学位論文要旨



No 213701
著者(漢字) 小林,規矩夫
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,キクオ
標題(和) 土壌細菌による4-chlorobiphenylの分解と脱ハロゲン化に関する研究
標題(洋)
報告番号 213701
報告番号 乙13701
学位授与日 1998.02.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第13701号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 教授 佐藤,能雅
 東京大学 助教授 遠藤,泰之
 東京大学 助教授 樋口,恒彦
内容要旨 1.はじめに

 PCBやDDTなどに代表される有機塩素系化合物は、天然には希なC-Cl結合を含む人工化合物であることから、一般に難分解性であるとされてきた。土壌中での分解は、主に微生物に依存しているので、有機塩素系化合物の分解性は、C-Cl結合をより早い段階で切断できる酵素系を持つ微生物の存在、またその分布と密度に密接にかかわりがあると考えられている。本研究は、代表的な難分解性の有機塩素系化合物であるPCBをターゲットにして、PCB分解菌の簡便なスクリーニング法の組み立てを手始めに、土壌細菌によるPCBの無機化とその分解過程についての知見を得ることを目的に実施した。

2.基本方針

 PCBのうちで最も塩素数の少ないコンジェナーの一つ、4-クロロビフェニル(4-CB)を分解する土壌細菌を探索し、分離株のPCB分解能を評価する一連の方法を組み立てる。ついで、4-CBの分解過程を明らかにするとともに、土壌細菌による4-CBの無機化を検討する。有機塩素系化合物の分解過程のうちで脱ハロゲン化が最大の焦点であることから、脱ハロゲン化のメカニズムを明らかにする。

3.4-CB分解菌のスクリーニングと分解株の特徴

 4-CBを4-クロロ安息香酸(4-CBA)へと分解する土壌細菌のスクリーニング法を確立した。畑、水田、一般家庭の庭などの土壌からビフェニル資化菌65株を分離したが、HPLCを用いたスクリーニングの結果、ビフェニル資化菌の95%にあたる62株が4-CB分解菌であった。代謝物を分析した結果、分離株は例外なく培地中に遷移的な黄色を伴って4-CBAを産生した。分離株Bacillus s p.TH1171株による4-CBから4-CBAへの変換率は80%に達し、培養液からは無色針状結晶が得られ、融点とマススペクトルは4-CBAの標品と一致した。4-CBの黄色代謝物はマススペクトルから2-hydroxy-6-oxo-6-(4-chlorophenyl)hexa-2,4-dienoic acidと決定された。これらのことからTH1171株による4-CBから4-CBAへの分解はFig.1に示す経路が考えられた。

Fig.1 Proposed pathway of 4-CB degradation by strain TH1171

 GC-MSを用いてTH1171株のPCB分解能をカネクロールKC-200について調べたところ、24時間の培養で2-、3-クロロビフェニルと4-CBは完全に消失した。2,2’-、2,3’-、2,4’-ジクロロビフェニルと2,4-、2,5-、2,6-ジクロロビフェニルは、モノおよびジクロロ安息香酸へとそれぞれ変換された。2,2’-、2,3’-、2,4’-ジクロロビフェニルが分解されたことは、TH1171株がPCBコンジェナーのクロロフェニル部分を分解したことを示す。

4.4-CBA分解菌の単離と4-CBの全分解

 4-CB分解菌TH1171株を分離した同じ土壌から4-CBAを資化するAcinetobacter sp.ST-1株を分離した。ST-1株は4-CBAを完全に無機化する。すなわち振とう培養すると4-CBAが消失し、4-CBA初期濃度に相当する溶存有機炭素の減少が見られ、等モルの塩化物イオンが遊離した。ST-1株は分解過程の第1段階で4-CBAを加水分解的に脱ハロゲン化して4-ヒドロキシ安息香酸(4-HBA)を生成する。すなわち、この脱ハロゲン化には分子状酸素が必須ではないことが明らかである。4-HBAと共に、微量のプロトカテキュ酸(PCA)が検出されたが、好気条件下では4-HBAはPCAを経て無機化される。

