学位論文要旨



No 213745
著者(漢字) 片野,登
著者(英字)
著者(カナ) カタノ,ノボル
標題(和) 八郎潟干拓地に湧出するリンの起源とその流出特性に関する研究
標題(洋)
報告番号 213745
報告番号 乙13745
学位授与日 1998.03.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第13745号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,聰
 東京大学 教授 山崎,素直
 東京大学 教授 森,敏
 東京大学 教授 小柳津,広志
 東京大学 助教授 林,浩昭
内容要旨 はじめに

 1997年6月,米国は全世界に対してリン肥料の原料となるリン鉱石の輸出を停止した。この背景には,21世紀の人口爆発に伴って生じる食糧の増産そして肥料の需要拡大を見越した戦略的な意図がうかがえる。そのため,リン酸資源の確保は,我が国の農業にとって重要な課題の1つになっている。

 著者らは,八郎潟干拓地においてPO4-Pとして21〜23mgL-1を含有する高リン地下水が湧出していることを発見した。湧出するリンの量は,年間30〜40トンにのぼると推計され,現状では八郎潟残存湖(以下残存湖)における大きな栄養塩負荷源になっている。

 本研究は,この高リン酸地下水の湧出機構を解明し,リン酸資源として有効利用する可能性を探る目的で実施した高リン地下水の発生源探査に関する一連の調査・研究の成果をまとめたものである。

第1章八郎潟の成立,干拓および八郎潟残存湖の水質

 琵琶湖に次ぐ我が国第2の湖であった八郎潟は,1957年に始まる干拓事業によりその8割(17,000ha1)が干陸され,現在では我が国屈指の稲作地帯となっている。残り2割(4,800ha)の水域は,洪水調節と淡水資源の確保を主目的とした残存湖として残された。干拓地の大部分は水田として利用されており,残存湖の用水は5〜9月の水田灌漑期には,干拓地水田との間で計算上年9回循環使用されている。このように残存湖は典型的な閉鎖系水域のため,残存湖の汚濁水質の改善が干拓地および周辺地域の大きな課題の1つになっている。

第2章八郎潟干拓地における高濃度リンの発生源について

 排水量および流域の水田面積が同等の南北2つの排水機場から出る排水のリン濃度は,北部機場では0.13mgL-1に対して南部機場では0.47mgL-1と常時3倍以上高い状態にある。

 この原因を探るため,幹線排水路に流入する40本の支線排水路の水質調査を実施した。その結果,中央幹線排水路に流入するLD-G1排水路のリン濃度が1.62mgL-1と極めて高く,これが南部機場のリン濃度を高めている原因であることがわかった(図1)。

図1 支線排水路のリン濃度

 さらに,LD-G1排水路のリン濃度が高い原因について網羅的に調査した結果,南部機場の4倍以上の2mgL-1を越えるリン濃度の小排水路が,LD-G1排水路の上流部およびLD-G1排水路に合流しているLD-G1-1排水路周辺部にあることがわかった(図2)。

図2 小排水路のリン濃度
第3章高濃度リン流出機構解明のための地質調査

 高濃度リンの発生源を特定するため,比較的リン濃度が高い干拓地G5圃場のR5小排水路周辺5カ所でボーリング調査を行った(図3)。その結果(表1),B4地点の排水路直下に湧出している地下水(II)のリン濃度がPO4-Pとして21〜23mgL-1と異常に高く(高P地下水),これがLD-G1排水路のリン濃度を高めている原因となっていることが明らかとなった。排水路の底質は,0〜25cmが腐植に富む重粘土層で,それ以深は砂層である。B4地点における地下水のリンの約90%はこの重粘土層に吸着され,吸着しきれなかった約10%のリンがR5小排水路に常時湧出していることがわかった。

図3 ボーリング地点表1 地下水の性質とその特性

 各調査地点における地下水のPO4-PとSARの関係をみると,圃場地下水(I)の大部分は八郎潟残存湖と同一線上に分布するのに対して,排水路直下の地下水はPO4-PおよびSARとも指数的に高い領域にあることが分かった(表1,図4,5)。

図4 地下水のリン濃度図5 地下水のリン濃度と塩基状態

 高P地下水の湧出機構を明らかにするため,干拓地全域に湧出する地下水(71カ所)の水質調査を実施した。その結果,地下水の水質はその湧出位置と深度により3タイプに区分され,第IおよびIIのタイプにリン濃度の高い地下水が多いことが分かった。

 さらに高濃度リン地下水の水脈を特定する目的で,G5圃場・堤防近傍で20mのボーリング調査(92B)を行った。その結果,92B地下水の全リン濃度は全層にわたり10mgL-1前後で,16m付近に僅かなピークが見られたが,明瞭な高P地下水脈は特定できなかった(図6)。

図6 ボーリング調査結果

 その後50mのボーリング調査(93B)を行ったが,高P地下水脈は特定できなかった。

第4章高P地下水由来のリン量

 湧出地下水のリンの流出量を1990および1991年度の資料をもとに推計した。1年間に流出するリンの量は30〜40トンと推定され(図7),これは残存湖に流入するリンのほぼ1/4,干拓農地で使用するリン酸肥料の1/4〜1/3に相当することがわかった。

