学位論文要旨



No 213717
著者(漢字) 亘,敏広
著者(英字)
著者(カナ) ワタリ,トシヒロ
標題(和) 犬、猫の血小板機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 213717
報告番号 乙13717
学位授与日 1998.03.02
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第13717号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長谷川,篤彦
 東京大学 教授 小川,博之
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 教授 小野,憲一郎
 東京大学 助教授 辻本,元
内容要旨

 血管壁が損傷を受けると内皮細胞が剥離し、露出した膠原線維に血小板が粘着・凝集して血小板血栓が形成される。次いで、血小板血栓を中心として凝固機序が加わり強固な凝固血栓が完成される。このように血小板は止血機序の開始に重要な役割を果たしており、血小板凝集能の低下は出血傾向を示し、反対にその亢進は血栓症などの病態を引き起こすことが知られている。血管内に形成された血栓は、血管内皮細胞に作用し血管透過性の亢進や、炎症細胞の遊走などにより血管傷害をも引き起こす。

 犬や猫では犬糸状虫症や肝疾患、肥大型心筋症などの疾患において、血小板の機能が異常を示し、原疾患の病態をより重篤な状態へと進展させることが考えられている。しかし、病態をコントロールするための血小板機能の制御に関する研究は数少ない。そこで第1章では犬における血小板凝集能の測定系を確立し、犬糸状虫感染犬および僧帽弁閉鎖不全症の犬において血小板凝集能と病態との関連を検討した。第2章では犬の特発性血小板減少性紫斑病(Idiopathic thrombocytopenic purpura;ITP)の病態を追究し、治療により血小板数が正常値に復したにも関わらず止血異常の持続する症例について血小板凝集能の側面からその病態を検討した。第3章では全身性の血管炎を主徴とする猫伝染性腹膜炎(Feline infectious peritonitis;FIP)の猫に対し血小板凝集能を抑制するトロンボキサン合成酵素阻害剤を投与し、その予後に与える影響について検討した。

 第1章において、はじめに血小板凝集能の測定系を確立するため、健常犬から血小板を分離し、アデノシン2リン酸(ADP)、コラーゲンおよびエピネフリンに対する凝集パターンをアグリコメーターを用いて解析した。20MのADPを血小板に作用させた場合、血小板は速やかに凝集し、不可逆的な二次凝集を示したが、血小板を10および5MのADPで刺激したときには、一次凝集から二次凝集へと連続的に推移し一部の例では解離が認められた。また血小板を2.5MのADPで刺激したときには一過性に凝集を認めたが、その後速やかに解離する一次凝集のみが観察された。コラーゲンに対する凝集では、2.5g/ml以上で、まず形態変化を起こし透過度が低下した後、数十秒から数分のラグタイムの後に凝集が認められた。このラグタイムは濃度が高いほど短縮した。しかしながら、1g/mlの濃度では形態変化は起こるものの凝集は認められなかった。また12.5g/ml以上のエピネフリンを作用させても血小板の凝集は認められなかった。しかし血小板を0.01〜1g/mlのエピネフリンで処理した後、2.5MのADPで刺激すると濃度依存的に凝集能の亢進が認められた。したがって健常犬における種々の凝集惹起物質に対する血小板凝集能の測定系を確立することが出来た。

 次に肺動脈における血栓形成が高率に認められる犬糸状虫症における血小板凝集能について検討した。一般臨床所見に異常の認められない3頭の犬糸状虫感染犬について血小板凝集能を測定したところ、5M以上のADPで刺激した場合ではすべて不可逆的凝集を示し、2.5Mでは一次凝集に続いて二次凝集が見られ、血小板凝集能の亢進が存在することが明らかとなった。また2例の犬糸状虫感染犬に対して0.5mg/kg/dayのアセチルサリチル酸(ASA)を5〜8週間経口投与し、投与前後の血小板凝集能を比較したところ、ASA投与後は健常犬と同様な血小板凝集パターンを示した。したがって、犬糸状虫感染犬では症状の有無に関わらず、血小板凝集能が亢進し、血栓形成傾向にあることが示された。またASA投与によって血小板凝集能を正常化することが可能なことから、本剤の予防的投与には意義があるものと考えられた。

 さらに僧帽弁閉鎖不全症(Mitral regurgitation;MR)について凝集能を検討した。本疾患では弁尖が変性し血流に乱流が起こり、血栓が形成されやすくなることが想像されるが、これまで血小板機能については検討されていない。そこでMRと診断し長期間にわたり血管拡張薬などの循環器薬によって治療を行っている犬29例について、その血小板凝集能を検討した。測定した29例のうち2.5MのADPで不可逆的凝集を示す血小板凝集能亢進例は8例、10MのADPでも一過性の可逆的凝集しか認められず、凝集能がやや低下している例が6例、10MのADPでもほとんど凝集が認められない凝集能低下例が5例、正常例が10例であった。血小板凝集能の低下が認められた4例は著しい高窒素血症を伴う末期のMRの症例であり、これら症例では血栓形成の後、凝集能を持たない疲弊した血小板が多く存在しているものと考えられた。このようにMRの症例の約65%において凝集能に異常が認められたことから、MRにおいては循環器薬で治療を行っても血流障害による血小板凝集の刺激が存在する症例が多いものと考えられた。

