学位論文要旨



No 213687
著者(漢字) 鏑木,美奈子
著者(英字)
著者(カナ) カブラキ,ミナコ
標題(和) 新規末梢循環改善薬の四肢動脈血流量増加作用に関する薬理学的研究
標題(洋)
報告番号 213687
報告番号 乙13687
学位授与日 1998.02.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第13687号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菅野,茂
 東京大学 教授 唐木,英明
 東京大学 助教授 尾崎,博
 東京大学 助教授 局,博一
 東京大学 助教授 稲葉,睦
内容要旨

 慢性の末梢動脈閉塞性疾患(PAOD)は,近年,食生活の変化等に伴い増加傾向を示している.慢性のPAODには閉塞性動脈硬化症(ASO)と閉塞性血栓性血管炎(TAO,Buerger病)がある.ASOは四肢の主要動脈が粥状硬化と壁在血栓のため狭窄或いは閉塞する疾患であり,TAOは血栓閉塞を伴う,中膜・外膜に及ぶ四肢に限局した血管炎である.PAODは四肢末梢循環障害を引き起こすため,薬物療法としてはその改善を目的として抗血小板薬や血管拡張薬が用いられている.

 我々はPAODによる末梢循環障害改善薬の開発過程で,強い血小板凝集抑制作用を有するl-cis配位の新規1,5-ベンゾチアゼピン誘導体,TA-993を見いだした.四肢末梢循環障害の改善には一般に抗血小板作用だけでなく,四肢血管の拡張作用も有する薬物の方が望ましいとされている.しかるに.1,5-ベンゾチアゼピン誘導体では,ジルチアゼム等のd-cis体はカルシウム拮抗作用が強く,降圧や強い血管拡張作用を示すのに対し,l-cis体はカルシウム拮抗作用が弱いため循環作用も弱いとされていることから.TA-993も循環作用は期待できないと考えられていた.ところが,麻酔犬大腿動脈狭窄・通電血栓形成モデルに対するTA-993の作用検討時,強い抗血栓作用に加え,予想に反して対側肢の大腿動脈で顕著な血流量増加が観察された.

 そこで本研究では,まずTA-993の血栓形成抑制作用を確認した後,循環作用を詳細に検討し,その結果見いだしたユニークな特徴を持った四肢動脈血流量増加作用の機序を明らかにすることを研究目的とした.

 1)麻酔犬大腿動脈狭窄・通電血栓形成モデルを用い,TA-993の抗血栓作用を検討した.その結果,TA-993(3,10mg/kg,i.d.)はアスピリン(30mg/kg,i.d.)と同様,血栓による大腿動脈閉塞所要時間を用量依存的かつ有意に延長した.TA-993は10mg/kg,i.d.ではアスピリンと同様,有意な全血凝集抑制作用を示したが,3mg/kg,i.d.ではほとんど抑制作用を示さなかった.TA-993(10mg/kg,i.d.)は部分狭窄下の大腿動脈に対しても持続的な血流量増加作用を示し,この増加作用および血小板凝集抑制作用は6時間以上持続した.

 以上,TA-993は大腿動脈血栓形成モデルにおいて用量依存的な血栓形成抑制作用を示し,PAODに対するTA-993の有効性が示唆されたが,その作用には,抗血小板作用よりも大腿動脈血流量増加作用の関与の大きいことが示唆された.

 2)TA-993の麻酔犬の循環動態に対する作用を静脈内投与により検討した.TA-993は10g/kg以上で用量依存的な大腿・上腕・総頸動脈血流量増加作用および軽度の心拍出量増加作用を示す一方,血圧,心拍数,心収縮力,冠・椎骨・上腸間膜・腎動脈血流量および心電図PQ間隔には有意な影響を与えなかった.TA-993(100g/kg)の大腿動脈血流量等に対する増加作用は,投与後約60分で最大反応に達し,増加した血流量は投与後300分までほぼプラトーを維持した.

