学位論文要旨



No 213725
著者(漢字) 森,俊哉
著者(英字)
著者(カナ) モリ,トシヤ
標題(和) 赤外吸収分光法を用いた火山ガス組成の遠隔測定に関する研究
標題(洋) Remote measurement of volcanic gas chemistry using infrared absorption spectroscopy
報告番号 213725
報告番号 乙13725
学位授与日 1998.03.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第13725号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 兼岡,一郎
 東京大学 教授 小川,利紘
 東京大学 教授 井田,喜明
 東京大学 助教授 鍵山,恒臣
 東京大学 教授 野津,憲治
内容要旨

 火山ガスは、火山の地下のマグマや、ハイドロサーマルシステムを理解する上で重要な研究項目の一つである。これまで多くの研究者が,ガス採取の際に伴う危険にもかかわらず、噴気地帯で火山ガスを採取し、実験室で分析する方法で、火山の地球化学的調査を行ってきた。遠隔測定法を用いれば、このようなガス採取に伴う危険を軽減することができる。さらに、地形的要因や火山活動が高いため、ガス採取が困難であった噴気地帯からのガスの測定も可能になる。しかし、現在広く使用されている火山ガス成分の遠隔測定法には、火山ガスの複数成分を測定する確立した手法はなく、火山ガス中のSO2しか測定することができない。そこで、本研究の目的は、火山ガスの多成分の濃度比を遠隔測定する方法を確立し、以下の研究を行うことにある。第一に、地形的要因などで従来採取が難しかった火山ガスの化学的特徴を明らかにする。第二に、火山からのSO2放出量を測定する遠隔測定法と組み合わせることにより、SO2以外の成分の放出量を遠隔測定だけで見積もる。第三に、火山活動が静穏な時期から活発な時期にかけて、火山ガス化学組成の変化をとらえることを可能にする。

 本研究では、火山ガスの多成分の遠隔測定法として、赤外吸収分光法を応用した。赤外吸収分光法は、大気中の微量成分や公害物質の遠隔測定に広く使用されており、原理的に火山ガスのほとんどの成分を測定できる。観測には、野外測定用のFT-IR分光放射計を使用し、赤外光源と観測機器間にある火山ガスプリューム中の、火山ガス成分の濃度比を求めた。赤外光源には、溶岩ドームや噴気地帯の高温地表を利用した。本論文では、この遠隔測定法を用いた、雲仙、ヴルカノ(イタリア)、阿蘇中岳、薩摩硫黄島硫黄岳の4つの火山での観測について報告する。

 雲仙火山では、1992年3月と7月に、溶岩ドームから約1.3キロメートル離れた位置に観測機器を設置し観測を行った。観測当時、雲仙火山は噴火中で、溶岩ドームは成長中であり、その頂上からは活発に火山ガスを放出していた。観測スペクトル中に火山ガスのSO2とHClによる吸収を検出し、火山ガス中のSO2/HCl比を見積もった。2回の観測とも比の値が0.7-1.8で、この2つの時期で比の値に有意な変化は認められなかった。遠隔測定により、火山ガスプリューム中のHClを測定し、SO2/HCl比を求めたのは本研究が初めてである。

 イタリア・ヴルカノ火山では、1993年4月に、フォッサ・グランデ火口の南火口縁に観測機器を設置し、火口北側内壁に広がる噴気地帯から放出する火山ガス中のSO2/HCl比の観測を行った。その際、それぞれが数十メートル離れた4つの噴気孔からのプリューム中のSO2とHClを、それぞれの噴気の高温地表を赤外光源として測定した。FA、F47、FW、F21(下部)噴気のSO2/HCl比はそれぞれ4.5-5.4、3.5、9.5-11.2、5.8であり、数十メートル離れた噴気孔から放出するガスのSO2/HCl比が約2倍異なるという結果が得られた。この結果は、本測定法で、SO2/HCl比の空間分布が測定できることを示している。また、遠隔測定によるFA噴気のSO2/HCl比は、噴気孔から直接ガスを採取し分析したSO2/HCl比(=2.9)よりも高く、(SO2+H2S)/HCl比(=4.6)に近い値を示した。

