学位論文要旨



No 213742
著者(漢字) 清水,二郎
著者(英字)
著者(カナ) シミズ,ジロウ
標題(和) 酵母細胞壁の新規低浸透圧感受性変異株による研究
標題(洋)
報告番号 213742
報告番号 乙13742
学位授与日 1998.03.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第13742号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 高木,正道
 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 助教授 片岡,宏誌
内容要旨

 酵母の細胞壁の役割は、細胞の形態を保つことや外界からの薬剤等の侵入を防ぐこと、さらには接合するための性フェロモンを受容することなどがあげられる。このような働きをする細胞壁は、主としてマンナン蛋白質、グルカン、キチンから構成されていることが知られている。これらの成分の合成系に関しては、多くの研究がなされているが、まだ不明異な点が多い。そこで、細胞壁の新規変異株を取得し、その解析を行うことによって、細胞壁の合成に関する新たな知見を得ることを目的として、本研究を行うこととした。

 変異株の濃縮を行うにあたり、これまでの研究とは異なり、細胞の密度に着目し、細胞に形態異常を起こした変異株を取得し、解析を行うことを試みた。なぜならば、単一の遺伝子の変異によって低浸透圧感受性になる変異株は、細胞壁の主要な成分あるいは原材料の生合成を行う酵素であるか、その制御遺伝子であると考えられ、これまでの研究では明らかにされなかったグルカン/キチン/マンナン蛋白質の合成や制御に関与する遺伝子を明らかにすることができると考えたからである。

 まずはじめに、酵母細胞壁の変異株の取得を試みた。細胞壁の変異は、細胞の形態に変異を起こさせ、細胞の内部浸透圧によって細胞を膨張させ、細胞の密度を低下させると考えた。はじめに、細胞壁に変異を生じた細胞の代わりにスフェロプラストを用い、通常細胞と密度勾配遠心で分離することを試みた。その結果、スフェロプラストを通常細胞の約10000倍の濃度に濃縮が可能であった。そこで、野生株に変異処理し、密度勾配遠心で密度の低い菌を集めたところ、形態異常を生じた細胞は約10倍に濃縮されていた。このように、密度の違いを用いることによって細胞壁に変異を生じ、細胞の形態に異常を生じた細胞を、容易に濃縮することができた。このようにして得た変異株より、生育の悪い株400株を選択し、その中から、0.004%SDSを含んだYEPD培地で生育の非常に悪い、または生育できない24株を選択した。0.004%のSDSは野生株の生育には何も影響しないことが分かっているが、細胞壁に変異を持った細胞の生育を抑制すると考えた。これら24株より接合が可能で、変異形質の安定しており、かつ形態の異常の著しい株9株を選択した。これら9株を四分子解析・接合によって相補群に分けたところ、2つの相補群に分かれた。これらの変異株を低浸透圧感受性であることからhpo1(hypo-osmolarity-sensitive mutation),hpo2とした。

 次に、取得した変異株の一つhpo1の解析を行った。相補遺伝子を取得し、一部の塩基配列を決定した結果、はGLN1遺伝子の変異であることが明らかになった。GLN1遺伝子は、グルタミン合成酵素の構造遺伝子であることが知られている。そこで、細胞内の遊離アミノ酸の濃度を測定した結果、の細胞内のグルタミン濃度は野生株の1/8に低下していることが明らかになった。また、細胞壁のキチン含量を測定した結果、hpo1変異株では細胞壁中のキチン含量が野生株の2/3にまで減少しており(表1)、Calcofluorによるキチンの染色でも、出芽痕や細胞全体の蛍光強度は非常に弱いことがわかった。野生株のグルタミン合成酵素を薬剤で阻害する、gln1遺伝子の欠損株に極少量のグルタミンを与えて生育させるという2つの方法で細胞内のグルタミンを欠乏させたところ、いずれの場合もhpo1と同様の変異形質を示すことが明らかになった。このことからグルタミン合成酵素の活性の低下等による細胞内グルタミンの濃度の低下は、キチンの生合成に必要なUDP-GlcNAcの濃度の低下を引き起こし、そのキチンの減少は細胞壁の物理的強度の低下を起こすことがわかった。

表1 細胞壁中のキチン含量の相違aa YPH250,JS4,JS4/4pJ1は1M sorbitol-YEPD培地で、YPH△gln1は1M sorbitol-YEPD培地に0.1%のグルタミンを添加して対数増殖期後期まで培養した。集菌・洗浄後、細胞壁を単離し、酵素法でキチン量を定量した。誤差は標準偏差を示す。

