本稿の目的は、特定の歴史社会的文脈の中にある都市の空間と社会構造の変動過程に対し総体的な説明を与えるために、構造変動の主要な「担い手」(agent)としての政治社会主体の形成とその特定、及び各主体の政治行政過程への直接及び間接の関与実態に焦点を据えることの重要性を強調した、新しい「都市地域地理学(都市地誌)」の試みを具体的に展開することにある。これは、極めて一般的かつ抽象的な「構造と主体」(’structure vs.agency’)の方法論的議論を個別具体的な都市地域地理学研究に導入することを通じて実証的な事例に即して具体的に肉付けし、併せて現実に生起してきた社会・空間過程を理論的に再構成ないし再解釈していく作業であるということができる。 具体的な都市地域地理の記述対象として本論文で取り上げたのは、カナダ東部オンタリオ州南部に位置する同国の主要都市トロント市とそこで1960年代末から80年にかけて生起した都市社会空間構造の変容をめぐる歴史的経験である。同時期この都市では、他の英米圏の大都市とほぼ同様に、都心地域における建造環境の更新と住民の社会経済的格上げからなる社会と空間の変貌過程である、いわゆるジェントリフィケーション現象が現実のものとなっていた。更に、60年代末に始まる当時の都市改革運動と改良派政治家による都市政治がトロント市の空間と社会に与えた影響は、このジェントリフィケーションを含め単なる一過性のものに留まる性格のものではなく、同市の基本計画変更を含めて今日の市民生活や都市計画行政にも大きな痕跡を残している。従って、その過程や現実的効果の実態について改めて分析を加えることは、現在の同都市が備えた空間社会構造を新たに理解する上でも不可欠な前提条件であると考えられる。 第一章では、具体的な研究対象であるトロント市とその都市改革運動について北米の都市政治史と都市地理の動向に即して概説するとともに、「新しい都市地域地理学(都市地誌)」の記述に関連して、都市構造変動に関係する主体形成とその確定作業に特に注目する構造化概念(structuration)とその都市研究への導入について簡明な方法論的検討を行った。次の第二章では、1960年代における都市改革運動の成立の社会経済的背景を、第二次大戦後のトロント大都市圏の成長過程自体に求めた。それによると、第二次大戦後における大都市圏の成長は、他の北米都市と同様主として郊外地域が担ってきており、旧市街地地区である都心地域の停滞を伴う内的不均等形態をとっていた。これに合わせて行政主体である市当局は、都心地域と郊外のそれを連結する新たな高速道路の建設や都心地域における大規模な都市住宅の再開発計画を打ち出すことで、都市内部の不均衡地域発展の是正を目的とする成長管理政策(managerism)をとっていた。同時期、民間部門による都心地域の商業及び業務施設の再開発や高層住宅部門の開発計画も次第に集中の度合いを強めつつあった。60年代の後半になると、市当局のこうした成長管理主義的政策に対し、都市再開発に関連した土地利用の改変計画に対する関係住民の反対運動が市内の各所で勃発した。この住民側の再開発反対運動は当初、あくまで今日具体的で個別具体的な利害関係に基づいた局所的なものに過ぎず、唯一の共通点は、反対は住民の多くが当該地域に土地家屋を所有する中産階級に属していたことに過ぎなかった。従って、この運動発生の当初では、反対派は市政改革派的政治組織としては未成熟であり、単に関係住民による、事前の協議過程を欠いた急速な都市再開発に対する一種の保守反動的な対応が、都市政治の枠組みの中で一定の政治的形態を取ったものに過ぎなかったのである。しかしこうした個別かつ局所的な社会運動も、都市高速道路建設反対運動などを契機として「歴史的な建造環境と生活の質の保全」という対立する多義性を孕んだ人民主義的イデオロギーの下で次第に政治的な統合を進行させ、70年代に入るとついに都市改革運動として一枚岩的な政治勢力へと成長を遂げてきたのであった。 