脳機能の発達経過には動物種の特徴がみられ、これまでにヒトや実験動物を中心に調べられてきた。その際、脳の活動状態を非侵襲的に調べる方法の一つに脳波があり、繰り返し測定が可能な点で優れた機能検査法である。また、光刺激によって視覚求心性経路上に誘発される電位を脳波から抽出したものは視覚誘発電位(VEP)と呼ばれるが、これは視覚受容器から大脳皮質後頭葉にいたる視覚経路の機能を反映することから、視覚機能検査法のみならず、大脳皮質の機能検査法としても重要である。 獣医学領域では小動物の臨床脳波に関する報告は1970年代からしばしばみられるが、VEPを応用した例は比較的少ない。一方、大動物の脳波に関する報告はほとんどみられない。また、脳機能の発達経過について実験動物から大動物まで比較検討した報告もみられない。 そこで本研究では、出生時における発育程度が異なる数種の動物について経日的に脳波およびVEPを記録し、さらにコンピューターにより生後変化を詳細に解析するとともに、脳機能の生後発達に関与すると考えられる因子について検討した。また、イヌの脳波およびVEPにおける老齢性変化ならびに実験的脳障害モデルにおける変化についても検討し、これらの基礎的資料をもとに、動物臨床に応用するにあたっての有用性を実証することを研究目的とした。 1.脳波の生後変化 出生時の発育程度が異なる数種の動物について脳波の生後変化を比較検討する目的で、"早熟型"動物であるウシおよびモルモット、"晩熟型"動物であるイヌおよびラット、さらに近年実験動物化されたスンクスの各新生子を用いて経日的に脳波記録を行い、併せてパワースペクトル分析および相互相関分析により検討した。 その結果、ウシおよびモルモットでは、出生時にすでに成熟パターンに類似した脳波が記録され、さらに生後変化として速波の増加と振幅の全般的な減少が認められた。またウシでは、"律動様パターン"が後頭部と頭頂部に限局して出現し、その出現頻度ならびに平均周波数は週齢とともに増加した。 一方、イヌおよびラットでは、出生時には平坦な脳波が記録され、その後は日齢とともに脳の電気活動が活発となった。生後にみられる脳波の変化が最も劇的に起こる時期は、イヌでは10日〜5週齢であり、ラットでは9〜15日齢であった。また、5日〜10日齢のスンクスではラットに比べてさらに急激な変化が認められた。 脳波のパワースペクトル分析により得られたトータルパワーおよび周波数成分比の変化は動物種の特徴を有しており、目視的判読による結果とほぼ一致していた。また相互相関係数の変化は導出部位間における脳波の位相の同期を反映しており、"早熟型"動物では出生直後から高い相関を示した。 以上の成績から、今まで出生時にはすでに完成された脳波が記録されると考えられていた"早熟型"動物においても生後変化が存在し、また、スンクスの脳機能はラットに比べて急速な発達を遂げることが示唆された。 2.VEPの生後変化 1.と同一の動物種におけるVEPの生後変化を明らかにする目的で、経日的にVEP記録を行った。その結果、ウシおよびモルモットの新生子におけるVEP波形は成熟動物のそれと類似しており、生後に認められる主な変化はピーク潜時の短縮であった。 一方、イヌ、ラットおよびスンクスの新生子では出生後しばらく反応波は記録されず、生後初めて反応波が記録される時期はイヌで10日齢、ラットで13日齢、スンクスでは3日齢であった。これら3種の動物から記録されたVEPは、成長にともなって振幅の増大とピーク潜時の短縮が急激に起こり、やがて成熟動物に類似したVEPが記録されるのはイヌでは12週齢、ラットでは21日齢、スンクスでは10日齢であった。 以上の成績から、VEPの生後変化は脳の発達経過を反映し、特に"晩熟型"動物ではVEPに急激な変化のみられる時期は脳波の発達時期とほぼ一致することが示唆された。 3.脳機能の生後発達に作用する因子 脳機能の生後発達に関与する因子が脳波およびVEPに及ぼす影響を明らかにする目的で、脳の髄鞘形成、脳内カテコールアミン量の変化ならびにサイロキシン(T4)投与の影響について検討した。 その結果、スンクスの脳におけるmyelin basic protein(MBP)の陽性領域は、3日齢では橋、延髄および小脳にのみわずかに認められ、間脳、中脳および終脳において陽性線維が初めて確認されたのは5日齢であった。 ラットおよびスンクスにおける大脳皮質、線条体および海馬のカテコールアミン量の変動を比較すると、ラットの大脳皮質では、ノルアドレナリン(Nor)量は11〜21日齢まで徐々に増加し続けたが、ドーパミン(DA)量は5日齢で最高値を示し、11日齢以降は減少した。