化についてはほとんど知られていないのが現状である。

 そこで本研究では、2歳から3歳初期のいわゆる育成調教期のサラブレッド種競走馬を対象に、まず、呼吸循環機能測定に有用な呼吸フローシステムを確立し、ついで、それを利用して育成調教期のサラブレッド種若馬の呼吸循環機能の特性を明らかにし、放牧およびブレーキング、さらにその後のトレーニングがその呼吸循環機能におよぼす影響を明らかにすることを試みた。

 まず第1に、サラブレッド種若馬の運動時の呼吸循環機能を測定するために、酸素摂取量(Vo2)、炭酸ガス排泄量(Vco2)、分時換気量(VE)、1回換気量(VT)および呼吸数(f)を正確に測定でき、若馬への応用が容易な馬用呼吸フローシステムの開発を試みた。実験にはサラブレッド成馬6頭を用い、馬用トレッドミルで漸増負荷試験を行なった。その結果得られたVo2、Vco2、VE、VTおよびfの値は過去に報告されている値とほぼ同様な値であり、さらに、呼吸循環機能測定におよぼすマスクの影響も軽微であることから、今回作製したフローシステムは、馬の運動中の呼吸循環機能の指標を正確に測定できるものであった。また、本システムは、状況に応じてVEやVTを測定しない通常のオープンフロー法としても使用可能であることから、運動中の若馬の呼吸循環機能を評価する際に有用であると考えられた。

 第2に、トレッドミル運動負荷試験で運動強度を増すために用いられる傾斜の増大が運動中の成馬の呼吸循環機能におよぼす影響を検討した。実験には、サラブレッド成馬5頭を用い、4種類の傾斜条件下(0,3,6,10%)のトレッドミル上で速度を漸増させる負荷試験を行なった。その結果、傾斜の増大にともなう呼吸循環機能の指標、すなわち、Vo2、Vco2、VE、VT、心拍数(HR)および心拍出量などの変化からみて、傾斜を増大させる方法は、速度を増加させる方法と比べて、代謝反応の変化に若干の量的な相違をもたらしている可能性が示唆された。しかしながら、速度を増加させることとほぼ同様な代謝反応を惹起することが可能であり、トレッドミル運動負荷試験時に、運動強度を増加させる方法として有用であることが明らかとなった。

 第3に、以上の結果を踏まえて、まず育成調教期において2歳時の6月から9月にかけて行なわれた夏期放牧が呼吸循環機能におよぼす影響をサラブレッド種育成馬12頭を用いて検討したところ、以下の結果が得られた。すなわち、体重あたりで示した最大酸素摂取量()は、放牧後に減少傾向にあったが(Pre-test;143.0±7.4ml/kg/min,Post-test;134.8±8.9ml/kg/min)、絶対値としては増加傾向を示した (pre-test;54.9±3.4l/min,Post-test;58.6±3.7l/min)。一方、速度に対するHRおよび血中乳酸濃度(La)の反応には放牧前後で差がみられなかった。さらに、HRおよびLaの最大値にも差はみられなかった。これらのことから、サラブレッドは一般的な放牧が開始される2歳の6月時のかなり早い成長の段階から、脱トレーニングした成馬とほぼ同様の呼吸循環機能をもつことが示唆された。そして、それはこの時期の放牧によって必ずしも向上しないものと考えられた。むしろこの時期には、馬体の成長が著しいため、放牧による呼吸循環機能への影響がおおいかくされてしまうものと推測された。

 第4に、騎乗馴致が呼吸循環機能におよぼす影響を2歳サラブレッド種育成馬12頭を用いて検討した。騎乗馴致は我が国でよく用いられている方法にしたがって実施し、騎乗馴致開始前(Pre-test)および終了前(Post-test)に、トレッドミル上で運動負荷試験を行なった。その結果、は騎乗馴致にともない増加したが(Pre-test;134.8±8.9ml/kg/min,Post-test;151.3±7.9ml/kg/min)、HRおよびLaの最大値には騎乗馴致前後で有意な差はみられなかった。PCVの最大値は騎乗馴致により有意に増加した。これらの所見から、サラブレッドは騎乗馴致以前の放牧期から引き続いて、かなり高い呼吸循環機能を有することが明らかとなった。さらに、騎乗馴致により呼吸循環機能の向上がみられることも同時に示唆された。

