ウマヘルペスウイルス1型(EHV-1)あるいは4型(EHV-4)の感染により引き起こされる疾病は馬鼻肺炎と総称され、呼吸器疾患、流産および神経疾患が含まれる。 わが国の馬群内には、従来EHV-4のみが伝播していたが、1967年に輸入妊娠馬がEHV-1による流産を発症したのに端を発し、妊娠馬が続々と流産した結果、馬群内に両ヘルペスウイルスが伝播することになった。一般的には、EHV-1は流産と神経疾患の、EHV-4は若齢馬の呼吸器疾患の原因とされているが、EHV-1も呼吸器疾患の、またEHV-4も流産の原因となりうる。わが国では、毎年、馬鼻肺炎と診断される流産および生産・育成牧場の若齢馬群および競走馬群において呼吸器疾患の発生が認められている。しかしながら、EHV-1およびEHV-4は共通抗原性を有し、両ウイルスの混在する状況下においては、通常の診断法では型別の確定診断は困難であったため、両ウイルスの伝播状況はこれまで不明であった。 本研究は5章より構成され、経済的損失の大きい流産と競走馬の流行性呼吸器疾患の発生防御に有効なワクチン開発を最終目的として、EHV-1とEHV-4の疫学状況の解明を図り、経済的重要性が確認されたEHV-1に対する弱毒生ワクチンの開発に向けて、EHV-1の病原性に関与する遺伝子について検討した。 第1章では、1979年から1990年にかけて、呼吸器症状を呈した馬からのウイルス分離と型特異的単クローン抗体を用いた型別同定を実施した結果、EHV-1は競走馬群においてのみ、冬季間に呼吸器疾患が流行した際に限って分離され、EHV-4は、生産・育成牧場の若齢馬群や競走馬群等、調査したすべての馬群において、季節に関係なく分離された。また、1982年以降の9年間に流産胎児から分離されたウイルス株は、すべてEHV-1と同定された。これらの結果から、わが国においては、EHV-1は冬季間の流行性呼吸器疾患と流産の発生に関与し、EHV-4はすべての馬群内に季節と無関係に広く伝播し、呼吸器疾患に関与していることが明らかにされた。 第2章では、EHV-1の分子レベルでの疫学状況を明らかにするために、第1章で分離されたEHV-1の呼吸器由来株および流産由来株のDNAについて、制限酵素解析を実施した。その結果、解析したEHV-1株間に、制限酵素の認識部位の欠失・付加を伴うような変異は認められず、すべてが米国の標準EHV-1株の電気泳動型1Pと酷似する電気泳動像を示した。このことから、わが国の馬群内に伝播しているEHV-1には、変異株は認められず、同一の電気泳動型EHV-1が、流産および競走馬の流行性呼吸器疾患の原因となっていることが明らかとなった。 第3章では、他のヘルペスウイルスで病原性に関与している糖蛋白gEおよびgI遺伝子を含む5種の遺伝子を欠損しているEHV-1ケンタッキーA(KyA)株に着目し、他のヘルペスウイルスでgE・gI遺伝子以外で病原性に関与することが報告されてぃるgC遺伝子の解析を実施した。その結果、KyA株のgC遺伝子にコードされる468アミノ酸残基中3残基のみが、他のEHV-1株のgCとは異なっていた。しかしながら、KyA株gC遺伝子の上流域の塩基配列に欠損が確認され、KyA株が17番遺伝子を欠損していることが明らかとなった。これらのことから、KyA株は糖蛋白gE・gI両遺伝子を含む6種の遺伝子を欠損しているが、gC遺伝子を保持していることを明らかにした。 第4章では、KyA株を若齢馬に経鼻接種してその病原性を検討した。接種馬は全く臨床症状を現わさず、KyA株は馬に対する病原性を失っていることが示された。第3章および第4章の結果から、KyA株の病原性の消失には、gE・gI両遺伝子の欠損が関与している可能性が推察された。 第5章では、gE・gI両遺伝子欠損変異株をEHV-1強毒株より作出し、変異株の馬に対する病原性を検討した。その結果、変異株を経鼻接種した若齢馬には、全く臨床症状は認められず、EHV-1のgE・gI両遺伝子は、ウイルスの病原性に重要な役割を持つことが示された。 以上の通り、本研究では、これまで不明であったEHV-1とEHV-4のわが国の馬群内における伝播状況が明らかにされた。さらに、EHV-1のgE・gI両遺伝子が、ウイルスの病原性に重要な役割を果たすことを示し、経済的重要性の確認されたEHV-1に対する生ワクチンの開発に向けてのEHV-1の弱毒化に、これらの遺伝子領域が有用であると考えられた。これらの知見は、学術上貢献するところが少なくない。よって、審査員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |