学位論文要旨



No 213723
著者(漢字) 望月,優子
著者(英字)
著者(カナ) モチヅキ,ユウコ
標題(和) 中性子星グリッチの微視的モデル
標題(洋) A Microscopic Model of Neutron Star Glitches
報告番号 213723
報告番号 乙13723
学位授与日 1998.03.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第13723号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,勝彦
 東京大学 教授 釜江,常好
 東京大学 教授 野本,憲一
 東京大学 教授 大西,直毅
 東京大学 教授 大塚,孝治
内容要旨

 パルサー(強い磁場を持ち回転している中性子星)が発するパルス的電磁波は、中性子星表面に括り着いた磁場が、星と共に回転することによって放出されると考えられている。電磁波の放出とともに、星の角運動量は減衰していくが、あるとき星が突然スピンアップする現象"グリッチ"が多くのパルサーで観測されている。グリッチは、1969年にベラパルサーではじめて発見された。ベラパルサーのグリッチにおける星の回転エネルギーの増加は、1043ergのオーダーであり、これは太陽の全放射エネルギーのおよそ100年分に相当する。またスピンアップは2分以内に起きていることが観測からわかっている。現在までに、20個以上のパルサーで45回以上のグリッチが観測されており、グリッチは回転する中性子星に普遍的な現象である、と考えられている。しかし、どうしてこの現象が起きるのか、という問題は、宇宙物理、原子核物理、低温物理にまたがる重要な未解決問題である。

 中性子星の内殻では、中性子過剰核が、その電荷を中和する相対論的速度の電子の海の中で、ウィグナー結晶となり、多結晶固体を構築し、表面殻とともに回転している。中性子超流体はその周囲を充たしていて、原子核にひきずられることなしに流れることができる。しかしながら、流体の回転に伴って発生する大量(ベラパルサーで約1017本)の渦糸は原子核とかかわりあう。渦糸は、星の回転軸に平行に形成される。超流体の場合、渦糸は量子化され、芯の部分は常流動で、クーパーペアが形成されず、ペアリングエネルギーの損失を免れない。そこで、渦芯と原子核とは、なるべくオーバーラップする体積を大きくしようとする。したがって、渦糸は共存している原子核にくっつく、「ピン止め」とよばれる状態にある。原子核にピン止めされた渦糸は、ひとつのピン止め位置から隣のピン止め位置まで熱励起によってジャンプすることができる。ピン止めされた渦糸は動径方向外向きにマグナス力を受けるため、渦のジャンプは統計的に動径方向外向きにおきる。したがって、ピン止めされた渦の群は、星の回転が減速するにつれて、ゆっくりと回転軸から遠ざかっていく。これは渦のクリープ運動とよばれる。

 超流体は、星の他の部分との相互作用が非常に弱いため、超流体の回転運動は星の表面殻(荷電成分)の回転運動の減速から取り残されていく。したがって、超流体は星の表面よりも速く回転しているのだが、この部分の角運動量が、時折、大量に表面殻部分に放出されて、グリッチ現象として観測されるのだ、という解釈が主流である。超流体から表面殻への角運動量輸送は、超流体中に存在する大量の渦糸の動径方向の運動により決まる。超流体の角運動量が、固体の表面殻へ突然輸送されるためには、ピン止めされた大量(ベラパルサーで約1013本)の渦糸が、なだれ的に原子核からピンはずれし、再びピン止めされることなしに、動径方向外向きに(星表面に向かって)いっせいに流れなければならない。この「なだれ的ピンはずれ」によりグリッチを説明するというアイデアは、1975年にアンダーソンと伊藤により発表され、現在までの観測的、理論的サポートとあいまって、グリッチの起源として広く受け入れられている。しかし、なだれ的ピンはずれの物理的機構は今だにわかっておらず、グリッチ問題の最重要課題とされてきた。

 申請者は、当論文において、このなだれ的ピンはずれの物理的機構を説明する、はじめての微視的モデルを提出している。この問題に対する答えは、二つの点から成る。第一の点は、中性子星内殻のある特別な場所で、渦糸の芯にそって、棒状の原子核を形成することである。この棒状原子核を、Pinning-Induced Nuclear Rod(ピン止めが誘発する棒状原子核;以下PINRと略記)と名付けている。PINRの形成は、後述するように、渦の堆積をもたらす。第二の点は、堆積した渦糸同士の斥力を、大量の渦の分布を連続体近似で取り扱う伝統的なマグナス力に対して、渦の近傍の微視的な渦糸分布に起因する、局所場補正を導入することである。