 以上,TA-993は麻酔犬に対する静脈内投与により,血圧や他の血管床の血流量にほとんど影響を与えずに,四肢および総頸動脈に選択的な血流量増加作用と軽度の心拍出量増加作用を示した.またこれらの作用は静脈内投与にもかかわらず作用発現が緩徐で持続が長いという特徴を有することが明らかとなった.

 3)TA-993と,代表的なd-cis配位の1,5-ベンゾチアゼピン誘導体であるジルチアゼムとの循環作用の相違は,主にその光学活性の差異によるのではないかとの仮説を検証するため,麻酔犬を用いてTA-993,ジルチアゼムおよびそれらの光学異性体の循環作用を静脈内投与により比較検討した.その結果,l-cis-ジルチアゼムはTA-993と同様,血圧および椎骨動脈血流量にはほとんど影響を与えずに,作用発現が緩徐で持続的な大腿・上腕・総頸動脈血流量増加作用を示したが,作用ピークへの到達は100g/kg,i.v.で投与後約20分とTA-993よりも速かった.他方,d-cis-TA-993およびジルチアゼムは,作用発現が速やかな一過性の降圧,心拍数増加および椎骨・大腿・上腕・総頸動脈血流量増加作用を示した.一方,イヌ摘出大腿動脈のK+収縮に対するTA-993,l-cis-ジルチアゼムおよびd-cis-TA-993の弛緩作用の強さは,EC50値による比較ではジルチアゼムのそれぞれ0.096,0.032および1.209倍であった.また,イヌ摘出伏在動脈のK+脱分極標本におけるCa2+収縮に対するTA-993およびジルチアゼムの拮抗作用のpA2値はそれぞれ5.50±0.11および7.12±0.18であった.

 以上の結果から,TA-993はl-cis-ジルチアゼムと共通のプロフィールを備えており,1,5-ベンソチアゼピン誘導体のl-cis体はジルチアゼム等のd-cis体とは異なった薬物分類を構成することが示唆された.

 4)TA-993の主要代謝物MB1,MB2,MB3およびMB4の麻酔犬の循環動態に対する作用を静脈内投与により検討した.その結果,MB1は10g/kg以上で,MB2およびMB4は30g/kg以上で未変化体と同様,血圧や他の血管床の血流量にはほとんど影響を与えずに,作用発現が緩徐で持続的な総頸・大腿動脈血流量増加作用を示したが,その作用の強さは未変化体≧MB1=MB4>MB2の順であった.MB1の作用は未変化体や他の代謝物よりも速やかに現れ,投与後5-10分で作用ピークに達した.一方,未変化体よりも100倍強い血小板凝集抑制作用を有するMB3は,比較的高用量で弱い一過性の血流量増加作用を示したにすぎなかった.

 以上の結果に加え,麻酔犬に未変化体を静脈内投与した場合,血漿中に検出される代謝物は未変化体よりはるかに低濃度のMB1のみであったことも考慮すると,TA-993の血流量増加作用に対する代謝物の寄与はほとんどないと考えられた.

 5)TA-993の四肢動脈血流量増加作用の機序を麻酔犬を用い,大腿動脈血流量を指標として検討した.

 供血犬を用いた麻酔犬後肢血液灌流標本において,灌流肢の血流量はTA-993を供血犬に投与しても増加せず,受血犬に投与した場合にのみ増加した.

 麻酔犬においてTA-993は,プロプラノロール存在下およびアトロピン存在下では明らかな大腿動脈血流量増加作用を示したが,ヘキサメトニウム存在下およびフェントラミン存在下では大腿動脈血流量増加作用を示さなかった.

 麻酔犬後肢血液定流量灌流標本において,フェニレフリンの動脈内投与によるアドレナリン作動性1受容体刺激,およびタリペキソールの動脈内投与による2受容体刺激による灌流圧上昇作用に対し,TA-993は影響を与えなかった.

