学位論文要旨



No 213705
著者(漢字) 池谷,文夫
著者(英字)
著者(カナ) イケヤ,フミオ
標題(和) 13・14世紀ドイツの政治と政治思想 : 大空位時代から『金印勅書』の成立まで
標題(洋)
報告番号 213705
報告番号 乙13705
学位授与日 1998.02.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第13705号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 高山,博
 東京大学 教授 五味,文彦
 東京大学 教授 樺山,紘一
 東京大学 助教授 相沢,隆
 東京大学 助教授 甚野,尚志
内容要旨

 大空位時代以後『金印勅書』の成立までの一世紀間の「ドイツ帝国」を舞台に,皇帝権と教皇権の闘争,皇帝権と帝国の解釈をめぐる論争が展開された。普遍的権力に関して西方世界に共通した政治理論が,教皇庁や教会学者あるいは「非ドイツ人」著作者によって論じられる一方で,その渦中に生き,著作をした「ドイツ人」教会学者や著作者も数多い。本論文の諸章は,12世紀の教権支配論の成立に始まり,それに基づく13世紀以降の教皇庁の帝権移転論の展開と,皇帝・帝国側の対応とを,大空位時代から,中世後期のドイツ国制の基本法となる『金印勅書』の成立に至るまでの時代において考察する。政治史の検証並びに,著作者たちの諸著作の批判的な検討を行い,著作の内容・論理に即して,彼らの政治思想を歴史の文脈の中で吟味し,評価するものである。

 本論文は二部に分かれる。6章からなる第I部では,13・14世紀の皇帝権と教皇権の基本的理論を究明し,とりわけこの時代の著作者であるロエスのアレクサンダー,アドモントのエンゲルベルト,メーゲンベルクのコンラートの帝権論,なかんづくオッカムのウィリアムの政治著作の分析・検討を行った。5章からなる第II部では,皇帝ルートヴィヒ4世とアヴィニョン教皇庁の闘争の政治史を検証し,それに加えて,主としてドイツ人著作者・年代記作者たちの諸著作の検討から,彼らが「ドイツ王国」「ドイツ王権」「ローマ人の王権」「ローマ人の王国」「皇帝権」「帝国」を厳密に把握しようとする志向と,その具体的な現れを解明する。最後にベーベンブルクのルーポルトの帝国論とオッカムのウィリアムの選挙帝権論を対比しつつ,13・14世紀ドイツの政治と政治思想の特質を考察する。

 叙任権闘争後の「ヴォルムス体制」の下でドイツ国制は変化し,12世紀以降の教皇権力論・教権支配論の成立に至った。教皇インノケンティウス3世からボニファティウス8世までの歴代教皇が整備した,教皇の「絶対権力(plenitudo potestatis)」に基づく一元的世界支配論は,具体的には複数の権利要求として提示されたが,なかでも「帝権移転(translatio imperii)」権が濃厚な実現可能性を有したことが史料より解明される。教皇インノケンティウス4世の教勅『Eger cui lenia』ならびにルッカのトロメオの著作『帝国の裁治権に関する簡約論』の分析から,帝権移転論が教皇の個別的権利要求の一つにとどまらず,13世紀教皇庁の教皇絶対権力論そのものであったことを解明した。

 13世紀に確立した教皇庁の帝権移転論に対して,著作『覚書』『世界知識』で,ローマ帝国以来の伝統に立つドイツ帝権の優越とその使命を歴史的に論じたロエスのアレクサンダーは,新たに台頭したフランス王権の現在の強勢を歴史構造に組込んで,帝権(ドイツ)・教権(イタリア)・学権(フランス)の三権共立論を提示した。他方『政体論』『帝国論』でアドモントのエンゲルベルトは,自然論的・宇宙論的に生成した正当な国家支配の系譜においてローマ帝権を論じた。この両者はそれぞれ,ドイツにおける歴史的な帝権解釈と,アリストテレス=トマス流の自然法的な王権・帝権解釈という二つの潮流を代表する。

 この両論法の総合を目指して,キリストに先在するローマ帝権の継承者である現在のドイツ帝権を擁護し,アリストテレスのいう共通善を基準とした政治体制の功利性に基づく,一人支配としての王政=帝政を推奨したのがオッカムのウィリアムである。オッカムの「政治著作(Opera politica)」中の『対話篇第三部』『教皇権力に関する八提題』『教皇専制支配小論』から,1330年代の政治情勢の下で,彼が皇帝ルートヴィヒ4世の帝権の正統性をいかに論証したかを,ローマ帝権論と教権支配論への反駁とを両軸として解明した。

