中山間地・傾斜地の農業の保全・高度化を図る一つの視点は、生産性に加えて国土保全等の機能を付与する多面的な農業の展開にある。本論は、この事項に関連して地すべり防止を図る上で重要な、斜面の安定性評価技術の向上をめざしたものである。 実際の地すべり防止対策の設計では極限平衡法による逆算に基づき、すべり面上でのせん断強度が求められており、現実に測定される土の諸特性を反映しない設計が行われているのが実状である。さらに、この手法は、実際に地すべりを生じた斜面で事後評価的にしか適用できない。 これまでの研究により、斜面の破壊タイプによる強度定数の選択に関して多くの知見が得られている。Skemptonは、斜面の履歴により、破壊時の限界強度として残留強度、完全軟化強度、不攪乱土のピーク強度のいずれかを選択すべきである事を示している。しかし、現実の斜面で、この選択により十分な精度で安定性を評価できる事は稀である。我が国の地すべりに関する事例研究は占谷、宜保、中村を初めとして活発に行われてきた。彼らの研究では斜面の限界強度は残留強度に近く、磯崎による実証的研究の成果と整合している。しかし、多くの場合に残留強度を用いた解析は斜面の安定度を過小に評価し、斜面の安定性評価は、極限平衡法による逆算と等価の手法により行われている。実測されたせん断強度はこの際の参照値として用いられているにすぎない。 有限要素解析手法は以上の問題点を克服するための有望な手法であるが、全面塑性状態(fully plastic range)で進行性破壊を伴いながら土塊の移動を生じる地すべり等斜面災害においては実証的研究は極めて少ない。Lo & LeeによるLondon粘土斜面の安定性評価に関する貴重な研究が行われているが、全面塑性状態における限界荷重評価が十分に行われているかについては疑問の点があるとともに、我が国で一般的に生ずる複雑な地すべりでの適用性についても不明である。 近年の数値塑性解析技術の進歩はめざましい。特に、田中・酒井による、せん断帯の発生を考慮した進行性破壊モデルは大きな可能性を持つものである。彼らの解析した砂等の粗粒材料での研究結果及びHenkel & Skemptonを初めとする過圧密粘土のせん断帯に関する研究成果をもとに、モデルの深化を行う事が必要である。 さらに、現実的な斜面災害は地形の変化に富む中山間地・傾斜地において生じており、その条件に即応した三次元解法が必要である。本論は、複雑な履歴を経てきた我が国の地すべり斜面において、地形条件に即応した現実的な解を得ることを試みたものであり、大別して以下に示す六つの段階から構成されている。 第一は、現行の手法である極限平衡法の検討である。厳密性を有する手法の吟味を行い、以降の検討で弾塑性解析手法の吟味に用いる極限平衡法の精度を確認した。また、長野県信州新町で発生した奈良尾地すべりへの適用を行った。再活動すべりと考えられるこの地すべりで、限界強度は残留強度に近く、しかも、それを上回る値となった。 第二は、現実的な解を得るための有限要素モデルの提示である。土の塑性変形を研究してきた田中と共同し、三次元問題における効率的な解法である動的緩和法を中心として限界荷重の評価を実施できる手法を提示した。 第三は、三次元解析の基礎となる二次元弾塑性モデルの検討である。Zienkiewiczらにより解析結果の示された仮想斜面における二次元弾塑性モデルの精度確認を行った後、斜面の崩壊事例に適用して以下の結論を得た。 (1)まさ土斜面の崩壊事例に適用した結果、弾-完全塑性モデルを用いた場合の破壊初期の塑性域分布は現況に対応しているが、現況の荷重条件下では斜面が崩壊する結果が得られず、(1)ひずみ軟化を考慮した解析、(2)地形を反映した三次元解析の必要性が明らかになった。 (2)軟弱粘土の短期安定問題における斜面崩壊事例(Irelandによる)では、地盤の初期応力が解に影響する事を明らかにした。この結論はDuncanらの結論と同一であるが、彼らの解析では示されていない限界荷重、崩壊時ひずみを地盤の初期応力に応じて評価した。 (3)粘土斜面の長期安定問題において、ピーク強度で崩壊が発生したと考えられている事例(Skemptonらによる)を解析した結果、弾-完全塑性モデルを用いた解析により、限界荷重、ひずみ分布ともに観測結果にほぼ一致する事が明らかになった。 (4)粘土斜面の長期安定問題での進行性破壊事例(Skemptonらによる)を、せん断帯の発生を考慮したひずみ軟化弾塑性モデルを用いて解析し、Lo & Leeによる進行性破壊解析で明らかにされていない結論を得た。すなわち、限界荷重・崩壊時ひずみ分布が評価でき、せん弾帯の幅が限界荷重に影響する事が明らかになった。これらの結果は観測結果の近傍で得られた。 第四は、三次元解析を実施するために必要となる地形データ処理手法の検討である。せん断ひずみの分布が斜面崩壊の状況を把握するための重要な物理量であるため、この把握に重点を置いて、三次元有限要素解の可視化システムを示した。また、地形データを用いた斜面安定性の概略評価(地形解析)を千葉県嶺岡隆起帯において実施した。その結果、崩壊ブロックの斜面勾配は残留強度に対応する限界勾配の近傍を下限値とし、ピーク強度に対応する限界勾配または、それよりも急勾配の領域に高い頻度で分布することが明らかになった。 第五は、三次元空間における基本的問題への適用である。模型実験を含む基本的な問題に適用して、以下の結果を得た。 (1)ひずみ軟化が顕著でない乾いた砂から成る、模型斜面の傾斜実験(大町らによる)に適用した結果、弾-完全塑性モデルを用いて評価した限界荷重は実験値に近い値となる。また、三次元効果を評価できた。 (2)一点積分を行うアイソパラメトリック8節点要素と動的緩和法とを併用する弾塑性モデルにより三次元崩壊解析が有効に行える。すなわち、一点積分(減退積分)に伴うHourglassモードの発生が、動的緩和法における臨界減衰係数の近似値の使用により抑制でき、効率的に解が得られる。これまでに提案されているHourglassモードの抑制を行った場合には、限界荷重には無視できない誤差が生じた。 (3)均一斜面(仮想斜面)で、せん弾帯の発生を考慮したひずみ軟化弾塑性モデルを適用し、三次元効果を確認するとともに、限界荷重・破壊時ひずみ分布を明らかにした。これまでに、このような解が明らかにされた事例はない。この解析により推定されたすべり面をもとに極限平衡解析を行った結果では、極限平衡法による安全率、逆算強度は弾塑性解析結果と整合する。 第六は現実の地すべり斜面おける三次元解析の実施である。千葉県鴨川市宮奈良地区における浅層すべりにおいて、解析を行うために必要な現地データ、室内試験データの実測を行うとともに三次元弾塑性崩壊解析を実施して以下の結論を得た。 (1)不攪乱土質試料のピーク強度を用いた弾-完全塑性モデルによる三次元解は、現況に対し、大幅に大きな限界荷重を与えた。 (2)不攪乱土質試料で実測されたせん断帯幅を用いた三次元ひずみ軟化弾塑性解析は、大きめの限界荷重を与えた。 (3)崩土をひずみ軟化弾塑性体とし、せん断帯の発生を考慮した進行性破壊解析を行うとともに、崩土-基盤境界に残留強度まで強度低下した層を仮定することにより、現況に近い限界荷重を評価できた。 これらの結論は整合して以下のとおりに総括される。 地すべり斜面の安定性評価を行う上で、その斜面が経てきた地質的な履歴に対する洞察は重要である。中山間地域の複雑な地形条件においては、過去の地すべりの履歴により崩土-基盤の境界層で生じ、残留強度に規定される二次的なすべりだけでなく、崩土の内部でせん断帯の発生を伴いながら生ずる初生的なすべりを考慮し、三次元解析を行うことにより現実的な限界荷重を評価する事ができる。 Skemptonが総括した各種モードのすべりは、純粋な形では発生する事が稀な理念的なすべりであり、現実の解はこのような理念的なすべりが混在する中にある。本論で用いた三次元弾塑性モデルはそのような解を与える能力を持つ事が明らかになった。 以上より、中山間・傾斜地域における地形条件に即応し、複雑な履歴を経てきた我が国の地すべり地における現実的な斜面安定性評価法が提示されると共に、その有効性が示された。これらの成果を大規模かつ不均一な地すべり斜面における防止対策に適用するためには、なお幾つかの研究が必要と言えるが、基礎的な検討及び比較的均一性の高い浅層すべりにおける現地実証を通じて、今後の応用研究、試験研究への指針が与えられたと考える。 |