学位論文要旨



No 213688
著者(漢字) 吉田,克己
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,カツミ
標題(和) フランス住宅法の形成:住宅をめぐる国家・契約・所有権
標題(洋)
報告番号 213688
報告番号 乙13688
学位授与日 1998.02.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 第13688号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北村,一郎
 東京大学 教授 小早川,光郎
 東京大学 教授 能見,善久
 東京大学 教授 長谷部,恭男
 東京大学 教授 岩村,正彦
内容要旨

 本論文は、フランスの住宅政策と住宅法制の展開過程を、19世紀中葉から20世紀初頭までの時期を対象として、歴史的かつ実証的にフォローすることを主題とする。具体的には、次の3つの法領域が分析の対象になる。

 (1)住宅の質の劣悪性に対処することを目的とする立法、すなわち非衛生住宅立法。労働者住宅の狭小過密性や非衛生性は、19世紀前半期にすでに一の社会問題化しており、住宅問題に対する立法的介入は、まずもってこの領域において開始した。1850年の非衛生住宅の衛生化に関する法律がその嚆矢である。ここでは、法理論的には、不動産所有権に対する立法的規制の是非が争点になる。

 (2)住宅価格の高騰に対処することを目的とする立法、すなわち家賃規制立法。そして、この前提としての建物賃貸借関係に関する法制。この領域における特別法制の本格的展開は、第一次世界大戦後の過程に属し、本論文が対象とする時期には、いまだ多くの立法の展開は見られない。しかし、とりわけ第二帝政期の都市改造事業を契機として、家賃高騰が社会問題化し、様々な改革要求が提示された。この動向が、戦間期の建物賃貸借特別法制の展開に結びつくことになる。ここでは、建物賃貸借という私人間の契約関係に対する立法的介入の是非とそのあり方が争われる。

 (3)所得の高くない都市勤労者層のために低価格での住宅供給を目指す立法、すなわち社会住宅立法。上の(1)および(2)がいずれも消極的・規制的な介入手法であるのに対して、この介入は、住宅の価格と質の問題を一挙に解決する可能性を含む積極的・事業的介入手法である。1984年にこの領域での最初の立法が制定されて以来、フランスは、この領域での豊富な立法の経験を有している。そこで主要に問題になるのは、住宅市場に対する公権力の介入の是非であり、換言すれば、国家と市民社会との関係である。

 これまで、住宅をめぐる法制度の分析が試みられる場合には、これの法領域のいずれかが、他の領域と切り離されて検討される傾向にあった。しかし、住宅法制の総体的な把握を志向する場合には、少なくともこれら3つの法領域を全体として検討することが必要であろう。本論文が目指すのは、フランスを対象とした、そのような住宅法の総体的把握である。この作業に際して、本論文においては、さらに次の視角に留意している。

 一つは、さしあたりの作業はこの3つの法領域のそれぞれについて行うにしても、それらの法制度展開の相互連関のあり方に常に留意するという視角である。というのは、この相互連関のあり方の中にこそ、ある国の住宅法制の特質が見出されると考えられるからである。たとえば、民間部門での家賃規制の問題を例にとっていえば、この意味は、他方での社会住宅部門での住宅供給のあり方との関連においてでなければ、十分に把握することができないのである

 もう一つは、いわば「複数の住宅問題」という視角である。それぞれの領域における法制度は、一の社会問題としての住宅問題の発生を前提とし、その解決を目指す改革要求に基づいてそれを現実化する形で展開する。ところが、住宅問題は、それを問題とする社会階層によって、異なる相貌を帯びるものとして現れる。本論文が扱う時期についていえば、非衛生住宅問題と高家賃問題とでは、その解決を目指す改革要求の主体も、その社会的性格も、対蹠的に異なるのである。かくして、現実の住宅法も、単線的な発展を遂げるのではなく、いわば方向が異なる諸力のベクトルの総和として、対抗関係を内包しつつ、ジグザグの過程を経て形成されてくることになる。

 以上の対象領域と視角の設定に基づいて、まず、第1章「19世紀前半期における非衛生住宅問題と法」においては、1850年に制定された非衛生住宅の衛生化に関する法律の成立過程とその歴史的意義が考察の対象になる。

