学位論文要旨



No 213738
著者(漢字) 八嶋,由香利
著者(英字)
著者(カナ) ヤシマ,ユカリ
標題(和) スペイン内戦下のカタルーニャ農村 : 農業集産化と農民
標題(洋)
報告番号 213738
報告番号 乙13738
学位授与日 1998.03.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第13738号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 平野,健一郎
 東京大学 教授 木畑,洋一
 東京大学 教授 和田,春樹
 東京大学 助教授 高橋,均
 中央大学 教授 岩松,隆
内容要旨

 スペイン内戦(1936-39年)は1931年に成立した第二共和制を支持する左派諸政党や労組とそれに反旗を翻した軍部及び保守派との間で3年にわたり戦われた.それは「第2次大戦の前哨戦」という世界史的な意味合いだけでなく,当時共和国側で広く行われた工業・農業の集産化ゆえに各国の研究者の注目をあつめてきた.労働者や農民による集産化はそれまでのスペインの社会・経済体制を大きく変えただけでなく,ブルジョア資本主義体制を打破し,新しい社会主義的社会を作りだそうとする指向性をもっており,当時のヨーロッパでは他に類をみない変革の試みであった.

 しかし,戦後この集産化の動きは内戦の勝者(反乱軍側)と敗者(共和国支持派)間のイデオロギー論争の的となり,客観的,実証的な集産化研究は遅れてしまった.75年にフランコ将軍が死去し,スペイン社会が急速に民主化するにつれ,内戦に関するあらゆるタブーが取り除かれ,内戦もようやく本来の歴史研究の対象となってきた.そうして,70年代後半からスペイン各地で内戦の地方史研究が隆盛となる.それは,スペインが非常に多様で異なる地域から構成された複合民族国家であり,内戦もそれぞれの地域によって異なる色彩を帯びていたからである.本論文もこうした地方史研究の流れに位置するものであり,内戦中共和国陣営側の「銃後」として極めて大きな役割を担ったカタルーニャ地方の社会・経済的変革の分析を目的とする.

 農業集産化は内戦研究の中でも重要なテーマの一つで,地方史研究の進展とともに各地の集産化の実態が明らかにされてきている.しかし,IRA(共和国の農業改革局)の統計に含まれていないカタルーニャについてはまだ不明な点が多い.そこで,本論文はまずカタルーニャで行われた集産化農場の成立の過程を明らかにし,それを促した要因や農場の運営方法などについて検討する.(第4章)以下,カタルーニャでの農業集産化の特徴をまとめると次のようになる.1)一連の革命的変化はまず都市から起こり,そして農村に拡大した.著者の調べでは,カタルーニャにはおおよそ170の集産化農場が設立された.集産化された土地の主要部分は「反乱支持派」と目された地主の土地から成り,他方共和国支持派の地主の土地には手がつけられなかったので,土地の接収と集産化は政治的な報復措置としての色合いを強くもっていた.2)カタルーニャでの農業集産化の原動力はCNTであった.CNTはカタルーニャで設立された集産化農場の85%に参加している.また,農場の分布は内戦以前CNTの活動が活発であった地域,つまり「乾燥カタルーニャ」と呼ばれる地域に集中している.具体的には,カタルーニャの北東部から州都バルセローナを通り,南部タラゴーナ県や南西部のレリダ県に続く帯状の地域である.3)カタルーニャの集産化の多くは「部分的な集産化」にとどまった.つまり農場の規模はスペインの他の地方にくらべ小さく,また,集産化に参加した農民数も少なかった.農場の土地は分散し,それは労働の機械化や合理化を阻む要因の一つとなる.また,農場には農民以外に失業者や難民など雑多な人々も参加し,彼らに仕事を与える「失業対策」としての側面ももっていた.4)農場は単なる経済優先の組織ではなく,成員間の社会的・経済的格差を是正し,社会正義・平等をできるだけ実現しようとする精神に貫かれた「生産者共同体(コムーナ)」としての側面をもっていた.この理念的,倫理的ルールは,直接民主主義的な組織運営,労働の組織化,報酬,さらには福祉や教育など農場生活のあらゆる場面において具体化されている.

 カタルーニャの農業集産化が「部分的集産化」にとどまった最大の理由は,小作農や小土地所有者など家族経営農が集産化に反対したことである.その理由は,1)自分の土地や経営の独立を失うことへの恐れ,2)小土地所有制が支配的なため農場地が分散し,生産を集団化する経済的メリットが小さいと感じたこと,3)革命が村の「外から」押しつけられたものという疎外感を抱いた,などが考えられる.そして彼らをバックアップしたのがカタルーニャで最大の農民組織UR(ラバッサイラス同盟)であった.

