酵母の細胞壁の役割は、細胞の形態を保つことや外界からの薬剤等の侵入を防ぐこと、さらには接合するための性フェロモンを受容することなどがあげられる。このような働きをする細胞壁は、主としてマンナン蛋白質、グルカン、キチンから構成されていることが知られている。これらの成分の合成系に関しては、多くの研究がなされているが、まだ不明異な点が多い。そこで、細胞壁の新規変異株を取得し、その解析を行うことによって、細胞壁の合成に関する新たな知見を得ることを目的として、本研究を行うこととした。 変異株の濃縮を行うにあたり、これまでの研究とは異なり、細胞の密度に着目し、細胞に形態異常を起こした変異株を取得し、解析を行うことを試みた。なぜならば、単一の遺伝子の変異によって低浸透圧感受性になる変異株は、細胞壁の主要な成分あるいは原材料の生合成を行う酵素であるか、その制御遺伝子であると考えられ、これまでの研究では明らかにされなかったグルカン/キチン/マンナン蛋白質の合成や制御に関与する遺伝子を明らかにすることができると考えたからである。 まずはじめに、酵母細胞壁の変異株の取得を試みた。細胞壁の変異は、細胞の形態に変異を起こさせ、細胞の内部浸透圧によって細胞を膨張させ、細胞の密度を低下させると考えた。はじめに、細胞壁に変異を生じた細胞の代わりにスフェロプラストを用い、通常細胞と密度勾配遠心で分離することを試みた。その結果、スフェロプラストを通常細胞の約10000倍の濃度に濃縮が可能であった。そこで、野生株に変異処理し、密度勾配遠心で密度の低い菌を集めたところ、形態異常を生じた細胞は約10倍に濃縮されていた。このように、密度の違いを用いることによって細胞壁に変異を生じ、細胞の形態に異常を生じた細胞を、容易に濃縮することができた。このようにして得た変異株より、生育の悪い株400株を選択し、その中から、0.004%SDSを含んだYEPD培地で生育の非常に悪い、または生育できない24株を選択した。0.004%のSDSは野生株の生育には何も影響しないことが分かっているが、細胞壁に変異を持った細胞の生育を抑制すると考えた。これら24株より接合が可能で、変異形質の安定しており、かつ形態の異常の著しい株9株を選択した。これら9株を四分子解析・接合によって相補群に分けたところ、2つの相補群に分かれた。これらの変異株を低浸透圧感受性であることからhpo1(hypo-osmolarity-sensitive mutation),hpo2とした。 次に、取得した変異株の一つhpo1の解析を行った。相補遺伝子を取得し、一部の塩基配列を決定した結果、はGLN1遺伝子の変異であることが明らかになった。GLN1遺伝子は、グルタミン合成酵素の構造遺伝子であることが知られている。そこで、細胞内の遊離アミノ酸の濃度を測定した結果、の細胞内のグルタミン濃度は野生株の1/8に低下していることが明らかになった。また、細胞壁のキチン含量を測定した結果、hpo1変異株では細胞壁中のキチン含量が野生株の2/3にまで減少しており(表1)、Calcofluorによるキチンの染色でも、出芽痕や細胞全体の蛍光強度は非常に弱いことがわかった。野生株のグルタミン合成酵素を薬剤で阻害する、gln1遺伝子の欠損株に極少量のグルタミンを与えて生育させるという2つの方法で細胞内のグルタミンを欠乏させたところ、いずれの場合もhpo1と同様の変異形質を示すことが明らかになった。このことからグルタミン合成酵素の活性の低下等による細胞内グルタミンの濃度の低下は、キチンの生合成に必要なUDP-GlcNAcの濃度の低下を引き起こし、そのキチンの減少は細胞壁の物理的強度の低下を起こすことがわかった。 表1 細胞壁中のキチン含量の相違aa YPH250,JS4,JS4/4pJ1は1M sorbitol-YEPD培地で、YPH△gln1は1M sorbitol-YEPD培地に0.1%のグルタミンを添加して対数増殖期後期まで培養した。集菌・洗浄後、細胞壁を単離し、酵素法でキチン量を定量した。誤差は標準偏差を示す。 次にhpo2変異株の解析を行った。