 次にhpo2変異株の解析を行った。hpo2は、細胞の直径が通常の細胞の1.5から3倍以上あり非常に巨大化ししており、また通常細胞壁中に捉えられる分泌蛋白質インベルターゼが細胞外に漏洩していることから細胞壁に変異が生じていることが明らかになった。そこで、hpo2の相補遺伝子を取得し、その塩基配列を決定したところ、プロテインキナーゼCの遺伝子であるPKC1遺伝子であることがわかった。PKC1遺伝子の欠損株とhpo2を接合させたところ、変異を回復しないことから、hpo2がpkc1遺伝子の変異であることが明らかになった。hpo2変異株の細胞壁の組成を調べたところ、細胞の物理的強度に最も関与している酸-塩基不溶性グルカンの含量が野生株の1/3に減少していることが確認された(表2)。さらに細胞壁の蛋白質の組成を調べると、33kDa蛋白質が大量発現していることが明らかになった。そこで33kDa蛋白質を精製し、そのN末端のアミノ酸配列を決定したところ、-glucanaseであり、またglycosyltransferaseの活性を有するとも言われているBgl2p蛋白質であることがわかった。この結果から、hpo2変異株の物理的な脆弱性の理由の一つがPKC1遺伝子の変異によるBgl2pの大量発現にあるのではないかと考えた。この仮説を検証するため、hpo2変異株のbgl2遺伝子を破壊した二重変異株を作成し、その変異形質にどのような変化があるかを検討した。その結果、二重変異株は、低浸透圧感受性は回復しないものの、生育速度の回復がみられた。このことから、Bgl2pの大量発現は、hpo2の変異形質に影響を与えていることが分かった。以上の結果から、PKC1はBGL2の発現を負に制御していることが示唆された。このことから、これまで最終的な作用点に不明な点が多かったPKC1の働きの一端が明らかになった。

図1 細胞壁蛋白質のSDS電気泳動及びウエスタンブロットの結果A5-8-1C(野生株)、JS37-1A(hpo2)、YS3-6D-pkc1△(pkc1△)は、1Msorbitol-YEPD培地でA600=1-1.5まで培養した。その後、集菌し、ガラスビーズを用いて細胞を破砕し、細胞壁を単離した。左の3レーンのサンプルは、4%SDS-2%2-mercaptoethanol-20mM Tris-Hcl pH8.3の溶液で細胞壁を10分間煮沸し、可溶化したものを用いた。右の6レーンのサンプルは、20mM Tris-HCl pH8.3の溶液中で10分間煮沸した細胞壁の上清と沈殿物である。電気泳動は12%のポリアクリルアミドゲルを用いた。それぞれのレーンには50gの蛋白質をアプライした。蛋白質は電気泳動後、Coomassie Brilliant Blue R250で染色した。分子量マーカーによる各分子量の泳動度は左側に矢印で示した。大量発現している33kDa蛋白質は右側に矢印で示した。ウエスタンブロットに、anti-gp29(Bgl2p)抗体、goat anti-rabbit IgG-horseradish peroxidaseを用いた。各レーンには100gの蛋白質をアプライした。

 今回の細胞壁の変異株を取得する試みは、多くの変異株の取得を試みたにも関わらず、9株の変異株のうち8株がPKC1の変異株であるという結果であった。このことは、PKC1が細胞壁に与える影響の大きさに起因していると考えられる。PKC1遺伝子の破壊株の変異形質は他のPKC1の信号伝達系の下流遺伝子の破壊株の変異形質より顕著であるとともに、他の細胞壁の合成酵素よりもまた顕著である。PKC1の細胞壁に与える影響力は非常に大きく他に比類のないものなのであろう。今回は変異株選択の際に、特に変異の形質の激しいもの9株を選択したため、8株がPKC1であるという結果になったものと考えられた。しかし、今回選択しなかった変異株が、糖鎖不全変異株であったとの報告もあり、まだまだ多くの変異株の取得が期待される。密度勾配遠心法という簡易な濃縮法を用いた本変異株取得方法は新たな細胞壁変異株を取得する際に、非常に有効な手段であると考えられた。

