学位論文要旨



No 213706
著者(漢字) 中田,良
著者(英字)
著者(カナ) ナカタ,リョウ
標題(和) 胃癌細胞株’JR-ST’の確立とその細胞増殖に及ぼす増殖因子の影響
標題(洋) Establishment of a gastric cancer cell line ’JR-ST’and effects of growth factor on the cell proliferation.
報告番号 213706
報告番号 乙13706
学位授与日 1998.02.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13706号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 幕内,雅敏
 東京大学 助教授 三木,一正
 東京大学 教授 上西,紀夫
 東京大学 助教授 名川,弘一
 東京大学 講師 針原,康
内容要旨 (緒言)

 近年日本においては胃癌は増加傾向にあるが、診断技術の進歩やスクリーニングシステムの確立により早期発見が可能となり生存率は増加している。しかしながら、既に他臓器に転移していたりあるいはいわゆるスキルスのように発見したときには既に進行癌であったりすると治療効果はほとんど期待できなくなる。現時点ではこれらの状況に有効な治療法はなく、新たな抗癌剤の開発や治療法の確立が期待される。そのためには、癌の発生、増殖のメカニズムの解明が必要でありそのための手段のひとつとして、種々の性格を持つ癌細胞株の確立とそれを用いた有力な実験システムの確立が重要と思われる。

 我々は、今回スキルス胃癌より分離されたヒト胃癌細胞株’JR-St’を確立した。さらに上皮増殖因子(EGF)により増殖が促進される特徴を利用し増殖因子による増殖作用を検討した。

(材料及び方法)

 脳転移を生じたスキルス胃癌の35歳女性より採取された脳脊髄液より分離された腫瘍細胞はMEM培養液にて継代された。単層に付着した細胞の単細胞培養を繰り返すことにより細胞株の確立を試みた。確立された細胞株に対して増殖時間、形態、染色体分析、腫瘍マーカー測定を実施した。さらにこの細胞株を用いて各種増殖因子(EGF,TGF-,IGF-1)に依る増殖刺激作用が検討された。増殖は細胞数のカウントをCoulter counterにて行う方法と[3H]-thymidineの取り込みをbeta counterにてカウントする方法で検討された。EGF受容体に関する検討は125I-hEGFを用いてScatchard解析により細胞あたりの受容体数の測定を行った。またtotal RNAをChomczynski法により分離しさらにmRNAを選択し、これに対して癌遺伝子c-fos,c-myc,erbB1,erbB2の発現をノーザンブロット法により検討した。

(結果)

 分離された細胞は印環輪細胞を有する低分化型腺癌で、カルチャープレートに付着し、単層に増殖した。約80代継代された後も安定的に約36時間のダブリングタイムで単層増殖を続け、この確立されたヒト胃癌細胞株は’JR-St’と命名された。PAS染色によりムチン顆粒を有することが確認され、細胞質内で核を圧排するほどに肥大化すると印環輪細胞を呈した。電子顕微鏡像では細胞表面に多数のmicrovilliを有することが確認された。染色体数は57から61までみられ平均59であった。’JR-St’は腫瘍マーカー’CEA’と’CA-19-9’の著明な産生を示したが、さらに単細胞の分離培養を繰り返すことにより、2種類のクローン細胞’JR-C’と’JR-E’が分離された。’JR-C’は’CEA’の産生が微量で’CA19-9’が著明である特徴を持ち、’JR-E’は’EGF’による増殖刺激作用に感受性が高い特徴を持つ。

 各種増殖因子による増殖刺激作用に関してはhEGF,TGF-,IGF-1に対する検討を行った。10ng/mlのhEGF下においてコントロールに比較し[3H]-thymidineの取り込みは約3倍であり細胞数においては1.35倍を示し,1ng/mlのTGF-下においては3H-thymidineの取り込みは約2倍を示したが、細胞数においては有意差を認めなかった。IGF-1による刺激は[3H]-thymidineの取り込みにおいても細胞数においてもなんら影響がなかった。

 EGFRアッセイのScachard解析により細胞あたりのEGFR数は約40,000個と算定された。

 ’JR-St’におけるEGFとTGF-によるDNA合成促進作用は[3H]-thymidineの取り込みの増加で証明されたが、実際に増殖因子添加後の経時的mRNAの抽出により、c-myc,c-fosの発現の増加と減少が示され、EGFとTGF-による増殖刺激作用がうらずけられた。c-erbB1とc-erbB2はEGFとTGF-とは無関係に発現が認められ特にc-erbB2の発現が多量に認められた。

(考案)

 これまでに、ヒト胃癌細胞株として確立されたものは他臓器癌細胞株と比較すると少ないが、この"JR-St"はスキルス胃癌より確立された印環輪細胞を持つ細胞株である。しかもこれまで報告されているスキルス胃癌細胞株がほとんど浮遊増殖を呈するのに比べ、"JR-St"は単層付着増殖をするという特徴を持ち、取り扱いや実験の安定性より、有用な実験系と思われる。今回、この細胞株の特徴を明らかにする目的で細胞の増殖能に関するいくつかに実験を行った。

