学位論文要旨



No 213716
著者(漢字) 宋,昌宣
著者(英字)
著者(カナ) ソウン,チャンション
標題(和) 鶏伝染性気管支炎ウイルス韓国分離株に関する分子生物学的研究
標題(洋) Molecular and Biological Studies on Infectious Bronchities Virus Isolated in Korea
報告番号 213716
報告番号 乙13716
学位授与日 1998.03.02
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第13716号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 見上,彪
 東京大学 教授 長谷川,篤彦
 東京大学 教授 高橋,英司
 東京大学 教授 大塚,治城
 東京大学 助教授 甲斐,知恵子
内容要旨

 鶏伝染性気管支炎(IB)は鶏伝染性気管支炎ウイルス(IBV)の感染によって起こる鶏の急性呼吸器性疾病であり、伝播性は極めて強い。特に、若齢時のヒナに感染すると輸卵管の成長を阻害し、その後無産卵鶏の原因となり、感染時期によっては奇形卵などを伴う様々な産卵低下などの症候を起こす。

 現在、IBは世界的に流行し、養鶏産業に多大な経済的損失をもたらしている。韓国では1986年に初めて野外でIBの発生が確認され、また、1990年末には韓国内の肉用養鶏場でヒナに10%位の斃死とともに下痢、腎臓の尿酸沈着、腎炎などを伴う腎臓型IBの発生が報告された。

 IBVはコロナウイルス科に属し、世界的に様々な血清型に分類されている。野外ではこれら異なる血清型間での組み換えによって種々の新しい変異型IBVの出現が増加している。また、これらの血清型間では交叉反応や交叉免疫が起こらないため変異型IBVによる疾病の迅速な診断やその防疫には多大な労力と困難が伴っている。本論文は4章から成る。第1章においてIBに対する迅速な診断法を開発するために単クローン性抗体(MAb)を用いたDot-Immunoblotting Assay(DIA)法を改良し、韓国のIBV分離株における血清型分類の可能性を試みた。第2章では1986年から1997年まで韓国で分離されたIBV40株の野外分離株に対してReverse Transcriptase-Polymerase Chain Reaction (RT-PCR)とRestriction Fragment Length Polymorphism(RFLP)解析法を用い、韓国内で流行しているIBV genotypeの分類を試みた。更に、分類された各genotypeの病原性や現在まで韓国内で幅広く使われているH120生ワクチン株と韓国内でのmajor genotypeであるKM91株に対する交叉防御能を検討した。第3章においてそれぞれのgenotypeに対するS1糖蛋白遺伝子の全塩基配列を決定し、韓国のIBV分離株の由来および進化的意義付けを考察した。第4章においてKM91株のS1糖蛋白をバキュロウイルスベクターを用いて発現し、その発現蛋白の同定および防御免疫能の解析を試みた。

第1章 MAbを用いたDIA法による韓国IBVの検出および分類

 IBVに対する5種のMAbを用いたDIA法により、発育鶏卵で増殖した野外IBVの早期検出法および分類を試みた。群特異的なMAb3F5を用いたDIA法では10株のIBV標準株と12株の韓国野外分離株を早期に検出でき、最少ウイルス検出力価は103.8EID50/mlであった。また、DIA法による野外ウイルス検出効率を従来のIB診断法と比較した結果、DIA法では発育鶏卵にウイルスを接種後1-2回継代するとその尿膜腔液からIBV抗原が検出できたのに対し、従来の発育鶏卵接種法ではIBVの感染を確認するまで4-7回の継代を必要とした。これらの結果より、DIA法はIB診断に必要な時間と費用を多大に節減できることが示された。更にDIA法によるIBVの分類を試みるために、4種の株特異的なMAb(3A4、2A3、6F7、2C6)を用いて、IBV抗原に対する各々のMAbの反応パターンを比較した。その結果、10株のIBV標準株と12株の韓国野外分離株は共に6群に分けられた。また、韓国野外分離株の6群のうち3群のMAb反応パターンは標準株と一致したのに対し、他の3群の野外分離株は標準株とは異なったパターンを示した。これらの結果より、韓国には少なくとも3種類のIBV野外変異株の存在が示された。

