学位論文要旨



No 213782
著者(漢字) 根岸,利一郎
著者(英字) Negishi,Riichiro
著者(カナ) ネギシ,リイチロウ
標題(和) X線共鳴散乱を伴う動力学回折理論とその応用
標題(洋) DYNAMICAL-DIFFRACTION THEORY WITH X-RAY RESONANCE SCATTERING AND ITS APPLICATION
報告番号 213782
報告番号 乙13782
学位授与日 1998.03.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13782号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菊田,惺志
 東京大学 教授 河津,璋
 東京大学 教授 岡野,達雄
 東京大学 助教授 雨宮,慶幸
 東京大学 助教授 高橋,敏男
内容要旨

 本論文は従来のX線動力学回折理論を共鳴散乱が主となる領域までをも一般的に取り扱いが可能なように拡張した理論と,その理論による解析結果を実験によって検証し,またその応用範囲を展望したものであり,論文の構成は以下のようになっている。

第I章序論

 この章では,従来の動力学理論が共鳴散乱だけによる動力学回折に適用できない理由を調べ,当論文の研究目的を明らかにした。

 今日では,放射光の出現により,結晶中の原子の吸収端に回折線のエネルギーを合わせた動力学回折が観測できる。この場合には,正常散乱と同程度にX線共鳴散乱が生じ,極端な場合にはX線共鳴散乱のみの動力学回折が観測できる。このX線共鳴散乱を考察して異常散乱因子を理論的に求め,吸収端における異常散乱因子の分散を詳細に調べた。この考察を基にし,Ge K吸収端より僅か低エネルギー側においてエネルギーを連続的に変えることによってX線共鳴散乱を変えてGeの平板結晶における844反射のX線共鳴散乱ペンデルビートを放射光で観測し,従来の動力学理論でそのビートを解析した。その結果,Ge K吸収端から-2.8eVに観測された肩構造は,従来の動力学理論で見積もると谷を示し,しかもその谷底はゼロとなり実験結果と大変矛盾した。このようなX線共鳴散乱だけによる動力学回折に従来の理論式を適用するとパラメータが発散して役立たない。この不具合を解消するために,深町・川村は正常散乱だけから共鳴散乱だけまでも扱える式を導き,X線共鳴散乱だけの動力学回折を調べたところ,正常散乱だけのものとは大きく異なった。しかし,その検討は部分的であった。そこで,従来の動力学理論の適用限界,従来の理論における2波近似の分散面の問題点,分散面とエネルギー流あるいは結晶内波動場について検討し,X線共鳴散乱を伴う動力学理論の体系化とその応用についての当論文の研究目的を明らかにした。

第II章共鳴散乱を伴う動力学回折理論

 この章では,X線共鳴散乱による動力学理論を,Ewald-Laueの方法を適用した基本方程式から,回折強度,複素分散面,エネルギー流および結晶内波動場を検討するための方程式を導き,それをLaue caseおよびBragg caseに適用して解析した。

 X線電気感受率の実数部と虚数部のそれぞれを独立にフーリエ変換した量をhr,hiとおく。原子散乱因子をf0+f+if"とおく。ここでf0は正常原子散乱因子で,f+if"はX線共鳴散乱による異常散乱因子である。hrはf0+fによる結晶構造因子に比例し,hiはf"のそれに比例する。hihrの位相差をとおく。従来の動力学理論ではhrhiとの比率の見積もりにk=|hi|/|hr|用いてk<0.1の範囲で式を展開した。当理論ではkに代わりq=1/(1+k-2)を用いる。正常散乱だけではq=0であるが,正常散乱にX線共鳴散乱を含んでも多原子結晶ではhi=0となることもありq=0(原子散乱因子の実数部だけ)が実現できる。そしてX線共鳴散乱だけではq=1(異常散乱因子の虚数部だけ)となる。その式を用いて,(1)正常散乱だけ(q=0,吸収を含む),(2)正常散乱と共鳴散乱が同程度(q=0.5),(3)共鳴散乱だけ(q=1)の場合におけるロッキングカーブの特徴を結晶の厚さや温度因子の依存性の側面から調べた。その結果,Laue caseにおいて,(1)では吸収があっても異常透過がない事を確認した。(2)では透過波のロッキングカーブが非対称となり,がゼロまたはによってその非対称性が反転することを確認した。また異常吸収及び異常透過が確認され,0の変化によって反転するのは虚数部のブランチの入れ替わりから発生することが判明した。さらにq0において,分散面の実数部である双曲線とエネルギー流の方向との直交関係が破れる事を明らかにし,その結果は異常透過の解析とは矛盾しないことを証明した。またq=1では,異常透過を示すブランチの結晶内定在波は格子面に節をもち,異常吸収を示すブランチのそれは格子面に腹をもつ事が示された。この結果は,従来の理論で導かれた結果と偶然一致した。Bragg caseにおいては,q=0.5で,回折波と透過波のロッキングカーブは非対称性を示し,その非対称性は,がゼロととでは反転することが確認された。q=1では回折波のロッキングカーブの半値幅がq=0の場合よりも狭くなる一方,透過波では,q=0に見られない異常透過の鋭いピークが確認された。これらの効果は,複素分散面から解明できた。