 ST-1株による4-CBAの分解過程をFig.2に示した。

Fig.2 Proposed total biodegradation pathway of 4-CBA by strain ST-1

 培養中の紫外部吸収スペクトルの変化から、ST-1株はPCAを酸化し、ベンゼン環の開裂した-カルボキシ-cis,cis-ムコン酸を一時的に生成することが明らかとなった。また、ST-1株の無細胞抽出液によりPCAは-ケトアジピン酸に変換されたが、これはPCAがオルト開裂のあと、-ケトアジピン酸経路で分解されることを立証したものである。

 次に、4-CB分解菌TH1171株とST-1株の両者を用いて4-CBの全分解を試みた。すなわち、リン酸緩衝液中でTH1171株と4-CBを培養すると89%の変換率で4-CBAが蓄積され、TH1171株を除菌した濾液にST-1株を加えて培養を続けたところ、4-CBAの99%以上が消失し、これに対応する理論量の塩化物イオンが遊離した。これは4-CB分解菌TH1171株と4-CBA分解菌ST-1株の2段階の培養で4-CBが全分解・無機化されたことを意味する。

5.ST-1株による4-CBAの加水分解的脱ハロゲン化過程

 ST-1株は嫌気・好気いずれの条件下でも4-CBAを脱ハロゲン化することから、この脱ハロゲン化はオキシゲナーゼによるものでなく、酵素による加水分解的なプロセスが示唆された。そこで、培養菌体を4-CBAとH218Oの存在下、窒素気流中で培養したところ、生成した4-HBAのC4ヒドロキシ基は分子状酸素に由来するものでなく、H218O由来のものであった。すなわち、GC-MSで測定した結果、4-HBAのC4ヒドロキシ基の80%が18Oでラベルされており、この脱ハロゲン化が加水分解によるものであることが立証された。

 脱ハロゲン化の基質選択性を4-CBA同族体とジクロロ安息香酸で調べたところ、4-プロモ安息香酸と4-ヨード安息香酸は脱ハロゲン化されて4-HBAを与えたが、4-フルオロ安息香酸、2-、3-クロロ安息香酸、2,4-、3,4-、3,5-ジクロロ安息香酸は4日間の培養期間では脱ハロゲン化されず、ST-1株の脱ハロゲン化酵素は高い基質特異性を有していることが示唆された。

6.4-CBA脱ハロゲン化へのCoAとATPの関与

 増殖菌体とは異なり、ST-1株の無細胞抽出液は4-CBAを脱ハロゲン化することができず、デハロゲナーゼが菌体外では不安定かと疑われた。しかし、ATPとCoAの両者を加えると無細胞抽出液は4-CBAを脱ハロゲン化し、このいずれかを除くと脱ハロゲン化活性は認められなかった。また、2価の金属イオン(Mg、Mn、Zn,Co)の添加は脱ハロゲン化生成物の4-CBAの生成を2.5〜3倍増加させ、ATP、CoA、Mg2+を反応液に加えると、4-CBAから4-HBAへの変換率は91%に達した。CoAの添加量は4-CBAに対してモル比0.5でも反応は90%以上も進み、化学量論的に見てCoAは中間体である4-CBAのCoAチオエステルの生成に一種の触媒として関与したことが示唆された。一方、ATPがモル比で4-CBAの2倍以上を必要としたが、その理由はCoAチオエステルの生成の際のエネルギー要求とATPaseの関与が考えられた。