 阿蘇中岳での観測は1996年7月と1997年5月の2回実施した。中岳の噴気地帯は、第1火口の南側火口壁にあり、現在危険なため、ここからガスを直接採取することはできない。阿蘇中岳では、この噴気地帯から放出するガスの化学組成の遠隔測定を行った。観測点は火口縁上で、噴気地帯からの距離は約250メートルである。InSb検出器を用いた測定では、SO2、HCl、CO、COSとCO2の5成分を確認した。MCT検出器を用いた測定では、SO2とSiF4の吸収を検出した。遠隔測定で、火山ガスの5つの成分を同一スペクトル中に検出したのも、また、一つの火山で6つの火山ガス成分を測定したのも、本研究が初めてである。

 高温火山ガスの平衡化学組成を調べると、平衡温度の逆数とlog(CO/CO2)の間には直線関係がある。遠隔測定によるCO/CO2比と、この直線関係とを用いて、阿蘇の火山ガスの平衡温度を見積もった。その結果、1996年7月には750±120℃、1997年5月には690±110℃という平衡温度が得られた。火山ガスの平衡温度とは、ガスが地下で化学平衡状態にあった時の温度を示すものである。また、遠隔測定によるプリューム中のHCl/SO2比は、高温火山ガスとしては比較的低い値を示しており、このことは阿蘇中岳のガスが地下水と接触していることを示唆している。遠隔測定の結果をもとに、阿蘇中岳の噴気システムの簡単なモデルを提唱した。

 薩摩硫黄島は九州の南約50キロメートルに浮かぶ火山島で、硫黄岳の山頂火口を中心に活発な噴気活動を続けている。ここの火山ガスの特徴は、800℃以上の高温を示すことと、比較的ハロゲンに富む化学組成を持つことである。従来の火山ガスの採取と分析による方法では、火山ガス中のフッ素化合物HFとSiF4の2成分を区別することができない。このため、フッ素の化学分析結果は、便宜的にHFとして報告され、SiF4の存在は無視されてきた。薩摩硫黄島での観測の目的は、従来の方法では分析ができないSiF4と、この遠隔測定法によってまだ測定されてないHFの2成分を遠隔測定し、火山ガスプリューム中のフッ素化合物について明らかにすることにある。

 硫黄岳では、東側火口縁に観測機器を設置し、山頂火口からの噴気を観測した。ここでは、火口内の高温地表と電熱器を赤外光源とする、2種類の測定を行った。これらの測定により、SO2.HCl.SiF4,HFの4成分を定量することができた。火山ガス中のHFの遠隔測定に成功したのは本研究が初めてである。それぞれの成分のモル比はSO2/SiF4比で約80、HCl/SiF4比で約16、HCl/HF比で約9という結果が得られた。この結果から、HF/SiF4比の値が1-4であることがわかった。本研究の結果は、少なくとも薩摩硫黄島では、大気へ放出する火山ガスのフッ素化合物としてSiF4が相当量含まれており、フッ素の大気への放出の面で、SiF4がHFに比べ重要な役割を果たしていることを示している。また、このことは、SiF4は火山ガスのフッ素化合物として微量にしか存在しないという、従来の常識とは異なるものであり、火山ガス中のフッ素化合物に関して新しい知見が得られた。

 火山ガスプリューム中のSiF4は、HFが噴気通路の壁岩のSiO2と反応して生成すると考えられているが、この反応が化学平衡状態にあったと仮定すると、硫黄岳プリューム中のSiF4のほとんどは、400℃以上の高温噴気孔からではなく、100℃前後の低温噴気孔から放出していることになる。また、この場合、低温噴気孔からのガス放出量の、硫黄岳の全ガス放出量に対する割合が、数十パーセントになるという結果が得られた。

 FT-IRを用いた遠隔測定によって得られたSO2/SiF4モル比と、相関スペクトロメータ(COSPEC)で遠隔測定したSO2の放出量とを組み合わせることにより、火山からのSiF4の放出量を見積もった。阿蘇、ヴルカノ、エトナ、薩摩硫黄島からのSiF4放出量はそれぞれ、0.05ton/day以下、約0.4ton/day、約3ton/day、約10t/dayで、薩摩硫黄島の放出量がもっとも大きいことが明らかとなった。雲仙火山のスペクトル中にはSiF4を検出できなかった。また、イタリアのエトナ火山は、非噴火時の火山で世界有数のCO2、SO2、HClの放出量をもつが、薩摩硫黄島のSiF4放出量は、このエトナ火山でのSiF4放出量よりも大きく、このことから薩摩硫黄島は世界有数のSiF4放出量を持つ火山であると考えられる。