 教会的統治権力論においてオッカムは,聖俗両領域それぞれに一人の最高支配者が存在すべしという命題に立脚し,キリストの定めによる啓示的真理であるペテロ=教皇の職務と,キリストの降誕に先在し,歴史的真理として神より認められた異教的世界帝国たるローマ帝権と,自然法に基づくアリストテレス的なポリス社会観念とを,教会統治の大系へ調和総合させようとした。彼は「教皇至上権」に拠る専制支配を明確に拒否し,信者社会の「共通善」「有益性」「必要性」を志向する穏健中庸な「教皇王政」を主張した。

 オッカムは更に,法の支配の下における一人支配=王政を,共通善の実現,善人の保護,悪人の抑制・矯正のための最良政体とする。かくしてオッカムの政治論を,その政治著作を素材として究明し,トマス・アクィナスやパリのヨハネス,アンコナのアウグスティヌス・トリウンフス,パドヴァのマルシリオの国家論・社会論・政治論を視野に入れて比較考察することにより,彼の政治論を14世紀という時代にあらためて位置づけ評価した。

 14世紀半ば,メーゲンベルクのコンラートは,貧困が騎士身分と世界秩序の存続を危機に陥らせるとの認識に立って,ローマ帝国の兵士と現在の騎士を等置して,公共の安寧のために活動する騎士及びその指揮者としての皇帝による,世界の安定の維持・促進を強調した。彼の生涯と著作『Monastica』『Yconomica』を検討した。伝統的な教皇と皇帝の協調による世界秩序の安定,教皇の皇帝選挙や戴冠への関与という彼の所論は,両権力の共存・相互協力という点では,彼が批判したオッカムの帝権論の基調でもあった。

 regnum(狭義の帝国)とimperium(広義の帝国)の概念確定をめぐる紛争は,皇帝と教皇の闘争にとどまらず,ドイツ内の皇帝派と諸侯派(帝国派)の対立を含んで展開した。1256年の大空位時代の始まりから1356年の『金印勅書』の成立に至るドイツ帝国の変化の過程の中で,特に14世紀前半期の政治と政治思想の状況を,『レンス判告』と帝国法『リケット・ユーリス』並びに皇帝命令書『フィデム・カトリカム』の分析と,法制史・国制史との接点に立つ考察から明らかにした。

 1330年代に行われたルートヴィヒ4世とアヴィニョン教皇庁の和解交渉に関して,1336年の交渉に特に考察の焦点を当てた。ルートヴィヒ4世が使節に与えた教会戒律上の問題に関する交渉文書と,政治問題に関する交渉文書との2種類の代理使節交渉文書の内容の分析の結果,交渉当事者双方の姿勢や主張・要求が徐々にその重心を変化させつつ,国制上の争点をついに克服できず,皇帝権と帝国法に関しての問題解決に至らなかった経過を明らかにした。この交渉で主張された,「選出されたローマ人の王は皇帝戴冠なくして帝国を完全統治する」という原則が,教皇世界支配権に抗して貫徹し,「ドイツ皇帝」(=王帝)による帝国の完全統治が,「ローマ人の王(rex Romanorum)」と「皇帝(imperator)」との矛盾を解決して最終的に『金印勅書』で帝国基本法上に確定する道を開いたといえる。

 中世後期のドイツ帝国史の「特殊性」,国王選挙原理の確立過程,「国王と帝国」をめぐる現在の研究状況の検証に立脚し,13・14世紀の諸史料(国王選挙に関する公文書・年代記・法書・覚書等)がどれほど厳密に「ドイツ」と「帝国」,「ドイツ王」(あるいはローマ人の王)と「皇帝」を区別し,また,「選挙」と「選定」,「国王戴冠」と「皇帝戴冠」に関しても厳格な区別をいかに堅持し続けたかを検討した。『ザクセンシュピーゲル』から『金印勅書』に至るまでの選挙侯(「選帝侯」)の結晶化と多数決選挙原理の貫徹,ドイツ選挙王制の確立の過程に,従来主であった法制史・国制史的な探求では手薄だった,政治と政治思想の面からも検討を加えた。

