学位論文要旨



No 213699
著者(漢字) 桑原,英樹
著者(英字)
著者(カナ) クワハラ,ヒデキ
標題(和) ペロブスカイト型マンガン酸化物結晶における磁気伝導現象
標題(洋)
報告番号 213699
報告番号 乙13699
学位授与日 1998.02.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13699号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 十倉,好紀
 東京大学 教授 内田,慎一
 東京大学 教授 三浦,登
 東京大学 助教授 永長,直人
 東京大学 助教授 吉澤,英樹
内容要旨

 ペロブスカイト型酸化物は多様な物性-例えば、強誘電体・圧電体(BaTiO3,Pb(Zr,Ti)O3)、強磁性絶縁体(YTiO3)、強磁性金属((La,Sr)CoO3,(La,Sr)MnO3)、電極用金属(CaRuO3)など-を示し、古くから研究がなされてきた。さらに近年、ペロブスカイト型類似構造を持つ銅酸化物高温超伝導体の発見が契機となり、ペロブスカイト型酸化物全般が、いわゆる「強電子相関系」(電子間のCoulomb相互作用をあらわに考慮しなければならない系)という現代的な物性科学の視点から見直され、精力的に研究が行われている。

 最近、その中でもペロブスカイト型マンガン酸化物は磁場によって巨大な負の抵抗変化(巨大磁気抵抗効果、CMR効果とも呼ばれる)を示すことから、次々世代磁気記録ヘッドなどの電子素子応用および基礎科学両面から興味を集めている。ペロブスカイト型マンガン酸化物に関しては、古くから実験・理論両面から研究がなされており、ある程度の理解は進んでいるものの、その巨大磁気抵抗効果の発現機構を知るまでには至っていない。また現在盛んに行われてきているマンガン酸化物の研究も、その多くは薄膜やセラミックス焼結体試料によるものであり、これらは結晶粒界による伝導電子の散乱などの問題によって、マンガン酸化物の本来の電子状態や伝導現象を議論することが困難である。

 本論文では、この巨大磁気抵抗を示すペロブスカイト型マンガン酸化物を研究対象とし、上記粒界散乱の問題を避けるために、浮遊帯域溶融法(Floating Zone(FZ)法)により良質の結晶試料を作製し、その電子物性を研究した。特に巨大磁気抵抗効果の起源を明らかにするために、種々の電子論的パラメーター(1電子バンド幅、バンドフィリング等)を非常に精密に変化させた一連の結晶試料を作製し、系統的に磁気伝導現象を研究した。また、良く知られているスピン-電荷結合(Hund結合)だけでなく、今まで強く意識されていなかった格子あるいは軌道の自由度との結合に着目し検討を行った。さらに外場効果としては磁場以外に、圧力効果に関しても実験を行った。その結果以下のことが明らかとなった。

1.Bサイト置換効果

 2重交換相互作用による強磁性金属相が現れる典型物質であるLa1-xSrxMnO3(x=0.30)結晶を母物質とし、Bサイト(Mnサイト)を磁気的性質が異なる他の元素で置換することによって、Mnサイト間の磁気的長距離秩序を崩し、その磁気伝導の変化を調べた。置換量による変化を検討した結果、置換量の増加に伴い、強磁性転移温度Tcの減少が見られた。これは伝導を担うMnサイトが不純物で置換されたことによりeg電子のトランスファーが減少したことによる。また、Tcの減少に伴い磁気抵抗(MR)値の増加が見られた。

 さらに約10-20%程度のBサイト置換によって、比較的大きな磁気抵抗効果をTcよりも低温の広い温度範囲で動作させることに成功した。これは母物質では得られなかったもので、Bサイト置換によって人為的に単結晶試料を多結晶体的に小さなグレインに区切ることによって、積極的にグレイン間の散乱を増加させ、それを利用したものである。

 また低温では、磁気抵抗効果を比較的低い磁場(〜0.1T)で動作させることができた。これは零磁場中ではランダムな方向を向いている各グレインのスピンが比較的低磁場で強磁性的に揃うことに起因していると考えられる。つまりグレイン間の粒界をトンネル障壁とする強磁性トンネル接合に起因するスピン分極トンネル磁気抵抗効果(TMR)の現れではないかと考えられる。

