学位論文要旨



No 213713
著者(漢字) 松村,富夫
著者(英字)
著者(カナ) マツムラ,トミオ
標題(和) ウマヘルペスウイルス1型の疫学および病原性関連遺伝子に関する研究
標題(洋) Studies on Epizootiology and Virulence Associated Genes of Equine Herpesvirus Type 1
報告番号 213713
報告番号 乙13713
学位授与日 1998.03.02
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第13713号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 見上,彪
 東京大学 教授 長谷川,篤彦
 東京大学 教授 高橋,英司
 東京大学 教授 大塚,治城
 東京大学 教授 甲斐,知恵子
内容要旨

 わが国で最も頻繁に発生している馬のウイルス感染症は、馬鼻肺炎である。馬鼻肺炎は、ウマヘルペスウイルス1型(EHV-1)あるいは4型(EHV-4)の感染により引き起こされる疾病の総称であり、呼吸器疾患、流産および神経疾患が含まれる。両ヘルペスウイルスは、従来馬鼻肺炎ウイルスと称され、EHV-1は馬鼻肺炎ウイルスの亜型1、EHV-4は馬鼻肺炎ウイルスの亜型2と呼ばれていた。しかしながら、両ウイルスDNAの制限酵素切断像が明らかに異なることから、現在では異なる型のウマヘルペスウイルスとして分類されている。

 わが国においては、1957年に流産胎児から初めてEHV-4が分離されて以降、EHV-4が流産あるいは若齢馬の呼吸器疾患を起こしていた。ところが、1967年に、輸入妊娠馬のEHV-1による流産に端を発し、約100例の妊娠馬の流産が続発した。このEHV-1による流産の初発生以降、わが国の馬群内に両ヘルペスウイルスが伝播することになった。一般的には、EHV-1は流産と神経疾患の、EHV-4は若齢馬の呼吸器疾患の原因とされているが、EHV-1も呼吸器疾患の、またEHV-4も流産の原因となりうる。わが国では、毎年妊娠馬の約60%にEHV-1に対する不活化ワクチンが接種されているが、毎年ワクチン接種馬を含め約20頭程度の妊娠馬に馬鼻肺炎と診断される流産の発生が認められている。また、生産・育成牧場の若齢馬群内における馬鼻肺炎の発生も頻繁に認められている。さらに、欧米諸国とは異なり、わが国の競走馬群においては、馬鼻肺炎と血清学的に診断される呼吸器疾患の流行発生が、毎年のように認められている。しかしながら、EHV-1およびEHV-4は共通抗原性を有し、両ウイルスの混在する状況下においては、通常の血清学的あるいはウイルス学的診断法では型別の確定診断は困難であり、どちらのウイルスが上記の疾病に関与しているのかは、これまで不明であった。

 本研究は、経済的損失の大きい流産と競走馬の流行性呼吸器疾患の発生防御に有効なワクチン開発を最終目的として5章から構成されている。前半の2章では、EHV-1とEHV-4感染症の発生形態を明らかにするために、広範囲の疫学調査研究を実施し、後半の3章では、前半の2章で経済的重要性が確認されたEHV-1に対する弱毒生ワクチンの開発に向けて、EHV-1の病原性に関与する遺伝子について検討した。

第1章馬におけるEHV-1およびEHV-4感染の疫学的様相

 わが国の馬におけるEHV-1とEHV-4の感染状況を明らかにするために、1979年から1990年にかけて、呼吸器症状を呈した馬からのウイルス分離と型特異的単クローン抗体を用いた型別同定を実施した。その結果、42株のEHV-1と64株のEHV-4が分離同定された。EHV-1は競走馬群においてのみ、冬季間に呼吸器疾患が流行した際に限って分離された。EHV-4は、生産・育成牧場の若齢馬群や競走馬群等、本章で調査したすべての馬群において、季節に関係なく分離された。また、血液材料からEHV-4が4株分離され、これまでEHV-1でしか報告のなかったウイルス血症がEHV-4においても証明された。さらに、1982年以降の9年間に流産胎児から分離された87株のウイルスは、すべてEHV-1と同定された。これらの結果から、わが国においては、EHV-1は冬季間の流行性呼吸器疾患と流産の発生に関与し、EHV-4はすべての馬群内に季節と無関係に広く伝播し、呼吸器疾患に関与していることが明らかとなった。

