学位論文要旨



No 213762
著者(漢字) 吉成,宏巳
著者(英字)
著者(カナ) ヨシナリ,ヒロミ
標題(和) ドップラー法による血管および代用血管の無侵襲力学特性評価に関する研究
標題(洋)
報告番号 213762
報告番号 乙13762
学位授与日 1998.03.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13762号
研究科 工学系研究科
専攻 精密機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,博志
 東京大学 教授 鯉渕,興二
 東京大学 教授 大園,成夫
 東京大学 教授 土肥,健純
 東京大学 教授 満渕,邦彦
内容要旨

 血管壁の組織的変性を伴って生じる動脈硬化症は、血行障害を引き起こし、致命的な疾病の原因となる。動脈硬化症の治療法としては、血管閉塞や動脈瘤など重度の障害に進行してから外科的治療が施されるのが一般的であったが、近年では発症の若年齢化が進み、内科的な治療薬の進歩もあって、動脈硬化症の早期発見と進行度評価の重要性が増しつつある。また、外科的治療において代用血管による血管置換術を施す場合には、吻合部におけるコンプライアンスミスマッチが問題とされる。血管が拍動環境下に曝される動的器官であることを考慮するならば、生体血管と代用血管とのコンプライアンスミスマッチ評価は動的条件下で行われることが必要と考えられる。

 そこで本研究では、超音波ドップラー血流計を血管壁に垂直に設置し、検出した血管壁歪速度波形の特徴からその粘弾性の度合いを無侵襲的に評価する手法を提案し、生体血管における動脈硬化症の有無および進行度の判定評価法としての本評価法の臨床応用について研究した。また、本評価法を代用血管の動的コンプライアンスミスマッチ評価法として適用し、その有用性を検討した。

【無侵襲血管力学特性評価法とその臨床への適用】

 拍動潅流回路にモデル血管としてのゴム管を装着し、超音波ドップラー装置をによる体外検出実験を行った(図1)。得られたドップラー検出波形を、同時に計測した圧力波形、血管壁円周方向歪波形、ならびに歪速度波形と比較した結果、本検出波形が血管壁の半径方向歪速度に対応していることが確認された。また、ゴム管と異なる力学特性を有するPVC管および犬胸部大動脈を試料とした無侵襲評価試験では、各血管毎に異なる検出波形が得られており、これらの波形の相違は各々の力学特性の相違を反映したものと考えられた。そこで、図2に示すように、検出波形上に血管壁の力学特性評価パラメータP1,P2,t/Tを設定した。P1.P2は各々ピーク部における波形上昇・下降の傾きであり、これらは血管壁の加速および減速特性を表す。また、t/Tは波形の位相遅れを示す値である。

図1 体外実験装置の概要図2 力学特性評価パラメータの設定

 粘弾性Voigtモデルを用いた数値解析結果によると、粘性の異なる種々のモデルにおける理論的歪速度波形、すなわち理論的ドップラー検出波形から算出した評価パラメータ値は血管壁の粘性増大に伴って各々異なる変化を示した。これら理論的パラメータ値の変化の傾向は、モデル血管の力学特性変化に対する評価パラメータ値変化と良く対応している。従って、ドップラー検出波形から評価パラメータ値を求め、それらの値の相互関係を知ることにより、血管壁の粘弾性的性質を評価可能である。

 以上の結果を踏まえて、提案した超音波無侵襲評価法の臨床応用に向けた検討を行った。まず、動脈硬化症血管および動脈瘤血管を対象として体外拍動条件下での無侵襲評価試験を行い、各血管の力学特性を評価した。その結果、動脈硬化症および動脈流血管は健常血管に比して粘弾性的性質に富み、その度合いは動脈瘤血管の方が強いとの評価となった。この結果は引張試験により得られた各血管の力学特性評価結果と一致しており、このことから、本無侵襲評価法により動脈硬化症による生体血管の力学特性変化を検出し、その力学特性変化から動脈硬化症の有無や進行度合いを判定する可能性が示されたと言える。