 一九世紀前半期のフランスにおいて住宅問題として具体的に問題とされたのは、住宅の非衛生性である。非衛生住宅問題への対処は、まず、当時大都市部でしばしば大きな犠牲を出した伝染病への対処という観点から緊急の課題とされた。それはまた、非衛生的な住宅がその居住者である労働者の道徳性に否定的影響をもたらしているという認識を基礎に、治安政策的観点からも重要な課題とされた。いずれにせよ、この時期の非衛生住宅問題は、非衛生的な住宅の現実の居住者からではなく、その外部から提示されたことに注意を要する。

 これらの非衛生住宅排除要求を受けて、この領域での立法運動に具体的に取り組んだのは、社会カトリックの潮流であった。この立法運動の成果として成立したのが、1850年法である。同法は、市町村による衛生化工事実施命令、非衛生住宅を含む街区全体の収用(地帯収用)、非衛生住宅の賃貸禁止などの措置を定めた。それらは、主として公衆衛生的観点からの非衛生住宅の排除措置を初めて立法化するものであり、その歴史的意義は大きい。しかし、この立法には、住宅問題の解決という観点から見れば大きな不十分性ないし「矛盾」があった。

 すなわち、まず、同法の適用範囲は、当該非衛生住宅が賃貸されている場合に限定され、所有者の自己居住ケースには及ばなかった。これは、不動産所有権の規制の根拠となる当時の警察法理に従えば、所有権に対する介入は公共の利益が問題になる場合に限定され、所有者が自己の危険において非衛生的な住宅に居住することに対して公権力が介入することはできない(いわゆる「自殺の自由」の肯定)、と考えられたことによる。次に、同法は、非衛生住宅の排除措置は定めても、労働者住宅供給促進のための措置を何ら含まなかった。その結果、非衛生住宅の排除は、その居住者から見れば、単純に彼らの住宅の剥奪を意味することになる。これは、この時期の非衛生住宅排除要求が、現実の居住者からではなく、その「外から」提示されたことの反映である。その結果、1850年法は、それが目的とする非衛生住宅の排除を進めれば進めるほど、そこに居住していた都市民衆層の住宅難を深刻にし、かくして他のレベルの住宅問題を発生させるという「矛盾」をかかえこむことになった。

 次に、第2章「第二帝政期における高家賃問題と法」においては、考察の対象を19世紀後半期、第二帝政期に移して、オスマンのパリ改造事業を契機とする高家賃問題と法とのかかわりが分析される。

 第二帝政期に実施されたオスマンのパリ改造事業は、都市民衆の住宅のあり方にとっても深甚な影響をもたらした。すなわち、それはまず、それまで都市民衆の住宅に充てられていた都心部の老朽不動産を取り壊して広い幅員の道路を開設するという形で、都市民衆の都心部における住宅を排除した。それはまた、大規模不動産資本による賃貸住宅供給市場(ここではもっぱら事業用区画またはブルジョワ住宅が供給される)を新たに成立させ、その反面で、それまでの土地所有者による直接の賃貸住宅供給(ここでは労働者住宅も供給された)を衰退させた。賃貸住宅市場の構造変化である。これらは相乗的に労働者住宅の供給を逼迫させて、家賃高騰の要因となる。オスマンのパリ改造事業はさらに、地価の急上昇をもたらし、これもまた都市家主層の家賃増額要求に結びついた。

 他方、都市民衆の居住を媒介する当時の住宅賃貸借法制は、家賃高騰に対する抵抗の論理を内在させていなかった。契約自由の理念のもとで家賃決定は当事者の自由の委ねられていたし、また、期間などに関する地域の慣行は契約関係の安定性を確保しなかった。これらの帰結として、都市民衆の住宅の家賃水準は顕著に上昇する。高家賃問題の出現である。

 かかる状況を背景として、高家賃問題への対処を目指す様々な改革要求が提示されるようになる。それらは、現実の居住者の利害を代表して「下から」提示されたという意味で、先の非衛生住宅排除要求とその性格を異にするものであった。その具体的内容の中心は、当然に家賃規制要求であったが、それとともに公的主体による賃貸住宅供給促進を通じての問題解決の方向も提示されていることが注目される。しかし、これらの要求は、第1章で検討した非衛生住宅排除要求とは異なり、結局、この時期には立法という形で実現することはなかった。

