学位論文要旨



No 213685
著者(漢字) 中村,遊香
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,ユカ
標題(和) Cryptococcus neoformansに関する生物医学的研究
標題(洋) Biomedical studies on Cryptococcus neoformans
報告番号 213685
報告番号 乙13685
学位授与日 1998.02.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第13685号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長谷川,篤彦
 東京大学 教授 杉山,純多
 東京大学 教授 高橋,英司
 東京大学 教授 小野,憲一郎
 東京大学 助教授 辻本,元
内容要旨

 Cryptococcus neoformans(C.neoformans)は,ヒトをはじめ各種動物のクリプトコックス症の原因菌で世界各地で分離されている。本菌は,自然環境中ではハトをはじめ各種鳥類の糞や,それに汚染された土壌に存在することが明らかにされている。菌学的には,生理学的に異なるC.neoformans var.neoformansとC.neoformans var.gattiiの2つの型が知られているが,本邦では,臨床分離株および自然環境分離株の総てがvar.neoformansで,var.gattiiの分離例は認められていない。しかし,アジア地域においてもvar.gattiiの分離例が報告されており,本邦にもvar.gattiiが存在する可能性は皆無ではない。従来これら2つの型は,canavanine感受性でかつglycine非利用性である菌はvar.neoformansに,canavanine抵抗性でかつglycine利用性である菌はvar.gattiiとして区別されている。一方,C.neoformansはその形態的特徴である莢膜に対する免疫反応によって,var.neoformansは血清型A,Dおよびその中間型であるAD,var.gattiiは血清型BおよびCの計5型に分別されている。しかし,血清型Aの72%の菌株はcanavanineに対してvar.gattiiと同等の抵抗性を示し,それらcanavanine抵抗性株の20%はglycine利用性であることが報告されているが,Kwon-Chungらはそれら菌株は総て,canavanineとglycineが同時に存在する場合には発育を認めないと報告している。また,紫外線照射によって莢膜を形成しない変異株が存在することも報告されており,今後血清学的方法による型別不能な菌株の出現も危惧され,新たな分別方法の検討も必要であるものと思われる。

 一方ヒトではC.neoformansは経皮感染もみられるが,主に吸引によって気道感染が成立し,その後脈管系を経て脳脊髄をはじめ全身各所に播種するものと考えられている。特に1954年にリンパ系の悪性疾患にクリプトコックス症が高率に合併することが報告されて以来,C.neoformansは免疫能に障害がある場合には,危険性の高い病原菌として注目されるようになった。最近では,AIDSをはじめ免疫能が重度に低下した疾患では,合併症として本菌の感染例も増加し,クリプトコックス症に対する長期治療における耐性菌の出現なども認められ,迅速,鋭敏かつ簡便な感受性試験法の開発も要望されている。

 そこで本研究は,先ず本邦におけるC.neoformans分離株について,その性状を検討し,また血清型を対象に鑑別のための分子生物学的手法の基礎的検討を行った。さらに,本菌に対する効果的な感受性試験方法を新たに確立し,その手法を用いて各種抗真菌剤の抗クリプトコックス活性の測定を行った。また,抗真菌剤と生体内活性物質であるリゾチームを併用した場合の抗クリプトコックス活性についても検討した。

 すなわち,第1章では本邦分離株(自然環境分離株,動物およびヒト由来の臨床分離株)および米国National Institute of Healthより分譲された標準株について菌学的検討を行った。その結果,自然環境分離株のうち3株がcanavanine抵抗性でかつglycine利用性であったが,その他の性状がvar.neoformansに合致し,因子抗体の検討から血清型AまたはDを示す菌株であることが判明した。そこで,これらvar.neoformansの3株について,さらに詳細にcanavanineの抵抗性とglycineの利用能を検討した結果,3株ともvar.gattiiと同じくglycineの存在下でcanavanine抵抗性を示し,canavanineの存在下でglycineの利用可能な菌株であることを確認した。以上の結果,これまでに報告の認められていないcanavanine抵抗性でかつglycine利用性のC.neoformans株が本邦に存在することを明らかにした。また,このことから本邦および本邦以外の地域においても同様の菌株が存在する可能性が示唆された。

