学位論文要旨



No 213758
著者(漢字) 羽生,洋治
著者(英字)
著者(カナ) ハブ,ヒロハル
標題(和) 建築分野における高齢者・障害者等対応の在り方に関する研究
標題(洋)
報告番号 213758
報告番号 乙13758
学位授与日 1998.03.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13758号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 教授 鈴木,博之
 東京大学 教授 藤井,明
 東京大学 助教授 大野,秀敏
 東京大学 助教授 岸田,省吾
内容要旨

 我が国の高齢者・障害者対策は以前から一部では行われていたものの、その範囲はあまり拡大せず、不十分であった。特に建築分野においては昭和50年前後から町田市、京都市、神戸市での要綱等の事例があるものの、殆ど対応されておらず、ようやく平成5年度になってから福祉のまちづくり条例等による本格的対応が大阪府、兵庫県、山梨県で行われた。一方米国においては1990年(平成2年)画期的なADA法(米国障害者法)が制定された。このような中、平成6年「高齢者・身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律」(通称ハートビル法)が成立、施行された。この法案作成の過程の論議、検討のうち、福祉対応の社会的意義、建築物の特質と果すべき役割、福祉整備の強制的義務づけの適否、規制と誘導、建築基準法第1条と第40条との関連性、対象建築物の在り方、整備すべきレベルとコスト(基準策定の重要性)、既存建築物対策の重要性、建築士に対する普及啓発活動等は重要点である。

 ハートビル法施行後3年余経た現在、これまでの施策の執行状況、実績、課題を再整理し、今後の方向を見出すことは重要であるため、まず、ハートビル法の影響と効果について検討した。この法律を契機として、福祉対策があらゆる建設関連施策の中に取り入れられ、建築、まちづくり分野における福祉対応が始まったといえる。建設省の政策として、平成6年に「生活福祉空間づくり大綱」、平成7年に「長寿社会対応住宅設計指針」、平成8年に「福祉のまちづくり計画策定の手引き」が取り纏められた。また、ハートビル法の円滑な施行のため、「人にやさしい建築・住宅推進協議会」が結成された。地方公共団体の取り組みも進展し、福祉のまちづくり条例はこれまでわずか3府県だったのが、平成9年以降検討中も含めると41都道府県で制定されることとなる。ハートビル法の誘導基準を満たす認定建築物も増加しており、効果は着実にあがっている。

 次に、先進的な大阪府における実態について分析した。大阪府福祉のまちづくり条例の特徴は、新設・既設を問わず、また事務所等の建築物、道路、公園等の公共施設も対象としていること、新設の場合は事前協議、既設の場合は適合状況調査や改善計画の作成を求めていること等である。すべての新設建築物について事前協議が整っている一方、工事完了届出件数が少ないので、届け出促進の努力が行われている。府下に3万件と推計される既存施設について、平成5年度から概ね5年間計画で事業者に要請が行われているが、その報告率は比較的低位に留まっている。平成5、6年度の適合状況調査結果を項目別、用途別に分析したが、全般的にはまだまだ低い整備率に留まっている。改善計画の届出率も低率に留まっている。理由としては、経営の圧迫要因になる等である。改善計画により、施設の整備率を現在と10年後とで比較してみると、用途により相当の差が生じている。

 以上述べたような実態を踏まえ、建築分野における高齢者・障害者等対応の今後の在り方について検討した。日本の高齢化率は今後も上昇を続け、2050年には3人に1人が老齢人口になると予測される一方、年少人口は減少を続け、2050年には老年人口の4割にとどまると見込まれている。高齢者数の増大に伴い医療費、介護費用、年金などの支出が増加し、それを支える労働力人口は減少、高度成長はもはや期待できず、貯蓄率も減少し、高コストで生産性の頭打ちがみられる中でさらなる生産性の向上を図らなければならない。一方、平成3年時点で、身体障害者は約286万人となっている。障害者を取り巻く社会環境においては、未だ様々な障壁があり、ノーマライゼーションの理念を社会により一層定着させるためには、国民一人一人の理解と認識を更に高めていく必要がある。

 この様に、極めて厳しい経済社会情勢の中にも拘らず、高齢者・障害者対策の必要性は今後益々高まっていく。しかし建築分野の高齢者・障害者対策はようやくその緒についたばかりであり、まだ、その意識は国民各層まで浸透しているとは言い難い。今後、施策の一層の充実を図るため必要な方策を提言した。