 ベーベンブルクのルーポルトの生涯と著作に即して彼の政治思想を検討した。歴史的にドイツ帝国を論じ,ドイツ王の帝国支配権と世界皇帝の普遍支配とを峻別し,選挙侯団によるドイツ王の選挙を帝国国制上で完結的に論じた彼の所論を分析し,14世紀の政治思想史上に彼を位置づけた。所論の要点は,第一に,ローマ的世界帝権の直接の継承ではない,フランク=ドイツ的(カール大帝・オットー大帝に由来する)歴史的帝権の継承者としての現ドイツ帝権である。第二に,世界帝権の本質は教会保護権である。第三に,帝権移転は歴史上唯一度カール大帝に対して行われたが,事態の緊急性に基づき神の法によってなされ,主導者は教皇ではなくローマ人であり,移転前後でカールの支配領域に変化はない。つまり,ローマ人の王の支配領域はカール大帝のそれであり,後にはオットーのそれであった。そして移転後は「皇帝選出の過程」の正統性・完結性こそが確立されるべきものだった。即ち,ローマ人の王は,選挙侯の一致もしくは多数部分による選挙の後に,「王国かつ帝国」(イタリア及びその他の従属する諸地域を含むドイツ帝国)において,皇帝と同一の権力を有する。教皇による認可や審査は必要ない。

 オッカムの帝権論は,ローマ帝権の歴史的論証にとどまらず,封建諸侯体制の現実を加味し,トマス的政治論とローマ法及び教会法で補強し,神の法による神聖帝権と,人法・慣習法による世襲王権を結合する選挙帝政(王政)を高く評価する。ルーポルトの『王国かつ帝国の諸法論』に喚起されたオッカムが,ルーポルトの所論を批判的に考察し,また自己の選挙帝権論に有利に読換え・引証したことが,『八提題』の第4・8章から解明された。

 かくして,ドイツ帝権の歴史的な擁護論と並んで,国王=皇帝選挙の神聖性と完結性の実践的積重ねにより,新たな帝権移転は阻止され,教皇の介入なきドイツ帝国の国制の自律性が最終的に『金印勅書』で結実するに至った。

審査要旨

 池谷文夫氏の論文「13・14世紀ドイツの政治と政治思想-大空位時代から『金印勅書』の成立まで-」は、大空位時代から『金印勅書』の成立にいたる約一世紀間に、「ドイツ帝国」を舞台に展開された、皇帝権と教皇権の闘争、ならびに皇帝権と帝国についての解釈をめぐる論争についての歴史的解明をめざすものである。

 論文の第一部においては、教皇側が「教皇の絶対権力」論と「帝国移転」論に依拠して屈伏を求めたのにたいして、ドイツの理論家たちがさまざまな論拠に基づいて、これに反駁を加え世俗権・皇帝権の擁護を図った様相が、的確に描写されている。とりわけ、13・14世紀のドイツ政治史の展開に照応させて、理論の現実の有効性を解明し、教皇・皇帝関係をダイナミックな相互性のもとに分析した点は、きわめて説得的である。

 第二部においては、皇帝権問題をドイツ国制をめぐる論争のなかで捉え、皇帝権と帝国の関連をめぐる議論にあって、カール大帝以来の歴史的伝統への顧慮が重要な論点になっていることを論証した。こうした論点が、ドイツにおける教皇との政治的対抗関係のなかから生じたとする基本理解は、従来の研究の視角を大きく変更するものである。

 これまで、系統的に解明されることが少なかったロエスのアレクサンダー、アドモントのエンゲルベルト、メーゲンベルクのコンラート、そしてなかんずくオッカムのウィリアムらの理論著作を取り上げ、厳密な読解と解釈によって位置付けたことは、本論文の大きな功績である。わが国において、はじめて上述の問題圏に本格的に踏みこみ、欧米の研究史を広範に探査したうえで導きだした結論は、十分の説得力をもっている。ただし、その議論の運び方については、問題がないわけではない。個別に発表された諸論文を母体にして書きあらためられていることもあって、論脈が首尾一貫していない部分も散見され、論述の文体もときに難解で迅速な理解を妨げているきらいもなくはない。しかし、本論文が達成したドイツ中世政治思想史の系統的理解に鑑みるならば、このことは全体としての高い評価を覆すものではありえない。審査委員会は、以上のような考慮から、本論文が博士(文学)の学位を授与されるにふさわしいものと判断する。

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