 では,各自治体でばらばらに始まった集産化の動きは,その後どのような展開をたどったのであろうか.第5章以下でそれを規定する要因を分析する.まず第一に自治政府の農業政策である.自治政府農業省を掌握していたのはURであり,彼らは小作農を小作料の負担から解放し,彼らを実質的な「地主」にすることで集産化を抑制し,農村を安定させようとした.その一方で,都市への食糧の安定供給のため全農民を農協に組織し,彼らの農産物流通を独占管理しようとする.「強制的組合加入令」の発令である.しかし,農民はこれにサボタージュで応え,彼らの農産物は闇市を通って都市に流れる.これは都市での食糧価格の暴騰を引き起こし,都市労働者の農民に対する不満が高まる.また,農民の側も買いだしの人々による田畑荒らしに反発をつのらせていった.こうして限られた食糧をめぐり,都市民と農民との利害対立が先鋭化していった.他方,統制経済の下でCNT系農民や集産化農場が生産活動を続けるためには,農協との関係を良好に維持する必要があった.しかし,実際には個人経営農が多数を占める農協と「土地の私的所有」を否定する集産化農場の間には様々な摩擦が生じ,双方の「調和的発展」は難しかった.

 集産化の展開を外から規定した第二の要因は,PSUC(カタルーニャ統一社会党)やUGT(労働者総同盟)による集産化反対派農民の動員である.(第6章)マルクス主義者は「小農の保護」「強制的な集産化反対」をスローガンに,革命におびえる農民を動員し,急速に勢力を拡大していった.著者の調べでは,労組UGTはカタルーニャ農村ではほとんど組合をもっていなかったが,この時期実に400以上の農民組合を設立した.そしてそのうち78%に当たる316組合がそれまで農民運動に組織されたことのない農民を新たに動員した結果である.しかも保守的,個人主義的な風土で,そのため集産化もほとんど実施されなかった北部や北西部にも多数組合が設立された.PSUC・UGTの急速な勢力拡大は自治政府内の力関係を変化させた.36年12月政治危機の結果,彼らと対立するPOUM(マルクス主義統一労働者党)は自治政府から追放され,アナルコサンジカリストの勢力も弱まっていった.

 次に集産化運動の展開を内側から規定した要因を探る.(第7章)第一は農場の経営基盤が非常に脆弱であったことである.第二に,アナルコサンジカリスト労組CNTとの関係である.CNTは都市労働者から農場に対する金融支援を行うが,外からのてこ入れには限界があった.また,農場間の格差是正とその自立的発展のために,農場間の農産物取引の活発化,労働力の相互補充や郡レベルでの生産強化,相互の資金援助などを促そうとした.しかし,この試みも順調には進まなかった.第三に,CNT農業部門内の意見対立である.こうした理由からカタルーニャの農業集産化はそもそも内在的発展の条件に欠けていただけでなく,それを指導する立場にあったCNTも各自治体でばらばらに始まった集産化の動きをうまく統合していくためイニシアティブを発揮することができなかった.

 自治政府内の路線対立は厳しくなり,ついに37年「5月事件」で武力衝突に至る.そこで勝利したのはPSUC・UGTであり,革命を支持してきた労働者勢力は武装解除された.また各地で集産化農場が襲撃され,責任者などが逮捕,連行された.アナルコサンジカリストは自治政府に協力を拒否し,孤立していく.一方,URはいよいよ「レパルト」とよばれる接収地の個人分与の実施にとりかかる.これは集産化農場で働く労働者に「自分の土地がもてる」という希望を与え,彼らの農場からの離脱を促すことになった.こうして集産化農場は急速に縮小,解体していく.CNTは農場の法制化を進めることで集産化農場を保護しようとしたが,その歩みは工業集産化と比べるとあまりにも遅かった.自治政府が実際に各農場の合法化手続きを進めたのは38年に入ってからであり,その時すでに多くの農場が行き詰まっていた.また戦線もカタルーニャ南西部に接近していた.

