学位論文要旨



No 213749
著者(漢字) 酒井,一人
著者(英字)
著者(カナ) サカイ,カズヒト
標題(和) 蒸発散特性を取り入れた多層型斜面タンクモデルの構築
標題(洋)
報告番号 213749
報告番号 乙13749
学位授与日 1998.03.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第13749号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中村,良太
 東京大学 教授 中野,政詩
 東京大学 教授 佐藤,洋平
 東京大学 助教授 宮崎,毅
 東京大学 助教授 島田,正志
内容要旨

 近年、環境問題などから流出解析の必要性が多様化し、河川流量計算のみでなく水質問題や、土地開発による水文循環変化予測など様々な内容が流出解析に求められるようになっている。それに伴い、モデル内のパラメータ値が実流域の物理量に対応した物理的な流出モデルの開発が求められている。物理的なモデルとして現象の基礎方程式を数値的に解くことにより流出解析を行う手法があるが、この手法は現象を厳密に表せる一方、入力する情報が多く広い流域での長期流出解析には向かず、実際の適用例でも1km2未満の流域がほとんどである。長期流出解析を考えた場合には、有効な流出モデルは貯留型モデルであるといえる。しかし、従来の貯留型モデルは必ずしも物理的であるとはいえず、特に長期流出解析における水収支把握に重要である蒸発散特性について取り入れているものは少ない。流出解析における蒸発散量の計算において土壌表面での水移動について基礎方程式を数値的に解くことを用いる方法も考えられるが、適用範囲から考えて良い方法とはいえない。そのため、蒸発散特性を貯留型モデルに取り入れるには、蒸発散特性をうまくモデル化する必要がある。

 そこで、本研究では、数値実験により土壌水分と蒸発散量の関係を求め、その関係を飽和度-蒸発散比特性曲線という形で定式化し、定式化したその飽和度-蒸発散比特性曲線を組み込んだ多層型斜面タンクの構築を行った。

 まず、不飽和浸透流の方程式に吸い込み項としてSPAC(Soil-Plant-Atmosphere Continuum)モデルを組み込んだSPAC土壌層モデルにより土中の水分移動の計算をし、その計算結果から飽和度-蒸発散比特性曲線を得た。この計算では、地表面被覆条件として裸地条件、根の浅い植物存在条件、根の深い植物存在条件の3条件を考えた。また、粘土、シルト、砂の質量分率を0%〜100%まで5%づつ変化させた231個の条件で土壌に関するパラメータ値を求め、その231組のパラメータ値を用いてSPAC土壌層モデルで数値実験を行った。その結果、土性条件や地表面被覆条件と飽和度-蒸発散比特性曲線の形状の特性として次のようなことが分かった。(1)飽和度-蒸発散比特性曲線の形状は、裸地条件か植物存在条件かによって違い、想定した根群域の違いは曲線の形状には影響しない。(2)根密度分布が違う場合には、飽和度と蒸発散比の間に飽和度-蒸発散比特性曲線という形での関係が成立する土層の深さが変わってくる。(3)飽和度-蒸発散比特性曲線の形は計算で用いた飽和透水係数によって異なり、飽和透水係数が大きいほど小さい飽和度まで蒸発散比が大きい。などである。

 次に、計算によって求めた231の土性条件×2地表面被覆条件(裸地条件および植物存在条件)=計462個の飽和度と蒸発散比の関係を次式で表されるロジスティック曲線で回帰し、最小二乗法によりを求めた。

 

 ここで、ETR:蒸発散比:土性や地表面被覆条件によって違うパラメータDS:飽和度

 そして、求められたについて地表面被覆条件ごとに、国際土壌学会の土性分類に対応して決定できるようにした。ここまでで、飽和度-蒸発散比特性曲線が定式化され、流出解析において対象流域に関して得られる土性条件および地表面被覆条件から飽和度-蒸発散比特性曲線のパラメータ値を決定できるようになり、貯留型流出モデルで用いるための蒸発散特性のモデル化を行うことが完了したこととなる。

 次に、これまでで求めた飽和度-蒸発散比特性曲線が機能するような多層型斜面タンクモデルの構築を行った。多層型斜面タンクモデルは、流域を斜面モデル化し4列に分け、土壌の深さ方向にはいくつかの層に分けたモデルである。その一列は、不飽和浸透流で水移動を表す部分の「蒸発散(ET)サブモデル」と、速い流出に対応する部分である「流出タンク」からなっている。ETサブモデルでは、モデル内で計算された水分量に対応して飽和度-蒸発散比特性曲線から蒸発散比が計算され、その蒸発散比に蒸発散能をかけて蒸発散量が計算される。流出タンクでは、一段目の横方向への水移動はマニング式で表し、一段目以外での水移動は線形タンクの形で計算する。降雨は、実流域においてはまず不飽和浸透流の部分に浸入することから、多層型斜面タンクモデルでは、はじめにETサブモデルへ降雨を加えられ、降雨強度が最大浸透能より大きい場合には流出タンクへ浸透するとする。また、ETサブモデルの水分状態により、ETサブモデルと流出タンク間の水移動を考える。多層型斜面タンクモデルを実流域において適用する場合には、流域の土性や地表面被覆条件に関する情報からETサブモデルでの水移動に関係するパラメータと飽和度-蒸発散比特性曲線のパラメータが流出解析を行う前に決定され、実測値と計算値を合わせるために同定するパラメータは5つとなる。