第2章 1986年から1997年まで分離されたIBV韓国野外分離株に対する疫学的分類

 RT-PCR並びにRFLP法を用いて40株のIBV韓国野外分離株と4株のIBV標準株の分類を試みた。用いた野外分離株は1986年から1997年にかけて品種の異なる野外養鶏場の育成鶏群から分離された株である。制限酵素HaeIIIで処理したIBV S1遺伝子を含むDNA断片(1722bp)のRFLP切断パターンの解析結果より、40株の韓国野外分離株は5種類のgenotype(I、II、III、IV、V)に分けられた。また、6株の野外分離株はHaeIIとXcmI切断パターンによってMassachusetts type(H120とM41)標準株と同様なgenotypeIに属したのに対し、他の4種類のgenotypeは今回の実験で用いた4株の標準株とは異なるHaeIII切断パターンを示した。これらの5種類のgenotype中、1990年以降野外鶏群から持続的に分離された29株はgenotypeIIIに属し、韓国野外分離株の主流を示した。一方、genotypeII、IV、Vはそれぞれ1986年、1995年、1995年に1回ずつ分離された株である。更に5種類のgenotypeから代表株を5株選抜し、1日齢のSPFヒナに対する病原性を調べた。genotypeIIIの株は腎臓の尿酸沈着のみならず約50%位の致死率を示したのに対し、他の4種類のgenotype由来株は接種直後1-2日の間に軽い呼吸器症状のみを示した。弱毒H120ワクチンで免疫したヒナはgenotypcIに属する分離株の攻撃に耐え、防御能を示したが、他の4genotype由来株では攻撃実験では防御能は認められなかった。一方、genotypeIIIに属するKM91株を120回発育鶏卵で継代して得られたKM91p120株で免疫したヒナはgenotypeIIIの株のみならず、最近分離されたgenotypeIVとV由来株の攻撃に耐え、防御能を示した。

第3章IBV韓国野外分離株に対するS1遺伝子の塩基配列解析:これらS1遺伝子の変異を伴う進化的な推定

 上述の5株の韓国野外分離代表株のS1遺伝子の全塩基配列を決定し、アメリカ、ヨーロッパ、日本、オーストラリアのそれぞれで報告された20株のIBV S1遺伝子と比較した。S1遺伝子に対する進化系統樹解析の結果、5株の代表株のうち、3株(RB86、KM91、EY95)はMassachusetts groupに、また2株(B4、EJ95)はAmerican groupに属していることが示された。RB86とH120のS1遺伝子のアミノ酸配列は96.1%の相同性を示した。KM91とH120及びB4とArkansas99のS1アミノ酸配列にはそれぞれ類似する欠損や挿入などが認められた。このような遺伝子の変異は蓄積された点変異の結果と考えられた。また、EJ95のアミノ酸配列には1箇所の推定crossover領域(アミノ酸残基472から520)とそれぞれB4とKM91と類似している領域が保存されているのに対し、EY95は2箇所の推定crossover領域(アミノ酸残基196から260と487から533)とそれぞれH120、B4、EJ95と類似している領域が保存されていた。これは遺伝子組み換えだけではなく点変異などがIBV韓国野外株の進化の主要な機序であることを示している。

第4章 リコンビナントIBV S1糖蛋白バキュロウイルスの鶏における防御免疫効果

 IBV S1糖蛋白の鶏における免疫原性を調べるために、腎臓型野外分離株であるKM91株のS1糖蛋白を発現するリコンビナントバキュロウイルス感染細胞(rS1)を作製した。防御能はrS1で免疫した鶏に強毒KM91株を攻撃接種後、腎臓と気管から攻撃ウイルスの再分離の有無により検討した。rS1を3回免疫した鶏では腎臓で50%の防御免疫効果を示したのに対し、不活化KM91株は腎臓と気管でそれぞれ88%と50%の防御免疫効果を示した。一方、弱毒H120ワクチンで基礎免疫した場合は、rS1を2回追加免疫すると腎臓で83%の防御効果の上昇が認められた。rS1で3回免疫した鶏では高い赤血球凝集抑制抗体の力価を示し、特に攻撃接種後にはさらに高い力価を示した。これらの結果より、rS1は単独でも抗体による防御免疫能を有していると推定された。

 IBの効果的な防疫のためには今後とも韓国で流行するIBVの分離・同定を持続的に実施し、分離ウイルスの血清型を速やかに分類することが適切なワクチンの早期開発に役に立つと考えられる。分子生物学的手法を土台とした韓国で流行中の野外変異株の進化系統樹の研究結果は、持続的なIB生ワクチンの使用に伴う新しい変異ウイルス株の出現を反映しているものと考えられた。従って、IBV感染による被害を最小限にするためには従来のIB生ワクチンに代わるより安全で有効な次世代IBワクチンの開発が望ましい。

審査要旨

 鶏伝染性気管支炎(IB)はコロナウイルス科に属する鶏伝染性気管支炎ウイルス(IBV)の感染によって起こる鶏の急性呼吸器性疾病であり、伝播性は極めて強い。韓国では1986年に初めて野外でIBの発生が確認され、また、1990年末には韓国内の肉用養鶏場でヒナに10%位の斃死と共に下痢、腎臓の尿酸沈着、腎炎等を伴う腎臓型IBの発生が報告された。本研究は、異なる野外血清型間での組み換えによって出現する種々の新しい変異型IBVの迅速な診断法の確立やその防疫に有効なワクチン開発の基礎データの集積を目的として、4章から構成されている。