 以上のような集産化の発生と展開の分析から,カタルーニャでの革命は都市中心・主導型であり,農村での集産化の動きはこの都市での集産化運動が農村にも拡大し,敷衍したものであったと言える.これは集産化の原動力であったCNTの都市中心的性格を反映していた.また,バルセローナを中心とする工業地域に周辺の農村地域が従属するというカタルーニャの地域社会の構造を鮮やかに映し出してもいる.内戦初期,「都市の革命」は農村にも拡大され,そこで農業集産化を引き起こした.しかし,カタルーニャ農村で多数を占める家族経営農が望んでいたのは「集産化」よりも「家族を十分に養うことのできる土地」の獲得であった.こうした厳しい条件の下で集産化を進めるためには,革命の中心である都市からの支援と団結が不可欠であった.しかし,都市と農村との構造的格差ゆえに,工業集産化と農業集産化は有機的に結合されることなくばらばらに進行した.そして「都市の革命」が力を失った時,それに半ば依存してきた農村での集産化の実験も,フランコ軍の侵入を待たずして実質的な終幕を迎えることになったのである.

審査要旨

 本論文は、1936年から39年に到るスペイン内戦期に、内戦下にあったカタルーニャで試みられた農業集産化がどのように推移したかを詳細に考察したものである。内戦下スペインの共和国側で広く行われた工業と農業の集産化は、最近、新しい観点から各国の研究者の注目を集めている。最近のスペイン社会の急速な民主化と、なかんずく地方史研究の興隆のなかで、研究は活発化しているが、カタルーニャ地方の農業集産化については、まだ十分に研究が行われていなかった。本論文は、著者自身が長期間、現地で行った資料蒐集の成果をもとに、スペイン本国および世界の最近の研究動向を意識しつつ、重要な研究の空白を埋めようとするものである。カタルーニャにおける農業集産化は、内戦期の主要な政治勢力の一つであったアナルコサンジカリストが、他の政治勢力と対立しながら推進したものである。しかし、著者はそうした政治的対立を対象化して、農業集産化の過程そのものを徹底的、包括的に考察し、それによって、少なくとも現段階において決定版となるような学問的成果を目指したのである。同時に、著者独自の視点に立って、特に農民にとって農業集産化がどのような意味を持ったかを重視し、その角度から農業集産化の試みが辿った変化を理解しようとした研究である。

 本論文の中心部分の構成は序論、本文7章、結論で、これに著者自身が新たに発見した集産化農場63のリストである付録と、注、参考文献表が付属している。目次、付属部分および凡例、図表等を含めて、総ページ数は427で、本文部分は274ページ(400字詰めで約780枚)である。また、全9章に付けられた注の総数は1418で、優に全体の三分の一のページ数を占める膨大な量である。

 まず「序論」は、農業集産化を、地主が革命を怖れて逃亡したあとの農村で、革命委員会の下、接収した地主の土地を農民たちが集団で耕作することと定義している。生産手段と経営権が農民に移り、分配システムも修正された結果、資本主義体制とは異なる、新しい、より公平な社会経済システムの建設をめざすという考えで試みられることになったのが農業集産化である。戦後、内戦の評価と絡まって、この農業集産化についてはイデオロギー的な論争が先行し、実態の解明、客観的な評価が遅れることになった。著者は、今日では、集産化=革命とする政治的、あるいは図式的な理解を排し、農業集産化が農民にとって何を意味したかという視点から農業集産化を問いなおす必要があると、研究史を総括している。本論文がカタルーニャを対象に選ぶ理由としては、同地域における農業集産化の研究がいまだ本格化していないこと、すでに本格的な研究が存在する他の地域に較べて、カタルーニャには農業と工業の集産化が同時に行われたという特異性が存在することを挙げている。また、カタルーニャの農村には小作農の形態が支配的であったことから、彼らと集産化との関係を分析することができるという利点もあることを指摘している。

 本論の最初の3章は、農業集産化の発生のメカニズムを知るために、内戦直前のカタルーニャの農村で小農が置かれていた状況と彼らの考え方を明らかにしようとしている。また、農業および工業の集産化の原動力となるに到るアナルコサンジカリスト運動が、農民に対してどのような影響力を持っていたかも検討されている。

 「第1章 内戦前のカタルーニャの農村」は、内戦までの農村の社会的、経済的変化を記述し、資本主義の発達にともなった工業化、民主主義的改革が農村の変化をも規定したことを指摘している。急速な都市への人口移動、貨幣経済化、農業技術の改良、一定程度の自由主義的改革などである。また、カタルーニャにおける土地所有の構造については、中土地所有が比較的支配的であったこと、分益小作制が盛んであったこと、土地利用に関して「湿潤カタルーニャ」と「乾燥カタルーニャ」に二分すべきことなどを指摘している。

