本論文は、モレキュラーインプリンティング法により合成される人工レセプターに関するものであり、8章より構成されている。 優れた生体機能の工学的な応用を目指した研究が盛んに行われている。特に、生体機能の根幹である分子認識という現象は、分析をはじめとして工学諸分野において応用の期待が大きい。しかし、抗体やレセプターなどの天然の生体分子は、しばしば安定性に欠けるので最適な材料とは言えない。そこで、人工的なレセプター分子の開発が期待されるが、これまでの人工レセプター合成においては、各々の標的分子に応じて適切な分子設計と合成経路の検討を行う必要があった。 そこで、本研究では、モレキュラーインプリンティング法(以後MI法)と呼ばれる手法に注目した。MI法の概念は、標的分子を、標的分子と相互作用のある官能基を持つモノマー(機能性モノマー)と相互作用させた状態で架橋を行い、架橋後にポリマー内から標的分子を取り出すことにより、標的分子に対して相補的な結合部位をポリマー内に得るというものである。適切な機能性モノマーを用いるだけで、どのような標的分子に対してもレセプター構造の合成が原理的に可能な、一般性の高い手法である。また、標的分子をテンプレート分子として重合系中に存在させてモノマー分子との自己組織化を利用するので、標的分子に対する結合部位を少ない手順で、しかもテーラーメイド的につくることが可能である。 しかし、これまでのMI法に関する研究は、モデルテンプレート分子を用いたMI法の原理の例証に関するものが多く、工学的な応用という視点に立った研究はほとんど行われていない。そこで本研究では、除草剤や薬物など、分析対象として重要な化合物に対するレセプターポリマーを合成するとともに、レセプターポリマーの性能向上や触媒機能の導入を図り、分離・分析への応用を通じた総合的な評価から、MI法の高い実用性を明らかにした。 第1章は緒論であり、本研究がおこなわれた背景を述べるとともに、本研究の目的と意義を明らかにした。 第2章では、近年、水資源中や農作物中への残留が関心を集めているトリアジン系除草剤に対するレセプターポリマーの合成を行った。アトラジンは酢酸と水素結合を形成することが知られているので、機能性モノマーとしてメタクリル酸を用いて、レセプターポリマーの合成を行った。得られたポリマーをすり潰して粉末状とし、スキャッチャード分析を行ったところ、アトラジンの解離定数は10M程度と見積もられた。また、レセプターポリマーを液体クロマトグラフィーの固定相として用い、アトラジンおよび他の農薬の保持時間を調べ選択性を評価したところ、トリアジン系以外の農薬は1%以下の保持しか示さず、ポリマーはトリアジン系除草剤に対して群選択的であることが分かった。また、アトラジン以外のトリアジン系除草剤はある程度保持されるものの、レセプターポリマーはアトラジンと最も選択的に結合することが示された。 第3章では、薬物であるシンコニジンに対するレセプターポリマーの合成を行った。薬物の多くは不斉を有しており、光学異性体によって生理活性が異なる場合もあることから、薬物を認識するレセプターにおいては不斉認識能が重要であると考えられる。高い分子不斉をもつことから、マラリア治療薬として知られるシンコニジンを、不斉認識レセプターポリマー合成のモデル標的分子として選んだ。機能性モノマーには、シンコニジンの窒素原子や水酸基との水素結合形成が期待できるメタクリル酸を用いた。シンコニジン存在下で、メタクリル酸、エチレングリコールジメタクリレートの共重合を行い、得られたポリマーを粉末状としてステンレスカラムに充填し、液体クロマトグラフィーにおいてその認識能を評価した。 シンコニジンを重合系中に加えなかったポリマーは、シンコニジンとそのジアステレオマーであるシンコニンを同様に保持したが、レセプターポリマーはジアステレオ選択性を示してシンコニジンの方を長く保持し、その分離係数は32であった。またシンコニジンレセプターポリマーを用いて、シンコニン/シンコニジンに近い構造を持つキニン/キニジンの分離を試みたところ、その分離係数は3.5であり、レセプターポリマーのジアステレオ分離能は、シンコニジンに対して選択的であることが示された。 第4章では、2-(トリフルオロメチル)アクリル酸(TFMAA)を機能性モノマーとして導入し、高いアフィニティを示すレセプターポリマーの合成を行った。