学位論文要旨



No 213739
著者(漢字) 川本,治
著者(英字)
著者(カナ) カワモト,オサム
標題(和) 斜面の三次元的な崩壊に関する研究 : 有限要素弾塑性解と崩壊現象との比較
標題(洋)
報告番号 213739
報告番号 乙13739
学位授与日 1998.03.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第13739号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中野,政詩
 東京大学 教授 中村,良太
 東京大学 教授 佐藤,洋平
 東京大学 助教授 宮崎,毅
 明治大学 教授 田中,忠次
内容要旨

 中山間地・傾斜地の農業の保全・高度化を図る一つの視点は、生産性に加えて国土保全等の機能を付与する多面的な農業の展開にある。本論は、この事項に関連して地すべり防止を図る上で重要な、斜面の安定性評価技術の向上をめざしたものである。

 実際の地すべり防止対策の設計では極限平衡法による逆算に基づき、すべり面上でのせん断強度が求められており、現実に測定される土の諸特性を反映しない設計が行われているのが実状である。さらに、この手法は、実際に地すべりを生じた斜面で事後評価的にしか適用できない。

 これまでの研究により、斜面の破壊タイプによる強度定数の選択に関して多くの知見が得られている。Skemptonは、斜面の履歴により、破壊時の限界強度として残留強度、完全軟化強度、不攪乱土のピーク強度のいずれかを選択すべきである事を示している。しかし、現実の斜面で、この選択により十分な精度で安定性を評価できる事は稀である。我が国の地すべりに関する事例研究は占谷、宜保、中村を初めとして活発に行われてきた。彼らの研究では斜面の限界強度は残留強度に近く、磯崎による実証的研究の成果と整合している。しかし、多くの場合に残留強度を用いた解析は斜面の安定度を過小に評価し、斜面の安定性評価は、極限平衡法による逆算と等価の手法により行われている。実測されたせん断強度はこの際の参照値として用いられているにすぎない。

 有限要素解析手法は以上の問題点を克服するための有望な手法であるが、全面塑性状態(fully plastic range)で進行性破壊を伴いながら土塊の移動を生じる地すべり等斜面災害においては実証的研究は極めて少ない。Lo & LeeによるLondon粘土斜面の安定性評価に関する貴重な研究が行われているが、全面塑性状態における限界荷重評価が十分に行われているかについては疑問の点があるとともに、我が国で一般的に生ずる複雑な地すべりでの適用性についても不明である。

 近年の数値塑性解析技術の進歩はめざましい。特に、田中・酒井による、せん断帯の発生を考慮した進行性破壊モデルは大きな可能性を持つものである。彼らの解析した砂等の粗粒材料での研究結果及びHenkel & Skemptonを初めとする過圧密粘土のせん断帯に関する研究成果をもとに、モデルの深化を行う事が必要である。

 さらに、現実的な斜面災害は地形の変化に富む中山間地・傾斜地において生じており、その条件に即応した三次元解法が必要である。本論は、複雑な履歴を経てきた我が国の地すべり斜面において、地形条件に即応した現実的な解を得ることを試みたものであり、大別して以下に示す六つの段階から構成されている。

 第一は、現行の手法である極限平衡法の検討である。厳密性を有する手法の吟味を行い、以降の検討で弾塑性解析手法の吟味に用いる極限平衡法の精度を確認した。また、長野県信州新町で発生した奈良尾地すべりへの適用を行った。再活動すべりと考えられるこの地すべりで、限界強度は残留強度に近く、しかも、それを上回る値となった。

 第二は、現実的な解を得るための有限要素モデルの提示である。土の塑性変形を研究してきた田中と共同し、三次元問題における効率的な解法である動的緩和法を中心として限界荷重の評価を実施できる手法を提示した。

 第三は、三次元解析の基礎となる二次元弾塑性モデルの検討である。Zienkiewiczらにより解析結果の示された仮想斜面における二次元弾塑性モデルの精度確認を行った後、斜面の崩壊事例に適用して以下の結論を得た。

 (1)まさ土斜面の崩壊事例に適用した結果、弾-完全塑性モデルを用いた場合の破壊初期の塑性域分布は現況に対応しているが、現況の荷重条件下では斜面が崩壊する結果が得られず、(1)ひずみ軟化を考慮した解析、(2)地形を反映した三次元解析の必要性が明らかになった。

 (2)軟弱粘土の短期安定問題における斜面崩壊事例(Irelandによる)では、地盤の初期応力が解に影響する事を明らかにした。この結論はDuncanらの結論と同一であるが、彼らの解析では示されていない限界荷重、崩壊時ひずみを地盤の初期応力に応じて評価した。