 置換元素種による違いに着目すると、3d遷移金属ではどの元素もほぼ同様の効果を示した。Ti元素だけ例外的に大きな変化を示したが、これは実効的なホール濃度の減少が原因であると考えられる。

2.電荷整列相転移と磁場融解現象

 Nd1-xSrxMnO3(x=0.50)結晶において、電荷整列相転移を発見し、温度および磁場をパラメーターとして変化させ物性測定を行い、電荷整列現象の電気的・磁気的・結晶学的な性質を明らかにした。電荷整列相転移に伴い、強磁性金属がCEタイプの反強磁性絶縁体になることが分かった。またこの電荷整列相転移が格子定数の不連続な変化を伴った1次転移であることをX線構造解析により明らかにした。

 さらに電荷整列相は温度以外のパラメーターである磁場の印加によっても転移させることができることを実験的に示した。つまり磁場の印加によって電荷整列相は壊され、反強磁性絶縁体から強磁性金属に転移した。この相転移を磁気抵抗の観点からみると、低温ではMR値が106にも及ぶ非常に巨大な磁気抵抗効果を示すことになる。また、この電荷整列相の磁場融解による巨大磁気抵抗効果が結晶構造変化を伴っていることを歪みゲージによる測定によって明らかにした。

 これら磁気伝導測定を基にして、磁場-温度平面上に、電荷整列反強磁性絶縁体相-強磁性金属相の相境界を電子相図としてまとめた。磁場-温度平面上の電子相図において1次相転移に起因するヒステリシス領域が低温において著しく増大することを見出し、これを準安定相から絶対安定相への熱的励起の抑制によって解釈し、さらに液滴モデルによって半定量的に説明した。この特徴的な電子相図から低温での準安定相の拡がりを利用し、磁場-温度平面内での掃引経路を選ぶことによって、金属-絶縁体-金属のリエントラント相転移が見られることを具体的に示した。

3.バンド幅制御によるスピン-電荷-格子結合物性

 電荷整列相転移を示すNd1/2Sr1/2MnO3結晶を起点として、Aサイトイオンの組み合わせを変化させることによって、1電子バンド幅を精密に制御した一連の結晶試料を作製し、スピン-電荷-格子の各自由度が強く結合することによって引き起こされる多様な物性を明らかにした。

 2重交換による強磁性相互作用と電荷整列反強磁性相互作用が拮抗する(Nd1-ySmy)1/2Sr1/2MnO3系において、低温で過冷却状態にある準安定な強磁性金属相を発見した。準安定強磁性金属相は外部圧力の印加により絶対安定な電荷整列相に相転移させることができた。この準安定相がみせる異常な逆圧力効果(絶縁体-金属相転移)は等温磁気抵抗測定から導出された磁場-温度平面上の電子相図の系統的な変化よって定性的に理解された。また、組成-温度平面上の電子相図と圧力-温度平面上の電子相図を比較することにより、外部圧力と組成変化(化学圧力)が良くスケールすることを明らかにした。

 さらに、1電子バンド幅の減少によってTcが低下し、それとともに強磁性転移ともなう電気抵抗の減少が通常の2次転移的な緩やかな振舞いから、結晶格子変形を伴った1次相転移的な急峻な変化に徐々に移行していく様子を系統的実験データによって示した。またこのバンド幅減少にともなう電気伝導の変化の起源として、磁気的性質がCurie-Weiss則に従う通常の強磁性相転移から徐々にずれて、Tc以上で反強磁性的な揺らぎ(電荷・軌道整列不安定性)が顕著になることを見出した。バンド幅の狭い典型的な(Nd1-ySmy)1/2Sr1/2MnO3(y=0.94)結晶において、上記の反強磁性的な揺らぎを利用することによって、Tc直上(115K)で比較的低磁場(〜0.5T)で3桁以上もの巨大なMR値を得ることに成功した。