1図 対称Laue caseの複素分散面(q=1)
第III章実験

 この章では,II章で導かれた理論とそのシミュレーション結果を,吸収端付近におけるロッキングカーブおよび蛍光X線放出の位相観測によって検証し,トポグラフのコントラストの改善および吸収端付近の異常散乱因子の決定よってその応用を明らかにした。

 Ge844のGe K吸収端から-2.8eVにおいて見られた肩構造はq=1のX線共鳴散乱だけの回折により生じた事をLaue及びBragg caseの実験と当理論との比較から証明した。次に,2原子結晶のGaAs200におけるhrhiをGaとAsのK吸収端近くで理論的に求めた結果を2図に示す。この図において,(1)GaのK吸収端前でhrhiがプラスであるエネルギー領域(=0),(2)GaのK吸収端とAsのK吸収端との間で,hrがプラスでhiがマイナスの領域(),(3)それよりAsのK吸収端側でhrhiがマイナスの領域(=0)が得られ,(1)と(2)との境界でq=0,(2)のPoint Aと(3)のPoint Cにおいてはq=0.5,そして(2)と(3)との境界のPoint Bでq=1の条件が得られる(2図)。この条件が実際に得られることを放射光実験で観測して(3図),次のことを確認した。GaAs200の対称Laue caseにおいて(2)Point Aでの結果(a)とPoin Cでの結果(c)において透過波のロッキングカーブの非対称性が反転する事を確認し,その境界でq=1が得られることを確認した。この結果は結晶内定在波の振る舞いに敏感である蛍光X線放出曲線を観測し,理論計算との一致からも確認した。また(1)と(2)の境界におけるq=0の成立は,Laue case及びBragg caseの透過波におけるロッキングカーブの非対称性の反転の観測から確認した。

2図 GaAs200のhrhi3図 ロッキングカーブ観測結果

 また(1)と(2)の境界,つまりGaのK吸収端おいて,GaAs200の透過波のロッキングカーブの測定結果がX線共鳴散乱によって著しく変化することから,当理論によるロッキングカーブの計算において,Gaの異常散乱因子を実測のそれに合わせるように変化させて決定した。その結果には,孤立原子モデルには見られないXANESがみられた。

 さらにq=0とq=1のGaAs200トポグラフを観測し,薄い結晶でありながらq=1では異常透過によるコントラストがつくために格子欠陥の観測がしやすくなることを示した。

第IV章結論と展望

 この章では,共鳴散乱を伴うこの動力学理論の特徴をまとめ,その応用範囲を展望した。

 従来の理論では,X線共鳴散乱は正常散乱に対して補正項で扱われ,その適用範囲はk<0.1とした。しかし当理論では,kがhr=0では発散するためkに代わり規格化したqを採用した。このqはhr=0で1である。k<0.1はq<0.01であるから,従来の動力学理論は,当研究で示したX線共鳴散乱による動力学理論が適用できる領域の1%内である。にもかかわらず従来の動力学理論は多大な成功を収めてきた。当研究は,放射光実験でq=0.5及びq=1が現実的に実現できることを理論及び実験で立証し,それに適用できる動力学理論の確立を図り,異常透過に立脚した幾つかの特徴ある新しい現象を導いた。そして最後に,当理論がX線共鳴散乱を伴う動力学回折の研究に役立つばかりではなく,共鳴散乱が期待できる中性子散乱および核共鳴散乱の動力学回折の研究にも役立つことを展望した。