 次に、湿潤地域である沖縄県のMダム流域とFダム流域と乾季の卓越する流域であるカリフォルニアのサンタポーラ川流域とタイ国のピン川流域の4対象流域において多層型斜面タンクモデルによる流出解析と菅原タンクモデルによる流出解析を行い適用比較を行った。その結果、Mダム流域では多層型斜面タンクモデルと菅原タンクモデルのどちらにおいてもよい適合結果を得ることができた。Fダム流域では、多層型斜面タンクモデルの適合度のほうが菅原タンクモデルの適合度より少し低くなる結果が出た。これは、低いピークにおいて多層型斜面タンクモデルのほうが誤差が大きいためであることが認められた。サンタ・ポーラ川での解析結果では、同定期間だけでなく、予測期間においても多層型斜面タンクモデルの方が菅原タンクモデルよりよい適合結果を得た。これは、菅原タンクモデルが蒸発散比も他の流出に関するパラメータとして同時に決定してしまうのに対して、多層型斜面タンクモデルではETサブモデルにより半独立的に蒸発散量を計算できるために、乾季のように蒸発散量が水収支に大きく影響する季節ではETサブモデルの機構が水収支をうまく捉えているためである。ピン川での解析結果では、菅原タンクモデルにおいて表現しにくかった乾季と雨季での流出率の変化を多層型斜面タンクモデルによる流出解析では表現できた。これは、流出タンクへの水分供給量がETサブモデルの水分量に対応して決定されるために季節ごとの土壌水分状態に対応して流出率が変化するためである。

 以上の結果から、本研究で構築した多層型斜面タンクモデルは5つの未知のパラメータの同定により各流域に適用可能であることが認められた。特に乾季の卓越する流域での流出解析において、多層型斜面タンクモデルの一部であるETサブモデルが有効に機能するために良好な適合結果を得ることが認められた。

審査要旨

 近年、環境問題への関心から流出解析の必要性が多様化し、より物理的な流出モデルの開発が求められている。物理性としては現象の基礎方程式を数値的に解くモデルが最も物理的であるといえるが、そのようなモデルは長期流出解析において計算容量の点から適用に限界がある。そのため、長期流出解析では適用範囲の広さから貯留型モデルがよく用いられるが、従来の貯留型モデルは水収支を捉える上で重要である蒸発散量の推定において物理的意味を持ったものが少ない。本研究は、土壌中の水分移動の数値実験により蒸発散特性を求め、それを取り入れた貯留型モデルである多層型斜面タンクモデルを構築することを目的としたものである。

 研究の背景および目的を述べた第1章に続き、第2章では、SPAC(Soil-Plant-Atmosphere Continuum)土壌層モデルを用いた数値実験により、様々な土性条件での土壌水分と蒸発散量が計算され、その計算結果が飽和度-蒸発散比特性曲線という形で表され、さらにその曲線を国際土壌学会の土性分類および地表面被覆条件に対応して定式化することが行われた。飽和度-蒸発散比特性曲線の特徴として、植物の存在を考えるかどうかにより曲線の形状が違う、飽和度-蒸発散比特性曲線の関係が成立する土層の厚さは地表面被覆条件について違うことなどが認められた。

 第3章では、第2章で求めた飽和度-蒸発散比特性曲線を組み込んだ多層型斜面タンクモデルの構築が行われた。ここでは、まず第2章で求められた飽和度-蒸発散比特性曲線が組み込まれている蒸発散(ET)サブモデルが具備すべき条件が検討され、次に不飽和浸透流部に対応し蒸発散量を計算する蒸発散(ET)サブモデルと、速い流出に関係する部分に対応する流出タンクから構成される多層型斜面タンクモデルの構築が行われた。

 第4章では、第3章で構築した多層型斜面タンクモデルを沖縄県のダム流域に適用し、流出に関するパラメータの逓減を表す係数とタンクの段数について検討が行われた。多層型斜面タンクモデルにおいて流域情報から決定できないパラメータは8個であるが、本章における検討により、流出に関する係数の逓減を表すパラメータおよびタンクの段数は固定できることが分かり、多層型斜面タンクモデルでは5つのパラメータを同定することにより流出解析を行えることが認められた。

 第5章では、湿潤地域として沖縄県のFダム流域とMダム流城、半年の乾季を持つ流域としてカリフォルニアのサンタ・ポーラ川流域とタイ国のピン川において多層型斜面タンクモデルと菅原タンクモデルが適用され、その結果の比較により多層型斜面タンクモデルの有効性について検討された。その結果、多層型斜面タンクモデルでは5つのパラメータの同定により湿潤地域の流域でも半年の乾季を持つ流域でも適用可能であることが認められた。特に乾季のある流域においては、多層型斜面タンクモデルの一部をなすETサブモデルにより乾季の水収支をうまく捉えることができ、多層型斜面タンクモデルにより半年の乾季のある流域において同定期間のみでなく予測期間においても良い適合度を得ることができることが認められた。

 第6章では、本研究の結論が述べられ、今後の課題として速い流出に関係する流出タンクと実流域でのパイプ流などの機構との関係について検討する必要性や、さらに多くの実流域で多層型斜面タンクモデルを適用することにより流域情報とモデルのパラメータ値の関係について明確にしていくことの重要性が述べられた。

 以上要するに、本論文は貯留型流出モデルに蒸発散特性を飽和度-蒸発散比特性曲線という形で組み込んだ多層型斜面タンクモデルを構築し、そのモデルが乾季の卓越する流域での流出解析に有効であることを示したもので、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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