 (3)粘土斜面の長期安定問題において、ピーク強度で崩壊が発生したと考えられている事例(Skemptonらによる)を解析した結果、弾-完全塑性モデルを用いた解析により、限界荷重、ひずみ分布ともに観測結果にほぼ一致する事が明らかになった。

 (4)粘土斜面の長期安定問題での進行性破壊事例(Skemptonらによる)を、せん断帯の発生を考慮したひずみ軟化弾塑性モデルを用いて解析し、Lo & Leeによる進行性破壊解析で明らかにされていない結論を得た。すなわち、限界荷重・崩壊時ひずみ分布が評価でき、せん弾帯の幅が限界荷重に影響する事が明らかになった。これらの結果は観測結果の近傍で得られた。

 第四は、三次元解析を実施するために必要となる地形データ処理手法の検討である。せん断ひずみの分布が斜面崩壊の状況を把握するための重要な物理量であるため、この把握に重点を置いて、三次元有限要素解の可視化システムを示した。また、地形データを用いた斜面安定性の概略評価(地形解析)を千葉県嶺岡隆起帯において実施した。その結果、崩壊ブロックの斜面勾配は残留強度に対応する限界勾配の近傍を下限値とし、ピーク強度に対応する限界勾配または、それよりも急勾配の領域に高い頻度で分布することが明らかになった。

 第五は、三次元空間における基本的問題への適用である。模型実験を含む基本的な問題に適用して、以下の結果を得た。

 (1)ひずみ軟化が顕著でない乾いた砂から成る、模型斜面の傾斜実験(大町らによる)に適用した結果、弾-完全塑性モデルを用いて評価した限界荷重は実験値に近い値となる。また、三次元効果を評価できた。

 (2)一点積分を行うアイソパラメトリック8節点要素と動的緩和法とを併用する弾塑性モデルにより三次元崩壊解析が有効に行える。すなわち、一点積分(減退積分)に伴うHourglassモードの発生が、動的緩和法における臨界減衰係数の近似値の使用により抑制でき、効率的に解が得られる。これまでに提案されているHourglassモードの抑制を行った場合には、限界荷重には無視できない誤差が生じた。

 (3)均一斜面(仮想斜面)で、せん弾帯の発生を考慮したひずみ軟化弾塑性モデルを適用し、三次元効果を確認するとともに、限界荷重・破壊時ひずみ分布を明らかにした。これまでに、このような解が明らかにされた事例はない。この解析により推定されたすべり面をもとに極限平衡解析を行った結果では、極限平衡法による安全率、逆算強度は弾塑性解析結果と整合する。

 第六は現実の地すべり斜面おける三次元解析の実施である。千葉県鴨川市宮奈良地区における浅層すべりにおいて、解析を行うために必要な現地データ、室内試験データの実測を行うとともに三次元弾塑性崩壊解析を実施して以下の結論を得た。

 (1)不攪乱土質試料のピーク強度を用いた弾-完全塑性モデルによる三次元解は、現況に対し、大幅に大きな限界荷重を与えた。

 (2)不攪乱土質試料で実測されたせん断帯幅を用いた三次元ひずみ軟化弾塑性解析は、大きめの限界荷重を与えた。

 (3)崩土をひずみ軟化弾塑性体とし、せん断帯の発生を考慮した進行性破壊解析を行うとともに、崩土-基盤境界に残留強度まで強度低下した層を仮定することにより、現況に近い限界荷重を評価できた。

 これらの結論は整合して以下のとおりに総括される。

 地すべり斜面の安定性評価を行う上で、その斜面が経てきた地質的な履歴に対する洞察は重要である。中山間地域の複雑な地形条件においては、過去の地すべりの履歴により崩土-基盤の境界層で生じ、残留強度に規定される二次的なすべりだけでなく、崩土の内部でせん断帯の発生を伴いながら生ずる初生的なすべりを考慮し、三次元解析を行うことにより現実的な限界荷重を評価する事ができる。

 Skemptonが総括した各種モードのすべりは、純粋な形では発生する事が稀な理念的なすべりであり、現実の解はこのような理念的なすべりが混在する中にある。本論で用いた三次元弾塑性モデルはそのような解を与える能力を持つ事が明らかになった。

 以上より、中山間・傾斜地域における地形条件に即応し、複雑な履歴を経てきた我が国の地すべり地における現実的な斜面安定性評価法が提示されると共に、その有効性が示された。これらの成果を大規模かつ不均一な地すべり斜面における防止対策に適用するためには、なお幾つかの研究が必要と言えるが、基礎的な検討及び比較的均一性の高い浅層すべりにおける現地実証を通じて、今後の応用研究、試験研究への指針が与えられたと考える。

