学位論文要旨



No 213754
著者(漢字) 下村,和宏
著者(英字)
著者(カナ) シモムラ,カズヒロ
標題(和) タウミュータントハムスター(Tau Mutant Hamster)のサーカディアンリズム形成に関する研究
標題(洋) Analysis of Circadian System of Tau Mutant Hamster
報告番号 213754
報告番号 乙13754
学位授与日 1998.03.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第13754号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菅野,茂
 東京大学 教授 高橋,迪雄
 東京大学 教授 森,裕司
 東京大学 助教授 局,博一
 東京大学 助教授 西原,真杉
内容要旨

 動物の活動には、一定の時間間隔をもって繰り返される様々なリズムが存在することが知られている。ヒトは24時間周期の睡眠-覚醒リズムを毎日繰り返している。人工照明のなかった時代には、ヒトは他の動物とともに太陽の日周期に同調した生活リズムを持っていたと思われる。動物はその主たる活動期によって昼行性動物と夜行性動物とに分けられる。興味深いことに、これらの動物を時間の手がかりがまったくない環境に置いた場合でも、ほぼ24時間の活動リズムを示すことが知られている。このことは個々の動物におよそ24時間周期の体内時計が内在しており、その周期を外界の環境(光、音など)変化に同調させることによって、動物固有のリズム、すなわちサーカディアンリズムが形成されるものと考えられている。サーカディアンリズムは動物の生存様式の基盤であるとともに、繁殖、渡りなどの基本的活動や、脳卒中、喘息、痴呆症、睡眠相遅延症候群といった病態の発現にも影響を与えうる。これらのことから、サーカディアンリズムの発現様式やその機序に関する研究を行うことは、生物学的観点からも医学的観点からも極めて重要である。

 本論文においては、下記の単一遺伝子突然変異ハムスター(タウミュータントハムスター)を主な実験動物として選び、位相シフトや視交叉上核内c-fosの発現様式等を詳細に検討することによって、サーカディアンリズムのオッシレーション機構の一端を明らかにする研究を行った。

 第1章では哺乳動物のサーカディアンリズムに関する一般的な概念を示すとともに、サーカディアンリズムの研究にハムスターが適していること、また、正常なハムスターのほかに、近年発見されたサーカディアンリズムの周期が著しく短い単一遺伝子突然変異ハムスター(タウミュータントハムスター)を用いる利点を述べた。タウミュータントハムスターには1つのミュータントのコピーを持つ個体(ヘテロザイゴート)と、2つのミュータントのコピーを持つ個体(ホモザイゴート)とが存在し、前者は22時間、後者は20時間のフリーラン周期を持つことが知られている。本章ではこれらの動物の恒暗(DD)条件下におけるサーカディアンリズムの特徴を明らかにした。

 第2章では、DD条件下で1時間の光刺激により誘発される位相シフトの大きさをタウミュータントハムスターと正常ハムスターとの間で比較した。光刺激による位相シフト(位相後退、位相前進)は正常ハムスターに比べてタウミュータントハムスターにおいて顕著に出現した。位相シフトの大きさは恒暗条件に置かれていた日数に依存しており、タウミュータントハムスターでは、2-7日間の恒暗条件で約2時間、49日間の恒暗条件では約8時間の位相後退を示すことが明らかになった。光刺激による位相移行曲線はDD7日目ではType1を示し正常ハムスターのそれと区別できなかったが、DD49日目ではType0となった。このことから、タウミュータントハムスターのサーカディアン振動体は一次元振動体ではなく多次元振動体であることが示唆された。

 第3章では、光刺激による位相シフトに関する視交叉上核内の遺伝子発現の関与を調べるために、転写調節因子であるc-fosおよびc-fos mRNAの発現を分析した。2種類の異なったDD条件(DD2日目、DD49日目)で比較したところ、光刺激開始60分後に、蛋白質の発現量はいずれの条件においてもピークに達したが、蛋白質発現量およびmRNAの発現はともにDD49日目がDD2日目に比べて著しく高かった。この違いは位相シフトにおいても観察された。DD49日目およびDD2日目のそれぞれの条件下において、位相シフト、蛋白質発現およびmRNA発現の3つの光感受性は良く似ていた。これらの結果は、DD49日目とDD2日目における位相シフトの大きさの違いは、c-fosの発現量の差によるものではないこと、そしてもし、c-fosが光による位相シフトにかかわっているのならば、位相シフトを決めているものはc-fosの下流に存在し、c-fosの発現は位相シフトの引き金的な役割を果たしているにすぎないことが示唆された。

 第4章では、タウミュータントが光周期測定機構に及ぼす影響を調べた。季節繁殖動物であるハムスターの生殖機能は光周期に著しく影響され、その光周期測定機構にサーカディアンシステムが深く関わっているとが示唆されている。本研究では、ミュータントにおいて、精巣の萎縮を防ぐのに必要な最低限の光周期は20時間周期下において10-11.5時間(12-13.8サーカディアン時間)であったが、これは24時間周期下の正常ハムスターのサーカディアン時間とほぼ一致した。また、光周期光感受性曲線を測定するために、ミュータントハムスターを様々な周期の明暗条件に同調させ精巣機能を調べた。その結果、LD1:18および1:20.5の条件下では精巣の萎縮は明瞭に抑制されたが、LD1:19.4に同調させた場合には精巣はほぼ完全に萎縮した。ミュータントハムスターの光周期光感受性曲線は、その動物のサーカディアン時間において正常ハムスターに近いパターンを示した。これらの結果から、光周期を測定しているサーカディアンペースメーカーは行動リズムを制御しているそれと同じであることが考えられた。