 一方、本評価法を臨床に適用した場合、ドップラー検出波形に入力血圧波形の個体差の影響が含まれることが予想される。そこで本評価法の解析アルゴリズムに臨床評価用の改良を加えた。具体的には、連続ドップラー波形を各周期に分割し、各々の波形の時間tを周期を周期Tで、また出力電圧Dを最大波高Dで除し、t/TおよびD*(=D/D)として正規化して個体差を除く。更に複数の正規化波形を合成し、個体の測定部位における平均波形を得る。評価パラメータの導出方法についても、予想される平均波形の乱れを避けて精度良く算出し得るように改良した。ここで評価パラメータは定性化された値として与えられるが、P1,P2,tm/Tの個々の相対関係は定量的な評価値と同じ傾向を示した。

 本アルゴリズムを用いて行った臨床評価結果では、臨床動脈硬化症血管および動脈硬化性動脈瘤から各々特徴の異なる検出結果が得られ、また、それらのパラメータ値の相対的関係は体外試験で得られた評価結果と一致した。臨床評価結果をP2/P1-tm/T評価マップ化した図3を見ると、健常血管と病変血管とは分布が明らかに分かれており、また病変血管についても、個々の血管の粘性の度合いに従って帯状の分布を示すことが分かった。

図3 無侵襲評価法による臨床評価結果

 以上の結果から、本無侵襲評価法は健常血管と動脈硬化症との識別法として臨床応用可能であると言える。また、本評価法を動脈硬化症の進行度評価に応用し得る可能性が示唆された。

【代用血管の無侵襲力学特性評価と動的コンプライアンスミスマッチ評価】

 体内における代用血管の力学的特性を評価する場合は、静的力学特性のみならず、動的変形挙動特性に基づいた検討を行う必要がある。そこで、ヒト臍帯静脈、ゴアテックス人工血管、ダクロン人工血管を試料として、無侵襲評価法による動的力学特性の検出評価を試みた。その結果、ヒト臍帯血管およびダクロン血管では左右非対称の粘弾性的なピークを有するドップラー波形が検出されたが、ゴアテックス血管は左右対称で幅の狭い弾性的なピークを示した。これら検出波形における評価パラメータ値を評価マップ表示したものを図4に示す。ゴアテックス血管の評価結果は健常生体血管の臨床評価領域に位置し、弾性的性質を示した。これに対してヒト臍帯血管およびダクロン血管は、臨床生体血管の動脈硬化症バンド内に入って粘弾性的性質を示し、更に各々の位置が異なっており、両者の間で粘性的性質の度合いに相違があることが分かる。以上の結果から、本評価法により、拍動圧条件下での各々の代用血管の動的弾性応答性の相違を無侵襲にて識別評価することが可能であると言える。

図4 各代用血管の無侵襲評価結果

 ところで、本評価マップにおける代用血管評価点と臨床健常血管評価領域との間の位置的な相違は、動的条件下での両者の弾性応答特性の相違を示すものと言える。従って臨床での代用血管移植術を考えた時、この相違は拍動条件下における吻合部での動的コンプライアンスミスマッチを表すものと考えられる。そこで、各代用血管について静的引張試験を行い応力-歪曲線を得ると共に、静的弾性率を算出して従来の静的コンプライアンスミスマッチ評価を行い、本評価マップによる動的コンプライアンスミスマッチ評価の結果と比較した。各代用血管の静的弾性率を図5に示す。この結果から、生体血管に最も近い静的弾性率を有し、コンプライアンスミスマッチの度合いが小さいと判定されたのはダクロン人工血管であり、次いでメッシュの無いヒト臍帯血管、ゴアテックス血管、メッシュ付きのヒト臍帯血管の順となった。これに対し、無侵襲評価法による動的コンプライアンスミスマッチ評価では、ゴアテックスが最も力学的適合性に優れると評価されており、両者の結果は相反している。これは、無侵襲評価法が血管壁の動的変形挙動を評価対象としており、粘弾性体の変形挙動における動的効果の表れ方が各代用血管毎に異なることを反映したためと考えられる。

