学位論文要旨



No 213714
著者(漢字) 佐藤,満雄
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,ミツオ
標題(和) 牛下痢症の原因となる牛コロナウイルスと牛ロタウイルスに関する研究
標題(洋)
報告番号 213714
報告番号 乙13714
学位授与日 1998.03.02
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第13714号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 見上,彪
 東京大学 教授 長谷川,篤彦
 東京大学 教授 高橋,英司
 東京大学 教授 大塚,治城
 東京大学 助教授 甲斐,知恵子
内容要旨

 牛コロナウイルス(bovine corona virus;BCV)と牛ロタウイルス(bovine rotavirus;BRV)は,牛の下痢症,特に哺乳・育成期の流行性下痢症の重要な病原体として知られている。両ウイルスは,しばしば混合感染し症状の悪化をもたらしたり,その発症に環境要因が関与すること等共通する事がらも多く,牛下痢症診断の際に絶えず考慮しなければならないウイルスである。しかし,BCVはウイルスの分離が困難なことから有効な診断法は開発されておらず,その診断は,ペアー血清を用いた血清学的検査に頼っているのが現状である。一方,A群BRVの多くは従来,分離培養が困難であったが,トリプシン添加と感受性細胞による効率的な方法の確立により,未だ困難はあるが以前に比較し分離培養が容易となった。そのため,BRVの抗原性状や遺伝子レベルの解析も進んだ。しかし,野外BRVの疫学的研究は未だ十分に進んでいないのが現状である。その理由の一つとして,BRVの血清型分類が今までVP7血清型(G血清型)中心に行われてきたことがある。ロタウイルスの血清型を正確に把握するにはVP4血清型(P血清型)の解析も重要と考えられるようになり,分離ウイルスのGおよびP血清型を明らかにすることは,BRV感染症の疫学を考察する上でも不可欠となってきている。

 そこで著者は,BCVに関しては,前述のようにウイルス分離が困難なことから,診断上の問題を解決するために,BCV Kakegawa株に対するモノクローナル抗体(monoclonal antibody;MAb)を利用したBCV抗原検出法を確立し,下痢便中のBCV抗原検出とウイルス分離に応用する目的で実験を行った。また,BRVに関しては,成牛下痢の病性鑑定材料から分離されたBRVについて,G,P両血清型を明らかにすると同時に,病因学的解析を行った。本論文は4章から成り,以下その概要を述べる。

 第1章では牛下痢症の原因となるBCVに対するMAbを作成し,その性状について検討した。BCV Kakegawa株を免疫したBALB/cマウス脾細胞とミエローマ細胞の計3回の細胞融合により12の抗体産生融合細胞株を得た。分泌抗体のアイソタイプは免疫グロブリン(immunogloblin;Ig)G1が7例,IgMが4例,不明が1例であった。得られたIgG1クローンのうち,2つのMAb 4H4,7F5はウイルス中和(neutralization;NT)活性を示し,免疫沈降法により93キロダルトン(kilodalton;kDa)の蛋白を沈降させた。なお,この結果はジメルカプトエタノール(2-mercaptoethanol;2ME)存在下でも変化しなかった。このことから,93kDaの蛋白質はBCVのクラブ様突起物であるS蛋白を構成するサブユニット蛋白と思われた。また,4H4,7F5両MAbは同時に赤血球凝集抑制(hemagglutinating inhibition;HI)活性も有していた。BCVの赤血球凝集素は140kDaの赤血球凝集素/エステラーゼ(hemagglutinin/esterase)HE蛋白(65kDa糖蛋白のホモ二量体,2MEで還元される)であることが報告されているが,S蛋白にも赤血球凝集(hemagglutinating;HA)能が存在することが示唆された。また,NT活性、HI活性共に認められなかったが,ヌクレオカプシド蛋白に相当する53kDaの蛋白を沈降するMAb1D11および2C8が得られた。

 第2章では,BCV抗原の検出のため,4H4,7F5両MAbを用いたアビジン・ビオチンサンドイッチ固相酵素免疫測定法(enzyme-linked immunosorbent assay;ELISA)を検討した。MAb4H4,7F5は競合試験の成績より,認識蛋白は同一でも抗原認識サイトは異なると考えられた。そこで,この2つのMAbをもとに,9通りの組み合わせについて検出感度を比較検討した。最も高感度の抗原検出条件は,7F5を2g/mlで固相化し,ビオチン化2次抗体は,4H4,7F5両MAbを等量混ぜ蛋白量を3g/mlとした場合であった。