 以上の結果から、1)哺乳動物のサーカディアン振動体は多次元的であること、2)位相シフトの大きさはサーカディアンリズムの周期と共通のメカニズムにより支配されていること、3)c-fosの発現が位相シフトの引き金的役割を担っていること、4)光周期測定機構にサーカディアンリズムが深くかかわっていること、が明らかになった。

審査要旨

 動物の活動には、一定の時間間隔をもって繰り返される様々なリズムが存在することが知られている。サーカディアンリズム(概日リズム)は動物の生存様式の基盤であるとともに、繁殖、渡りなどの基本的活動や、脳卒中、喘息、痴呆症、睡眠相遅延症候群といった病態の発現にも密接な関係をもつ。これらのことから、サーカディアンリズムの発現様式やその機序に関する研究を行うことは、生物学的のみならず医学的観点からも極めて重要である。本研究は、単一遺伝子突然変異ハムスター(タウミュータントハムスター)を主な研究対象動物として選び、位相シフトや視交叉上核内のc-fosの発現様式等を詳細に検討することによって、サーカディアンリズムのオッシレーション機構の一端を明らかにする目的で行われたものである。

 第1章では哺乳動物のサーカディアンリズムに関する一般的な概念を示すとともに、サーカディアンリズムの研究には、正常なハムスターのほかに、近年発見されたサーカディアンリズムの周期が著しく短い単一遺伝子突然変異ハムスター(タウミュータントハムスター)を用いる利点を述べている。タウミュータントハムスターにはヘテロザイゴートとホモザイゴートとが存在し、前者は22時間、後者は20時間のフリーラン周期を持つことが知られている。ここではこれらハムスターの恒暗(DD)条件下におけるサーカディアンリズムの特徴を明らかにしている。

 第2章では、DD条件下で1時間の光刺激により誘発される位相シフトの大きさをタウミュータントハムスターと正常ハムスターとの間で比較し、光刺激による位相シフト(位相後退、位相前進)は正常ハムスターに比べてタウミュータントハムスターにおいて顕著に出現すること、位相シフトの大きさは恒暗条件に置かれていた日数に依存することを明らかにしている。また、光刺激による位相移行曲線はDD7日目では位相のズレが小さいType1を示し、正常ハムスターのそれと区別できなかったが、DD49日目では位相のズレが大きいType0となったことから、タウミュータントハムスターのサーカディアン振動体は一次元振動体ではなく多次元振動体であることを推察している。

 第3章では、光刺激による位相シフトに関する視交叉上核内の遺伝子発現の関与を調べるために、転写調節因子であるc-fosおよびc-fos mRNAの発現に注目して、2種類の異なるDD条件(DD2日目、DD49日目)で比較したところ、光刺激開始60分後に、蛋白質の発現量はいずれの条件においてもピークに達したが、蛋白質発現量およびmRNAの発現はともにDD49日目がDD2日目に比べて著しく高かった。また、DD49日目およびDD2日目のそれぞれの条件下において、位相シフト、蛋白質発現およびmRNA発現の3つの指標の光感受性は互いに良く相関していた。これらの結果から、DD49日目とDD2日目における位相シフトの大きさの違いは、c-fosの発現量の差によるものではないこと、そして、もし、c-fosが光による位相シフトにかかわっているとすれば、位相シフトを決めているものはc-fosの下流に存在し、c-fosの発現は位相シフトの引き金的な役割を果たしているにすぎないことを示唆している。

 第4章では、タウミュータントが光周期測定機構に及ぼす影響を調べており、季節繁殖動物であるハムスターの生殖機能は光周期に著しく影響され、その光周期測定機構にサーカディアンシステムが深く関わっていることを示唆している。すなわち、ミュータントの精巣の萎縮を防ぐのに必要な最低限の光周期は20時間周期下において10-11.5時間(12-13.8サーカディアン時間)であったが、これは24時間周期下の正常ハムスターのサーカディアン時間とほぼ一致していた。また、光周期光感受性曲線を測定するために、ミュータントハムスターを様々な周期の明暗条件に同調させ精巣機能を調べたところ、LD1:18および1:20.5の条件下では精巣の萎縮は明瞭に抑制されたが、LD1:19.4に同調させた場合には精巣はほぼ完全に萎縮した。これらの結果から、光周期を測定しているサーカディアンペースメーカーは行動リズムを制御しているそれと同じであることを推察している。

 以上を要するに、本研究は哺乳動物には多次元のサーカディアン振動体が存在すること、また外界の光周期測定にサーカディアンリズムが深くかかわっていることを明らかにしたものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査員一同は博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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