図7 残存湖に流入するリンの負荷割合
第5章高P地下水の有効利用

 高P地下水が流入するR5小水路およびLD-G1-1排水路で水耕栽培を行った結果,クレソンや枝豆が旺盛に生育した。高P地下水を効率的に回収する技術を開発すれば,有効な天然由来のリン酸資源として利用できると考えられた。

第6章高P地下水の起源について

 干陸以前の八郎潟の形成過程,地形・地質構造および高P地下水の水質等から,高P物質の起源は,藍鉄鉱の前駆様物質を主体とする鉱物資源と推測されるが,この他に残存湖の底質に蓄積した有機物および湖底堆積物(シジミ等)の可能性も考えられる。

審査要旨

 1997年6月、米国は全世界に対してリン肥料の原料となるリン鉱石の輸出を禁止した。この背景には、21世紀の人口の爆発的な増加に伴って生じる食糧の増産と肥料の需要拡大を見越した戦略的な意図がうかがえるものである。したがって、リン資源の確保は、わが国の農業にとって重要な課題の一つになることは間違いないであろう。本論文の著者は八郎潟干拓地においてPO4-Pとして21〜23mgL-1を含有する高リン地下水が湧出していることを発見した。湧出するリンの量は、年間30〜40トンに上ると推計しているが、現状は八郎潟残存湖(以下残存湖という)における大きな栄養塩負荷源となっている。

 本論文はこの高リン地下水の湧出機構を解明し、リン資源として有効に利用する可能性を探る目的で実施した高リン地下水の発生源探査に関する一連の調査・研究をまとめたもので、6章より構成されている。

 八郎潟、八郎潟干拓地および残存湖の概要を述べた第1章に続いて、第2章では八郎潟干拓地における高濃度リンの発生源の発見に繋がる経緯について述べている。南北二つの排水機場から排水されるリン濃度は北部機場では0.13mgL-1であるのに対して南部機場では0.47mgL-1と常時3倍以上高い状態にあった。この原因を探るために、幹線排水路に流入する40本の支線排水路の水質調査を実施したところ、中央幹線排水路に流入する排水路の一つにリン濃度が1.62mgL-1ときわめて高い排水路があることを見いだし、これが南部機場のリン濃度を高めている原因であることを突き止めた。さらに、この排水路を中心にリン濃度を網羅的に調査し、リン濃度がきわめて高い地域を高濃度リン発生源として干拓地内に特定した。

 第3章では高濃度リン流出機構解明のための地質調査を行っている。第2章で特定した高濃度リン発生源を含む高濃度リン排水路周辺の5地点でボーリング調査を行った結果、その内の1地点の排水路直下に湧出している地下水のリン濃度がPO4-Pとして21〜23mgL-1と異常に高いリン濃度を示し、これが第2章で述べたリン高濃度排水路の原因となっていることを明らかにした。この排水路の底質のボーリング調査は0〜25cmが腐植に富む重粘土層であり、それより深い土層は砂層であることを示した。さらに、この地点における地下水のリンの約90%はこの重粘土層で吸着されており、吸着されなかった約10%のリンが上述の排水路に常時湧出しているこを明らかにした。一方、各調査地点における地下水のPO4-Pと陽イオン中のナトリウムイオンの吸着比(SAR,Sodium Adsorption Ratio)の関係から、干拓地の地下水の大部分は残存湖と同じ直線上にあるのに対して、排水路直下の地下水はPO4-PおよびSARともに10〜100倍の高いオーダーにあることを示した。高濃度リン地下水の湧出機構を明らかにするため、干拓地全域に湧出する地下水(71箇所)の水質調査を行ったところ、干拓地で従来考えられていた人為的な汚濁負荷による高濃度栄養塩の排出ではなく、天然地下水による高濃度栄養塩の常時排出によるものであることを明らかにした。

 第4章では高濃度リン地下水由来のリン量を求め、それが年間干拓地におけるリン酸施用量に対して占める割合を求めて、その代替量の試算を行っている。その結果、1年間に湧出するリン量は30〜40トンと推定され、本干拓地で使用されるリン酸肥料の1/4〜1/3に相当することがわかった。そして、高濃度リン湧出水を有効に活用すれば、残存湖に流入するリン負荷量の約25%を除去できるとした。

 第5章では本高濃度リン地下水の有効利用として、水耕栽培による作物試験を行った結果を述べている。本地下水を直接水耕栽培用の培養液として利用するには夏期の低水温対策が必要であること、ナトリウムおよび塩素イオン濃度がやや高いこと、リンに比べて窒素およびカリウム濃度がやや低いなど人為的に改善できるものであったが、マメ科作物の栽培は夏期の水温を上げる方策だけで好成績を上げた。

 第6章では地下水調査の結果を踏まえて、高濃度リン地下水の起源について考察を行っている。現在までの知見ではその起源を確証するまでには至っていないものの、可能性として、残存湖の底質からの由来、堆積物からの由来、鉱物資源からの由来のそれぞれについて考察を行っている。

 以上を要するに本論文は、高リン地下水湧出の発見を契機に高リン地下水の湧出機構とそのリン資源としての有効性を明らかにしたもので、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として、価値あるものと認めた。

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