 ソフト面の充実として(1)インスタントシニア等の制度の普及、講演会の開催、学校教育の実施等により高齢者・障害者対策の必要性の一層の啓発、(2)福祉整備の趣旨、具体的整備手法の講習等建築技術者の意識啓発、(3)行政、事業者、研究者、建築技術者、NPO、高齢者・障害者団体等関係者の幅広い参加による推進体制の総合化、活性化、(4)高齢者・障害者等に対する福祉整備が社会的要請であり、長期的には経営上の経済合理性にもつながり得るという理解を業界に広めること、(5)福祉のまちづくりによる社会保障負担の軽減効果等国民経済に与える利点を具体的に研究し、示すこと、(6)「点」から「線」さらに「面」へと連続性を求め、高齢者・障害者等の移動、利用実態を踏まえた総合的な福祉のまちづくり計画が必要であることを提言した。

 次にハートビル法及び条例の今後の方向について検討した。

 福祉のまちづくり包括法の制定は、現状では難しいものの、制定に至るよう努力を期待する。ハートビル法は努力義務だけで限界があるものの、建築基準法に取り入れられるかについては、実施状況と国民のコンセサスを十分見極め、検討すべきである。ハートビル法の強化については、施策の強化とともに対象建築物の拡大、規模の引き下げも検討課題である。不特定多数と特定多数、中規模以上と小規模では、整備レベルが相違するので、対象建築物の拡充にあたって差を設けることが考えられる。併せて、手続き義務、維持・管理適正化の規定、完了検査、維持管理のための立入検査等の明文化も考慮の対象となる。条例上の課題としての幼稚園と保育所との整備基準の相違、観光施設、宗教施設等の対象施設への追加、事務所、工場、共同住宅の規模引き下げ等については、現行制度の進捗状況、既存施設対策の困難性、事業者の意識等の分析等に努めたうえでの検討課題である。ハートビル法の特例のうち効果が薄いものは修正の検討を期待したい(IÅ:ぢ支援措置の拡充については、マクロの国家経済(Iyぢ事業経営上のそれぞれにメリットが生じる論理、方法論の展開を深めることÅ,Å、が重要である。

 条例運用上の課題としての完了届の時期、小規模な飲食、物品販売店の取り扱い、事前協議、審査等手続きにおける混乱等については、十分な説明、円滑な連携、必要な細則等の見直しによる対応が望まれる。

 既存建築物の改善は経営上や建築構造上の困難性等のため、極めて難しい課題であり、その解決方策として、段階的整備手法、低コスト機器の開発等の総合的検討が必要である。判断基準については、柔軟に見直せるシステムの構築が課題である。判断基準の個別事項である視覚障害者様床材、エレベーター、エスカレーター、駐車場等についても種々の課題が生じてきている。

 更に、新たな視点からみた施策展開を提言する。(1)各障害の態様を熟知し、妊産婦、子供、一時的障害を受けた人々も含めてその立場に立ち、計画し、対応していくことが重要である。(2)福祉整備の配慮を特別な者に対する特別な仕様ではなく、一般的な対策としてすべての人々が使いやすいユニバーサルデザインになるよう機器の開発メーカー、設計者、事業者等皆が心がけていく必要がある。(3)ニーズに的確に応えかつ選択性があり、デザイン的にも良質かつユニバーサルデザインとして汎用性のある福祉機器の開発が求められる。開発・生産、流通・小売、使用者間の情報伝達の円滑化により、機器開発と消費者ニーズの増大という好循環とコストダウンを期待したい。(4)2方向開口エレベーター、段差のないエスカレーター、材質のわかる新舗装材、軽いドア等の開発と、それらを建築計画、設計の中に機能的に活用する総合的建築技術の開発、創意工夫を図る必要がある。(5)福祉整備が社会に浸透するに伴い、施設の特性に応じた創意工夫、建築設計の自由度の向上等が可能となるよう、判断基準の性能規定化、性能表示制度の導入等を図ることが重要である。それにより、わかり易く、使い易い施設建設を期Å,Å、待したい。(6)日常及び大規模災害時の対策は避けて通れない課題であり、性能規定化の成果も参考にしつつ、今後有効な避難誘導システムのあり方について検討する必要がある。