 BCV抗原の検出ELISAを用いて,Kakegawa株感染BEK-1細胞での抗原検出を試みたところ,24時間後にBCV抗原が検出可能であった。細胞変性効果(cytopathic effect;CPE)出現時期にあたる感染後48時間での培養上清中の抗原量は,ELISA吸光度(optical density;OD)値で0.596,2HA単位,103.550%感染価(TCID50)/0.1mlであった。以上により特異性も証明され,本法は,迅速かつ多検体処理が可能なBCV抗原検出法であると思われた。

 第3章では,実際に野外牛の糞便材料29戸202例を用い,糞便材料中のBCV抗原を直接検出するためにELISAの野外応用を試みた。ELISA成績は,OD値0.2未満が162例,0.2以上0.3未満が27例,0.3以上0.5未満で6例,0.5以上が7例で,臨床的に正常な牛糞便材料はすべて0.2未満を示した。BCV抗原検出ELISAに用いた糞便材料をHRT-18細胞に接種後,その培養上清中の抗原検出に応用したところ,HRT-18細胞培養上清のELISA OD値は,糞便材料OD値が0.5以上では,6例中5例に対照培養上清より0.1以上高いOD値と継代毎の上昇を認めたが,0.3以上0.5未満では6例中1例,0.2以上0.3未満27例では3例,0.2未満では162例中1例のみであった。糞便材料接種後の培養上清OD値が上昇した材料は,継代3代以降,特徴的なCPEを認め,ウイルスが分離された。最終的に,5戸10例からウイルスが分離され,そのうち4戸6例は子牛下痢由来であった。分離ウイルスは電子顕微鏡での観察,BCV Kakegawa株家兎免疫血清による中和試験,および間接蛍光抗体法の成績よりBCVと同定された。このように本法は,糞便中のBCV抗原検出のみならず,培養上清中BCV抗原を検出することでウイルス分離の際の指標になることが分かり,有用なBCV抗原検出法と思われた。また,分離BCVの性状検査では,成鶏およびマウス赤血球に対するHA試験において,成鶏赤血球よりマウス赤血球を用いた場合に高値を示した。また,成鶏赤血球でのHA価が高値を示したものが,BCV抗原の検出ELISAでも高値を示した。分離ウイルスのHRT-18細胞培養上清を成鶏およびマウス赤血球で吸収後のELISA OD値は,成鶏赤血球による吸収材料においてのみOD値の減少を認めたことから,S蛋白が成鶏赤血球凝集能に関与していると考えられた。

 第4章では,成牛下痢の病性鑑定材料から分離されたBRVについて,G,P両血清型を明らかにすると同時に,病因学的解析を行った。

 栃木県の酪農家で,3頭の成牛(3,4,7歳)に下痢が認められた。急性期における下痢便材料からウイルス分離を試みたところ,A群ロタウイルス3株,BRV14,BRV15およびBRV16が分離された。3株はRNA-ポリアクリルアミドゲル電気泳動で,同一のロングタイプ泳動パターンを示し,同一起源と推測された。プラック減少中和試験による血清型分類を実施したところ,BRV16は678株およびNCDV-Lincoln株と交差を示した。これは678(G8,P7[5])株とはG血清型が共通しており,NCDV-Lincoln(G6,P6[1])株とはP血清型が共通するためと考えられた。BRV16のVP7およびVP4をコードする遺伝子を逆転写後,GおよびP血清型特異的プライマーを用いたnested-PCRを行った成績においても,BRV16はG8のVP7とP6[1]のVP4を有していることが明らかとなった。

 RNA-RNAハイブリダイゼイション(hybridization)によるgenogroup分類では,BRV16はbovine genogroupに属し,NCDV-Lincoln株(G6,P6[1])に非常に近縁であると思われた。ヒトと牛から分離されたG8血清型8株のうち,牛から分離された4株は,異なった国で分離されたにもかかわらず,BRV特有のPタイプであるP6[1]VP4を有していた。これらの結果より,G8血清型のロタウイルスは,遺伝子の組換えによりBRVから派生したものと推察された。

 以上の通り,これまで分離が困難とされていたBCVについては,日本分離株であるKakegawa株に対するMAbを作出し,S蛋白に対するMAbを利用した抗原検出ELISAを開発した。この結果,糞便材料中のBCV抗原の直接検出が可能となり,さらに,材料接種後のHRT-18細胞培養上清に応用することで,野外材料からの効率的ウイルス分離が可能となった。また,S蛋白にもHA能が存在し,成鶏赤血球の凝集に関与するのはHE蛋白でなくS蛋白であることを明らかにした。BRVに関する研究では,A群BRVが成牛の下痢の原因となることを初めて突き止め,分離ウイルスの血清型が従来非常にまれなG8P6[1]であることを確認するとともに,G8血清型ロタウイルスの起源が牛由来であることを明らかにした。