第2章EHV-1の呼吸器疾患由来株と流産胎児由来株の分子疫学的研究

 第1章の結果から、わが国においてはEHV-1が流産の他に、諸外国では報告のない競走馬群における流行性呼吸器疾患の原因となっていることが明らかになった。このことは、わが国において呼吸器疾患に関与するEHV-1株と流産由来EHV-1株とが、分子生物学的に同一のウイルスであるのかという疑問を生じさせた。そこで、本章では、呼吸器疾患由来株と流産胎児由来株のDNAについて制限酵素解析を実施した。さらに、EHV-1実験感染馬の感染経過中に分離された株についても、解析を実施した。その結果、解析したEHV-1株間に、制限酵素の認識部位の欠失・付加を伴うような変異は認められず、すべてが米国の標準EHV-1株の電気泳動型1Pと酷似する電気泳動像を示した。しかしながら、数種のBamHl断片の大きさに、由来材料には関係なく株間で多様性が認められた。さらに、野外分離株間で多様性の認められたBamHl断片の大きさには、同一の実験感染馬から経時的に分離された株間でも変化が認められたが、それらの変化は少なくとも感染後9日以上経過しないと認められなかった。以上の結果から、わが国の馬群内に伝播しているEHV-1には、変異株は認められず、同一の電気泳動型EHV-1が、流産および競走馬の流行性呼吸器疾患の原因となっていることが明らかとなった。さらに、野外分離株間で認められた数種のBamHl断片の多様性は、ウイルスDNAの馬体内での変化を反映しているものと推察された。

第3章EHV-1ケンタッキーA株の糖蛋白gC遺伝子領域の塩基配列および転写解析

 EHV-1ケンタッキーA(KyA)株は、馬以外の異種細胞で長期間継代培養された変異株であり、これまでに5種の遺伝子の欠損が報告されている。本章では、他のヘルペスウイルスで病原性に関与し、EHV-1株間でエピトープに変異の多いことが報告されている糖蛋白gC遺伝子が、KyA株においてどの程度保存されているかを明らかにするために、KyA株のgC遺伝子領域の塩基配列決定と転写解析を実施した。その結果、KyA株のgC遺伝子にコードされる468アミノ酸残基中3残基のみが、全塩基配列の決定されているEHV-1Ab4株のgCとは異なっていた。しかしながら、KyA株gC遺伝子の上流域に1207塩基の欠損が確認され、KyA株が17番遺伝子を欠損していることが明らかとなった。gC遺伝子の転写産物は、KyA株感染細胞において、ウイルスDNA合成開始後に発現しており、EHV-1のgC遺伝子は後期(-1)遺伝子であることが示された。さらに、gC遺伝子の転写解析の過程で、他のヘルペスウイルスで病原性に関与しているチミジンキナーゼ(TK)遺伝子の転写産物が、KyA株感染細胞において発現されていることが確認された。これらの結果から、KyA株は糖蛋白gE・gI両遺伝子を含む6種の遺伝子を欠損しているが、gCおよびTK遺伝子を保持していることが明らかとなった。

第4章EHV-1KyA株の若齢馬に対する病原性の消失

 実験室内変異株であるEHV-1KyA株の馬に対する病原性を検討するため、6頭の若齢馬にKyA株を経鼻接種した。対照群の若齢馬2頭にはEHV-1の強毒株てある89c25株を同様に接種した。KyA株接種馬6頭中4頭には、KyA株接種4週後に89c25株で攻撃試験を実施した。その結果、KyA株を接種した6頭は、全く臨床症状を示さなかった。KyA株接種馬4頭への攻撃試験においては、発熱は抑えられなかったものの、対照群に認められた発熱以外の臨床症状は全く認められなかった。さらに、対照群に比較し、KyA株接種馬では政撃後の鼻腔からのウイルス排泄およびウイルス血症の期間の大幅な短縮が認められた。これらの結果から、KyA株が馬に対する病原性は失っているが、免疫原性は保持していることが示された。KyA株に欠損している遺伝子のうち、ヘルペスウイルスの重要な機能を担うと考えられる糖蛋白遺伝子は、gEとgI遺伝子のみであり、この両遺伝子は他のヘルペスウイルスでは病原性に関与していることから、KyA株の病原性の消失には、gEおよびgI遺伝子の欠損が関与している可能性が推察された。

第5章EHV-1のgEとgI遺伝子欠損変異株の若齢馬に対する病原性の消失

 第4章の結果から、EHV-1のgEおよびgI遺伝子のウイルス病原性に果たす役割を明らかにすることを目的に、gE・gI両遺伝子欠損変異株をEHV-1強毒株より作出後、さらに変異株にgE・gI両遺伝子を復帰させた復帰株を作出し、変異株と復帰株の馬に対する病原性について検討した。変異株の細胞内での増殖性は、親株および復帰株と同等であったが、変異株の形成するプラークの大きさは、親株および復帰株のそれに比較し有意に小さかった。このことから、EHV-1のgEとgI遺伝子は、他のヘルペスウイルスにおけると同様に、ウイルスのcell-to-cell感染性に関与することが示唆された。さらに、初乳非摂取子馬3頭を含む若齢馬6頭に変異株を経鼻接種したところ、全く臨床症状は認められなかったのに対し、復帰株を接種した初乳非摂取子馬3頭は、強毒株接種時と同様の呼吸器症状を示した。これらの結果から、EHV-1のgE・gI両遺伝子欠損株の弱毒化が明らかとなり、EHV-1のgEとgI遺伝子は、ウイルスの病原性に重要な役割を持つことが示唆された。