7.4-CBA分解経路と安息香酸分解経路のリンク

 バクテリアの酵素系は、その対象となる基質の幅が広いと一般的には考えられているが、分解可能な化合物の近縁のものを分解できない例がある。そこで増殖菌体と無細胞抽出液を用いて、安息香酸(BA)のST-1株による代謝を検討した。4-CBAで増殖させた細胞から調製した無細胞抽出液にはカテコールの分解活性は無かったが、BAで増殖させた細胞から調製した無細胞抽出液はカテコールを分解し、cis,cis-ムコン酸と-ケトアジピン酸を生成した。これらの結果は、BAと4-CABの代謝が共通の中間代謝物の-ケトアジピン酸まで異なった経路で進むこと、また、BAがカテコール1,2-ジオキシゲナーゼを誘導することを示している。それゆえ、ST-1株はBAをカテコール経由でcis,cis-ムコン酸と-ケトアジピン酸に分解することが示唆された。ST-1株によるBAと4-CBAの代謝経路は、ベンゼン環開裂前の中間体がBAの場合がカテコール、4-CBAの場合がPCAと異なるものの、両者の経路が-ケトアジピン酸の生成でリンクしていて、その後は-ケトアジピン酸経路に沿って進むことが示唆された。

8.まとめ

 本研究をまとめると、第一に4-CB分解菌のスクリーニング法を組み立て、探索の結果、4-CB分解菌が土壌中に広く分布していることが示唆された。また4-CB分解株のPCB分解能はGC-MSを用いて容易に評価することができた。第二に、4-CB分解菌を分離した同じ土壌から4-CBA分解菌を分離し、両者を組み合わせることにより、4-CBの全分解に成功した。

 第三に、ST-1株による4-CBAの脱ハロゲン化のメカニズムが、好気、嫌気いずれの条件下でも進む加水分解的プロセスであることを明らかにした。また、この脱ハロゲン化には、CoAとATPの関与が必要であった。第四に、PCAのオルト開裂を経て4-CBAを無機化するST-1株が、一方で安息香酸をカテコール経由でベンゼン環を開裂させ、両者の分解経路が共通する中間代謝物-ケトアジピン酸の生成でリンクしていることも明らかにした。

審査要旨

 この論文は、PCBやDDTのようなC-Cl結合を含む有害な化合物で汚染された環境の浄化を目的として、このような化合物を分解するような土壌菌を探索した研究をまとめたものである。モデル化合物として4-クロロビフェニル(4-CB)を選び、分解物はGC-MSで検出した。最初に4-CB分解菌のスクリーニング方法を述べている。ついで、スキームに示すような経路で4-CBを4-クロロ安息香酸(4-CBA)に変換するBacillus属の菌TH1171株と4-CBAをプロトカテキュ酸(PAC)以下に代謝するAcinetobacter属の菌ST-1株の土壌よりの分離について解説している。この二種類の菌を組み合わせることにより、培地に添加した4-CBの99%以上が消失し、ほぼ理論量の塩化物イオンが遊離することが明らかになった。また、分解中間産物の分析により、スキームに提唱したような経路の存在が予測された。

スキーム1スキーム2

 一方、4-CBAの脱ハロゲン化の反応を詳しく解析した。まずST-1株による4-CABの脱ハロゲン化の特異性を検討した結果、BrおよびIはCl同様脱ハロゲン化を受けるがFの入ったものは分解されないことが分かった。また4-CBAの脱ハロゲン化が嫌気的条件でも進行することから、この反応はオキシゲナーゼによるのではなく、加水分解によっている可能性が考えられた。そこで、ST-1株を4-CBAと共にH218O中で培養したところ、生ずる4-HBAのヒドロキシル基の80%が18Oでラベルされることが分かり、脱ハロゲン化が加水分解により起きていることが証明された。また、この菌の抽出液を使ってデハロゲナーゼの性質を検討した結果、この反応にはATP、CoA、マグネシウムが必須であることが示された。したがって、まずATP依存に4-CBAがCoAとチオエステルを形成する可能性が指摘された。

 以上、この研究はPCBのような環境を汚染する有機塩素系化合物の微生物分解に手がかりを与えたもので、環境衛生学の進展に寄与すると考えられ、博士(薬学)の学位に相当すると判断した。

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