審査要旨

 酵母の細胞壁は、低浸透圧環境中で細胞の形態を保ち、外界からの物理的・化学的侵害を防ぐとともに、細胞の凝集・接合などの過程で重要な役割を果たしている。醸造分野では酵母の沈降性や泡立ちなどの特性が細胞壁の性質で大きく左右される。細胞壁はマンナン蛋白質、グルカン、キチンの3種類の高分子が複雑に結びついた巨大構造体で、その合成・分解は細胞周期や細胞極性などにより複雑に制御されており、詳細な分子機構には不明な点が多い。本論文は、細胞壁変異株の新規な濃縮法を開発し、得られた変異株を手がかりに野生型遺伝子を取得し、それがコードする蛋白質の機能と性質を解析した結果についてまとめたもので、本文は3章からなっている。

 研究の背景と意義を述べた緒論に続き、第1章では、細胞壁に欠陥をもつ酵母変異株の新たな濃縮法が述べられている。これまで変異株は薬剤や酵素に対する感受性や抗原性などの変化を指標に取得されてきたが、本論文では、細胞壁の物理的強度の変化を直接に反映する方法を開発した。細胞壁を酵素消化で除いたスフェロプラストは低張液では破裂してしまうが、等張液中では細胞壁をもつ細胞より比重が低いと予想される。種々の条件検討により、等張液中で混合したスフェロプラストと正常細胞を遠心で分取する方法を確立した。細胞壁に異常をもつ変異株細胞のうち、正常細胞よりスフェロプラストに性質が近いものは同じ方法で分取できるはずである。変異処理した細胞群を遠心分画し、浸透圧保護剤である1Mソルビトール添加培地では生育するが、野生株に影響がない低濃度の界面活性剤を含む培地で生育しない変異株を多数取得した。代表的な24株について詳しく解析を行い、単一の劣性変異による2群の変異株、hop1株,hop2株を分離した。

 第2章では、hpo1変異株に関する解析の結果が述べられている。変異を相補する遺伝子をクローン化して解析したところ、グルタミン合成酵素の構造遺伝子GLN1であった。hpo1変異株の細胞内グルタミン量を測定すると野生株の1/8で、培地中にグルタミンを高濃度添加すると変異形質は抑制された。さらに△gln1株との掛け合わせから、hpo1変異がGLN1遺伝子のリーキーな変異であることが支持された。野生株のグルタミン合成酵素をホスフィノスリシンで部分的に阻害した場合もhpo1変異株とよく似た形質を示した。アミノ酸合成と細胞壁のつながりは報告がなく興味深く思われたので解析を進めた。グルタミンは蛋白質の構成単位であるとともに、多くの有機物へのアミノ基供与体であることから、細胞壁構成成分であるN-アセチルグルコサミン(GlcNAc)の不足を予想して調べたところ、GlcNAcを少量しか含まない糖蛋白質糖鎖には差が認められなかったが、GlcNAcのポリマーであるキチンの量は野生株の2/3に減少していた。以上から、グルタミンの代謝はキチンの合成を介して細胞壁の剛性に関っている。

 第3章では、hpo2変異株に関する解析の結果が述べられている。hpo2変異は本濃縮法で特に多く得られる変異で、細胞の直径が野生株の3倍以上に大きく丸くなり、インベルターゼなどの細胞壁酵素が培地に漏出する。変異を相補する遺伝子のクローン化と古典的遺伝解析の結果、hpo2変異は哺乳類のプロテインキナーゼCの酵母ホモログとして取得されたPKC1遺伝子の変異であった。変異株の細胞壁ではグルカン量が減少しており、特に酸塩基不溶性グルカンは野生株の1/3であった。PKC1遺伝子産物は推定されるリン酸化カスケードを経てグルカンの合成・成熟を支配していると考えられた。一方、細胞壁の蛋白質組成について検討した結果、みかけの分子量33,000の蛋白質が変異株で増加していることを見出した。細胞壁からの抽出条件を検討し、100℃に加熱すると効率良く遊離することを明らかにした。精製標品のアミノ酸配列の解析などより、これはエンドグルカナーゼとして報告されたBGL2遺伝子産物であった。Bgl2蛋白質の増加と変異形質の関係を調べるため、hpo2 bgl2二重変異株を作ったところ、低浸透圧感受性は野生株までは回復しないものの生育速度でみると有意な向上が認められた。以上より、PKC1遺伝子は複数の経路でグルカンの合成・成熟を支配し、その最終作用点の一つはBgl2グルカナーゼである。

 以上、本論文は新規な変異株濃縮法を開発して変異株を取得解析し、細胞壁に関わる遺伝子とその産物の性質を明らかにしたもので、学術上応用上寄与するところが少なくない。よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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