審査要旨

 中山間地域における農業の展開と自然や景観の保全にあたり、急傾斜地に地すべり防止対策が実施される必要があるが、それに先だって斜面を構成する土の破壊挙動を知る必要があり、また斜面の安定、不安定の程度について適正な判断が下される必要がある。しかるに、地すべり現象があまりにも複雑な土塊の挙動であるが故に、その予測解析には困難なところが少なくない。本論文は、弾塑性モデルの三次元有限要素解に基づいて、わが国にみられるような複雑な地形形成の履歴を経てきた地すべり斜面の崩壊を解析し、斜面の破壊の性格や土が破壊を起こす時の土の限界強度を明らかにしようとしたものであり、8章から構成されている。

 第1章は、序論であり既往の研究を検討して課題の所在を整理している。第2章では、現行の地すべり斜面安定解析手法である極限平衡法について、長野県上水上郡の奈良尾地すべりに適用しながら、その有効性と限界を指摘している。

 第3章では、斜面の崩壊を解析するための一般的なモデルとして構築されたせん断帯の発生を考慮したひずみ軟化弾塑性モデルの二次元および三次元モデルの構造について述べた後、各々のモデルの解析法として初期応力法ならびに動的緩和法を用いた限界荷重を評価できる有限要素モデルについて述べている。

 第4章では、二次元弾塑性モデルによる斜面の崩壊解析を示し、その有効性と限界を明らかにしている。すなわち、弾-完全塑性モデルは、香川県香川郡のマサ土造成斜面では塑性域が盛土部の地下水浸出部位から発生し、地下水位の上昇に伴って拡大することは示せたが、斜面全体が崩壊するという結果は示さなかった。Irelandによって研究された粘土の掘削斜面の崩壊事例への適用では、限界強度は実測値を下回り、すべり面は実際よりも深めになった。しかし過圧密粘土の斜面に適用した場合には、限界強度ならびにすべり面ともに実測値をよく表現した。また、ひずみ軟化弾塑性モデルは、褐色London粘土の斜面に適用したところ、限界荷重がせん断帯の幅の影響を受けることを示し、ひずみの集中領域は記録されている位置よりやや深めにはなるが、おおむね実測を良く表現できる。しかし、結論としては三次元解析が必要であると述べている。

 第5章では、三次元解析にさいして必要となる地形情報の処理システムと三次元有限要素解の可視化システムの構造について述べている。すなわち、地形情報処理では、等高線と崩壊ブロック境界線を取り込み、標高と勾配のメッシュデータを計算し、鳥かん図、勾配分布、実面積を評価する。有限要素解の可視化では、斜面の切断面を設定し、切断面近傍のガウス求積点でのひずみをもとに補間処理を行い切断面上での等高線作図を行って、せん断ひずみの分布を可視化している。

 第6章で、三次元弾塑性解析の適用を検討している。まず大町らによって公開されている乾いた砂の模型斜面に弾-完全塑性モデルを適用して限界傾斜角を求め、非関連流れ則を用いた解が限界傾斜角が法面勾配の増大につれて減少するという実験曲線をよく表現し、三次元効果を評価することが出来ることを示した。また、仮想的な均一斜面について、せん断帯の発生を考慮したひずみ軟化弾塑性モデルを適用して崩壊時の最大せん断ひずみから推定したすべり面の位置を求め、極限平衡法により安全率を求めたところ、ピーク強度での安全率は1.0より大きくなり、終局強度での安全率は1.0より小さくなることが明らかになり、また崩壊時の荷重係数における三次元効果は急傾斜部の幅が小さい場合ほど大きく表れることを示した。

 第7章では、千葉県鴨川市の中山間地にある宮奈良地すべり地について、基礎的な土質特性や1.0cm前後のせん断帯の幅を室内試験で確認した後、(1)弾-完全塑性モデル、(2)せん断帯の発生を考慮したひずみ軟化弾塑性モデル、(3)崩土の下層に残留強度を持つ強度低下層を設定し、上層の崩土にひずみ軟化弾塑性モデルを使う混合モデル、の3種類の三次元解析を行って斜面上部での限界荷重係数を比較し、混合モデルによる解析がきわめて良く現況限界荷重係数を表すことを示して、この地区の地すべりの特徴を明らかにするとともに、わが国の地すべりの解析には混合モデルによる三次元解析が適していると述べている。

 以上要するに、本論文は、わが国の複雑な地形条件で発生する特異的な地すべりを解析するための三次元有限要素解析法を構築して、その特徴と有効性を実証し、地すべり防止対策の実施に有用な手段を提供したものであり、農地環境工学、水利環境工学、環境地水学の学術上、応用上貢献するところ少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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