学位論文要旨



No 213707
著者(漢字) 荒戸,照世
著者(英字)
著者(カナ) アラト,テルヨ
標題(和) Na/K-ATPaseの新しいイオン輸送モデルの提唱
標題(洋) A Possible Model of Ion Transport by Na/K-ATPase
報告番号 213707
報告番号 乙13707
学位授与日 1998.02.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13707号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 脊山,洋右
 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 講師 平田,恭信
内容要旨

 動物細胞の細胞内K+濃度は細胞外よりも10〜20倍高く、Na+濃度についてはこの逆で細胞外よりも低く保たれている。こうした濃度差が維持されているのは、細胞膜にあるNa/K-ATPase(Na-ポンプ)が、電気化学的勾配に逆らってNa+を細胞外へK+を細胞内へ能動輸送するからであり、これによって、興奮性組織の膜電位の維持や、腎におけるNa+の再吸収などの重要な生理機能がつかさどられていることは周知のとおりである。Na/K-ATPaseは分子量110kDaの鎖と55kDaの鎖の二つのサブユニットから成る膜タンパク質で、鎖は膜を10回貫通しているとみなされており(N末端側からH1、H2…と呼ばれている)、Na+、K+およびATP等のリガンドの結合部位を有することから機能中心を持つと考えられている。一方、鎖は膜を1回貫通している糖タンパク質で、生合成の際鎖の"つなぎ止め蛋白質(anchor protein)"として機能していると考えられている。Na/K-ATPaseは、図1に示したように、E1、E2と呼ばれる二つのコンホメーションをとりながら、1個のATPの加水分解に共役して3個のNa+と2個のK+をそれぞれ能動輸送する。すなわち、ATPとNa+に親和性の高いE1は、この2つのリガンドと結合して高エネルギーリン酸化中間体3Na・E1〜Pとなり、これがエネルギーを放出してE2-Pになる時にNa+を細胞外に輸送する。次に、K+に高親和性のE2-Pが細胞外のK+と結合してできた2K・E2-Pが脱リン酸されE1に戻るときにK+を細胞内に輸送するわけである。各々のイオン輸送の途中ではイオンがATPase分子内部に閉じ込められた状態occluded formを経由すると考えられている。また、特異的阻害剤であるウワバインは細胞の外側からE2-Pに最も強く結合し、ATPaseのコンホメーションをウワバイン型に固定することによりATPase活性とNa+とK+の能動輸送を阻害することが知られている。このようにNa/K-ATPaseの酵素的性質やイオンポンプとしての反応速度論的機構についてはほぼ解明されてきたが、Na+とK+がどのような分子機構で輸送されるのかという肝心の点についてはいまだ不明な点が多い。

 抗生物質のひとつオリゴマイシンは3Na・E1〜PからE2-Pへの反応を止めることによってATPase活性を阻害すると考えられている。この薬剤はNa+の輸送反応を阻害するが、K+輸送反応には影響を与えない。また、Na/K-ATPaseに対するNa+の親和性を増大させ、Na+のoccluded formを安定化することが明らかにされている。しかしながら、オリゴマイシンがどのような機構でNa/K-ATPaseのNa+輸送にかかわる部分にのみ作用するかは明かではない。それゆえ、オリゴマイシンとNa/K-ATPaseとの相互作用を知ることによってイオンの輸送機構に関する有効な知見が得られると考え、この薬剤の作用機作についての検討をおこなった。

図1Na/K-ATPaseのイオン輸送機構[方法]

 Na/K-ATPaseは主に犬腎よりHayashiらの方法により精製した。ATPase活性はATPの加水分解によって遊離したリン酸をFiske-Subbarow法で定量することにより測定した。Na-Na、Na-K交換輸送反応は赤血球をもちいてGarrahanとGlynnの方法で、K-K交換輸送反応は赤血球ゴーストをもちいてSimonsの方法で測定した。イオン等のリガンドの結合はMatsuiとHomaredaによって開発された遠心法により測定した。リガンド存在下でのATPaseのトリプシン限定分解はJorgensenの方法にしたがっておこない、その分解パターンをSDS-PAGEにより観察した。