図5 各代用血管の静的弾性率

 粘弾性体に動的変動応力を与た場合、荷重負荷除荷過程において変形挙動に位相遅れを生じ、非弾性変形を示ため、荷重負荷過程と除荷過程との間で歪挙動の差が生じる。従って粘弾性を有する代用血管が拍動条件下で非弾性変形挙動を示した場合、弾性的な生体血管との間で動的歪挙動の差、すなわち動的コンプライアンスミスマッチを生じると考えられる。一方、動的速度効果により粘弾性体が弾性的挙動を示した場合は、位相遅れによる動的コンプライアンスミスマッチは生じないものと思われる。

 各代用血管の力学試験結果から、ダクロン人工血管は荷重除荷時の非弾性変形の度合いが大きく、歪速度を大きくした場合もこの傾向が維持されており、従って拍動環境下において動的コンプライアンスミスマッチを生じると予想される。これに対してゴアテックス人工血管は、静的条件下では荷重除荷時に顕著な非弾性変形を示すが、歪速度の増大に伴って弾性的挙動を示しており、従って拍動環境下におけるコンプライアンスミスマッチが小さくなると考えられる。無侵襲評価マップによる力学特性評価は、これら力学試験により得られた知見とよく一致しており、従って本評価法は代用血管の動的コンプライアンスミスマッチ評価法として有効である。本評価法は代用血管の粘性の影響による変形挙動の変化をリアルタイムで検出し、生体血管との間の動的挙動の相違を動的コンプライアンスミスマッチとして評価するものであり、静的弾性率に基づく従来のコンプライアンスミスマッチ評価法とは異なる視点からの知見を得ることが出来る。

【結論】

 1)提案した無侵襲評価法は、臨床生体血管における動脈硬化症を局所的に識別評価する手法として有効である。

 2)本無侵襲評価法は、代用血管の動的コンプライアンスミスマッチ評価法として活用し得る。

審査要旨

 本論文は、超音波ドップラー血流速度測定装置を利用した無侵血管力学特性評価法を、臨床用の動脈硬化症識別評価法として実用化すると共に、代用血管の動的コンプライアンスミスマッチ評価法として適用することを目的としたものである。本評価手法による生体血管の力学特性評価の妥当性、臨床実用化のための評価アルゴリズムおよび臨床用評価法について研究し、また本手法を粘弾性を有する代用血管のコンプライアンスミスマッチ問題に適用して、その動的挙動に基づいた評価法を提案し、代用血管の力学的適合性を評価すると共に、静的評価法による結果と対比してその臨床的意義について研究した結果をまとめたものである。

 第1章では、生体血管および代用血管の力学特性評価法の現状を述べ、血管の非線形変形挙動を無侵襲非接触の非観血的手法により評価する必要性について整理すると共に、論文の構成について述べている。

 第2章では、研究目的を示している。

 第3章では、ドップラー装置による無侵襲血管力学特性評価法の基本原理を述べると共に、体外実験および評価を行い、評価の妥当性について数値解析的手法による検討を行った結果をまとめている。通常、ドップラー血流計は血流速度測定に用いられるが、これを血管壁に垂直に設置して測定対象を血管壁の半径方向歪速度とすることにより、血管壁の動的変形挙動を検出可能であることを原理的に示し、モデル血管を用いた体外実験によりこれを確認すると共に、得られる検出波形が対象物の力学特性変化に従って変化することを示した。ここで、血管壁の非線形変形挙動を検出波形から評価するためのパラメータとして、血管壁の加速度および減速度に相当するP1およびP2、血管拡張期における瞬間応答特性を表すt/Tの三種類を提案している。