 最後に、第3章「社会住宅立法の形成と展開」においては、フランスの社会住宅立法である低廉住宅立法の形成と展開の過程が検討の対象になる。

 この法制の嚆矢は、1894年の低廉住宅に関する法律であるが、この成立に至るまでには、長期にわたる民間レベルでの労働者住宅供給の試みが存在した。その源流は、第二帝政期における地方の企業主による博愛主義的な労働者住宅の供給に求められる。第三共和制の時期に入ると、この試みはさらに普及し、全国各地に博愛主義的な資本を結集した「低廉住宅運動」と呼ぶべき流れを形成する。それらを結集する形で設立されたのが「低廉住宅協会」である。これらの試みが目指したのは、良好な住宅による家族と道徳の確立、そしてそれを通じての「社会改革」であった。そのために適合的な住宅の形態として、戸建持家が称揚された。また、その供給はあくまで民間の発意に基づくべきものとされ、公権力の介入は、そのような民間の発意に対して融資や税制などの点での優遇を付与するのに止めるべきものとされた。これは、住宅問題に対する「外からの」改革提示という意味で、非衛生住宅問題への改革要求の流れに連なる性格の動向であった。

 1894年法は、このような路線に基づいて成立した立法である。その結果、それは必然的に微温的なものにとどまらざるをえなかった。そこでは、低廉住宅建設のための資金調達の可能性の拡大や、税制上の優遇措置による低廉住宅の建設促進が図られるにとどまる。なお、1894年法は、同時に、民法の相続制度に関する特例措置を定めたが、それは、低廉住宅所有権の特殊な性格--単なる抽象的な商品所有権ではなくて、特定の社会階層の道徳化への梃子となるべき目的拘束性を持った具体的所有権--を示すものである。

 1894年法は、しかしながら、所期の成果をあげることができなかった。そのような反省に立って、その後の立法は、公的介入の強化の方向に進むことになる。とりわけ1912年の立法は、労働者住宅の供給に当たる公的主体である低廉住宅公社制度を創設し、また、とりわけ住宅困窮度が高い多人数家族のために市町村の直接建設の可能性を認めた。ここで初めて公的主体の直接介入の途が開かれたのである。ここで、低廉住宅立法はその性格を変えたといわなければならない。

 この方向の直接の推進主体は、パリ市であった。その背景には、パリの民集運動が存在した。これは、1894年法を支えた「低廉住宅運動」とは明確に異なる流れであり、系譜的には、高家賃問題に対して改革要求を提示した潮流に連なる。フランスの現実の社会住宅立法は、大きく捉えれば、二つの潮流の対抗とせめぎ合いの中から形成されてきたのである。

審査要旨

 本論文は,『フランス住宅法の形成:住宅をめぐる国家・契約・所有権』と題する本文442頁の単行書(東大出版会,1997年)であり,19世紀中葉から20世紀初頭までの時期におけるフランス住宅関係立法の展開過程の実証的な研究を目的とする。

 フランスにおいて国の財政援助による住宅供給政策が本格的に実施されるのは第二次大戦後であり,それは「適正家賃住宅(H.L.M.)公社」による中低所得者用住宅の供給を軸とするが,このような住宅政策の発端は産業革命期に見出されるのであり,著者は,1850年の法律から1912年の法律までの「フランス住宅法の前史」というべき部分の解明を本論文の主題とすることによって,住宅という特殊な財を素材としつつ法学の観点からフランスにおける社会国家の形成過程を辿り,公共的介入の進展のなかでの19世紀的な不動産所有権法・賃貸借法の変容を明らかにし,それを通じて,日本の住宅問題に対する批判的視座を得ることを意図する。

 そのための視角として,著者は,3つの法領域―住宅の質の劣悪さへの対処を目的とする非衛生住宅立法,価格高騰に対処する賃貸借・家賃統制立法,および,都市民衆・労働者層に対する低廉な住宅の供給を目的とする社会住宅立法-を総体として構造的に検討し,立法の背後における社会的な諸力の対抗関係のなかで,居住者の観点と「外から」ないし「上から」の観点とを分けた「複数の住宅問題」の視角から,それらの立法を分析するという手法を用いる。