 世界的にEHV-1感染によって引き起こされる流産および神経疾患による経済的損失は多大である。わが国においては、さらにEHV-1は競走馬の流行性呼吸器疾患の原因となることが、本研究により明らかにされたことから、現行のEHV-1不活化ワクチンよりも、さらに有効なワクチンの開発が望まれるようになった。EHV-1のgEおよびgI遺伝子が、ウイルスの弱毒化に重要な役割を果たすことを示した本研究は、今後の安全且つ有効な生ワクチンの開発に貢献するものと思われる。

審査要旨

 ウマヘルペスウイルス1型(EHV-1)あるいは4型(EHV-4)の感染により引き起こされる疾病は馬鼻肺炎と総称され、呼吸器疾患、流産および神経疾患が含まれる。

 わが国の馬群内には、従来EHV-4のみが伝播していたが、1967年に輸入妊娠馬がEHV-1による流産を発症したのに端を発し、妊娠馬が続々と流産した結果、馬群内に両ヘルペスウイルスが伝播することになった。一般的には、EHV-1は流産と神経疾患の、EHV-4は若齢馬の呼吸器疾患の原因とされているが、EHV-1も呼吸器疾患の、またEHV-4も流産の原因となりうる。わが国では、毎年、馬鼻肺炎と診断される流産および生産・育成牧場の若齢馬群および競走馬群において呼吸器疾患の発生が認められている。しかしながら、EHV-1およびEHV-4は共通抗原性を有し、両ウイルスの混在する状況下においては、通常の診断法では型別の確定診断は困難であったため、両ウイルスの伝播状況はこれまで不明であった。

 本研究は5章より構成され、経済的損失の大きい流産と競走馬の流行性呼吸器疾患の発生防御に有効なワクチン開発を最終目的として、EHV-1とEHV-4の疫学状況の解明を図り、経済的重要性が確認されたEHV-1に対する弱毒生ワクチンの開発に向けて、EHV-1の病原性に関与する遺伝子について検討した。

 第1章では、1979年から1990年にかけて、呼吸器症状を呈した馬からのウイルス分離と型特異的単クローン抗体を用いた型別同定を実施した結果、EHV-1は競走馬群においてのみ、冬季間に呼吸器疾患が流行した際に限って分離され、EHV-4は、生産・育成牧場の若齢馬群や競走馬群等、調査したすべての馬群において、季節に関係なく分離された。また、1982年以降の9年間に流産胎児から分離されたウイルス株は、すべてEHV-1と同定された。これらの結果から、わが国においては、EHV-1は冬季間の流行性呼吸器疾患と流産の発生に関与し、EHV-4はすべての馬群内に季節と無関係に広く伝播し、呼吸器疾患に関与していることが明らかにされた。

 第2章では、EHV-1の分子レベルでの疫学状況を明らかにするために、第1章で分離されたEHV-1の呼吸器由来株および流産由来株のDNAについて、制限酵素解析を実施した。その結果、解析したEHV-1株間に、制限酵素の認識部位の欠失・付加を伴うような変異は認められず、すべてが米国の標準EHV-1株の電気泳動型1Pと酷似する電気泳動像を示した。このことから、わが国の馬群内に伝播しているEHV-1には、変異株は認められず、同一の電気泳動型EHV-1が、流産および競走馬の流行性呼吸器疾患の原因となっていることが明らかとなった。

 第3章では、他のヘルペスウイルスで病原性に関与している糖蛋白gEおよびgI遺伝子を含む5種の遺伝子を欠損しているEHV-1ケンタッキーA(KyA)株に着目し、他のヘルペスウイルスでgE・gI遺伝子以外で病原性に関与することが報告されてぃるgC遺伝子の解析を実施した。その結果、KyA株のgC遺伝子にコードされる468アミノ酸残基中3残基のみが、他のEHV-1株のgCとは異なっていた。しかしながら、KyA株gC遺伝子の上流域の塩基配列に欠損が確認され、KyA株が17番遺伝子を欠損していることが明らかとなった。これらのことから、KyA株は糖蛋白gE・gI両遺伝子を含む6種の遺伝子を欠損しているが、gC遺伝子を保持していることを明らかにした。

 第4章では、KyA株を若齢馬に経鼻接種してその病原性を検討した。接種馬は全く臨床症状を現わさず、KyA株は馬に対する病原性を失っていることが示された。第3章および第4章の結果から、KyA株の病原性の消失には、gE・gI両遺伝子の欠損が関与している可能性が推察された。

 第5章では、gE・gI両遺伝子欠損変異株をEHV-1強毒株より作出し、変異株の馬に対する病原性を検討した。その結果、変異株を経鼻接種した若齢馬には、全く臨床症状は認められず、EHV-1のgE・gI両遺伝子は、ウイルスの病原性に重要な役割を持つことが示された。

 以上の通り、本研究では、これまで不明であったEHV-1とEHV-4のわが国の馬群内における伝播状況が明らかにされた。さらに、EHV-1のgE・gI両遺伝子が、ウイルスの病原性に重要な役割を果たすことを示し、経済的重要性の確認されたEHV-1に対する生ワクチンの開発に向けてのEHV-1の弱毒化に、これらの遺伝子領域が有用であると考えられた。これらの知見は、学術上貢献するところが少なくない。よって、審査員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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