学位論文要旨



No 213691
著者(漢字) 神永,眞杉
著者(英字)
著者(カナ) カミナガ,マスギ
標題(和) 非線形特性を考慮した自動車の横方向運動性能に関する研究
標題(洋)
報告番号 213691
報告番号 乙13691
学位授与日 1998.02.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13691号
研究科 工学系研究科
専攻 産業機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 藤岡,健彦
 東京大学 教授 三浦,宏文
 東京大学 教授 吉本,堅一
 東京大学 教授 鈴木,真二
 東京大学 助教授 鎌田,実
内容要旨

 自動車が生まれて100年以上がたつが、その歴史は高速化の歴史でもある。オイルショックや排気ガス対策により一時的に後退することはあっても、大きな流れとしては自動車が出しうる最高速度は上昇しつづけている。

 自動車が高速化するに伴い、車の持ついろいろな運動力学上の問題が明らかになった。その中で車両の横方向の運動に着目すると、高速化によって同じ曲率のカーブにおいても、より大きなコーナリング力が求められるようになった。そして車両がより非線形性の強い運動特性を示すことが自動車設計上の問題となっており、この非線形特性に関わる課題が解決出来れば自動車の操縦安定性を飛躍的に高めることが可能となると考えられる。実際、多数の研究がなされ、安全を向上させる商品として社会へ供給されてきている。しかしそれらの多くは線形理論を基本とし、非線形特性を線形性能を拡張として扱っている。

 これに対し車両の非線形特性をモデルで直接定義するなどすれば、非線形特性をさらに考慮した性能向上も可能であると考えられる。本論文はそのような自動車の横方向運動性能の非線形特性の直接的な解明を動機としている。また、自動車の横方向運動において問題となる非線形運動特性にもいろいろなものが考えられるが、本研究では現在の自動車のサスペンション設計、運動性能開発において日常的に問題となっている以下に述べる非線形特性に着目し、これらを解明することで包括的な車両の横方向運動性能の向上を目指している。

<サスペンションの幾何学>

 まず第一に自動車の横方向運動には、サスペンションの幾何学に起因する非線形性が存在する。一般にサスペンションを考慮した車両運動のモデル化においては、車両の運動が前後サスペンションのロールセンタによって決定されるロール軸と呼ばれる軸回りに行われると仮定した線形モデルが使用されることが多い。このロール軸よるモデル化は定性的な特性を把握する様な場合には適していると考えられる。しかし、車両の横加速度、ロール角が大きく幾何学的に非対称となる状態では横力により車体の上下動であるジャッキアップ挙動が発生するが、このジャッキアップ挙動を含めたロール挙動と呼ばれる車体のロールに起因する運動を線形モデルで説明することは難しい。

 本研究では、従来のロール軸という考えを廃した新しいロールモデルと、サスペンションの構成を直接モデル化する機構解析言語を使用した解析を併用し非線形なロール挙動の解明を行った。まず最初にサスペンションを左右輪が幾何学的な関係を有するかどうによって分類し、それぞれについて車両のロールが単純なサスペンションのストロークによって発生する場合、横力により発生する場合について解析を行った。その結果、左右輪間の幾何学的な関係が有るか無いかによりサスペンションのロール挙動は異なり、前者はより複雑なロール挙動を示すことがわかった。サスペンションのロール挙動は一般的にはロールセンタと呼ばれる瞬間回転中心により決定されるが、左右輪が幾何学的に結合されたサスペンションのジャッキアップ特性は必ずしもロールセンタによって決定されない。これらの知見は、前輪駆動車用後輪サスペンションとして設計されたマルチリンクビームサスペンションの開発にも活用された。さらに車輪の接地性が失われる状態でのロール挙動の検討も行い、この状態の車両挙動にはロールセンタの影響が小さいことを示した。

<車両運動性能の評価手法>

 第二に非線形な車両運動性能の評価方法も確立されなければならない課題である。従来から非線形な車両挙動の評価方法としては、有名な定常円旋回試験などが存在する。しかし自動車の横方向運動は並進、回転運動が相互に干渉する二自由度の非線形運動となっており、これを評価することは容易ではない。特に横加速度の大きな摩擦円の円周付近での限界領域の性能を検討する際には、車両の運動性能を高める上でそれを操るドライバー特性を考慮することの重要性が比重を増してきている。このようなドライバーの特性を含めた車両運動をドライバ車両クローズドループ系下の車両運動と呼ぶが、こうした人間特性を含めた車両性能の向上が求められている。