[結果]

 Na/K-ATPase活性、イオン輸送およびイオン結合量におよぼすオリゴマイシンの影響-オリゴマイシンのNa/K-ATPase活性やイオン輸送に対する作用については既に多くの報告がなされてきたが、結合部位についての情報は少ない。そこで、オリゴマイシンの特異的結合部位が単一であるか複数であるかを推定する目的で、ATPase活性、イオン輸送ならびにイオン結合にあたえるオリゴマイシンの効果を直接比較検討した。オリゴマイシンによるATPase活性の半阻害濃度()は2.2Mであった。また、この薬剤はNa-KおよびNa-Na交換輸送反応を各々=1.2Mおよび1.4Mで阻害したが、K-K交換輸送反応には影響を与えなかった。さらに、オリゴマイシンの添加によって、Na/K-ATPaseへのNa+結合は最大約6倍に増大したが、K+結合には影響がなかった。Na+の結合量を最大結合量の半分まで増大させるオリゴマイシン濃度()は4.5Mであった。オリゴマイシンによるATPase活性およびNa+輸送活性の阻害曲線ならびにNa+結合の促進曲線はすべて一相性であり、これらのならびにが近似した値を示したことから、この薬剤の特異的結合部位は反応速度論的に一種類であると考えられた。

 イオン結合の親和性にあたえるオリゴマイシンの影響-オリゴマイシン存在下、非存在下でのNa/K-ATPaseへのNa+結合の解離定数は各々150Mと500Mとなり、オリゴマイシンがNa+の親和性を増大させることが明らかになった。しかし、K+結合の解離定数はオリゴマイシン存在下で5.5M,非存在下で4.0Mとなり、この薬剤はK+の親和性には影響を与えなかった。このことをさらに確認するため、種々のリガンド存在下K+結合に対するオリゴマイシンの影響を調べた。ATP、PiおよびMg2+を単独またはリン酸化中間体を形成する条件でオリゴマイシンと共に加えても、K+の結合量は変化しなかったが、これらリガンドにNa+を添加したときにはK+の結合量は低下した。Na+結合とK+結合は互いに阻害しあうことから、オリゴマイシンがNa+結合の親和性を増大させたことによって、K+結合が低下したと考えられた。

 Na/K-ATPaseのコンホメーションにあたえるオリゴマイシンの影響-オリゴマイシンがNa/K-ATPaseのコンホメーションを特異的な型に誘導するか否かを調べるために、Na+、K+、ATP、ウワバインまたはオリゴマイシン存在下でのATPaseのトリプシン限定分解パターンをSDS-PAGEで観察した。オリゴマイシン存在下での分解パターンは緩衝液のみが存在したときの分解パターンと類似していたが、Na+、K+、ATPまたはウワバイン存在下のパターンとは異なっていた。また、これらのリガンドとオリゴマイシンを同時に存在させても、分解パターンは変わらなかった。それゆえ、オリゴマイシンはコンホメーション変化を介することによって、その特異的作用を発現するのではないと考えられた。

 ATPおよびウワバイン結合にあたえるオリゴマイシンの影響-オリゴマイシンはNa/K-ATPaseの細胞質側に結合部位があるATPの結合にほとんど影響をあたえなかったが、細胞の外側に結合部位があるウワバインの結合を阻害した。もちいたウワバイン濃度に対し半阻害に要するオリゴマイシン濃度をプロットしたところ、この二つのパラメーター間に直線関係は成り立たず、オリゴマイシンによるウワバイン結合阻害は競合阻害ではないこと、すなわち結合部位が異なることが示唆された。これを確認するために、ラット腎由来のウワバイン低感受性Na/K-ATPaseアイソフォームならびに犬腎由来の高感受性アイソフォームのATPase活性に対するオリゴマイシンの影響を調べたところ、この薬剤はいずれもI50=2.2Mで同様に阻害した。これらアイソフォーム間のH1-H2のアミノ酸配列の違いがウワバイン感受性の違いの原因であることから、この部分がオリゴマイシンの感受性に影響をあたえないことが明らかになった。さらに、オリゴマイシンは細胞の外側からNa/K-ATPaseに作用するというCorneliusとSkouの結論とあせて考えると、オリゴマイシンの結合部位は細胞膜外側であるがウワバインの結合部位とは異なることが示唆された。