 次に、力学モデルを用いた数値解析を行い、理論的ドップラー波形における評価パラメータ値を算出することにより、これらパラメータの値が材料の力学特性の変化に伴って特徴的に変化することを明らかにした。すなわち、血管壁の粘性増大に伴いP2値が急激に低下し、弾性的瞬間応答性の劣化に伴ってt/Tが増大することを示した。これらの結果に基づき、無侵襲評価法により得られる検出波形を解析し、評価パラメータ値の相互関係を知ることにより、血管壁の粘弾性的特性を無侵襲かつリアルタイムで局所的に評価可能であることを明らかにしている。

 第4章では、無侵襲評価法の臨床実用化に向けた検討を行っている。まず、体外拍動環境下において、動脈硬化を発症した生体血管に対する無侵襲評価を行い、本手法によって生体血管の疾患の有無による力学特性の相違を検出し、得られた評価パラメータ値に基づいた評価結果が実際の血管の力学特性と対応していることを明らかにしている。この結果から、本評価法の臨床応用の可能性を示している。

 次に、臨床で予想される拍動圧の個体差の影響を除く手法として検出波形を周期および波高で正規化し定性的な評価を行えるようにした臨床用解析アルゴリズムを提案すると共に、本アルゴリズムを用いた臨床試験を行い、臨床生体血管においても体外試験時と同様の判定法により血管壁の力学特性を評価し得ることを示している。また、P2/P1とtm/Tの2値マップ表示による評価法が、健常血管と疾患性血管とを識別し、動脈硬化による力学特性変化のレベル評価を行えることを明らかにした。以上の結果から、本評価法の臨床における動脈硬化症識別評価法としての実用化が可能であることを示している。

 第5章では、無侵襲評価法による代用血管の動的力学特性評価を提案している。現用の各種代用血管について拍動環境下での無侵襲評価を行い、本評価法により代用血管の動的弾性応答特性評価が可能であることを示している。また、それらの結果と生体血管の臨床評価結果とを比較することで動的条件下での生体血管に対する動的挙動適合性評価を行い、拍動条件下での変形挙動特性においてはゴアテックス代用血管が生体血管と極めて良好な力学的適合性を有すること、本評価法では従来とは異なる評価が得られることを明かにしている。さらに、評価マップ上での生体血管と代用血管との評価の相違を動的コンプライアンスミスマッチと捉え、代用血管の力学適合性における新たな評価法として提案している。

 第6章では、動的コンプライアンス評価法としての無侵襲評価法の意義について検討した結果をまとめている。各代用血管について従来の静的力学試験によるコンプライアンスミスマッチ評価を行い、動的コンプライアンスミスマッチ評価では静的評価と異なる結果が得られていることを明らかにしている。この結果に関して、粘弾性を有する代用血管が動的応力条件において変形応答に遅れを生じることにより、生体血管に対する変形挙動の相違が拡大することを示し、この状態を動的コンプライアンスミスマッチと定義している。さらに、粘弾性体が速度依存の応力-歪特性を有することから、体内動的応力下での吻合部コンプライアンスミスマッチ評価における動的評価の必要性を指摘している。

 以上の結果から、無侵襲評価法が動的コンプライアンスミスマッチを定性的に評価する方法として有用であることを明らかにしている。

 第7章では、本研究で得られた知見と今後の課題についてまとめ、本論文の結論を述べている。

 以上これを要するに、本研究では超音波ドップラー法による生体血管ならびに代用血管の無侵襲力学特性評価法の応用を目的とし、臨床における動脈硬化症の識別評価法として実用可能な評価手法を確立すると共に、これを代用血管のコンプライアンスミスマッチ問題に関する動的評価法として捉え、代用血管の開発において、より実際的な力学的適合性判定法を提案し、かつ現用の代用血管に新たな観点からの評価を加えたものであり、医用工学上貢献するところが大である。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 以上

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