 図1にPINRの形成過程を示す:原子核にピン止めされている渦糸があり、一定の時間のあいだ同じピン止め位置に滞在する。原子核は、ゼロ点エネルギーで格子振動している。渦の最近傍の原子核が、ゼロ点エネルギーでクーロン障壁をトンネルし、渦糸の中にとりこまれる。とりこまれた原子核は、もともと渦芯の中にいる原子核と核融合を起こし、棒状原子核が構築されてゆく。与えられた場所で準安定な棒状原子核を誘発するために、ひとつの原子核の捕獲は、約10個の原子核の核融合をひきおこす。この原子核捕獲のくりかえしにより、渦糸に沿って長い棒状原子核が形成される。

図1 Pinning-Induced Nuclear Rod形成の模式図。

 PINRの形成が渦の運動に決定的に重要であるのは、次のような理由による。誘発されたPINRは周囲を球状原子核で囲まれているため、PINRを誘発した渦糸のポテンシャルエネルギーは最小となる。そのため、渦は隣の原子核に熱励起によりジャンプすることはできず、PINRを誘発した場所から動けなくなってしまう。これは、渦の自己束縛(Self-Trapping)である。ある特別な場所でだけPINRができる場合には、その場所でSelf-Trapされた渦の密度が増えると、星の内側から、あとからクリープしてきた渦を渦糸間斥力によって押しとどめ、PINRの形成場所に大量の渦糸が堆積する。

 当論文では、はじめに、「PINRが、ある特別な場所だけで形成され得るか」という第一の点について議論する。まず第一に、PINRが形成されることによって系のエネルギーが低くなる密度領域が存在することを、ウィグナー・ザイツ近似により示した。PINRがエネルギー的に有利な領域は、内殻のうち、中心核に近接したシェル状の領域である(図2)。

図2 中性子星の断面とFrontier regionにおけるPINRの形成(模式図)。

 最終的にPINRの形成を結論するためには、渦がひとつのピン止め原子核の場所に滞在する時間が、棒状原子核の形成時間よりも長いことを示すことが必要である。このPINR形成についてのダイナミクスの重要な点のひとつは、近傍の原子核が渦芯中にとりこまれる時に越えなければならないクーロン障壁の大きさである。ダイナミクスの最初の段階として、このクーロンバリアを、フーリエ解析により導出した。計算は、スーパーコンピュータを用い、核融合を起こす原子核をとり囲む他の原子核による遮蔽の効果と、背景電子による遮蔽の効果とを、正確に考慮した。次に、得られたクーロンポテンシャルを用い、PINRが形成される核反応時間を見積もった。PINRの形成時間は、密度によるが、典型的に、10-5秒のオーダーである。

 PINRの形成がおきる特別な場所は、図2に示す"Frontier region"である。図に示されているように、Frontier regionでは、渦糸は中心核に正接的に接する。ここでは、上(下)半球の渦は、下(上)半球の渦と合体しなければ、さらに外側にクリープ運動することはできない。これは渦糸の数の保存則による。このため、内側からクリープしてきた渦は、Frontier regionでは動径方向外向きにジャンプすることはできず、方位角方向に横とびをして、隣のピン止め原子核の位置に移動し、合体するパートナーをさがそうとする。この渦の方位角方向のジャンプは、渦がそれまで行ってきた、マグナス力が仕事をする外向きのジャンプに比べて時間がかかり、渦はFrontier regionに滞在する時間が最も長くなる。この領域において、渦がひとつのピン止め原子核の場所に滞在する時間は、温度に強く依存するが、ベラパルサーに適当な条件のもとで、典型的に10-4秒である。したがって、Frontier regionにおいてのみ、渦がひとつのピン止めの場所にとどまっているあいだに、核融合反応が進行し、PINRが形成できることがわかった。この結果、上述した渦のSelf-Trapの機構により、星の回転が減速するにつれて、Frontier regionに渦の堆積がおきる。

 第二の点である、堆積した大量の渦間の相互作用については、伝統的な流体力学的マグナス力では考慮されていない、局所的な渦間相互作用が重要であることを指摘した。巨視的な連続体近似によるマグナス力は、局所的な渦密度には依存しない。これに対し、局所場補正は局所的な渦密度につよく依存する。したがって、渦の堆積が進むと、ある臨界渦密度に達したときに、局所的マグナス力を強く受ける堆積領域の最外部のひとつの渦が、原子核からピンはずれをおこし、これがtriggerとなってFrontier regionでSelf-Trapされた渦群がなだれ的にピンはずれする。ピンはずれした渦の群は、渦流となって星表面に向かって流れ、超流体の角運動量を表面外殻に輸送する。これがグリッチとして観測される。マグナス力の局所場補正の大きさから見積もられた臨界渦密度は、ピン止め力の理論、PINR形成の理論、また観測から示唆される物理量のパラメタ値と矛盾しない。