 「第2章 ラバッサイラス同盟(UR)」は、ブドウ栽培小作農を中心とした農民運動、ラバッサイラス同盟(UR)の歴史、活動、内戦直前期の農業改革構想を扱っている。19世紀半ば以来のカタルーニャでブドウ栽培小作農による小作争議が頻発した歴史を受けて、小作農を支持基盤とする政党によって1920/21年に結成されたのがラバッサイラス同盟である。同盟は、土地分与を基本方針として小作農の利益擁護に成功し、農民運動の主流となったが、内戦直前には、農協活動の重視と都市労働者組織への接近を新たな戦略とするようになり、一部の農民の急進化を招いていた。

 「第3章 CNTの農民運動」は、カタルーニャの農業集産化の原動力となるはずのアナルコサンジカリストの労働組合、CNT(全国労働連合)の特徴と、内戦前の農村における活動を解明している。集産主義思想の二つの流れ、アナルコサンジカリズムとマルクス主義のスペインおよびカタルーニャへの流入を検討すると、カタルーニャには前者が強く受け入れられ、CNTがカタルーニャの労働運動の中心勢力になったことが明らかとなる。農村におけるCNTは小作農の問題に理解を示さず、農民を組織から遠ざける結果に陥っていた。CNTには都市労働者中心の体質があったと結論されるのである。

 以上のように内戦前の状況を整理したのち、いよいよ農業集産化の考察に移る。まず、「第4章 農村での革命-農業集産化の開始」では、1936年7月の「バルセローナの反乱軍鎮圧」によってアナルコサンジカリスト労働者が政治的ヘゲモニーを掌握し、それが農村に波及していくなかで、農業集産化が実現して行く過程が明らかにされている。著者独自の調査によれば、カタルーニャに設立された集産化農場は、従来明らかにされていた107個を越えて、170個となる。それらの多くは「乾燥カタルーニャ」地域に集中しているが、それは内戦以前からCNTの活動が活発だった地域と一致する。カタルーニャにおける農業集産化の原動力は都市からやってきたCNTだったのである。彼らによって社会正義を実現しようとする「生産者共同体」的な性格を与えられた集産化農場であったが、実際には農場の規模が比較的小さく、参加する農民の数も少なく、部分的な集産化にとどまったと結論される。部分的な集産化にとどまった理由は、小作農や小土地所有農民が集産化に反対したことにあり、そうした彼らを支えたのがラバッサイラス同盟であった。

 「第5章 農産物流通の統制化-FSAC-」では、ラバッサイラス同盟が掌握していたカタルーニャ自治政府農業省の農業政策、その要であった農業協同組合を考察している。以前から個人経営農保護の立場を取ってきたラバッサイラス同盟は、農業集産化を抑制しようとし、農業省は農協を基盤とする食糧供給システム(FSAC)を作ろうとした。しかし、農協と集産化農場は対立し、都市への食糧供給も農民のサボタージュや闇取引によって円滑に行かなかったため、食糧不足に見舞われた都市労働者の農村への不満が高まることになったのである。

 「第6章 集産化反対派の伸長」は、農業集産化の展開を規定した第二の要因として、カタルーニャ統一社会党(PSUC)およびその指導下にあった労働者総同盟(UGT)による集産化反対派農民の動員を取り上げている。内戦勃発と共にマルクス主義の労働者政党として結成されたPSUCとUGTは、「小農の保護」「強制的な集産化反対」を主張して、一部の農民の間に急速に勢力を広げ、都市にCNT、農村にラバッサイラス同盟というそれまでのカタルーニャの政治地図に大きな変動をもたらした。マルクス主義者PSUCが集産化反対を主張したことは注目されるが、彼らはCNTが浸透していなかった農村地帯を中心に相当数の農民組合を組織したのである。第4章から第6章の3章は、以上のように、三つ巴の政治的対立が農民を取り囲む混乱状態がカタルーニャに生じるに到った過程と原因を明らかにしている。

 「第7章 集産化連動の衰退」は、農業集産化の展開を内側から規定した要因を探り、農場の経営基盤が脆弱であったこと、CNTの集産化農場に対する支援が十分ではなかったこと、CNTの農業部門が確固とした指導性を発揮できなかったことを指摘している。そして、自治政府内の政治対立はついに1937年の「5月事件」の武力対立にまで発展し、集産化農場が襲撃されるに到った。同事件後、CNTが脱落した自治政府は、地主から接収され、集産化された土地を農民に分与する方針を採用した。集産化農場はこれによりほぼ解体されたのである。