一方、スンクスの大脳皮質におけるNor量は3日齢以降徐々に増加し、5日齢で最大となった後は急激に減少した。また、スンクスの大脳皮質におけるNor量はラットの約1.2倍、DA量は約3倍であった。 T4を皮下投与したスンクス新生子の脳波は、対照群に比べて速波の有意な増加が認められ、成長にともなうトータルパワー値の増加も有意に促進された。VEPにおいてもピーク潜時の短縮は有意に促進された。また、脳内カテコールアミン量は対照群に比べて約2日早く最大値に達した。 以上の成績から、脳の髄鞘形成が起こる時期、カテコールアミン量の増加する時期はいずれも脳波およびVEPの顕著な変化が起こる時期に一致していることが明らかとなった。また、T4投与により脳波とVEPの生後変化が促進されたことから、T4はスンクスにおいても脳機能の発達を制御する因子として重要であることが示唆された。 4.イヌの脳波およびVEPの老齢性変化 脳機能および視覚系機能の老齢性変化を明らかにする目的で、11〜18歳のイヌ18例を用いて脳波、VEPおよび網膜電図(ERG)の記録を行った。 その結果、脳波の老齢性変化の特徴は全般的な速波の減少と振幅の低下であり、顕著な例では波形の平坦化が認められた。また、VEPにおけるP1〜N2の短潜時成分の振幅は低下し、N2およびP3の潜時は延長する傾向にあった。ERGでは、a波、b波の振幅がともに減少傾向を示し、顕著な例では反応波が消失した。 以上の成績から、イヌの脳波では速波の出現状態と振幅の低下が、VEPおよびERGでは潜時の延長と振幅の減少がそれぞれ老齢性変化を示す指標になることが示唆された。 5.実験的脳障害モデルにおける脳波およびVEPの変化 脳の異常興奮ならびに大脳の損傷および変性を実験的に作出し、脳波あるいはVEPに現れる変化について検討する目的で、イヌの静脈内にcardiazolを投与して痙攣を誘発させ、さらにモルモットの大脳皮質後頭葉切除による損傷、ならびにhexachloropheneの経口投与による脳の海綿状変性を作出した。 その結果、cardiazol投与後140秒までの間に屈曲相、強直相、間代相の各痙攣現象が認められ、脳波上においても棘波、棘・徐波複合および律動性棘波が出現した。 後頭葉切除群のVEP波形にはP2,N2およびP4のみ出現し、他のピークは消失した。また、hexachlorophene投与群ではN1およびP2の潜時は有意に延長し、ピーク間振幅P2-N2は投与日数にともなって減少傾向を示した。 以上の成績から、cardiazol賦活はイヌの自然発生によるてんかん発作のモデルとして、後頭葉切除は視覚野における神経細胞の脱落例として、hexachlorophene投与による海綿状変性は脳の伝導障害例の実験モデルとしてそれぞれ有用であることが示唆された。 6.脳波およびVEPの臨床応用 脳波およびVEPを動物臨床に応用する際の有用性について検討する目的で、ウシおよびイヌの自然発生による中枢神経系疾患例について脳波およびVEPを記録した。 6-1)先天性脳奇形のウシ5例(水頭無脳症、内水頭症)およびイヌ2例(内水頭症)の脳波では、疾患の種類によって異なる波形が記録された。すなわち、内水頭症例では高振幅徐波の出現と位相の非同期が特徴的であるのに対して、水頭無脳症では波形の平坦化が特徴的であった。また、内水頭症において光刺激に対する反応の消失する例がみられた。 6-2)大脳皮質壊死症のウシ3例では、速波の減少と高振幅徐波の出現が特徴的であり、速波の減少の程度は病変の重篤度と関連していた。 6-3)脳の海綿状変性を呈するウシ1例では、覚醒期において正常な脳波パターンと高振幅徐波パターンの両者が記録され、睡眠期には異常な高振幅徐波が出現した。 6-4)ジステンパー脳炎を呈したイヌ7例のうち、強直性痙攣発作を起こした4例の脳波パターンはcardiazol賦活によるものとほぼ同様であった。また、発作を発現しない慢性例では、棘波の持続的な出現と速波の減少が特徴的であった。 以上の成績から、自然発生による中枢神経系疾患例の脳波およびVEPの異常は疾患の種類あるいは経過に応じて特徴的であり、病態の把握に有用であることが示唆された。 以上のように、脳波およびVEPの生後発達経過には動物種による特徴がみられ、特に"早熟型"動物においても生後に変化が認められることが明らかとなった。さらに、これらの基礎資料をもとに、臨床例においても脳波およびVEPを併用することによって、中枢神経系疾患の診断に有用な情報が得られることが実証された。 |