4.バンドフィリング制御による電子相図と異方的伝導

 バンド幅と同様に重要な制御パラメーターであるバンドフィリングを制御したNd1-xSrxMnO3結晶を作製し、その電子相図を決定した。電子相図の特徴としてCEタイプの電荷整列反強磁性絶縁体相がx=0.50のごく近傍(x=±0.02)にしか存在せず、キャリアーのcommensurabilityに敏感であること。またCEタイプの電荷整列反強磁性絶縁体相を除くと、磁気構造変化は強磁性F相→Aタイプ層状反強磁性相→Cタイプストライプ状反強磁性相と変化することを明らかにした。この磁気構造変化は理論的予想を裏づけるものである。

 さらにAタイプ層状反強磁性相を示すx=0.55結晶に対して精密な結晶方位出しを行い、反強磁性結合した方向と強磁性面内の両方向の試料を準備し、その異方的電気伝導を測定した。その結果、強磁性面内では金属的であり、反強磁性結合方向で絶縁体的であることが明らかとなった。反強磁性結合した方向と強磁性面内との異方性は、最低温(30mK)において約104に達することが分かった。また、希釈冷凍機温度までの電気抵抗の温度依存性測定によって、x=0.55結晶の基底状態が異方的3次元金属であることを示した。結晶構造が擬立方晶にもかかわらず観測されたこの大きな異方性は、x2-y2の軌道整列効果によって、ほとんど一方向にスピン偏極したキャリアが強磁性面内に磁気的に閉じこめられていることを示唆ものであると考えられる。さらにこのAタイプ反強磁性相の広い温度範囲において、比較的大きな負の磁気抵抗効果(例えば4.2Kにおいて、c(0)/c(H)〜10)が観測された。

 このように本研究では、電子論的パラメーター(1電子バンド幅、バンドフィリング)を精密に制御することによって、磁場のような小さなエネルギースケールを持つ示強変数によっても、構造相転移や比較的高温での絶縁体-金属転移を制御可能であることを実験的に明らかにした。また、その新規な磁気伝導機能の発現には「スピン-電荷-格子(軌道)」各系の自由度の間の強い結合が重要な役割を担っていると考えられる。

審査要旨

 本論文は「ペロブスカイト型マンガン酸化物結晶における磁気伝導現象」と題し、マンガン酸化物系の磁場誘起電子物性の実験的研究成果をまとめている。近年、銅酸化物高温超伝導体の発見が契機となり、ペロブスカイト型酸化物全般が、いわゆる強電子相関系という現代的な物性科学の視点から見直され精力的に研究が行われている。最近、その中でもペロブスカイト型マンガン酸化物は磁場によって巨大な負の磁気抵抗効果(CMR効果)を示すことから、電子素子応用および基礎科学両面から関心を集めている。マンガン酸化物に関しても、現在までに実験・理論両面から多くの研究がなされているが、従来の単純な2重交換模型だけではCMR効果が理解できない点が指摘されている。本研究では、浮遊帯域溶融法により良質の結晶試料を作製し、その電子物性を精密に測定することによって、従来の粒界散乱の問題を避け、本質的な電子物性を議論している。特にCMR効果の起源を明らかにするために、種々の電子論的パラメーター(1電子バンド幅、バンドフィリング等)が非常に精密に制御された一連の結晶試料を作製することによって、系統的な磁気伝導現象が検討されている。これらは強電子相関の物理の理解を進めるともに磁気センサーなどの応用上の要請に答えるものである。また、2重交換模型に現われるスピン-電荷結合(Hund結合)だけでなく、格子あるいは軌道の自由度との結合の検討も行われている。さらに応用上重要となる外場効果としては磁場以外に、圧力効果に関しても検討がなされている。

 本論文は7章から構成されている。

 第1章は、序論であり、実験背景およびマンガン酸化物の基礎物性について要約し、さらに本論への導入として本研究の実験的アプローチの指針となる電子物性の制御パラメーターについて説明している。

