学位論文要旨



No 213793
著者(漢字) 佐々木,聰
著者(英字)
著者(カナ) ササキ,サトシ
標題(和) 環境負荷物質測定用センサーの開発
標題(洋)
報告番号 213793
報告番号 乙13793
学位授与日 1998.03.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13793号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 輕部,征夫
 東京大学 教授 二木,鋭雄
 東京大学 教授 秋元,肇
 東京大学 教授 井街,宏
 東京大学 講師 池袋,一典
内容要旨

 本論文は、センサーによる環境負荷物質の測定に関するものであり、10章で構成されている。

 様々な生物により成り立っている生態系は,生息環境の物理的な破壊と化学物質などの汚染により、まさに危機的な状況にあるにもかかわらず、顕在化することが少ないため、河川や湖沼の生態系の化学物質による汚染は潜在的なものとなっている。例えば、農薬汚染状況を知るには、実際には自然現象や食物連鎖が複雑に絡み合っており、環境中での農薬の動向を踏まえた評価が必要となってくる。そこで環境中での動向を調べるためには河川水中、土壌中、生体中、農作物表面等それぞれにおいて農薬の定量をし、解析をする必要がある。また、化石燃料の燃焼などにより大気中に放出された硫黄酸化物や窒素酸化物、および大気中で生成した硫酸、硫酸塩、硝酸塩などがレインアウト(rainout、雨の核として取り込まれる)やウォッシュアウト(washout、降下する雨滴に取り込まれる)の過程を経て、雨滴に取り込まれてpHが低下して、地上に落下したものを酸性雨というが、このような酸性雨の原因となる物質は、窒素化合物や硫黄化合物などの、元々自然界に存在していたものであり、それ自身環境中で重要な役割を果たしているものである。ところが、化石燃料の燃焼などに伴い、環境中に過度に放出されるようになったため、環境に負荷を与え、生態系のバランスを従来とは違ったものにする原因となっているといえる。このことから、環境中の残留農薬、酸性雨成分である窒素化合物や硫黄化合物は、環境に負荷を与える環境負荷物質であるといえる。農薬成分や酸性雨成分の定量には吸光分析法、比色分析法、ガスクロマトグラフィー、高速液体クロマトグラフィー等の、抽出もしくは分離分析を行うことによって定量されていた。これらの環境負荷物質を、バイオセンサーや化学センサーによって測定できれば,環境評価が迅速かつ簡便になり、かつ測定に要する費用も大幅に軽減される。環境の悪化を防ぐためには、環境動態モデルをつくることが不可欠であり、そのためには全地球規模での環境負荷物質の測定が必要となる。環境負荷物質の測定をセンサーによって行うことは、従来の方法では不可能であった環境負荷物質のグローバルなモニタリングを可能にすると考えられる。そこで、本研究では、前半(第2〜6章)で農薬成分、後半(第7〜9章)で酸性雨成分測定用センサーの開発を目的とし、農薬成分及び酸性雨成分測定用のセンサーを構築し、その特性を調べた。

 第1章は緒論であり、本研究の行われた背景について述べ、本研究の目的と意義を明らかにした。

 第2章では、生物発光を用いる抗生物質センサーを構築した。ホタルルシフェラーゼ遺伝子を持ち体内のATP量に依存する生物発光を発する大腸菌を、フェライト粒子を含むビーズ中に固定化して、発光量がクロラムフェニコールによって減少することを利用した。再活性化処理を行った菌固定化粒子をチューブに流し、電磁石により光電子増倍管の下で停止させ30分間クロラムフェニコールを流した。その後、0.1M Tris-HClBuffer(pH7.2)を流して粒子を洗浄してから0.5mMルシフェリンを流速2.2ml/minで流し、発光強度を測定したところ、10ppmクロラムフェニコールにより明らかに発光強度が阻害されているのが観測された。これにより、作製した装置と菌固定化粒子を用い、バッチフロー測定によりクロラムフェニコールの毒性が測定できることがわかった。

 第3章では、プラズマ重合法により作製したセンサーチップを用いて、SPRセンサーに応用した。ガラス基板にクロムと金をスパッタリングし、その上にエチレンジアミンのプラズマ重合膜を形成した。このプラズマ重合膜上にグルタルアルデヒドを介して抗HSA抗体を固定化し、自作センサーチップとした。市販のセンサーチップと自作センサーチップを用いる場合の、HSAへの応答の比較すると、自作のセンサーチップは0.01-50mg/mlの領域で濃度と応答が直線関係にあり、市販のチップ(0.1-50mg/ml)より低い濃度領域からの測定が可能であった。