 以上のような序章「課題と視角」の説明に続いて,本論は3つの章からなる。

 第1章「19世紀前半期における非衛生住宅問題と法:衛生警察法理に基づく所有権規制の意義と限界」は,「非衛生住宅の衛生化に関する」1850年4月13日の法律の制定前後の事情を対象として,住宅問題が,まず,外から・上からの「非衛生住宅問題」として取り上げられたことを明らかにする。

 即ち,産業革命による人口の都市集中の結果としての過密・スラム化がコレラの流行や居住者の道徳的頽廃の原因とされ,社会カトリック運動の側からの提案に基づいて制定された1850年の法律は,市町村の任意設立にかかる非衛生住宅委員会による衛生化工事命令,非衛生住宅の賃貸禁止,住宅外の原因に基づく場合の地帯収用を規定したが,非衛生住宅の排除を狙うのみで,かつ実効性にも乏しかった。この非衛生住宅問題の系列では,1902年の公衆衛生法律により,自己居住の場合への規制の拡張,建築許可の制度化など規制強化が図られるが,いずれにせよ居住者のための再居住確保の措置は取られていない。

 第2章「第2帝政期における高家賃問題と法:オスマンのパリ改造事業と建物賃貸借」においては,19世紀中葉の建物賃貸借法の構造が概観された後,セーヌ県知事オスマン男爵(在職1853-1870)による大大的なパリ改造事業による家賃高騰とそれに対する制度改革要求とが中心的に扱われる。

 オスマンのパリ改造事業は,都心部の老朽不動産を取り壊して広い道路を貫通させ,中高層石造の美麗建築で道路を囲み,公共広場・緑地・上下水道・ガス灯などを整備するという内容で,パリ市が公用収用―しかも道路部分だけでなく後背地にも及ぶ超過収用を駆使した―により土地・不動産を取得・整備し,私人に再売却・建築させるという手法による。これにより,収用補償の高額化から地価は急上昇し土地市場が成立するとともに,銀行を後ろ楯とする大規模不動産資本による賃貸住宅市場が,在来の地主による個別的かつ比較的に(地価の算入が不要な分だけ)低廉な賃貸住宅供給を凌ぐ形で成立する。

 地価顕在化によるこの高家賃問題に関しては,賃貸借法制は契約自由の原則ゆえに無力であり,家賃規制や賃貸住宅供給促進,賃貸用不動産の収用・公有化など様様な「下からの」改革要求がなされたが,立法化はなされぬまま,特に労働者向け住宅供給は停滞し都心部の賃借紛争が激化した。

 この時期には,普仏戦争およびパリ・コミューンの混乱処理のために,家賃支払猶予期限の付与(1870-1871年の諸デクレ)および累積家賃の仲裁的処理・一部公的負担(1871年法律)の措置がとられたが,これはあくまで例外的な措置に止まった。

 第3章「社会住宅立法の形成と展開」は,私的イニシアティヴによる住宅供給の促進を目的とする1894年法律から,公的主体による住宅建設・供給の先鞭をつけた1912年法律へと至る推移を対象とする。

 民間の低廉住宅供給の試みは,第2帝政期から既に,地方の企業主による博愛主義的な労働者住宅建設・分譲の例が見られ,住宅を通して労働者の道徳化と家族生活の確立とを確保し社会主義に対抗しつつ社会改良に資するという「戸建持家イデオロギー」(特にル・プレーの主張)の形成すら見るに至っていたが,第3共和政期に至って,博愛主義的資本を結集した会社の設立により住宅供給を推進する「低廉住宅運動」が展開される。

 その運動の中心となるのが1890年設立の「低廉住宅協会」であり,その多数を占めるル・プレー派持家論者による立法運動の成果が「低廉住宅に関する」1894年11月30日=12月1日の法律である。この法律により,私的な住宅供給促進のための公的金庫からの建設融資の承認,税制優遇,労働者の取得した不動産の分割回避のための相続特例などの措置が,改革としては微温的ながら激論の末に立法化された。

 この系列ではその後,公的支援の強化(1906年法律),庭園・住宅の2段階取得方式(1908年法律),小所有権(「家族財産」)の差押不能化(1909年法律)などが続くが,いずれも私的イニシアティヴの喚起という,著者のいわゆる自由主義的介入路線の枠組を維持するものであった。