 麻酔犬において,TA-993は30g/kg以下の大槽内投与あるいは10g/kg以下の側脳室内投与では大腿動脈血流量増加作用を示さず,30g/kgの側脳室内投与で大腿動脈血流量を軽度増加させたにすぎなかった.

 一方,麻酔犬においてTA-993は30ng/kg以上の脊髄腔内投与により,作用発現が緩徐で持続的な大腿・上腕・伏在動脈血流量増加作用および心拍数増加作用を用量依存的に示す一方,血圧および大腿動脈筋枝血流量に対してはほとんど影響を与えなかった.他方,TA-993(1mg/kg,i.v.)の脳脊髄液中最大未変化体濃度は約10ng/ml(投与後5分)で血漿中濃度の2.4%であり,代謝物については,血漿中でMB1がわずかに検出されただけであった.

 以上の結果から,TA-993の四肢動脈血流量増加作用はアドレナリン作動性神経を介した作用であり,作用点は脊髄,交感神経節,交感神経節前あるいは節後線維,交感神経終末のいずれかであることが示唆された.

 6)TA-993の四肢動脈血流量増加作用の機序を検討するため,イヌ摘出大腿動脈および腎動脈におけるフィールド刺激(40V,0.2msec,2.5Hz or 10Hz,20秒間)によるテトロドトキシン(TTX)感受性血管収縮に対するTA-993の作用を検討した.その結果,TA-993は2.5Hz刺激による大腿動脈収縮を10-10Mから濃度依存的に抑制した(IC50 8.56×10-9M).TA-993は,10Hz刺激による大腿動脈収縮や2.5Hzおよび10Hz刺激による腎動脈収縮に対しても抑制作用を示したが,それらの作用の強さは2.5Hz刺激による大腿動脈収縮に対する抑制作用の約1/50-1/300にすぎなかった.また,フェントラミンやグアネチジンも濃度依存的な血管収縮抑制作用を示したが,TA-993とは異なり,血管床や刺激条件の違いによる作用の顕著な相違は認められなかった.

 これらのTTX感受性収縮はフェントラミンによって完全に抑制されたことから,さらに,イヌ摘出大腿動脈におけるアドレナリン作動性受容体に対するTA-993の作用をフェントラミンと比較検討した.フェントラミンはフェニレフリン(1)収縮に対して競合的拮抗作用を示した(pA2 7.46)が,TA-993はフェニレフリン収縮に対して3×10-7Mでは拮抗作用を示さず,3×10-6M以上で非競合的拮抗作用を示したにすぎなかった.また,摘出大腿動脈におけるタリペキソール(2)収縮はきわめて弱かった.

 以上の結果から,TA-993の四肢動脈血流量増加作用の機序は,四肢の動脈を支配する血管収縮性交感神経終末からのノルエピネフリン遊離抑制による可能性が高いことが示唆された.

総括

 TA-993は血栓形成抑制作用に加え,麻酔犬に対する静脈内投与により,10g/kg以上で総頸・上腕・大腿動脈血流量増加作用および軽度ながら心拍出量増加作用を示した.本作用は四肢の動脈に選択的であって血圧および他の血管床の血流量にはほとんど影響を与えない,また静脈内投与であるにもかかわらず作用発現が緩徐で作用持続が長いという特徴を有しており,作用本体は未変化体と考えられた.さらに,この四肢動脈血流量増加作用の機序は,四肢動脈血流を支配する血管収縮性交感神経終末からのノルエピネフリン遊離抑制による可能性が高いことが示唆された.

 以上の結果より,TA-993は血小板凝集抑制作用に加え,独特な作用機序によりPAODの罹患部位である四肢の血流量を選択的に増加させることから,新規末梢循環障害改善薬として大いに期待できる化合物であると考えられた.