hpo2は、細胞の直径が通常の細胞の1.5から3倍以上あり非常に巨大化ししており、また通常細胞壁中に捉えられる分泌蛋白質インベルターゼが細胞外に漏洩していることから細胞壁に変異が生じていることが明らかになった。そこで、hpo2の相補遺伝子を取得し、その塩基配列を決定したところ、プロテインキナーゼCの遺伝子であるPKC1遺伝子であることがわかった。PKC1遺伝子の欠損株とhpo2を接合させたところ、変異を回復しないことから、hpo2がpkc1遺伝子の変異であることが明らかになった。hpo2変異株の細胞壁の組成を調べたところ、細胞の物理的強度に最も関与している酸-塩基不溶性グルカンの含量が野生株の1/3に減少していることが確認された(表2)。さらに細胞壁の蛋白質の組成を調べると、33kDa蛋白質が大量発現していることが明らかになった。そこで33kDa蛋白質を精製し、そのN末端のアミノ酸配列を決定したところ、-glucanaseであり、またglycosyltransferaseの活性を有するとも言われているBgl2p蛋白質であることがわかった。この結果から、hpo2変異株の物理的な脆弱性の理由の一つがPKC1遺伝子の変異によるBgl2pの大量発現にあるのではないかと考えた。この仮説を検証するため、hpo2変異株のbgl2遺伝子を破壊した二重変異株を作成し、その変異形質にどのような変化があるかを検討した。その結果、二重変異株は、低浸透圧感受性は回復しないものの、生育速度の回復がみられた。このことから、Bgl2pの大量発現は、hpo2の変異形質に影響を与えていることが分かった。以上の結果から、PKC1はBGL2の発現を負に制御していることが示唆された。このことから、これまで最終的な作用点に不明な点が多かったPKC1の働きの一端が明らかになった。 図1 細胞壁蛋白質のSDS電気泳動及びウエスタンブロットの結果A5-8-1C(野生株)、JS37-1A(hpo2)、YS3-6D-pkc1△(pkc1△)は、1Msorbitol-YEPD培地でA600=1-1.5まで培養した。その後、集菌し、ガラスビーズを用いて細胞を破砕し、細胞壁を単離した。左の3レーンのサンプルは、4%SDS-2%2-mercaptoethanol-20mM Tris-Hcl pH8.3の溶液で細胞壁を10分間煮沸し、可溶化したものを用いた。右の6レーンのサンプルは、20mM Tris-HCl pH8.3の溶液中で10分間煮沸した細胞壁の上清と沈殿物である。電気泳動は12%のポリアクリルアミドゲルを用いた。それぞれのレーンには50gの蛋白質をアプライした。蛋白質は電気泳動後、Coomassie Brilliant Blue R250で染色した。分子量マーカーによる各分子量の泳動度は左側に矢印で示した。大量発現している33kDa蛋白質は右側に矢印で示した。ウエスタンブロットに、anti-gp29(Bgl2p)抗体、goat anti-rabbit IgG-horseradish peroxidaseを用いた。各レーンには100gの蛋白質をアプライした。 今回の細胞壁の変異株を取得する試みは、多くの変異株の取得を試みたにも関わらず、9株の変異株のうち8株がPKC1の変異株であるという結果であった。このことは、PKC1が細胞壁に与える影響の大きさに起因していると考えられる。PKC1遺伝子の破壊株の変異形質は他のPKC1の信号伝達系の下流遺伝子の破壊株の変異形質より顕著であるとともに、他の細胞壁の合成酵素よりもまた顕著である。PKC1の細胞壁に与える影響力は非常に大きく他に比類のないものなのであろう。今回は変異株選択の際に、特に変異の形質の激しいもの9株を選択したため、8株がPKC1であるという結果になったものと考えられた。しかし、今回選択しなかった変異株が、糖鎖不全変異株であったとの報告もあり、まだまだ多くの変異株の取得が期待される。密度勾配遠心法という簡易な濃縮法を用いた本変異株取得方法は新たな細胞壁変異株を取得する際に、非常に有効な手段であると考えられた。 |