 第5に、騎乗馴致後に行なわれるトレーニングの運動強度の違いがサラブレッド3歳馬の呼吸循環機能におよぼす影響を、駈歩を含むトレーニングを行なった群(Canter群;6頭)と速歩を中心としたトレーニングを行なった群(Trot群;6頭)の2群について検討した。トレーニングの開始前(Pre-test)および終了後(Post-test)に、トレッドミル上で漸増運動負荷試験を実施し、その前後の成績を比較した。その結果、トレーニング前のに両群間の差はみられなかったが(Canter群;154.7±7.8ml/kg/min,Trot群;147.2±7.5ml/kg/min)、トレーニング後のはCanter群が有意に高かった(Canter群;165.0±11.6ml/kg/min,Trot群;150.3±14.7ml/kg/min)。トレーニング前におけるHRおよびLaと速度との相関には群間の差はみられなかったが、トレーニング後にはCanter群がTrot群に比べて低い傾向にあった。HRとLaの最大値にはトレーニング前後および群間で差はみられなかった。PCVの最大値はトレーニングにより増加したが、群間の差はみられなかった。これらの成績から、運動強度の低い速歩によるトレーニングによっても、は維持されることが示唆された。このことは、この時期の3歳馬の呼吸循環機能の維持を目的とするならば、それほど強い強度のトレーニングは必ずしも必要でないことを意味している。しかしながら、呼吸循環機能の実質的な向上を望む場合には、それを誘起するのに十分な強度のトレーニングが必要なことも同時に示された。

 第6に、騎乗馴致後のトレーニングで用いられることの多い低強度の駈歩負荷の距離の違いがサラブレッド3歳馬の呼吸循環機能におよぼす影響を、長距離駈歩群(Long群;6頭)および短距離駈歩群(5頭)の2群について検討した。トレーニングの開始前(Pre-test)および終了前(Post-test)にトレッドミル上で漸増負荷試験を行ない、その成績を比較した。その結果、トレーニング開始前の(Long群;152.6±13.2ml/kg/min,Short群;149.9±17.1ml/kg/min)および速度とVo2の関係に群間の差は認めず、また、HRとLaの最大値にも両群間で差は認められなかった。さらに、トレーニング後における(Long群;156.1±11.5ml/kg/min,Short群;152.6±5.6ml/kg/min)および速度とVo2の関係に群間の差は認められず、HRおよびLaの最大値にも群間で明らかな差は認められなかった。これらの結果から、低強度の駈歩負荷ではその走行距離を増加させても、この時期のサラブレッド3歳馬の呼吸循環機能の向上には寄与しないことが示唆された。

 第7に、実際に野外におけるトレーニング効果判定に用いられている心拍数を用いた指標(V200;HRが200beats/minを示す速度)が、トレッドミル試験で求められた呼吸循環機能の指標とどのような関連があるかを検討したところ、野外試験で求められたV200とトレッドミル運動負荷試験で求めたV200、およびVo2-200(HRが200beats/min時のVo2)との間に、有意な正の相関が認められた。また、運動中のHRを簡便に記録かつ解析できるシステムを開発した。これらのことは、トレーニング効果判定に野外で頻繁に用いられるV200が、サラブレッドの呼吸循環機能を的確に反映することを示しており、同時にそれらの評価を容易に実施できることを示している。

 以上のように、本研究では、若馬の呼吸循環機能検査のための呼吸フローシステムを開発し、サラブレッド種競走馬の育成調教期の呼吸循環機能の特性と、育成調教期に行なわれる放牧や騎乗馴致、あるいはその後のトレーニングが呼吸循環機能におよぼす影響を明らかにすることができた。これらのことは、主要馬産地が厳寒地である我が国において、競走馬の育成調教期のトレーニングのあり方に具体的な提言をあたえるものである。

