審査要旨 | | 本論文は,『フランス住宅法の形成:住宅をめぐる国家・契約・所有権』と題する本文442頁の単行書(東大出版会,1997年)であり,19世紀中葉から20世紀初頭までの時期におけるフランス住宅関係立法の展開過程の実証的な研究を目的とする。 フランスにおいて国の財政援助による住宅供給政策が本格的に実施されるのは第二次大戦後であり,それは「適正家賃住宅(H.L.M.)公社」による中低所得者用住宅の供給を軸とするが,このような住宅政策の発端は産業革命期に見出されるのであり,著者は,1850年の法律から1912年の法律までの「フランス住宅法の前史」というべき部分の解明を本論文の主題とすることによって,住宅という特殊な財を素材としつつ法学の観点からフランスにおける社会国家の形成過程を辿り,公共的介入の進展のなかでの19世紀的な不動産所有権法・賃貸借法の変容を明らかにし,それを通じて,日本の住宅問題に対する批判的視座を得ることを意図する。 そのための視角として,著者は,3つの法領域―住宅の質の劣悪さへの対処を目的とする非衛生住宅立法,価格高騰に対処する賃貸借・家賃統制立法,および,都市民衆・労働者層に対する低廉な住宅の供給を目的とする社会住宅立法-を総体として構造的に検討し,立法の背後における社会的な諸力の対抗関係のなかで,居住者の観点と「外から」ないし「上から」の観点とを分けた「複数の住宅問題」の視角から,それらの立法を分析するという手法を用いる。 以上のような序章「課題と視角」の説明に続いて,本論は3つの章からなる。 第1章「19世紀前半期における非衛生住宅問題と法:衛生警察法理に基づく所有権規制の意義と限界」は,「非衛生住宅の衛生化に関する」1850年4月13日の法律の制定前後の事情を対象として,住宅問題が,まず,外から・上からの「非衛生住宅問題」として取り上げられたことを明らかにする。 即ち,産業革命による人口の都市集中の結果としての過密・スラム化がコレラの流行や居住者の道徳的頽廃の原因とされ,社会カトリック運動の側からの提案に基づいて制定された1850年の法律は,市町村の任意設立にかかる非衛生住宅委員会による衛生化工事命令,非衛生住宅の賃貸禁止,住宅外の原因に基づく場合の地帯収用を規定したが,非衛生住宅の排除を狙うのみで,かつ実効性にも乏しかった。この非衛生住宅問題の系列では,1902年の公衆衛生法律により,自己居住の場合への規制の拡張,建築許可の制度化など規制強化が図られるが,いずれにせよ居住者のための再居住確保の措置は取られていない。 第2章「第2帝政期における高家賃問題と法:オスマンのパリ改造事業と建物賃貸借」においては,19世紀中葉の建物賃貸借法の構造が概観された後,セーヌ県知事オスマン男爵(在職1853-1870)による大大的なパリ改造事業による家賃高騰とそれに対する制度改革要求とが中心的に扱われる。 オスマンのパリ改造事業は,都心部の老朽不動産を取り壊して広い道路を貫通させ,中高層石造の美麗建築で道路を囲み,公共広場・緑地・上下水道・ガス灯などを整備するという内容で,パリ市が公用収用―しかも道路部分だけでなく後背地にも及ぶ超過収用を駆使した―により土地・不動産を取得・整備し,私人に再売却・建築させるという手法による。これにより,収用補償の高額化から地価は急上昇し土地市場が成立するとともに,銀行を後ろ楯とする大規模不動産資本による賃貸住宅市場が,在来の地主による個別的かつ比較的に(地価の算入が不要な分だけ)低廉な賃貸住宅供給を凌ぐ形で成立する。 地価顕在化によるこの高家賃問題に関しては,賃貸借法制は契約自由の原則ゆえに無力であり,家賃規制や賃貸住宅供給促進,賃貸用不動産の収用・公有化など様様な「下からの」改革要求がなされたが,立法化はなされぬまま,特に労働者向け住宅供給は停滞し都心部の賃借紛争が激化した。 この時期には,普仏戦争およびパリ・コミューンの混乱処理のために,家賃支払猶予期限の付与(1870-1871年の諸デクレ)および累積家賃の仲裁的処理・一部公的負担(1871年法律)の措置がとられたが,これはあくまで例外的な措置に止まった。 第3章「社会住宅立法の形成と展開」は,私的イニシアティヴによる住宅供給の促進を目的とする1894年法律から,公的主体による住宅建設・供給の先鞭をつけた1912年法律へと至る推移を対象とする。 民間の低廉住宅供給の試みは,第2帝政期から既に,地方の企業主による博愛主義的な労働者住宅建設・分譲の例が見られ,住宅を通して労働者の道徳化と家族生活の確立とを確保し社会主義に対抗しつつ社会改良に資するという「戸建持家イデオロギー」(特にル・プレーの主張)の形成すら見るに至っていたが,第3共和政期に至って,博愛主義的資本を結集した会社の設立により住宅供給を推進する「低廉住宅運動」が展開される。 その運動の中心となるのが1890年設立の「低廉住宅協会」であり,その多数を占めるル・プレー派持家論者による立法運動の成果が「低廉住宅に関する」1894年11月30日=12月1日の法律である。