続く第三章では、市政選挙を通じてトロント市政の実権を掌握するに至った市民活動家を中心とした改革派政治家の手によって実施された、様々な都市改革主義的政策を盛り込んだ一連の政策プログラムを直接の分析対象とした。その結果、同時期の改良派市政がその政策目標としたのは、結局以下の二点に集約可能となった。それらは、一方で中心市街地区における「歴史的建造環境」を含めた現行の都市近隣住区における土地利用の保全を要求し、他方、都心地域における生活環境と住民双方の社会的多様性の保持を強く志向するといった、大きく二点からなる政策目標を構成していたのである。確かに改革派市政は、前者については主として都心地域の土地利用規制を盛り込んだ市基本計画の改定によって、また後者については、具体的に全市レベルにおける「低廉な」住宅供給という社会政策的目標として相応の具体的な計画策定を実行してきてはいた。 こうして、改革派としての市政担当者層は、上記のような政策立案を通じて70年代を通じて市議会における多数派権力を維持し続けたが、同期間におけるその政策の展開を巡っては、先の二大政策を同時に実施することの現実的困難性が次第に露呈をみせてきた。特に、土地利用規制を含めた都心近隣住宅地域の保全計画が、その他の社会政策的な住宅供給策に対し一貫して政策的な優先順位の上位を占め続けていた。その結果、同市都心地域における低所得層の入居可能な居住空間の供給総量は絶対的な減少を示し、それと相前後して同地区における中産的専門職層の新たな都心の居住空間への進出は顕著なものとなって、ジェントリフィケーションが確かに現実の事態となった過程の論理が明確にされた。 以上のような都市空間の利用をめぐる政治過程とその効果については、続く第四章で同時期の前後における同市の職業別社会構成や住宅ストックの量および質的変化などの具体的データに即して詳論し、そうした「内的矛盾」の実態を実証的に分析することを通じて、いわは二つの合い矛盾する政策プログラムの狭間で次第に「手詰まり」状態になっていった改革派市政の実態とその現実的な効果の社会経済上の偏向を指摘した。 更に第五章では、先の都市改革運動の多義性を孕んだイデオロギーを帯びた改革派の70年代トロント市政とその効果の実態について、同市の特殊な文脈と一般的な都心空間社会の再活性化(revitalization)の議論に準拠した上で、その理論的位置づけについて再検討した。ここでの分析的検討から明確になったのは、戦後の急速な郊外成長の中で相対的に取り残され社会経済的に停滞してきた都心地域の「第二の郊外化」としての都市資本の空間的力点移動といった事態に対して、特にその「条件整備」といった点でむしろ積極的に関与した改良派市政の現実的な効果の内実である。すなわち、都心地域の「活性化」を達成したのは、「構造」としての(都市)資本の空間的動態や「主体」としての改革派市政担当者及びその支持母体による全市的運動形態のどちらか一方の所産では必ずしもなく、むしろそれらが織り成す社会過程を構成した「媒介項」としての市政システムそれ自体に起因していたことでもあったのだ。 本論文において展開された個別都市の社会と空間構造の変動過程に関する事例研究は、「社会と空間の歴史的相関」といった一般的な問題機制に基づいた新たな都市社会地理学的研究の実践の一例として、新たな展開を示唆するものである。こうした「都市を主要なフィールドとした新たな地誌学」の実践の上では、とりわけ、都市成長を底支えした様々な政治社会集団の生成とその過程に積極的な影響を与えた政治実践及びイデオロギーの社会的布置、更には政治社会集団の様々な運動が孕んだ現実的「効果」の実態等に対して、包括的な分析を加えていくことが極めて重要であることが、本研究のような政治・社会過程の実態に及ぶ詳細な個別事例研究の成果を通じて、改めて確認された。更に、現代の先進社会における大都市の社会と空間の変動に対する考察においては、脱工業化社会における「新たな階級」(The New Class)たる「専門職従事者層」とその空間的動態に対しても、分析上の一つの焦点を合わせかつそれを理論化していくことの重要性が、本論の結果からも改めて示唆された。 |