 本論文では、非線形な車両運動性能評価方法として前後輪のタイヤスリップ角を用いたf-r状態面と呼ばれる車両の運動性能評価方法の導出した。このf-r状態面は操舵などのドライバの操縦操作が補償された形で車両挙動が表示されるという特徴を有する。本手法を用いてドライバ車両間のクローズドループ特性が顕著であると考えられるサーキット走行について、ドライバ違い、車両違い、サーキット違いなどの検討を行った結果、f-r状態面がこれらのクローズドループ下の車両挙動の評価に有効であることがわかった。さらにドライバの官能評価と状態面上の車両挙動の比較より、クローズドループ下の車両挙動としてどのような特性が望ましいかについての知見を得た。

<非線形運動の制御>

 車両の操縦性能をより向上させるために、すでに述べたサスペンションの幾何学的な改良に加え、電子制御システムが採用される例が増大している。さらに近年この電子制御システムの設計において非線形な制御対象をより正確に制御することが必要となっている。そこでは線形理論を拡張し、線形式で記述できない非線形部分をモデル化誤差として捉え線形理論を使用しロバスト性を保証する制御設計方法も存在するが、モデル自体が非線形な構造を有する車両モデルを使用し、それに対しリヤプノフの定理を適用し直接制御則を導き出す非線形理論を使用すれば、より非線形特性を考慮した制御則を得ることが可能と考えられる。

 本論文では、タイヤスリップ角に対して飽和する特性を持つコーナリングフォースを直接モデル化し、スライディングモード制御を使用して四輪操舵システムである前後輪アクティブステア制御、制駆動力によるダイレクトヨーモーメント制御についてのシミュレーション検討を行った。これらの制御にスライディングモード制御則を適用するにあたって、非線形領域での可制御性、制御のロバスト性、パラメータ適応に着目して制御器の検討を行った結果、タイヤ横力の飽和、路面摩擦係数の変化などに対して安定した制御を得ることができた。さらに本論文では、これら非線形車両挙動制御の基本となる車体スリップ角の推定方法についても検討を行った。

<車両運動性能設計>

 より安全な運動性能を有する自動車を設計するには、上記で述べたように個々に性能を向上させる技術に加えて、それらをいかに有機的に結合し総合的な性能設計を行ってくかという重要な課題が存在する。特に自動車の設計に存在する数多くのトレードオフ関係にある性能を両立させるために用いられる性能割り付けと呼ばれる最適化手法は今後ますます重要になると考えられるが、それらに対し車両の非線形特性を十分に考えた研究例は未だ存在しない。

 本論文では、タイヤの発生力をコントロールする設計パラメータに着目して、非線形領域の性能を含めて車両トータルの運動性能を向上させることができる性能割り付け手法を検討した。ここで得られた設計手法は前出のマルチリンクビームサスペンションの設計に適用され、非線形領域のトレードオフ性能を考慮したサスペンション設計が可能となった。さらに、この性能割り付け手法が、電子制御機構を追加することによってどう変化するかを検討し、制御サスペンションが車両運動性能設計に与える影響について考察を加えた。

 本論文は7章から構成され、各章の概要は次の通りである。第1章は、緒論である。第2章は、車両のモデル化手法と題し、車両の運動を記述するモデル化手法、それを用いたシミュレーション手法についてまとめている。第3章は、非線形サスペンション幾何学と題し、サスペンションのロール挙動について検討を行っている。第4章は、限界走行時の車両運動性能と題し、非線形領域の車両の運動性能の評価手法、クローズドループ下の車両のコーナリング性能について解析を行っている。第5章は、非線形車両運動の制御と題し、スライディングモード制御を中心とした非線形制御理論を使用した車両の運動性能向上について述べる。第6章は、車両運動性能設計法と題し、非線形特性を考慮したサスペンション設計について述べる。第7章は結論であり、これまでの研究を総括すると共に今後の課題をまとめる。

審査要旨

 本論文は「非線形特性を考慮した自動車の横方向運動性能に関する研究」と題し、7章からなる。

 自動車の非線形な車両運動は、タイヤの有するコーナリング力の非線形性が大きなこと、限界領域での自動車の操縦がドライバの特性によって大きく影響を受けること、車両がロールすることによって生じる非対称性などの非線形機構運動の存在からその解析が困難であった。しかし近年、自動車の車両運動に関する要求が安全の面からも高まるにつれ、事故回避性能に重要な影響を及ぼすこの領域の運動性能向上の期待が高い。