審査要旨

 本論文は、火山ガスの化学組成を遠隔測定する新しい方法として赤外吸収分光法の応用を試み、CO2、CO、COS、SO2、HCl、HF、SiF4などの検出に成功し、それらの定量から火山活動の評価を追及してており、火山学に新しい方法論と知見を付け加えることに大いに貢献した。

 本論文は6章からなり、第1章はこれまでに行なわれてきた火山ガス成分の遠隔測定法のまとめとその問題点、第2章は本研究で開発確立した赤外分光法を用いる火山ガス多成分の遠隔測定法について述べている。つづいて第3章は雲仙火山での観測結果とその検討、第4章はイタリア、ブルカノ火山での観測結果とその検討、第5章阿蘇火山中岳での観測結果とその検討、第6章で薩摩硫黄島火山での観測結果とその検討について述べている。

 第1章では、火山ガスの化学組成を調べる従来からの現場採取-化学分析の方法の問題点や、SO2に限られているこれまでの火山ガス成分の遠隔測定がまとめられ、本研究の目的である火山ガスの多成分の遠隔測定法の確立が指摘されている。

 第2章では、本研究で確立した赤外吸収法を利用した火山ガスの多成分遠隔測定法について、原理、測定システム、スペクトル解析法などについて詳しい記述がなされている。本方法は、赤外光源として噴気地帯から発する熱や溶岩ドームの熱など天然物を使うところにも独創性があるが、光源温度によって検出できる成分が制約される。そこで、光源温度と各成分の検出感度との関係を詳細に調べ、方法論としての限界の評価を行なった。

 第3章で述べている雲仙火山では、赤外光源となる溶岩ドームから約1.3Km離れた地点から溶岩ドーム上に出ている火山ガスの赤外スペクトルを測定し、SO2とHClの吸収スペクトルを得、両成分の組成比を求めた。火山ガス組成の赤外分光による遠隔測定は、1960年代に波長分解能の劣る分光器で行なわれた一例を除くと、本研究が世界で最初であり、雲仙火山の結果は世界的にも高く評価を受けてた。ちなみに、この結果を記した学術論文を見て、火山ガスの赤外分光を行なうグループが国内外に誕生したことはこの結果の反響の大きさを表わしている。

 第4章では、イタリア、ブルカノ火山での観測を述べている。この火山では高温噴気地帯が火口北側内壁に分布しているが、南側火口縁に観測装置を設置し、噴気地帯を見下ろす形で異なる噴気孔から放出する火山ガスの赤外スペクトルを測定した。その結果、数十m離れた噴気孔の火山ガスのSO2/HClが2倍異なることを示し、本研究で確立した方法が火山ガス組成の空間分布を調べるのに役立つことを示した。

 第5章で述べている阿蘇火山中岳では、第一火口南側火口壁のアクセス不可能な場所から出ている噴気を約250m離れた火口縁から測定した。高波数側に感度が高い赤外光検出器を使い、CO2、CO、COS、SO2、HClの5成分同時測定できたが、これも本研究が初めてである。高温火山ガスのCO/CO2から平衡温度を求める経験式を考案し、測定結果をあてはめたところ、噴気孔の温度より高い温度が得られ、地下のガス温度が推定できることを示した。

 第6章で述べている薩摩硫黄島火山では、SO2、HCl、SiF4、HFの4成分定量できたが、火山ガス中のHFの遠隔測定は初めてである。従来の化学分析ではSiF4とHFとを分けて定量できず、フッ化物は一括してHFとして扱っていたので、分けて定量できることだけでも画期的であるが、HF/SiF4が1〜4であることが示され、火山ガス中には微量のSiF4しか存在しないという熱力学的推定をくつがえす新しい知見を得た。さらに、SiF4の放出量を算定し、世界で有数のSiF4放出火山であることを示した。

 このように、森氏は火山ガス観測に対してこれまで殆ど応用されてこなかった赤外吸収分光法を用いての遠隔測定により、火山学の新しい手法の開発を行うと共に重要な新しい知見を与えた。したがって本論文は、本学の博士(理学)の学位を授与するのに十分に値すると本審査委員会は認定した。

 なお、第3章は野津憲治氏をはじめ3名との、第4章は野津憲治氏をはじめめ5名との、第5章は野津憲治氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって観測、解析および結果の検討を行なったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク