S-adenosyl―L―homocysteine hydrolase(SAHH)は、S-adenosyl-L-homocysteine(SAH)をadenosineとL-homocysteineとに分解する酵素である。生体内メチル化反応は、S-adenosyl-L-methionine(SAM)を基質とする様々なメチル基転移酵素によって行われるが、反応の副産物であるSAHによって、メチル基転移酵素の反応がフィードバック阻害される。ここで、SAHHによるSAHの除去が速やかに行われないとメチル化反応が進まなくなることから、SAHHは生体内におけるメチル化反応を律速していると考えられる。生体内メチル化反応は、核酸、タンパク質、脂質、二次代謝産物など様々な物質の修飾に関わっている。なかでも、DNAのメチル化は遺伝子発現の調節に関与しており、分化や成長の際の遺伝子発現に重要な役割を果たしていることが示唆されている。したがって、SAHHはメチル化反応の調節を介して植物の形態形成に関与していることが予想される。また、タバコより単離されたサイトカイニン結合タンパク質複合体の構成要素の1つがSAHHであることが報告されており、SAHHのサイトカイニン情報伝達系への関与も示唆されている。本研究においては、SAHHの植物の形態形成における役割およびサイトカイニンとのも関係を解明することを目的として、タバコSAHH遺伝子の解析、SAHH遺伝子のアンチセンスRNAを発現する形質転換植物の作出、およびSAHH活性に及ぼすサイトカイニンの影響についての解析を行った。 一方、ウイルスの増殖に必要なmRNAのcap構造のメチル化を抑制することにより、植物ウイルスに対する抵抗性が増強されることが報告されている。したがって、SAHH遺伝子の発現を抑制することにより、ウイルス抵抗性を付与できる可能性がある。そこで、本研究においては、SAHH遺伝子のアンチセンスRNAを発現する形質転換植物のウイルス抵抗性についても解析を行った。 1.タバコSAHH遺伝子の構造と発現機構 植物の形態形成に関与する遺伝子を得ることを目的として、タバコの試験管内培養系において花芽形成時に発現が誘導される遺伝子に対応するcDNAのスクリーニングを行った。得られたcDNAクローンのうち、1つのcDNAクローンは、動物より単離されているSAHHと約60%の相同性を持つタンパク質をコードしており、タバコSAHHをコードするものと推定される。タバコSAHHのアミノ酸配列は、485個のアミノ酸からなるものであり、これまでにラットや粘菌より単離されたものと比較すると約50アミノ酸分大きいものであった。 次に、SAHHのゲノム遺伝子の構造を知るために、タバコのゲノムライブラリーをSAHHcDNAをプローブとしてスクリーニングを行った。得られたゲノム遺伝子にコードされていたアミノ酸配列は、cDNAのものと同一であったが、塩基配列上ではアミノ酸配列の変化が起らないような変異が50箇所あり、97%の相同性を示した。この遺伝子中には2つのイントロンが存在し、3つのエクソンに分けられていた。また、ゲノムDNAのサザン解析の結果、N.tabacumのゲノム中には、SAHH遺伝子は2つあるいはそれ以上存在することが示された。 SAHH遺伝子の発現に及ぼす植物ホルモンの影響を調べた結果、SAHHmRNA量はIAAおよびカイネチンによって転写誘導を受けて増加することを確認された。 さらに、SAHH遺伝子のプロモーター配列をレポーター遺伝子(GUS遺伝子)と連結しその発現を調べた結果、導入したBY-2細胞においても、カイネチンによってSAHH遺伝子のプロモーター活性が増加することが確認された。 2.SAHH遺伝子のアンチセンスRNAを発現させた形質転換タバコにおける形態変化とDNAメチル化の減少 SAHHの植物の形態形成における役割を推定するために、SAHH遺伝子のアンチセンスRNAを発現させSAHHレベルを低下させた形質転換体を作出した。形質転換体のうち約半数は、顕著な形態変化を示した。