 代表的な増殖因子として用いたEGFはこの細胞株に対し、増殖促進作用を示した。このことは胃癌の増殖作用を解明するうえで有用な細胞株であることを意味する。またEGFを加えることにより実際の細胞数の増加が確認されたが、同時に増殖の初期に観察されるc-mycやc-fosの発現の増加がEGFの添加後経時的に観察されたことは、EGFが’JR-St’に対し明らかな増殖作用を持つことを示す。このことはこの細胞株がEGFの作用を解明するうえで有用であると同時に癌化のメカニズムの解明にとっても興味深い。さらにこの細胞株の特徴として、EGFRの発現を示唆するc-erbB1の発現のみならず、その相似体ともいえる、しかしそのリガンドが明らかでないリセプターであるところのc-erbB2産生物の発現を示唆するc-erbB2の発現が量的にも著明であり、このことのほうが特徴的であるかもしれない。最近の研究ではc-erbB2の発現は胃癌における悪性度あるいは予後との関連を示す報告がなされており、この細胞株における発現が著明であることは、今後それらの研究において有力な細胞株であると考えられる。また一説にはEGFRとc-erbB2産生物はクロスリアクションするとも言われており、この細胞株に対するEGFの増殖刺激作用においてもEGFRを介したクロスリアクションが関与している可能性も検討する必要がある。それらの作用を明らかにすることは、癌化や癌の増殖のメカニズム解明にとっても重要であると思われ、そのための道具として’JR-St’は有用なヒト胃癌細胞株と考えられる。

(結語)

 ヒト胃癌細胞株’JR-St’を確立した。腫瘍マーカーCA19-9,CEAを多量に産生し安定的に単層付着増殖し、増殖因子EGFによる増殖刺激作用を受ける。EGFRの発現を示すとともに、それと交叉反応を示すと言われ悪性度との関連が予想されているc-erbB2産生蛋白(細胞表面レセプターと考えられている)の発現を示唆するc-erbB2の著明な発現を示す。それらの特徴より、’JR-St’は癌の発生、増殖のメカニズムを解明する上で有用な細胞株と考えられる。

審査要旨

 本研究はヒトの胃癌より細胞株を確立し、さらにその細胞が上皮増殖因子により細胞増殖が促進される特徴を利用しその増殖作用を検討したものであり、下記の結果を得ている。

 1.脳転移を生じたスキルス胃癌の35歳女性より採取された脳脊髄液より分離された腫瘍細胞はMEM培養液にて継代培養され、単層に付着する細胞株としても確立された。分離された細胞は印環輪細胞を有する低分化型腺癌で’JR-St’と命名された。電子顕微鏡像では細胞表面に多数のmicrovilliを有し、腫瘍マーカー’CEA’と’CA-19-9’の著明な産生が示された。

 2.さらにこの細胞株を用いて各種増殖因子(EGF,TGF-,IGF-1)に依る増殖刺激作用を検討した結果、10ng/mlのhEGF下においてコントロールに比較し[3H]-thymidineの取り込みは約3倍であり細胞数においては1.35倍の増殖を示し,1ng/mlのTGF-下においては[3H]-thymidineの取り込みは約2倍を示したが、細胞数においては有意差を認めなかった。IGF-1による刺激は[3H]-thymidineの取り込みにおいても細胞においても全く影響のないことが示された。

 3.EGF受容体に関する検討は[125I]-hEGFを用いたEGFRアッセイの結果、Scachard解析により細胞あたりのEGFR数は約40,000個と算定された。

 4.total RNAをChomczynski法により分離しさらにmRNAを選択し、これに対して癌遺伝子c-fos,c-myc,erbB1,erbB2の発現がノーザンブロット法により検討された。’JR-St’におけるEGFとTGF-によるDNA合成促進作用は[3H]-thymidineの取り込みの増加で証明されたが、実際に増殖因子添加後の経時的mRNAの抽出により、c-myc,c-fosのそれぞれに発現の経時的増加が示され、EGFとTGF-による増殖刺激作用が裏づけられた。c-erbB1とc-erbB2はEGFとTGF-とは無関係に発現が認められ、特にc-erbB2が多量に発現していた。

 以上、本論文はヒト胃癌細胞株を確立し、その性状を検討したものであるが、これまで確立されたスキルス胃癌細胞株は少なく、また単層付着培養が可能であるものの報告はほとんどない。この特徴は今後安定的な実験系を確立する上で非常に有用と思われる。また、この細胞株のEGFリセプターの存在を示し、またEGFによる細胞増殖作用が細胞数の増加とともにmRNA発現のレベルでも確認されたことは、発癌のメカニズム解明の実験系として、重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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