 この研究においては、個々の基準の詳細についてではなく、建築分野全般にわたる施策の方向づけに重点をおいたものである。従って、建築技術面を中心としているものの、それを超えて幅広く経済・社会全般の状況、啓発等のソフト対策、法律的要因等についても検討を加え、施策の総合性の観点を重視したことに特徴がある。最後に、建築分野における福祉対応は、本格化の緒についたばかりであり、関係者のこれまでの努力とそのスピードをみると、今後飛躍的に課題解決のためのあらゆる試みが進展すると期待できる。このような努力と高齢化のスピード比べとも言えそうである。しかし、必ずや国民の理解が深まり、法律や条例も更に一歩進んだ対応が可能となり、施策の一層の充実が図られると確信している。その際にこの研究が一助になれば幸いである。

審査要旨

 この論文は、高齢社会を迎える日本において建築分野における高齢者・障害者等の施策として、平成6年に制定された「高齢者・身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律」(通称ハートビル法)の成立の背景と実際、そして大阪府を中心に各公共団体における条例の運用状況を調査して、今後のこの分野における建築的施策のあり方を論じたものである。

 論文は序章ならびに8章で構成される。

 序章では、本研究の目的と構成を示している。第1章では、高齢者・障害者の現状と今後に向けての動向を概観している、第2章から4章まではハートビル法制定以前の状況についての分析である。第2章は日本での対策の状況、3章は米国で1990年に制定されたADA法(米国障害者法)の分析、第4章はアンケート調査を主体に日本における建築物整備状況の分析である。

 第5章では、ハートビル法制定時の課題と解決方法に関する法案作成過程でのさまざまな検討事項、すなわち福祉対応の社会的意義、建築物の特質と果すべき役割、福祉整備の強制的義務づけの適否、規制と誘導、対象建築物のあり方、整備すべきレベルとコスト、既存建築物対策の重要性、普及啓発活動などを分析している。ここでは法案作成の過程での行政内部での検討、建築審議会委員の意見、そして筆者の考え方が述べられている。

 第6章では、ハートビル法施行後の執行状況、実績、課題を再整理し、その影響と効果について分析している。すなわち、平成6年の「生活福祉空間づくり大綱」、平成7年の「長寿社会対応住宅設計指針」、平成8年の「福祉のまちづくり計画策定の手引き」、また、ハートビル法の円滑な施行のために結成された「人にやさしい建築・住宅推進協議会」といった具体策に触れている。

 第7章では、福祉対策面で先進的な大阪府における実態について分析している。大阪府福祉のまちづくり条例の特徴、新設建築物における事前協議、既設建築物における適合状況調査や改善計画作成調査結果の分析、推進体制などのソフトの面での取り組みの状況などが述べられている。

 第8章ではこれまでの調査分析を実態を踏まえて、今後の施策の充実を図るため具体的な方策を提言している。

 ソフト面の充実として(1)インスタントシニア等の制度の普及、講演会、学校教育を通しての一般への啓発、(2)建築技術者の意識啓発、(3)行政、事業者、研究者、建築技術者、NPO、高齢者・障害者団体等関係者の参加を前提にした推進体制の総合化、活性化、(4)福祉整備が長期的には経済合理性につながるという経済業界への働きかけ、(5)福祉のまちづくりによる社会保障負担の軽減効果の研究、(6)「点」「線」「面」といった高齢者・障害者の連続移動対策を提言している。

 また、ハートビル法の強化対策として、対象建築物の拡大、規模の引き下げ各種手続の明文化、既存施設の段階的整備手法、判断基準の見直しシステムの構築、支援措置の展開等について述べている。

 さあに、新たな視点から施策展開として(1)各障害の態様を熟知した対応、(2)ユニバーサルデザインの実施、(3)ニーズに応える選択性のある福祉機器開発とコストダウン、(4)創意工夫を活かした総合的建築技術開発、(5)判断基準の性能規定化、性能表示制度の導入、(6)有効な避難誘導システムについても述べている。

 以上のように、この研究は、まず行政的に見れば建築物に関する新法としては建築基準法以来44年ぶりの制定となったハートビル法の法案成立までの情勢認識、内部の検討作業などが詳述され資料的にも貴重である。また、全国的な効果、影響に併せて、大阪府の各種調査、条例の実施状況調査などを実施して分析しており、論議に具体性を与えている。さらに、個々の基準の詳細についてではなく、建築分野全般にわたる施策の方向づけに重点をおき、建築技術面を中心としているものの、それを超えて幅広く経済・社会全般の状況、啓発等のソフト対策、法律的要因等についても検討を加え、施策の総合性の観点を重視したことに特徴がある。

 よって本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認められる。

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