 ITPは突然の血小板減少とそれに伴う紫斑を主徴とする疾患で、その要因の一つに自己の血小板に対する抗体の関与が示されている。そこで第2章では犬のITPの臨床病理学的検討を行うとともに、ITPにおける血小板機能の意義について検討した。ITPと診断した犬19症例では、その年齢は1歳未満から13歳(6.3±3.2歳)で、雄が3例、雌が16例で、明らかに雌に多く認められた。また犬種ではマルチーズが14例と大半を占めていた。初診時あるいは発症時の血小板数は16.4±14.5x103/lと著しい低下を示し、貧血を伴う例が8例認められた。またこのうち13例について間接凝集法によって抗血小板抗体の検出を行ったところ、陽性4例、擬陽性5例、陰性4例であった。血小板減少症に貧血の伴う例の予後は著しく悪く30日以上生存したものは2/8例であった。これら症例のうち治療により血小板数が回復したにも関わらず紫斑が持続する症例がしばしば認められたため、これら症例における血小板凝集能を検討した。血小板凝集能を測定した5例のうち4例においては10MのADP刺激時にも一次凝集しか認められず、明らかに血小板凝集能が低下していることが見いだされた。そこでITP症例の血清が血小板凝集に及ぼす影響を検討した。その結果ADPに対する血小板凝集能はITP症例由来の血清添加によって低下することが明らかとなり、血清中に血小板凝集能を抑制する液性因子が存在することが示唆された。

 FIPはFIPウイルスの感染による、全身性の血管炎を主徴とする慢性・進行性の伝染性疾患である。その発病機序は複雑であるが、FIPウイルスによって血小板凝集能が亢進することが明らかにされており、病態の進行への関与が考えられている。そこで第3章ではFIPの病態に血小板が関与することを考慮し、血小板凝集能を抑制するトロンボキサン(Thromboxane;Tx)合成酵素阻害剤の投与によるFIPの病態の改善を試みた。FIPと診断した2例の猫に対しTx合成酵素阻害剤である塩酸オザグレルを5mg/kgまたは10mg/kgで1日2回経口投与した。投与12日〜2週間後には腹水は消失し、元気食欲も改善し白血球数および血清蛋白は正常化した。また1例では塩酸オザグレルを中止したところ腹水は再貯留し、中止後2か月で斃死した。このように塩酸オザグレルの投与によってFIPの症状が改善したことは血小板凝集能が抑制され血管炎の進展が制御されたためと考えられた。FIPにおいては腹腔浸出細胞からIL-1が産生され、腹水中に高い活性を認めることが知られている。一方、ヒトではIL-1により血管内皮細胞から血小板活性化因子が誘導され、次いで活性化した血小板から放出された生理活性物質によって血管内皮が損傷を受けることが示されている。したがって、FIPにおいて、塩酸オザグレルの投与によって症状が改善したことはFIPの血管炎におけるIL-1および血小板の活性化のサイクルが阻害され炎症反応が抑制された結果と考えられた。

 以上のように、本研究によって犬のフィラリア症や僧帽弁閉鎖不全症では血小板凝集能が亢進し、血栓が形成されやすい状態になっていることが明らかとなり、そのため腎臓における微小血栓形成が腎障害の原因となる可能性が示された。またこれら疾患における血小板凝集能の亢進は抗血小板薬の投与によってコントロール可能であることが示唆された。次にITPにおいては治療によって血小板数が正常域にまで回復したにも関わらず止血異常が持続する症例があり、その原因の一つとして血小板凝集能の低下が存在することが明らかとなった。さらに全身性の血管炎を主徴とするFIPにおいて、血小板凝集能を抑制する塩酸オザグレルの投与によって、症状を改善することができた。このことは血小板の凝集能を抑制し炎症の進展に関与するメディエーターの放出を妨げることによって血管炎が改善されたことを示しているものと考えられた。

 このように、犬において血小板凝集能の測定系を確立するとともに、循環器疾患、血液疾患および感染症において血小板凝集能が正常から逸脱していることを明確にした。またこれら疾患の病態の進展に血小板凝集能が関与することを示し、異常な血小板機能を是正することにより病態の改善する可能性を確認した。