審査要旨

 本研究は従来のX線動力学的回折理論を、X線共鳴散乱が主となる領域までも取り扱いが可能になるように拡張し、その理論による解析結果を実験によって検証し,またその応用を展望したものであり,以下の4章から構成されている。

 第1章では,従来の動力学的回折理論が共鳴散乱だけによる動力学的回折に適用できない理由を調べ,本論文の研究目的を明らかにしている。

 第2章では,共鳴散乱による動力学的回折を扱える方程式を,エワルド-ラウエの方法にもとづく基本方程式から導き,それを用いて回折強度,複素分散面,エネルギー流および結晶内波動場をラウエケースおよびブラッグケースに対して解析している。

 従来の動力学的回折理論ではX線電気感受率の実数部と虚数部をそれぞれ独立にフーリエ変換した量hrhiが関係するパラメーターにk=|hi|/|hr|を用いていたが,本論文ではq=1/(1+k-2)を用いている。このパラメーターqは正常散乱だけではq=0(原子散乱因子の実数部だけ)である。しかし,正常散乱に共鳴散乱を含んでも多原子結晶ではhi=0となることがあり、その場合もq=0となる。一方、共鳴散乱だけではq=1(異常散乱因子の虚数部だけ)となる。著者はGe,GaAsにおいてqがこのように変化することを理論的に示し,そのような場合にも適用できる理論式を導いて,(1)正常散乱だけ(q=0,吸収を含む),(2)正常散乱と共鳴散乱が同程度(q=0.5),(3)共鳴散乱だけ(q=1)の場合におけるロッキングカーブの特徴を結晶の厚さや温度に対する依存性から調べている。その結果,

 ラウエケースにおいて,(2)では透過波のロッキングカーブが非対称となり,その非対称性は対称中心のある結晶ではhihrの位相差がゼロまたはになることによって反転することが示された。また異常吸収及び異常透過が確認され,0だけ変化した。

 ブラッグケースにおいて、(3)の条件のロッキングカーブは(1)の場合に比べて著しく鋭くなる特徴のあることが示された。

 第3章では,第2章で導かれた理論とそのシミュレーション結果が,放射光を用いたGeとGaAsにおける原子のK吸収端付近におけるロッキングカーブおよび蛍光X線放出曲線の観測から検証された。さらに,X線トポグラフのコントラストの改善および吸収端付近の異常散乱因子の決定によって著者の理論の応用が明らかにされた。すなわち、

 Ge844反射の積分強度でK吸収端から-2.8eVのところで見られた肩構造は、q=1の共鳴散乱だけの回折により生じたことがラウエケース及びブラッグケースの実験と本理論との比較から証明された。また,2原子結晶のGaAs200反射におけるhrhiがGaとAsのK吸収端近くで理論的に求められ,(1)GaのK吸収端前でhrhiがプラスのエネルギー領域(=0),(2)GaK吸収端とAsK吸収端との間で,hrがプラスでhiがマイナスの領域(),(3)それよりAsのK吸収端側でhrhiがマイナスの領域(=0)が得られ,(1)と(2)との境界でq=0,(2)と(3)においてはq=0.5,そして(2)と(3)との境界でq=1が得られることが、GaAsラウエケース200および600反射のロッキングカーブ測定や蛍光X線放出曲線の観測から示された。

 GaAsのGaのK吸収端近傍において,ラウエケース200反射のロッキングカーブのプロファイルは共鳴散乱によって著しく変化した。本理論によるロッキングカーブを実測のそれに合わせることによってGaの異常散乱因子が決定された。その結果には,孤立原子モデルには見られないXANESがみられた。

 またq=0とq=1のGaAsラウエケース200反射のトポグラフを観測し,薄い結晶でありながらq=1では異常透過によるコントラストがつくために格子欠陥の観測がしやすくなることが示された。

 第4章では,共鳴散乱を伴う動力学的回折理論の特徴をまとめ,本理論がX線動力学的回折現象の研究に役立つばかりではなく,共鳴散乱が期待できる中性子散乱およびX線核共鳴散乱の研究にも役立つことが示された。

 以上を要約すると,本研究は共鳴散乱を伴うX線動力学的回折理論における極めて近似の高い理論を提示し,その有効性を放射光を用いて実証したものであり,その結果は物理工学とくに回折結晶学、X線光学への貢献が大きい。

 よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50701