 第2章では従来,血清型別は莢膜抗原に対する抗血清または酵母因子抗体の組合せによって行われてきたが,これをRandom amplification of polymorphic DNA(RAPD)法を用いた分子生物学的手法に置き換えるための検討を行った。その結果RAPD法でも,血清型A,Dおよび血清型BないしCとして判別できることが確認された。このことから,var.gattiiに属する血清型BおよびCは遺伝子レベルにおいて極めて近縁であると思われた。また,本邦における分離菌は主に血清型Aであり,血清型Dが少数認められるのみであった。このように分子生物学的手法を用いれば,培養条件などによって莢膜形成が不十分な場合や莢膜が欠損した変異株でも血清型識別の可能性があると思われた。

 第3章では本菌に対する薬剤感受性試験についてureaseを指標とする新らしいurea broth microdilution(urea broth)法を考案し,各種抗真菌剤に対する感受性を測定した。従来,米国National Committee for Clinical Laboratory Standardsに属する抗真菌剤感受性試験小委員会によって提唱された深在性真菌症の病原酵母菌に対するBroth dilution antifungal susceptibility test(Broth dilution法)が,再現性に優れ信頼できる試験法として認知されてきた。しかし,Broth dilution法は菌の発育増殖による培養液の混濁を判定指標にしているため,極低ないし僅差の濃度での抗真菌剤に対する感受性の測定精度が鈍いと言う欠点があった。そこでC.neoformansの生理活性のひとつであるurease活性を応用し,各種抗真菌剤存在下における菌のurease活性を培地中の水素イオン濃度変化として測定した。終末点の判定は,菌液の2倍希釈列から作成した標準曲線から発育1%以下の濃度を求め最小発育阻止濃度(MIC)とした。測定の結果,供試した3剤(fluconazole,itraconazole,terbinafine)のBroth dilution法によるMICは,それぞれ8.0,0.25,2.0g/mlであったが,urea broth法では2.0,0.008,0.25g/mlであった。これらの結果から,urea broth法は菌の生理活性を反映し,極低濃度の抗真菌剤に対する感受性を鋭敏に測定することが可能であることが確認された。また,MIC以下の低濃度についても,それぞれ標準曲線との比較から%発育阻止濃度として感受性を求めることが可能であった。

 生体内活性物質の一種で,ヒトを含め動物の細胞や組織に広く分布しているlysozymeは,メチシリン耐性黄色ブドウ球菌に対しカルバペネム系抗生剤との併用や,Candida albicansに対して抗真菌剤との併用において,その有効性が報告されている。そこで第4章では,各種抗真菌剤とlysozymeを併用し,その効果を第3章で確立したurea broth法を用いて検討した。その結果,供試した3剤(fluconazole,itraconazole,terbinafine)のMICは,それぞれ0.13,0.004,0.03g/mlであった。単独でも高い抗真菌活性が認められているitraconazoleでは,抗クリプトコックス活性の増強はみられなかったが,抗クリプトコックス活性が中等度のfluconazoleとterbinafineではlysozymeとの併用によって,統計学的に有意な抗菌活性の増強効果が認められた。これは併用したlysozymeが,その酵素活性で細胞壁成分を加水分解したためか,あるいは塩基性蛋白質としての細胞膜に障害を与えたために抗真菌剤の2次的作用が発現したものと考えられた。

 以上,従来の方法ではC.neoformans var.neoformansかC.neoformans var.gattiiかの鑑別ができない菌株の存在を確認した。また,分子生物学的手法による血清型分別では,血清型ADを除く4つの型は,それぞれ対応してA,DおよびBないしCの3群に分別された。一方,C.neoformansに対する感受性試験として新たに考案したurea broth法は,従来の感受性試験法よりも鋭敏,迅速かつ簡便な測定方法であることを確認した。さらにurea broth法を用いた測定において,抗クリプトコックス活性が中等度の抗真菌剤は,生体内活性物質であるlysozymeとの併用によってその抗菌活性が増強されることが判明した。