審査要旨

 他の動物種に比べて優れた呼吸循環機能を持つとされているサラブレッド種競走馬であっても、競馬で勝利するためには十分なトレーニングを受けることが重要である。一般に、競走馬は明け2歳から3歳の春にかけて育成調教期に入るが、この間の呼吸循環機能の実体や、それがトレーニングによってどのように変化するかについてはほとんどわかっていない。

 本研究は2歳から3歳初期のサラブレッド種競走馬を対象に、まず、呼吸循環機能測定に必要な、トレッドミルを用いた呼吸フローシステムを開発し、ついで、それを利用して育成調教期のサラブレッド若馬の呼吸循環機能の特性ならびにそれに対するトレーニングの影響を明らかにすることを研究目的としている。

 まず最初に、トレッドミルを用いて運動時の酸素摂取量、炭酸ガス排泄量、分時換気量、一回換気量および呼吸数を正確に測定でき、若馬にも容易に応用できる馬用呼吸フローシステムを開発し、その後の研究に用いることを可能にしている。ついで、トレッドミル運動負荷試験で運動強度を増すために用いられる傾斜の増大が運動中の馬の呼吸循環機能におよぼす影響について検討し、傾斜を増すことは速度のみを増加させる場合とほぼ同様な代謝反応を惹起できることから、運動強度を増加させる方法として適していることを実証している。

 以上の結果をふまえて、トレッドミルによる運動負荷条件を決めた上で、まず、育成調教期の初期にあたる2歳時の6月から9月にかけて行われる夏期放牧が育成馬の呼吸循環機能におよぼす影響を、放牧前後のトレッドミル負荷試験の成績を比較検討している。その結果、サラブレッド若馬はかなり早い成長の段階から脱トレーニングした成馬とおおむね同じ呼吸循環機能を備えており、この時期の放牧によってそれは必ずしも向上しないこと、むしろこの時期は馬体の成長が著しいので、放牧による呼吸循環機能への影響は表面に出ないことを明らかにしている。

 つぎに、放牧に続いて実施される騎乗馴致の影響を調べた結果、最大酸素摂取量(VO2max)、血球容積の最大値等が有意に増加していたことから、放牧期に続いてこの時期もかなり高度の呼吸循環機能を有すること、それは騎乗馴致により、さらに向上することを明らかにしている。

 騎乗馴致後、翌年の春までの間に行われる準備鍛錬期においては、まず、運動負荷強度の違いが3歳馬の呼吸循環機能におよぼす影響を調べるために、駈歩を含むトレーニング群と速歩を中心としたトレーニング群について比較している。その結果、VO2maxを初めとした各種指標の変化からみて、運動強度の弱い、速歩によるトレーニングによってもVO2maxは維持されることが示され、この時期の3歳馬の呼吸循環機能の維持を目的とするならば、それ程強いトレーニングは必ずしも必要ではないが、呼吸循環機能の実質的な向上を望む場合には、それを誘起するのに十分な強さのトレーニングが必要であることを示唆している。ついで、低強度の駈歩負荷の距離の違いの影響について調べるために、長距離駈歩群と短距離駈歩群の比較を行った結果、両群間に明らかな差が認められなかった。このことから、低強度の駈歩負荷では走行距離を増やしても、この時期のサラブレッド3歳馬の呼吸循環機能の向上には寄与しないと推察している。

 最後に、実際に野外でのトレーニング効果の判定によく用いられている指標の一つであるV200(心拍数が200回/分を示す時の速度)が、トレッドミル負荷試験で求められた呼吸循環機能の指標とどのような関係にあるかについて検討しており、両者の間に有意な正の相関が認められたことから、この指標がサラブレッドの呼吸循環機能を的確に反映する有用な指標であることを実証している。

 以上を要するに、本研究はまず、若馬の呼吸循環機能検査のための呼吸フローシステムを開発し、ついで、サラブレッド種競走馬の育成調教期における呼吸循環機能の特性と、育成調教期に行われる放牧や騎乗馴致ならびにその後のトレーニングが呼吸循環機能におよぼす影響を明らかにしており、この成果は競走馬の育成調教期のトレーニングのあり方に科学的根拠を与えるものとして、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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