審査要旨

 血管壁が損傷を受けると、露出した膠原線維に血小板が粘着・凝集して血小板血栓が形成され、この血小板血栓を中心として凝固血栓が完成される。このように血小板は止血機序の開始に重要な役割を果たしており、血小板機能の低下は出血傾向をまたその亢進は血栓症などの病態を引き起こす。

 犬や猫では犬糸状虫症や肥大型心筋症などにおいて、血小板機能に異常がみられ、病態をより重篤な状態へと進展させると考えられている。そこで本研究では各種疾患に伴う血小板機能異常を明確にし、凝集能を是正することによって原疾患の病態の進展に及ぼす影響について検討した。

 第1章では、はじめに健常犬の血小板を用いアデノシン2リン酸(ADP)、コラーゲンおよびエピネフリンに対する凝集パターンを解析した。ADPに対する血小板凝集能は20Mでは不可逆的な二次凝集を示し、2.5Mでは一過性に凝集を認める一次凝集のみが観察された。いっぽうコラーゲン2.5g/ml以上では刺激後、数十秒から数分のラグタイムの後に凝集が認められた。またエピネフリンを12.5g/ml以上で刺激しても血小板の凝集は認められなかった。このように健常犬における種々の凝集惹起物質に対する血小板凝集能を明確にし基準となる測定系を確立した。

 次に肺動脈に高率に血栓が認められる犬糸状虫症について血小板凝集能を検討した。症状に異常を認めない3頭の犬糸状虫感染犬について血小板凝集能を測定したところ、ADP2.5Mでは一次凝集に続いて二次凝集を認め凝集能の亢進が明らかとなった。また2例の犬糸状虫感染犬に対してアセチルサリチル酸(ASA)を経口投与し凝集能を比較したところ、ASA投与後は健常犬と同様なパターンを示した。したがって、犬糸状虫感染犬では症状の有無に関わらず血小板凝集能が亢進し、ASAの予防的投与により凝集能の正常化が可能なことが示された。

 さらに弁の変性により血流に乱流が生じ、血栓を形成しやすいと想像される僧帽弁閉鎖不全症の犬29例について血小板凝集能を測定した。29例のうち血小板凝集能亢進例は8例、やや低下している例が6例、低下例が5例、正常例が10例であった。また重症の心不全の例では凝集能の低下している例が多く見られ高窒素血症を伴っていた。これらの例に対して抗血栓療法を施したところ高窒素血症の改善が認められた。このことは腎臓における血栓形成の後に凝集能を持たない疲弊血小板が存在しているためと考えられた。

 第2章では犬の血小板減少に伴う紫斑を示す特発性血小板減少性紫斑病(ITP)の病態を追究するとともに、ITPにおける血小板機能の意義について検討した。ITPと診断した犬19症例の年齢は6.3±3.2歳で、雌が16例と明らかに多く、マルチーズが14例と大半を占めていた。発症時の血小板数は16.4±14.5x103/lと著しい低値であり、このうち13例について間接凝集法による抗血小板抗体を測定した結果、4例が陽性を示した。さらに血小板減少に貧血を伴う例では予後が著しく悪いことが明かとなった。またこれら症例のうち治療により血小板数が回復したにも関わらず紫斑が持続する症例を認めたため血小板凝集能を検討した。測定した5例のうち4例において著しい血小板凝集能の低下を認めた。そこでITP症例の血清が血小板凝集に及ぼす影響を検討したところ、症例の血清を添加した場合ADPに対する凝集能は低下し、血清中に凝集能を抑制する液性因子が存在することが示唆された。

 現在治療法の認められない猫のウイルス疾患である猫伝染性腹膜炎(FIP)はFIPウイルスの感染による、全身性の血管炎を主徴とする疾患である。本疾患の病態の進行に血小板凝集能の亢進が関与すると予見されたことから、第3章ではFIPの症例に血小板凝集能を抑制するトロンボキサン(Tx)合成酵素阻害剤を投与し、予後に与える影響を検討した。FIPの猫2例に対し塩酸オザグレルを5または10mg/kgで経口投与した。投与約2週間後には腹水は消失し、元気食欲も改善し白血球数および血清蛋白は正常化した。また1例では塩酸オザグレル投与を中止したところ腹水が再貯留し2か月後に斃死した。このように塩酸オザグレルの投与によってFIPの症状が改善したことは血小板凝集が抑制されFIPの血管炎におけるサイトカイン(インターロイキン1)および血小板が活性化する機構が阻害されたことによって炎症反応が抑制されたためと考えられた。

 以上のように本研究は各種疾患の病態の進展に及ぼす血小板凝集能の異常を明確にし、その重要性を提示するとともに、その対策について検討を加えたもので病態の解明ならびに治療の向上に有用な知見であり学問的およびその応用的価値のあるものと思われた。したがって審査員一同は本論文が博士(獣医学)に値するものと判定した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51071