 これらの結果は,C.neoformansの菌学的性状に関し新たな問題を提示するとともに,ヒトおよび動物におけるクリプトコックス症の診断,治療の向上に有用な知見であると思われた。

審査要旨

 Cryptococcus neoformans(C.neoformans)は,ヒトや動物のクリプトコックス症の原因菌で,自然環境中ではハトの糞や,それに汚染された土壌に存在し世界各地で分離されている。菌学的には,C.neoformans var.neoformansとC.neoformans var.gattiiの生理学的に異なる2つの型が知られているが,canavanine感受性でかつglycine非利用性である菌をvar.neoformans,canavanine抵抗性でかつglycine利用性である菌をvar.gattiiとして区別している。またvar.neoformansは血清型A,DおよびAD,var.gattiiは血清型BおよびCの合計5型に分別されている。一方C.neoformansの感染経路は経皮感染もみられるが,吸引による気道感染が主で,その後脈管系を経て脳脊髄をはじめ全身各所に播種すると考えられている。特にC.neoformansは免疫能に障害がある場合には,危険性の高い病原菌として注目されている。最近では,AIDSをはじめ免疫能が重度に低下した疾患では,合併症として本菌の感染例が増加し,長期治療における耐性菌の出現なども認められ,迅速,鋭敏かつ簡便な感受性試験法の開発も要望されている。

 そこで本研究は,先ずC.neoformansの本邦分離株(自然環境分離株,動物およびヒト由来の臨床分離株)および米国National Institute of Healthより分譲された標準株について,菌学的検討を行った。その結果,自然環境分離株のうち3株がcanavanine抵抗性でかつglycine利用性であったが,その他の性状がvar.neoformansに合致し,因子抗体の検討から血清型AまたはDを示す菌株であることが判明した。さらに詳細にcanavanineの抵抗性とglycineの利用能を検討した結果,3株ともvar.gattiiと同じくglycineの存在下でcanavanine抵抗性を示し,canavanineの存在下でglycineの利用可能な菌株であることを確認した。このことは従来報告されていない型の菌株で,今後同様の菌株が分離される可能性が示唆された。

 次にRandom amplification of polymorphic DNA(RAPD)法を用いた分子生物学的手法による血清型を対象とする鑑別のための基礎的検討を行った。その結果,従来の血清型はRAPD法でもそれぞれ血清型A,Dおよび血清型BないしCとして区別できることが確認された。なお血清型BおよびCは遺伝子レベルにおいて極めて近縁であることが示唆された。

 一方,本菌に対する効果的な感受性試験方法としてureaseを指標とする新らしいurea broth microdilution(urea broth)法を考案し,各種抗真菌剤に対する感受性を測定した。終末点の判定は、菌液の2倍希釈列から作成した標準曲線を基に発育1%以下の濃度を求め最小発育阻止濃度(MIC)とした。その結果,urea broth法は菌の生理活性を反映し,低濃度の抗真菌剤に対する感受性を鋭敏に測定することが可能であった。また,MIC以下の濃度についても,それぞれ標準曲線との比較から%発育阻止濃度として感受性を求めることが可能であった。

 さらに生体内活性物質で,メチシリン耐性黄色ブドウ球菌に対しカルバペネム系抗生剤との併用や,Candida albicansに対して抗真菌剤との併用において,その有効性が報告されているlysozymeと各種抗真菌剤を併用し,その効果をurea broth法を用いて検討した。その結果,供試した3剤(fluconazole,itraconazole,terbinafine)のうち,単独での抗クリプトコックス活性が中等度のfluconazoleとterbinafineではlysozymeとの併用によって,統計学的に有意な抗菌活性の増強効果が認められた。これは,lysozymeの酵素活性で細胞壁成分が加水分解されたためか,あるいは塩基性蛋白質としての作用で細胞膜が障害を受けたために抗真菌剤の2次的作用が発現したものと考えられ,臨床応用での有用性が示唆された。

 これらの結果は,C.neoformansの菌学的性状に関し新たな問題を提示するとともに,ヒトおよび動物におけるクリプトコックス症の診断,治療の向上に有用な知見であり,学問的および応用上,価値のあるものと思われた。

 したがって審査員一同は,本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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