 「結論」は、以上の各章の分析にもとづいてカタルーニャにおける農業集産化の特徴をまとめている。それによれば、まず、一連の革命的変化は都市から農村へと拡大したのであり、当初は自然発生的に始まった農業集産化をアナルコサンジカリストが都市から掌握し、指導することになったのであった。しかし、その集産化は部分的なものにとどまり、全地域を覆うには到底到らなかった。農民を内戦と革命に動員すること、特に食糧調達に協力させるという点では一致したはずの共和国側の政治勢力は、まさにその農業政策をめぐって対立を深め、農業集産化を推進しようとしたCNTの指導そのものも確固としたものではなかった。そしてなかんずく、農民たちが土地所有形態、営農形態、分配方式などに規定されて、小土地所有志向に回帰したことが農業集産化の試みの終焉を決定的にしたのであった。

 以上のような内容の本論文は、まず、著者自身の長年にわたる資料蒐集と整理がなければそもそも形にならなかったものである。著者が一つ一つの事実を資料と調査によって確認する丹念な実証作業を行ったことは膨大な数の注にも現れている。一次資料にもとづいて、農業集産化の規模を独自に解明した作業に代表される著者の努力が生んだ労作として、高く評価される。加えて、スペイン本国をはじめとする各国の研究の最新動向を十分に反映して、研究が不足している分野で最初の本格的な研究成果を生み出したことも高く評価してよいであろう。現代カタルーニャ農村史のみならず、スペイン内戦史研究にとっても、より広くヨーロッパの農村研究にとっても大きな寄与をなす成果である。

 次に、博捜した膨大な資料の整理にも成功していることを指摘することができる。膨大な資料を丹念に読み込んで、それを内戦期の農業集産化問題の解明に向けて理論的に構成し、全体として、明快な筋の通った歴史の記述にまとめているのである。このテーマは、従来ならば、対立するイデオロギーの間での政治的な非難の応酬を覚悟せずには扱いえなかったものである。その問題を、事実に深く立ち入って冷静に分析し、明解な全体図にまとめ上げている。その意味で、政治的対立そのものを対象化して、農業集産化の過程を徹底的、包括的に考察するという著者の狙いは成功している。

 ラバッサイラス同盟の歴史展開の部分は緻密な考察にもとづいており、日本に初めて紹介されるものであるが、スペイン本国にもこれだけ包括的な研究はまだないと思われる。CNTの農業集産化の試みをこのラバッサイラス同盟の農業政策との対比で捉えるのは優れた視点である。都市の立場から試みられた農業集産化が、結局、集産化よりも土地分与を願う農民たちによって無効とされるという展開は、内戦、革命、そしてより広く工業化が進む変化の時代における農民の、いわば本質的特質を突いたものということができ、説得的である。その副産物として、アナルコサンジカリストの都市的性格や空想的理想主義の特質をも明らかにしている。その意味で、農業集産化が特に農民にとってどのような意味を持ったかを重視し、その角度から農業集産化の試みが辿った変化を理解しようとした著者の狙いも成功したということができる。

 本論文は、当然に都市・農村関係を考察するものである。農民の反応、CNTの農業集産化の指導、PSUC・UGTのそれへの反対などの分析によって、それはある程度行われているが、内戦の遂行にとって喫緊の課題であった都市への食糧調達の実態については、余り明らかにされていない。著者自身も認めるように、カタルーニャの農業集産化は他の地域で行われたものと比較して、けっして典型的といえるものではない。都市・農村関係の分析には最適の事例と著者は主張するが、その関係を明らかにするためにも、今後は、他の地域との比較を行いながら、考察を深める必要があると思われる。また、資料の制約でやむをえなかったものと思われるが、集産化農場の具体的な様子、集産化農場と農業協同組合との関係の、より詳しい分析・描写がほしかったところである。さらに一般的には、カタルーニャの農業集産化が試みられた直接の背景であるスペイン内戦の進行状況について、日本国内における先行研究を参照しつつ、丁寧に言及するのが望ましい。これらの点は、今後しかるべき段階で是正されることを期待したい。

 以上のような若干の不足は、しかし、本論文の価値を損なうものではない。本論文は、重厚な実証分析によって、該当する分野の研究の最先端に加わるものであり、学問的な貢献は大きく、博士(学術)の学位を授与するに十分な業績であると認められる。

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