 しかしパリ市では,夙に1880年代に否定されていた公的直接介入の是非の議論が,今世紀初頭以降,高家賃問題および過密居住現象の深刻化とともに再燃し,1911年5月には直接建設用借款の承認を政府に求め,政府もまた遂に自由主義的介入路線との断絶を決意するに至る。このようにして成立したのが1912年7月13=20日の法律であり,この法律は,間接介入の強化に加えて,公施設法人としての「低廉住宅公社」(「適正家賃住宅公社」の前身)を創設するとともに,市町村による多人数家族用住宅の直接建設(管理は公社が行う)を承認したのである。

 この法律は,公社制度の創設を以て住宅供給の分野で公的主体の直接介入を初めて承認することにより,以後の社会住宅立法の展開にとって画期的な意味を持つことになったのである。

 著者は,終章「要約と総括」において,以上の叙述を要約するとともに,フランスの社会住宅立法を形成したのが二つの潮流の対抗とせめぎ合いとである,との指摘を以て本論文の結びとしている。一つは,第2帝政期の企業による労働者住宅の供給を源流として世紀末の低廉住宅運動,更に1894年法律・1908年法律へと至る潮流であり,この潮流は,戸建持家供給を労働者の「道徳化」と社会統合のための手段とする。この「手段としての住宅政策」と対立するのが,低廉・良質な住宅供給の確保それ自体が住宅政策の目的であるとする「本来の住宅政策」の潮流であり,こちらは,第2帝政期の高家賃問題に端を発する家賃規制要求・公的住宅供給要求から,1880年代における民衆運動,パリ市参事会における公的直接供給論を経て,1912年立法に至るまで一貫していた伏流であるとするのである。

 本論文の長所は以下の点に認められる。

 第一に,本論文は,「住宅問題への公的介入にかかわる立法の総体」を住宅法と定義して,19世紀中葉から今世紀初頭に至る非衛生住宅立法・不動産賃貸借立法・社会住宅立法を総体的・重層的に把握した上で,諸立法に収斂する様様な現象・主張・運動を網羅的に検討し,政策と実践とを具体的に対照しつつ詳細に分析・整理して提示した力作である。特に3つの分野のそれぞれの課題・法的手法・根拠が明確に対照されることによって,19世紀の経済自由主義路線から20世紀社会国家的住宅政策への転換のプロセスが見事に跡付けられている。

 第二に,本論文は,諸種のパンフレットや団体・国際会議の議事録など豊富な第一次資料を発掘・渉猟し,長期間にわたる法政策形成過程の流れを骨太に,かつダイナミックに描きだすことに成功している。とりわけ,オスマン事業のプロセスおよび経済的効果の分析ならびに問題点の指摘,および,社会住宅立法形成期において都市労働者の住宅問題のために模索された考えの網羅的提示,は圧巻である。

 第三に,技術的に錯綜し得る主題に関して,章節構成および論述態様は極めて明晰である。特に諸種の概念的対立軸-家賃統制か住宅供給か,戸建持家か集合賃貸住宅か,など-が明快に整理され,それに沿って行論が秩序づけられていることは明晰さの重要な所以である。また,事前の概要提示および事後の小括により常に全体のコンテクストと関係づけつつ論述を進める態様も,読者に対する関係で極めて有効である。

 しかし,本論文にもなお望むべき点もないではない。

 第一に,立法政策史の叙述が骨太であることと裏腹に,それをとりまく周辺的事情の説明にやや物足りない面が感じられる。この時代の「労働者」の状況に関する政治社会史的な背景や「労働者の道徳化」思想の理念史的脈絡,土地利用一般の経済的・社会学的背景,社会法の他の分野の進展態様との関係などについてもう少し触れられていれば,また住宅法という以上例えば賃貸借法分野の判例の作用には見るべきものはなかったのかという点などももう少し目配りがなされていれば,更に論述に厚みが加わったであろうと思われる。

 第二に,本論文の目的がフランス住宅法の「前史」の解明にある以上やむを得ないことではあろうが,現代に至る「本史」の状況との関係が,終章において本論と関係づけられた形でもう少し説明されていれば,「前史」の位置づけも一層判明になったのではないかと思われる。

 しかし,これらの点はいささかも本論文の長所を損なうものではなく,本論文は住宅法に関する比較法分野の作品として出色の業績と評価することができる。したがって,本論文は博士(法学)の学位にふさわしい内容と認められる。

UTokyo Repositoryリンク