審査要旨

 牛コロナウイルス(BCV)と牛ロタウイルス(BRV)は,牛の下痢症の重要な病原体として知られ,牛下痢症診断の際に絶えず考慮されるウイルスである。しかし,BCVは分離培養が困難なため,その診断は,血清学的検査が中心となっている。一方,A群BRVは,分離培養が比較的容易となり,ウイルス学的研究も進んだが,疫学的研究は未だ十分でない。その理由として,BRV血清型の分類が今までVP7血清型(G血清型)中心であったことがある。最近,VP4血清型(P血清型)もあわせて明確にすることがBRV感染症の疫学を考察する上で重視されつつある。

 申請者は,BCVに関しては診断上の問題点を解決するために,Kakegawa株に対するモノクローナル抗体(MAb)を作出し,これを利用した抗原検出法を試みた。また,BRVに関しては,成牛から分離されたBRVのG,P両血清型を明らかにすると共に,病因学的解析を行った。本論文は4章から成る。

 第1章では,BCVに対するMAbを作成し,その性状を検討した。BCV Kakegawa株をBALB/cマウスに免疫し,12の抗体産生融合細胞株を得た。分泌抗体のアイソタイプは免疫グロブリン(Ig)G1が7例,IgMが4例,不明が1例であった。このうち,4H4,7F5両MAbはウイルス中和活性を示し,免疫沈降法によりBCVの表面糖(S)蛋白のサブユニットと思われる93キロダルトン(kDa)の蛋白を沈降させた。同時に,両MAbは赤血球凝集抑制活性も有したことから,赤血球凝集/エステラーゼ(HE)蛋白同様S蛋白にも赤血球凝集(HA)能が存在することが示唆された。その他,ヌクレオカブシド蛋白に相当する53kDaの蛋白を沈降するMAbが2つ得られた。

 第2章では,4H4,7F5両MAbを用いた固相酵素免疫測定法(ELISA)によるBCV抗原検出法を検討した。検出感度は,7F5を2g/mlで固相化し,ビオチン化2次抗体は,4H4、7F5両MAbを等量混合し,蛋白量を3g/mlとした場合が最高であった。この測定法で感染24時間後よりKakegawa株感染BEK-1細胞培養上清中のBCV抗原が検出可能であった。細胞変性効果(CPE)出現時期にあたる感染後48時間の抗原量は,ELISA吸光度(OD)値で0.596,2HA単位,感染価で103.5TCID50/0.1mlであった。

 第3章では、牛糞便材料29戸202例を用い,BCV抗原検出ELISAの野外応用を試みた。成績は,OD値0.2未満が162例,0.2以上0.3未満が27例,0.3以上0.5未満で6例,0.5以上が7例で,正常便材料は全例0.2未満を示した。糞便材料接種後のHRT-18細胞培養上清中の抗原検出では,OD値の上昇した材料にのみCPEを認め,5戸10例からウイルスが分離された。分離ウイルスは電子顕微鏡観察,Kakegawa株家兎免疫血清による中和試験,間接蛍光抗体法の成績よりBCVと同定された。また,分離ウイルスのHA性は成鶏赤血球よりマウス赤血球で高く,両赤血球吸収によるBCV抗原検出ELISAの成績からS蛋白が成鶏赤血球のHA能に関与していると考えられた。

 第4章では,成牛由来BRVのG,P両血清型を明らかにし,病因学的解析を行った。栃木県の酪農家で発生した伝染性下痢症において,成牛3頭の糞便材料からそれぞれA群ロタウイルス3株,BRV14,BRV15およびBRV16が分離された。3株はRNA-ポリアクリルアミドゲル電気泳動パターンより,同一起源と推測された。プラック減少中和試験による血清型別,GおよびP血清型特異的プライマーを用いたnested-PCR法の結果,代表株として用いたBRV16はG8P6[1]と判明した。RNA-RNAハイブリダイゼイションの成績から,BRV16はbovine genogroupに属し,NCDV-Lincoln株(G6P6[1])に非常に近縁と思われた。ヒトと牛由来G8タイプ8株のうち,牛由来の4株は,北米,英国,タイ,日本と遠く離れた国で分離されたにもかかわらず,BRV特有のPタイプであるP6[1]VP4を保有していたことから,G8タイプのロタウイルスの起源はBRVと推察された。

 以上の通り,BCVについては,Kakegawa株に対するMAbを作出し,S蛋白に対するMAbを利用した抗原検出ELISAを開発した。これにより,糞便材料中のBCV抗原の直接検出と効率的ウイルス分離が可能となった。また,成鶏赤血球の凝集にはHE蛋白でなくS蛋白が関与することを明らかにした。BRVに関する研究では,A群BRVが成牛の下痢の原因となること,分離ウイルスの血清型が非常にまれなG8P6[1]であり,G8血清型ロタウイルスの起源が牛由来であることを明らかにした。これらの知見は学術上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は,本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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