形態変化のうち最も特徴的なものは、わい化であり、最も顕著なものは、野性型に比べて植物体の背丈が約1/3から1/4になっていた。葉の外観も変化し、形質転換体の葉の緑色は濃く老化(senescence)もコントロールに比べて遅延する傾向がみられた。さらに、花の形態にも変化がみられた。形質転換体の雄しべの長さは、コントロールに比べて短く、形態変化の著しい個体では雄しべが花弁に変化するというホメオティック変異がみられた。また、形態変化を起した形質転換体ではSAHHmRNA量が減少していることが、ノーザン解析により確認できた。これらの結果より、SAHHが花を含めた植物の形態形成の制御に重要な役割を果たしていることを明らかになった。また、形質転換体では内生サイトカイニンレベルの上昇がみられたことから、形態変化の原因の一つが、サイトカイニンの増加であると推定された。 次に、形質転換体におけるDNAのメチル化状態の変化を、メチル化感受性制限酵素とタバコゲノム中に存在する繰り返し配列を用いて解析した。その結果、顕著な形態変化を起した形質転換体では、明らかにコントロールに比べてDNAのメチル化が抑えられていた。この結果より、SAHHがDNAメチル化の調節に直接関わっていることが確認され、DNAのメチル化状態の変化が形態変化に関わっていることが示唆された。 3.サイトカイニンがSAHHの酵素活性に与える影響 サイトカイニンがSAHHと結合することによってSAHHの酵素活性に及ぼす影響を調べるために、タバコのSAHHcDNAを大腸菌で発現させた。得られた組換えSAHHを用いて、天然に存在するサイトカイニンであるtrans-ゼアチンとtrans-ゼアチンリボシドがSAHHの活性に与える影響を調べた。その結果、trans-ゼアチンはSAHH活性にほとんど影響しなかったが、trans-ゼアチンリボシドは部分的にSAHHを不活性化した。この結果より、trans-ゼアチンリボシドがin vitroでSAHHを不活性化することが明らかとなったが、これは生体内におけるtrans-ゼアチンリボシドの濃度と比較して1-2オーダー高い濃度でのみ観察されたことから、無傷植物でin vitroと同様にtrans-ゼアチンリボシドによる活性阻害現象が起こるかどうかはさらに検討が必要であると考えられる。 4.SAHH遺伝子のアンチセンスRNAを発現させた形質転換タバコにおけるウイルス抵抗性 SAHH遺伝子のアンチセンスRNAの発現によりSAHHの発現を抑制した形質転換体は、TMV(タバコモザイクウイルス),CMV(キュウリモザイクウイルス),PVX(ポテトウイルスX)に対する抵抗性を示した。これらのウィルス抵抗性はSAHH遺伝子の発現の抑制と相関関係を示したことから、cap構造のメチル化の阻害によりウイルスの複製が進みにくくなっていることが示唆された。 一方、形質転換体は、増殖のさいにcap構造のメチル化を必要としないPVY(ポテトウイルスY)についても弱い抵抗性を示した。この結果より、cap構造のメチル化の阻害以外のウイルス抵抗性の機構が存在することが示唆され、形質転換体での内生サイトカイニンレベルの上昇がウイルスに対する獲得抵抗性を誘導したものと推定された。アンチセンスRNAによりSAHHの発現を抑制した形質転換体においては、SAHHの発現レベルの低下の結果、ウイルスmRNAの増殖に必要なcap構造のメチル化の阻害とサイトカイニンによる獲得抵抗性による二重の機構によってウイルスに対する抵抗性が付与されたと考えられる。 5.結論 生体内のメチル化反応を調節することによって、SAHHは植物の形態形成に重要な役割を果たしていること、さらにSAHHとサイトカイニンの間には、相互に制御する関係があることが明らかとなった。また、アンチセンスRNAの発現によりSAHHの発現を抑制した形質転換体は、ウイルス抵抗性が増強されていることが示された。本研究で得られた結果は、植物生理学上重要な基礎的知見を与えるとともに、農業上の応用面についても貢献することが期待される。 |