 第1章では、IBVに対する5種の単クローン性抗体(MAb)を用いたDot-Immunoblotting Assay(DIA)法により、発育鶏卵で増殖した野外IBVの早期検出法及び分類を試みた。群特異的なMAbを用いたDIA法では10株のIBV標準株と12株の韓国野外分離株を早期に検出でき、最少ウイルス検出力価は103.8EID50/mlであった。また、DIA法では発育鶏卵にウイルスを接種後1-2回継代するとその尿膜腔液からIBV抗原が検出できたのに対し、従来の発育鶏卵接種法ではIBVの感染を確認するまで4-7回の継代を必要とした。これらの結果より、DIA法はIB診断に必要な時間と費用を多大に節減できることが示された。更に、4種の株特異的なMAb用いてIBVの分類を試みた結果、10株のIBV標準株と12株の韓国野外分離株は共に6群に分けられた。また、韓国野外分離株の6群のうち3群のMAb反応パターンは標準株と一致したのに対し、他の3群の野外分離株は標準株とは異なるパターンを示し、韓国には少なくとも3種類のIBV野外変異株が存在することが示された。

 第2章では、Reverse Transcriptase-Polymerase Chain Reaction(RT-PCR)並びにRestriction Fragment Length Polymorphism(RFLP)法を用いて40株のIBV韓国野外分離株と4株のIBV標準株の分類を試みた。制限酵素HaeIIIで処理したIBV S1遺伝子を含むDNA断片(1722bp)のRFLP切断パターンにより、1986年から1997年にかけて分離された40株の韓国野外分離株は5種類のgenotype(I、II、III、IV、V)に分けられた。このうち、1990年以降野外鶏群から持続的に分離された29株はgenotypeIIIに属し、韓国野外分離株の主流を示した。更に5種類のgenotypeから代表株をそれぞれ1株を選抜し、1日齢のSPFヒナに対する病原性を調べた。genotypeIIIの株は腎臓の尿酸沈着のみならず約50%位の致死率を示したのに対し、他の4種類のgenotype由来株は接種直後1-2日の間に軽い呼吸器症状のみを示した。一方、genotypeIIIに属するKM91株を120回発育鶏卵で継代して得られたKM91p120株で免疫したヒナはgenotypeIIIの株のみならず、最近分離されたgenotypeIVとV由来株の攻撃に耐え、防御能を示した。

 第3章では、上述の5株の韓国野外分離代表株のS1遺伝子の全塩基配列を決定し、アメリカ、ヨーロッパ、日本、オーストラリアのそれぞれで報告された20株のIBV S1遺伝子と比較した。S1遺伝子に対する進化系統樹解析の結果、5株の代表株のうち、3株(RB86、KM91、EY95)はマサチョーセッツgroupに、また2株(B4、EJ95)はアメリカgroupに属していることが示された。KM91とH120及びB4とArk99のS1アミノ酸配列にはそれぞれ類似する欠損や挿入などが認められた。このような遺伝子の変異は蓄積された点変異の結果と考えられた。また、EJ95のアミノ酸配列には1箇所の推定置換領域(残基472から520)とそれぞれB4とKM91と類似している領域が保存されたのに対し、EY95は2箇所の推定置換領域(残基196から260と487から533)とそれぞれH120、B4、EJ95と類似している領域が保存されていた。これは遺伝子組み換えだけではなく点変異などがIBV韓国野外株の進化の主要な機序であることを示している。

 第4章では、腎臓型野外分離株であるKM91株のS1糖蛋白を発現するリコンビナントバキュロウイルス感染細胞(rS1)を作製し、その免疫原性を調べた。その結果、rS1を3回免疫した鶏では腎臓で50%の防御免疫効果を示したのに対し、不活化KM91株は腎臓と気管でそれぞれ88%と50%の防御免疫効果を示した。一方、弱毒H120ワクチンで基礎免疫した場合は、rS1を2回追加免疫すると腎臓で83%の防御効果の上昇が認められた。rS1で3回免疫した鶏では高い赤血球凝集抑制抗体の力価を示し、特に攻撃接種後には更に高い力価を示した。これらの結果より、rS1は単独でも抗体による防御免疫能を有していると推定された。

 以上の通り、IBの効果的な防疫のためには今後とも韓国で流行するIBVの分離・同定を持続的に実施し、分離ウイルスの血清型を速やかに分類することが適切なワクチンの早期開発に役に立つと考えられた。また、分子生物学的手法を土台とした韓国で流行中の野外変異株の進化系統樹の研究結果は、持続的なIB生ワクチンの使用に伴う新しい変異ウイルス株の出現を反映しているものと考えられた。これらの知見は学術上貢献するところが少なくない。よつて審査員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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