シオマネキUca arcuataは、潮間帯上部の泥質の干潟に生息し、本邦では有明海、八代海をはじめとする西日本、海外では、韓国の黄海沿岸、中国、台湾、香港などアジア大陸東部において報告されており、シオマネキ属のカニのうちではもっとも北に分布している種のひとつである。 佐賀県の有明海沿岸では、本種のはさみ脚を取り除き、殻ごとすりつぶして塩辛にしたものを「がにつけ」と称して、食用として利用している。本種を含めてシオマネキ属のカニは、身近な干潟に生息しているにも拘わらず、雄が極端に不相称なはさみ脚を持ち、繁殖期に特異な行動をとることから、形態、生態、行動に関する報告は多いが、成長や繁殖などの生物学的な基礎的知見は乏しい。近年、シオマネキは,海岸の干潟の消失などによって生息場所を失いつつあり、その保護対策上からも生活史の解明は急務である。本研究では、シオマネキの生活史を解明することを目的として、八代海湾奥部の大野川河口干潟において、成長、繁殖期、成熟過程を中心に調査した。また、生息域での観察を補完するために、実験室においてふ化したゾエア幼生を育てて得た稚ガニを飼育し、成長を観察するとともに、飼育実験によってメガロパの着底条件と、はさみ脚の不相称分化の過程を解析した。その結果、海域での浮遊生活期を除いて生活史の概要を明らかにすることができた。 1.幼生の飼育と観察 親ガニからふ化した幼生を飼育観察することにより、海域での生態を推察した。 ふ化したゾエア幼生を、64個体/lの低い密度で収容し、飼育水にはテトラセルミスを添加し、餌として1令から3令まではシオミズツボワムシを、3令以降はアルテミア・ノープリウスも加えて給餌した場合、高い生残率が得られた。ゾエア幼生は5令を11-19日で経過した。ふ化ゾエア数は19000-64000個体(雌の甲幅:20.6-32.5mm)であった。 遊泳しているメガロパにはアルテミア・ノープリウスを、着底したメガロパにはクルマエビ用の配合餌料を与えて飼育した。変態した直後のメガロパに干出した泥の基質を与えると、4-5日間表層を遊泳した後、遊泳と上陸をくり返しながら干出した泥の基質に上陸して巣穴を掘り、その後稚ガニに変態した。基質を与えた場合、メガロパ期を9-15日で経過した。ゾエア、メガロパともに低塩分、高水温でもよく発育し、内湾域に適応していることが示唆された。当初メガロパは表層を泳いでいたが、1週間後頃から水槽底にいることが多くなり、生息域へ回帰するための行動であることが推察された。 親ガニから放出されたゾエア幼生が、親ガニの生息域である干潟にメガロパとして帰ってきた後、どのよう条件で稚ガニに変態するのかを明らかにするために、室内実験を行った。 干出した泥の基質を与えて飼育したメガロパは、すべてが稚ガニに変態したが、水中の泥の基質を与えたメガロパは20%弱しか変態しなかった。さらに干出した泥と砂を同一の水槽内に配置した場合、メガロパは泥の基質だけに上陸して巣穴を掘り、稚ガニに変態した。泥と砂を5種類の混合割合で混ぜた干出基質を与えて比較した場合、生残率の違いは少なかったが、稚ガニへの変態率は泥の割合が多くなるほど高く、砂だけの干出基質では変態しなかった。好適な泥の基質を与えなかった場合、メガロパは20日間程度は変態能力を有しているが、その後は変態能力を低下させて1週間くらい生存することが判明した。このようにシオマネキのメガロパはきわめて強い基質選択性を有していることが明らかになった。 2.稚ガニの成長 生息域における採集個体の甲幅頻度分布から、新規加入の稚ガニは8月頃から出現し、それらは翌年の春には甲幅10mmまで成長すること、また1年後には20mm近くまで成長し、一部は繁殖に加わることが推察された。