前章までに、メタクリル酸を機能性モノマーとして用いることにより、トリアジン除草剤やシンコナアルカロイドに対して高い選択性を持つレセプターポリマーを得た。しかし、分析材料として最も重要なアフィニティの点ではまだ生体分子には及ばず、さらに高いアフィニティのレセプターポリマーを合成するための戦略が望まれた。そこで本章では、テンプレート分子と強固に結合する機能性モノマーを用いることが、高いアフィニティをもつレセプターポリマーの合成につながると考え、メタクリル酸よりも良いプロトン供与体であると考えられる2-(トリフルオロメチル)アクリル酸(TFMAA)を機能性モノマーとして導入することを検討した。プロトン受容性の官能基をもつニコチンをモデル標的分子として、検討を行ったところ、TFMAAを用いて合成したポリマーは、メタクリル酸を用いた場合と比較して約10倍の高いアフィニティを示し、その選択性も良好であることがわかった。本章の結果から、機能性モノマーを慎重に検討することにより、高いアフィニティのレセプターポリマーを合成し得ることが示された。 第5章では、トリアジン系除草剤を認識するレセプターポリマーの、固相抽出法への応用を行った。環境中の除草剤は微量であるので、その分析においては、固相抽出による濃縮・精製といった前処理技術が重要である。しかしこれまでの固相抽出カラムは非特異的な相互作用を利用するので、標的化合物に近い化学特性を持つ化合物は同様に吸着され、また吸着後の洗浄操作による標的化合物の精製は容易ではなかった。そこで、本章ではレセプターポリマーをアフィニティタイプの固相抽出カラムとして応用し、水中のトリアジン系除草剤を選択的に抽出・濃縮する手法の検討を行った。モデル試料として、純水500mlにトリアジン系除草剤および他の農薬を、各0.1ppm、溶解させた。これをカラムに通したところ、レセプターポリマーは疎水性相互作用によりすべての除草剤・農薬を保持したが、続いてジクロロメタンを流したところ、トリアジン系除草剤だけを選択的に保持し、他の農薬は洗い流された。最終的にメタノールで抽出することにより、90%以上の回収率でトリアジン系除草剤が選択的に濃縮され、レセプターポリマーは、固相抽出カラムにおけるアフィニティ媒体として有効であり、実際の分析に耐えうる分子認識能を有することが示された。 第6章では、レセプターポリマーを液体クロマトグラフィーにおけるアフィニティメディアへ応用した。従来、レセプターポリマーを液体クロマトグラフィーの固定相として用いるためには、ブロック状のポリマーを砕いてすりつぶし、粒径を揃えてカラムに充填するという煩雑で時間かかる作業が必要であった。そこで本章では、カラム内でポリマー合成を行うin-situ手法を新しく導入した。テオフィリンなどの薬物やアミノ酸誘導体をモデル標的分子として、カラム内でロッド形状の多孔性レセプターポリマーを合成したところ、カラムはテンプレートに対する選択性を示した。本手法によって、レセプターポリマーを簡便に高速液体クロマトグラフィーの固定相として応用することが可能となった。 第7章では、触媒活性を有するレセプターポリマーの合成に関する基礎的検討を行った。前章までに、レセプターポリマーの分子認識能に関する検討を行いその分析分野への応用が見出された。しかし、他のさまざまな分析分野への応用を考えたとき、レセプターポリマーが認識に加えて第二の機能を持つことが望まれる。酵素がバイオセンサーなど広く分析分野で活躍していることから、本章では触媒機能に着目した。 ポリマーに触媒活性を導入するにあたり、生体内での触媒反応において金属が重要な役割を果たしていることに着目し、本章では、配位結合を利用したモレキュラーインプリンティングを行うことにより、結合部位に金属錯体を有するレセプターポリマーを合成した。ジベンゾイルメタン、酢酸コバルト(II)の存在下で、4ビニルピリジン、スチレン、ジビニルベンゼンの共重合を行い、ポリマーを得た。液体クロマトグラフィーを用いた評価から、ポリマーは酢酸コバルト(II)存在下で、ジベンゾイルメタンと選択的に結合することが示された。ポリマーをアセトフェノンとベンズアルデヒドのアルドール縮合反応の触媒へ応用したところ、ジベンゾイルメタンのインプリント効果による活性の向上が見られ、また、この活性の向上はアセトフェノンとベンズアルデヒドの反応に選択的であった。 第8章は総括であり、本研究を要約して得られた研究成果をまとめた。 |