 第2章は、実験方法であり、ペロブスカイト型マンガン酸化物結晶の成長方法と結晶の種々の評価方法、実験データの中心をなす磁気伝導の測定方法について記述している。

 第3章では、典型的な2重交換系と考えられている(La,Sr)MnO3結晶のMnサイト(Bサイト)を他の非磁性および磁性不純物で置換した時の磁気伝導を議論している。置換量・置換元素種の詳細な検討によって、比較的大きな磁気抵抗効果を強磁性転移温度よりも低温の広い温度範囲で動作させることに成功している。また、低温では巨大磁気抵抗効果が比較的低磁場で動作することを見出し、粒界をトンネル障壁とする強磁性トンネル接合に起因するスピン分極トンネル磁気抵抗効果(TMR)によって解釈している。これらは母物質では得られなかった特性で、Bサイト置換によって人為的にスピン依存散乱中心を導入するという磁気抵抗効果の新しい発現機構を示したものとして評価される。

 第4章では、本研究によって発見されたNd0.5Sr0.5MnO3結晶の電荷整列現象の磁気的・電気的性質、さらに結晶構造(軌道)の変化について記述し、ついで電荷整列に及ぼす磁場効果について議論している。論文提出者は電荷整列相の融解が反強磁性絶縁体から強磁性金属への転移であることを電気的磁気的測定から検証するだけでなく、相転移に伴う結晶構造変化をX線構造解析によって明らかにしている。またこの相転移が温度だけでなく磁場によっても誘起され、その1次相転移に起因する磁場ヒステリシスが低温で著しく増大することを発見している。また、熱励起効果による準安定相から絶対安定相への相転移を液滴モデルによって半定量的に解析し、1次相転移系の普遍的性質であることを明らかにしている。これらの成果は電荷整列現象の先駆的かつ標準的な結果として高く評価されている。

 第5章では、前章でその性質を明らかにした典型的な電荷整列物質であるNd0.5Sr0.5MnO3結晶を基準物質として、バンドフィリングを固定したまま、結晶構造の歪みを変化させることによって伝導電子のトランスファーを精密に制御し、その電子物性を調べた結果を議論している。論文提出者は、非常に正確に組成制御された一連の結晶試料を作製し、精密に電子物性を測定することによって、1電子バンド幅の関数として特徴的な全体の相図を得るとともに、相境界領域で結晶構造変化を伴った低磁場磁気抵抗現象を発見し、これが電荷整列反強磁性相互作用に起因していることを明らかにしている。現在このメカニズムは巨大磁気抵抗効果の原因の一つとして注目されている。

 第6章では、バンドフィリングを変化させたNd1-xSrxMnO3結晶に着目し、その電子・磁気・結晶構造相図を決定している。現在までに結晶試料によるバンドフィリング変化が系統的に行われている系は皆無と思われるが、上記Nd系が広い範囲で結晶試料のフィリング制御が可能であることを本研究により明らかにしている。得られた磁気相図は標準的実験結果として最近の理論計算に引用されるなど評価されている。また、ある特定の組成で現れる層状反強磁性相の異方性を調べ、反強磁性結合した方向と強磁性面内とで電気抵抗に著しい異方性があることを見出した。これは、軌道整列効果によってほとんど一方向にスピン偏極したキャリアが強磁性面内に磁気的に閉じこめられていることを示唆する重要な結果と考えられる。

 第7章は、総括であり、各章で得られた結果をまとめ、本論文で得られた成果を要約している。

 以上を要約すると、本研究では、電子論的パラメーター(1電子バンド幅、バンドフィリング)を精密に制御することによって、磁場のような小さなエネルギースケールを持つ示強変数によっても、構造相転移や比較的高温での絶縁体-金属転移を制御可能であることを実験的に明らかにした。また、その新規な磁気伝導機能の発現には「スピン-電荷-格子(軌道)」各系の自由度の間の強い結合が重要な役割を担っていることを示した。これらの成果は、強電子相関系の物理の理解を進めるとともに、高感度の磁気センサーや磁気抵抗(MR)ヘッドなのど応用開発上、有効な手段を提供するものであり物理工学に寄与するところが大きい。よって本論文は、博士(工学)の学位申請論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54045