生息域で観察された最大個体の甲幅は、雌で33.6mm、雄で36.8mmであり、甲幅30mm以上の個体のうち雄が83%を占めていた。しかし大型個体は成長が遅く、年級群の識別は困難であった。 実験室における3年半の飼育観察では、稚ガニは7月に着底した後、翌4月には甲幅10mm程度まで成長した。それらは、さらに着底2年後には20mmまで成長し、一部には抱卵雌も出現して、成熟が確認された。これらの飼育結果は生息域での観察結果を支持するとともに、本種は少なくとも3年半は生存する事が示された。そして生息域での最大個体のサイズ、および大型個体の成長速度から考えて、本種は5年以上は生存するのではないかと考えられた。 雄のはさみ脚の重量は体重より優成長し、はさみ脚の重量が体重の40%を占める個体も観察された。 3.繁殖生態 実験室において、抱卵雌は5月から8月までの期間に観察され、最小抱卵雌は18.1mmであった。抱卵雌は着底2年後から出現し、2年後の抱卵率は78.6%、3年後で62.5%であった。 また生息域において、成熟した雌雄を観察した結果、5月下旬から8月までの期間に抱卵雌が出現し、最小抱卵雌の甲幅は19.4mmであった。雌の抱卵率は13.3-50.0%の範囲で、6月が高めで7月にいったん低下した後8月にまた少し上昇した。生殖腺重量等を調査した結果、非抱卵雌の生殖腺重量指数は5月と7月の2回、抱卵雌では7月に1回のピークがあることから、シオマネキは繁殖期間に2回産卵していることが示唆された。 雌が抱卵していた卵は、未発眼卵で長径0.245mm、ふ化直前の発眼卵で長径0.324mmであり、卵の発生が進むにしたがって卵径が大きくなる現象が観察された。抱卵数は6900-103500個で、他のシオマネキ属のカニと比べても多く、雌の甲幅と抱卵数との間には正の相関関係が見られた。 本研究で採集されたシオマネキの性比は、1.36:1.00で雄が多い結果となった。これまでに研究されたシオマネキ属の性比は、雄優勢の種類が多い。雌雄で斃死率が異なることによって性比に差があらわれることが報告されており、本種でも同様のことが推察される。しかし、採集方法など人為的な結果による影響も考えられるため、今後はさらに詳細な調査が必要である。 4.二次性徴とその変化 雄のはさみ脚の不相称分化過程を解明するために、実験室で繁殖させて得られた第一令稚ガニを飼育し、はさみ脚の状態の変化を観察した。第一令稚ガニはすべてが2本の小さい相称のはさみ脚を持っていたが、2本ともに大型化した後に、左右どちらか片方が脱落し1本となった。さらに、1本のはさみ脚を持つ個体の減少とともに、不相称なはさみ脚を持つものが増加した。これらの観察結果は、生息域における調査でも同様であった。 腹部幅は雌雄で異なり、雌の腹部幅の甲幅に対する比は、甲幅19mmに変曲点を持つ2本の直線で示された。すなわち、甲幅19mmの頃の脱皮が成熟脱皮であることが示唆された。 以上の研究の結果、シオマネキは着底後2年で成熟し、年に2回の産卵を行い、産卵数も他のシオマネキ属のカニより多いことが明らかになった。また、5年以上生存すると推察されることから、成熟以降の産卵回数も多く、生産力の高い種のひとつであると考えられる。さらに、浮遊幼生は高水温、低塩分にも耐性があり内湾域での生息に適応した種であるといえる。しかし、幼生が着底するには泥の干潟が必要であるにもかかわらず、着底および生息が可能な泥の干潟を有する場所はごく限られ、しかも減少しつつあるのが現状である。本研究においては、寿命、性比、生息密度、および繁殖と潮汐との関係などの解明が今後の課題として残された。それらを明らかにするためには、生息域における定量的な採集と観察による個体群構造の詳細な分析、および長期にわたる実験室での飼育観察による研究が期待される。 |