 本研究は、自動車の横方向の運動性能について実際の車両の開発で問題となっている課題を解明し、問題を解決するための設計手法等の確立を行うことを目的としたものである。

 第1章「緒論」では、線形モデルを中心とした従来の研究を総括、それらに対し本研究で解決を試みる自動車の横方向運動性能の非線形性について説明を行い、また本研究の目的および本論文の構成について述べている。

 第2章「車両のモデル化手法」では、車両運動解析の基本となるモデル化について、平面内の2自由度運動を記述する二輪モデル、サスペンションの影響を検討するロール軸、ロールセンタを有するモデルを導出している。またサスペンションのモデル化において、従来から存在するロール軸を使用したモデル化では、車両に働くコーナリングフォースによって車体に生じる上下運動であるジャッキアップ特性を正しく記述できず、新しいロール方向モデル、機構解析言語の使用が必要なことを示している。

 第3章「非線形サスペンション幾何学」では、上に述べた問題を解決するためにサスペンションのジオメトリに起因する車両の非線形なロール挙動について述べている。研究はサスペンションの幾何学的特性によるカテゴリー分けに始まり、それぞれのカテゴリーについて、ロールセンタなどのサスペンション幾何学特性がロール角、ジャッキアップに代表される非線形なロール挙動にどのような影響を与えるかをシミュレーションによって明らかにしている。ここで得られた知見は、前輪駆動車向け後輪サスペンションであるマルチリンクビームサスペンションの設計に適用され、生産車両の運動性能を向上させている。

 第4章「限界走行時の車両運動性能」では、自動車の動性能の評価方法について述べている。まず限界走行時の自動車の運動について検討を行い、限界時の走行では自動車の回転並進の2自由度運動がより複雑に連成する点、タイヤのコーナリングフォースが飽和する点、ドライバ自動車間の閉ループ系が車両に大きな影響を与える点により運動性能の評価が困難になることを指摘している。この指摘に基づき本論文では、f・r状態面という車両の前後タイヤスリップ角を使用する評価手法を提案し、f,rと車両のヨーレイト、操舵角、車体スリップ角等の関係に着目し、ドライバ自動車間の閉ループ系が存在する場合の車両運動について考察を加えている。また、サーキット走行実験を行い、この新しい状態面上の軌跡により閉ループ系を含めた車両の限界走行時の運動性能評価が可能であることを官能評価の結果との比較などを用い実験によって示している。

 第5章「非線形車両運動の制御」では、タイヤの摩擦力が飽和する限界領域の制御性能を向上させる方法について検討している。一般に車両の制御においてタイヤの摩擦力が失われると制御が困難になるが、この現象を可制御性の面からを数学的に考察し、タイヤ力飽和の非線形をモデルに有する制御則をスライディングモード制御をはじめとした非線形制御理論により制御成績を高めることを検討している。制御則の導出にあたっては、可制御性が失われる状態の目標設定方法に第4章の結果を用いスライディング制御の切り替え面を可変にする制御則を提案している。これらの制御によって限界領域の車両運動性能が向上することを四輪操舵、制駆動力によるヨーモーメント制御について示している。さらにパラメータが不確かな場合の制御成績について、適応則の有無、制御ゲイン量の効果について検討している。また上記の制御などでは制御状態量として車体スリップ角を必要とするが、それを精度よく推定する手法として適応型のオブザーバを提案している。このオブザーバについてが路面の摩擦係数の変化などに対して安定した高精度の推定が可能であることを実験結果を用いて示している。

 第6章「車両運動設計法」では、車両の非線形領域までを考慮に入れた車両運動ならびにサスペンションの設計方法について述べている。ここではタイヤの発生力を決定するパラメータに着目し、さらに第3,4章で得られた結果を用いることで線形非線形両方の領域運動性能を最適化させるサスペンションの設計方法が提案されている。この設計手法が実際のサスペンション設計において有効であることをマルチリンクビームサスペンションの設計を例に示している。さらに制御サスペンションが標準的に適用された場合についてサスペンション設計がどのように変化するかについて考察を加えている。

 第7章「結論」では、以上の結果を総括している。

 以上を要するに、本研究は自動車が非線形領域にある場合の車両の横方向運動の解明に寄与するとともに、サスペンション、制御則の設計を通してこれらを解決する方法を示している。またその結果は実際の生産車両の安全向上を通して社会に還元されているに留まらず、それを実現する設計技術向上にも貢献している。そして、非線形な車両運動についてそれを決定づける主要な因子であるシステム飽和、幾何学、機械人間系、制御理論について深い考察を与えている。以上の様に本研究で得られた知見は自動車工学、制御工学及び機械工学に寄与するところが大きい。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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