図2Na/K-ATPaseのイオン輸送モデル
[考察]

 オリゴマイシンは、Na/K-ATPase活性やNa+輸送を阻害する一方Na+結合を増大させたが、K+輸送やK+結合には影響をあたえなかった。オリゴマイシンによるATPase活性ならびにNa-K、Na-Na交換輸送のI50やNa+結合量を増大させるK0.5の値が近似していることから、この薬剤の特異的結合部位は一種類であることが示唆された。また、オリゴマイシンはATPaseのコンホメーションに影響をあたえなかったので、もっと直接的な機構でその特異的作用を発揮していると考えられる。つまりNa/K-ATPaseの細胞外側からNa+の遊離部位またはその近傍に結合し、Na+の遊離を直接阻害することによって見かけ上Na+の結合量を増大させ、occluded formを安定化させているのではないかと考えられる。これらをふまえて図2に示したようにNa+とK+の輸送路が異なっているというモデルを提唱した。

審査要旨

 Na/K-ATPaseはNa-ポンプとも呼ばれ、動物細胞に普遍的に存在しNa+とK+の能動輸送を担っている膜蛋白質である。本研究は抗生物質のひとつオリゴマイシンのNa/K-ATPaseに対する阻害作用を検討することによって、Na/K-ATPaseのイオン輸送機構の解明を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.オリゴマイシンはNa/K-ATPase活性やイオン輸送を阻害し、Na+結合を促進するが、K+結合やK+輸送には影響をあたえなかった。そしてその阻害曲線ならびに促進曲線がすべて一相性であること、これらのI50ならびにK0.5が近似した値を示したことから、この薬剤の特異的結合部位は反応速度論的に一種類であることが示された。

 2.オリゴマイシン存在下、非存在下でのNa/K-ATPaseへのNa+、K+結合を測定しその解離定数を比較したところ、オリゴマイシンはNa+の親和性を増大させるが、K+の親和性には影響を与えないことが示された。

 3.種々のリガンド存在下におけるNa/K-ATPaseのトリプシン限定分解パターンを観察した結果、Na+、K+、ATP、ウワバインと異なり、オリゴマイシンはATPaseのコンホメーション変化をおこさないことが示された。

 4.オリゴマイシンはNa/K-ATPaseの細胞質側に結合部位があるATPの結合にほとんど影響をあたえなかったが、細胞外側に結合部位があるウワバインの結合を阻害した。しかし、それは競合阻害ではないことが示された。また、ウワバイン低感受性ならびに高感受性Na/K-ATPaseアイソフォームを、オリゴマシンは同様に阻害した。したがって、この薬剤の結合部位は細胞外側であるがウワバインの結合部位とは異なることが示された。

 5.以上の結果から、「オリゴマイシンはNa/K-ATPaseのコンホメーション変化を介するのではなく、ATPaseの細胞外側からNa+の遊離部位またはその近傍に結合し、Na+の遊離を直接阻害することによって見かけ上Na+の結合量を増大させNa+輸送およびATPase活性を阻害する」との結論が導かれ、これをふまえてNa+とK+の輸送路が異なっているというモデルが提唱された。

 以上、本論文はNa/K-ATPaseに対するオリゴマイシンの阻害機構の詳細な研究に基づいて、Na+、K+の輸送路が異なるという新しい概念を提唱している。イオンと膜蛋白質の相互作用は、細胞内への有機物質の取り込み、さらには細胞内および細胞間の情報伝達と深くかかわっているが、その相互作用の仕組みについては不明な点が多い。本論文はNa/K-ATPaseを用いてこの課題に取り組み、新しいイオン輸送モデルの提唱に到達しており、その結果はこの分野の研究に重要な貢献をして、学位の授与に値するものと考えられる。

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