この法律により,私的な住宅供給促進のための公的金庫からの建設融資の承認,税制優遇,労働者の取得した不動産の分割回避のための相続特例などの措置が,改革としては微温的ながら激論の末に立法化された。 この系列ではその後,公的支援の強化(1906年法律),庭園・住宅の2段階取得方式(1908年法律),小所有権(「家族財産」)の差押不能化(1909年法律)などが続くが,いずれも私的イニシアティヴの喚起という,著者のいわゆる自由主義的介入路線の枠組を維持するものであった。 しかしパリ市では,夙に1880年代に否定されていた公的直接介入の是非の議論が,今世紀初頭以降,高家賃問題および過密居住現象の深刻化とともに再燃し,1911年5月には直接建設用借款の承認を政府に求め,政府もまた遂に自由主義的介入路線との断絶を決意するに至る。このようにして成立したのが1912年7月13=20日の法律であり,この法律は,間接介入の強化に加えて,公施設法人としての「低廉住宅公社」(「適正家賃住宅公社」の前身)を創設するとともに,市町村による多人数家族用住宅の直接建設(管理は公社が行う)を承認したのである。 この法律は,公社制度の創設を以て住宅供給の分野で公的主体の直接介入を初めて承認することにより,以後の社会住宅立法の展開にとって画期的な意味を持つことになったのである。 著者は,終章「要約と総括」において,以上の叙述を要約するとともに,フランスの社会住宅立法を形成したのが二つの潮流の対抗とせめぎ合いとである,との指摘を以て本論文の結びとしている。一つは,第2帝政期の企業による労働者住宅の供給を源流として世紀末の低廉住宅運動,更に1894年法律・1908年法律へと至る潮流であり,この潮流は,戸建持家供給を労働者の「道徳化」と社会統合のための手段とする。この「手段としての住宅政策」と対立するのが,低廉・良質な住宅供給の確保それ自体が住宅政策の目的であるとする「本来の住宅政策」の潮流であり,こちらは,第2帝政期の高家賃問題に端を発する家賃規制要求・公的住宅供給要求から,1880年代における民衆運動,パリ市参事会における公的直接供給論を経て,1912年立法に至るまで一貫していた伏流であるとするのである。 本論文の長所は以下の点に認められる。 第一に,本論文は,「住宅問題への公的介入にかかわる立法の総体」を住宅法と定義して,19世紀中葉から今世紀初頭に至る非衛生住宅立法・不動産賃貸借立法・社会住宅立法を総体的・重層的に把握した上で,諸立法に収斂する様様な現象・主張・運動を網羅的に検討し,政策と実践とを具体的に対照しつつ詳細に分析・整理して提示した力作である。特に3つの分野のそれぞれの課題・法的手法・根拠が明確に対照されることによって,19世紀の経済自由主義路線から20世紀社会国家的住宅政策への転換のプロセスが見事に跡付けられている。 第二に,本論文は,諸種のパンフレットや団体・国際会議の議事録など豊富な第一次資料を発掘・渉猟し,長期間にわたる法政策形成過程の流れを骨太に,かつダイナミックに描きだすことに成功している。とりわけ,オスマン事業のプロセスおよび経済的効果の分析ならびに問題点の指摘,および,社会住宅立法形成期において都市労働者の住宅問題のために模索された考えの網羅的提示,は圧巻である。 第三に,技術的に錯綜し得る主題に関して,章節構成および論述態様は極めて明晰である。特に諸種の概念的対立軸-家賃統制か住宅供給か,戸建持家か集合賃貸住宅か,など-が明快に整理され,それに沿って行論が秩序づけられていることは明晰さの重要な所以である。また,事前の概要提示および事後の小括により常に全体のコンテクストと関係づけつつ論述を進める態様も,読者に対する関係で極めて有効である。 しかし,本論文にもなお望むべき点もないではない。 第一に,立法政策史の叙述が骨太であることと裏腹に,それをとりまく周辺的事情の説明にやや物足りない面が感じられる。この時代の「労働者」の状況に関する政治社会史的な背景や「労働者の道徳化」思想の理念史的脈絡,土地利用一般の経済的・社会学的背景,社会法の他の分野の進展態様との関係などについてもう少し触れられていれば,また住宅法という以上例えば賃貸借法分野の判例の作用には見るべきものはなかったのかという点などももう少し目配りがなされていれば,更に論述に厚みが加わったであろうと思われる。 第二に,本論文の目的がフランス住宅法の「前史」の解明にある以上やむを得ないことではあろうが,現代に至る「本史」の状況との関係が,終章において本論と関係づけられた形でもう少し説明されていれば,「前史」の位置づけも一層判明になったのではないかと思われる。 しかし,これらの点はいささかも本論文の長所を損なうものではなく,本論文は住宅法に関する比較法分野の作品として出色の業績と評価することができる。したがって,本論文は博士(法学)の学位にふさわしい内容と認められる。 |