 当論文により、申請者は、ベラパルサーより古いすべてのパルサーに適用できる微視的なグリッチモデルの基本部分を確立した。またこのモデルは、若く温度の高い中性子星では、渦の運動が速いためにPINRは形成されず、逆に古い中性子星では、大きな割合の渦糸がPINRを誘発しSelf-Trapされることにより、観測されているグリッチのふるまいの年令による進化をも、うまく説明ができる可能性があることが示されている。

審査要旨

 電磁波を周期的に放出する天体、パルサーの正体は強い磁場を持って自転している中性子星であると考えられている。磁気双極放射によって角運動量が放出され自転速度は減少するが、あるとき星の自転速度が突然微増する現象がおこる。この現象は"グリッチ"と呼ばれている。この論文の目的はこのグリッチを説明する一つの微視的モデルを提唱することである。論文は9章からなる。1章から3章が導入部分、4章から7章がこの論文の主要部分で、論文提出者のモデルが系統的に示されている。8章9章はまとめ、結論にあてられている。

 グリッチは自転している中性子星に普遍的な現象であると考えられているが、その機構は解明されていない。ひとつの有力なモデルが"渦糸のピンはずれモデル"である。中性子星の内殻では原子核が結晶固体を構築し、表面殻とともに自転している。中性子超流体は原子核にひきずられることなしに流れることができる。しかし渦糸は共存している原子核との相互作用により、原子核にくっついた「ピン止め」とよばれる状態にあると考えられている。ピン止めされた渦糸は外向きにマグナス力を受けるため、外側の原子核へとジャンプしながらゆっくりと自転軸から遠ざかっていく。超流体は、星の他の部分との相互作用が非常に弱いため、超流体の自転は星の表面殻の自転運動の減速から取り残されていく。したがって、超流体は星の表面よりも速く自転している。この部分の角運動量が、時折、大量に表面殻部分に放出されるなら自転速度が突然速くなることになり、グリッチを説明することができる。この「なだれ的ピンはずれ」はグリッチの起源として広く受け入れられているが、その物理的機構は未だ解明されていない。

 提出者は、当論文において、このなだれ的ピンはずれの機構を説明する、微視的モデルを提唱している。このモデルは二つの点に基礎を置いている。第一の点は、中性子星内殻のある特別な場所で、渦糸の芯にそって棒状の原子核が形成されることである。提出者はまず棒状原子核が形成されることによって系のエネルギーが低くなる密度領域が存在することを、ウィグナー・ザイツ近似により示している。棒状原子核がエネルギー的に有利な領域は、内殻のうち、中心核に近接したシェル状の領域である。最終的に棒状原子核が形成されるためには、渦がひとつのピン止め原子核の場所に滞在する時間が、棒状原子核の形成時間よりも長いことが必要である。提出者は核反応時間を見積もり、形成がおきる特別な場所は、渦糸が中心核に正接的に接するFrontier regionであることを示している。この結果、星の回転が減速するにつれて、Frontier regionに渦の堆積がおきる。

 第二の点は、堆積した渦糸同士の斥力を、大量の渦の分布を連続体近似で取り扱う伝統的なマグナス力に対して、渦の近傍の微視的な渦糸分布に起因する、局所場補正を導入することである。堆積した大量の渦間の相互作用については、申請者は伝統的な流体力学的マグナス力では考慮されていない、局所的な渦間相互作用が重要であることを指摘した。巨視的な連続体近似によるマグナス力は、局所的な渦密度には依存しないが、局所場補正は局所的な渦密度に強く依存する。したがって、渦の堆積が進むと、ある臨界渦密度に達したときに、局所的マグナス力を強く受ける堆積領域の最外部のひとつの渦が、原子核からピンはずれをおこし、これが引き金となってFrontier regionで捕まっていた渦群がなだれ的にピンはずれする。マグナス力の局所場補正の大きさから見積もられた臨界渦密度は、ピン止め力の理論、棒状原子核形成の理論、また観測から示唆される物理量のパラメタ値と矛盾しない。

 当論文により、提出者は、ベラパルサーより古いすべてのパルサーに適用できる微視的なグリッチモデルの基本部分を確立した。また、若くて温度の高い中性子星では、渦の運動が速いために棒状原子核は形成されず、逆に古い中性子星では大きな割合の渦糸が棒状原子核を誘発し捕捉されることから、観測されているグリッチのふるまいの年令による進化をも、説明できる可能性があることが示されている。

 このように、この論文の学術的寄与は大きく、審査委員一同学位論文として十分の価値を持っていると判断した。なおこの論文は、伊豆山健夫氏、谷畑勇夫氏、親松和浩氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって行ったもので、提出者の寄与が十分であると判断した。したがって博士(理学)を授与できると認める。

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