審査要旨

 近年、閉塞性動脈硬化症あるいは閉塞性血栓性血管炎といった慢性の末梢動脈閉塞性疾患が食生活の変化等にともない増加する傾向にある。これらは四肢の主要動脈が粥状硬化や血管炎が原因で、血栓による狭窄ないし閉塞を起こして末梢循環障害を来たす疾患であり、薬物療法としては抗血小板薬や血管拡張薬が用いられている。この場合、四肢末梢循環障害の改善にあたっては、一般に、血栓形成抑制作用だけでなく、四肢血管拡張作用をあわせもつ薬剤が望ましいとされている。このたび、申請者らは新規末梢循環改善薬の開発過程において、この両方の作用を有する化合物(TA-993)を見い出した。

 そこで、本研究では、まず、TA-993の血栓形成抑制作用を確かめたのちに、この化合物が有する四肢血管に選択的な動脈血流量増加作用ならびにその作用機序を明らかにすることを目的として一連の実験を行っている。

 まず、最初に、麻酔犬による大腿動脈狭窄・通電血栓形成モデルを作製して、TA-993の血栓形成抑制作用を調べたところ、3ないし10mg/kgの腸管内投与によりアスピリンに匹敵するか、それを上まわる全血凝集抑制作用を発現し、同時に、部分狭窄下の大腿動脈に対しても持続的な血流量増加作用を示すことを実証し、その主作用としては血栓形成抑制作用よりも四肢血流量増加作用の関与が大きいものと推察している。

 そこで、つぎに、麻酔犬にTA-993 10〜100g/kgを静脈内投与した時の循環動態について検討している。その結果、TA-993は用量依存的に、血圧や他の血管床の血流量にほとんど影響をおよぼさずに、四肢動脈および総頸動脈に対する選択的な血流量増加作用と軽度の心拍出量増加作用を示すこと、また、それらの作用は静脈内投与にもかかわらず作用の発現が緩徐で持続が長いという特徴を有することを明らかにしている。

 つぎに、TA-993の、この特徴的な作用は同じ1,5-ベンゾチアゼピン誘導体であっても光学活性の違いが原因しているのではないかとの考えから、カルシウム拮抗薬として汎用されているジルチアゼム(d-cis体)、l-cis-ジルチアゼムおよびd-cis-TA-993との作用比較を、麻酔犬ならびにイヌ摘出伏在動脈標本を用いて検討している。その結果、TA-993はl-cis-ジルチアゼムと共通のプロフィールを備えており、d-cis体のジルチアゼムとは異なる薬物分類に入ることを明らかにしている。また、静脈内投与時の麻酔犬の循環動態を指標に、TA-993の主要代謝物との作用比較を行い、TA-993の血流量増加作用は未変化体そのものによる作用であり、代謝物の寄与はほとんどないことを実証している。

 ついで、TA-993の四肢動脈血流量増加作用の機序を明らかにするために、まず、麻酔犬後肢の交叉潅流標本ならびに自己潅流標本を用いて、各種の自律神経作用薬(フェニレフリン、タリペキソールなどのアゴニスト、プロプラノロール、フェントラミン、アトロピンなどのアンタゴニスト、節遮断薬のヘキサメトニウム)投与時の反応を調べるとともに、側脳室内および脊髄腔内投与実験を行っている。その結果、TA-993の四肢動脈血流量増加作用はアドレナリン作動性神経を介する作用で、その作用点は脊髄、交感神経節、交感神経節前ないし節後線維、交感神経終末のいずれかであることを示唆している。

 そこで、つぎに、イヌ摘出大腿動脈および腎動脈標本を用いて、フィールド刺激によるテトロドトキシン感受性血管収縮に対するTA-993の作用について、異なる刺激条件やフェントラミン、グアネチジン、フェニレフリン、タリペキソール処置による変化を指標に種々の検討を行っている。その結果、TA-993の四肢動脈血流量増加作用の機序として、四肢動脈を支配する血管収縮性交感神経終末からのノルエピネフリン遊離抑制による可能性が高いと推察している。

 以上を要するに、本研究は、新規末梢循環障害改善剤として開発されたTA-993が血栓形成抑制作用に加え、選択的かつ持続的な四肢動脈血流量増加作用を有することを実証し、さらに、その作用機序を明らかにしたものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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