 第4章では、前章のセンサーチップを農薬成分測定に応用した。すなわち、プラズマ重合法により作製したセンサーチップに抗エトフェンプロックス抗体を固定化し、農薬成分のエトフェンプロックスの測定を行った。新規に調製された抗エトフェンプロックス抗体をグルタルアルデヒドでセンサーチップ上に固定化し、エタノールアミンおよびBSAを用いて未反応のアミノ基をブロッキングした。どちらのブロッキングを行ったセンサーチップも、1-50mg/lのエトフェンプロックスに対して市販のセンサーチップに比べて大きい応答を示した。また、アトラジンは本センサーチップを用いた場合応答を示さなかった。

 第5章では、シランカップリング剤を用いてセンサーチップを調製し、農薬成分のアトラジンの測定を行った。プラズマ重合法を用いて作製したセンサーチップは農薬の測定に応用可能であると考えられるが、より高感度な測定を行うために必要な競合法を行うことはできなかったため、さらに高感度な測定を行うためにモノクローナル抗体等を用いた。同時に、より安価にセンサーチップを作製するためにより単純なプロセスを用いた。金をスパッタリングしたガラス表面をシランカップリング剤を用いて修飾し、グルタルアルデヒドを介して抗体を固定化してSPRセンサーチップとして用いた。抗アトラジンモノクローナル抗体を固定化して、河川水中にアトラジンを加えた試料をインジェクションし、応答を調べた。その結果、緩衝液を用いて調製したアトラジン標準液に対する応答と同様の応答が得られた。検出下限は0.05g/lであり、感度も十分であることがわかった。このことから、本センサーチップは河川水中に流入したアトラジンなどの農薬成分の測定に有効であることがわかった。

 第6章においては、抗体をポリエチレングリコール(PEG)を用いて化学修飾し、有機溶媒中で活性を持つように調製した。さらにこの修飾抗体を用いて有機溶媒中でのアトラジンのバイオセンシングを行った。抗アトラジン抗体のアミノ基と活性化PEG1のモル比を2対1にして化学修飾したPEG修飾抗アトラジン抗体の結合定数は2×107で、非修飾抗アトラジン抗体の結合定数と同値であった。次にPEG修飾抗アトラジン抗体の修飾率を求めたところ、活性化PEG1で修飾した場合は抗体分子中の全アミノ基の55%が修飾された。一方、活性化PEG2で修飾した場合は抗体分子中の全アミノ基の72%が修飾された。この活性化PEG2で修飾した修飾抗アトラジン抗体は、5800Gで遠心分離をした場合トルエンに対しては26g/ml、クロロホルムに対しては270g/ml溶解した。非修飾抗アトラジン抗体と、活性化PEG2で修飾した修飾抗アトラジン抗体をそれぞれガラスビーズに固定化し、これを用いて、エンザイムイムノアッセイ(EIA)を行った。水溶液中では非修飾、修飾抗アトラジン抗体共に450nmの吸光度にアトラジン濃度依存性があったが、トルエン中ではPEG修飾抗アトラジン抗体にのみアトラジン濃度依存性があった。これより、抗体はPEGで修飾されることによりトルエン中でも活性を保持することがわかった。

 第7章では、微生物を用いる硫酸イオンセンサーを構築した。鉄を酸化する際生じるエネルギーのみをエネルギー源として生育する化学独立栄養細菌Thiobacillus ferrooxidans E-15株が鉄酸化の際、硫酸イオンを必須のアニオンとしていることに着目し、菌を膜上に固定化して酸素電極に装着した微生物センサーを構築した。このセンサーでは、鉄酸化による液中酸素濃度の減少(電極電流値の低下)と硫酸イオンの液中濃度の間に相関関係があることがわかった。このセンサーによって4M以上の硫酸イオン濃度が測定可能であった。検量線は曲線状になるが、この曲線は再現性があるため十分検量線として使用可能であると思われる。測定はバッチ方式で行った。1回の測定に30分前後の時間を要した。また、雨中の硝酸イオン濃度と塩化物イオン濃度は当センサーの応答値に影響しないと考えられた。

 第8章では、亜硝酸測定用メディエーター型センサーを構築した。すなわち、亜硝酸還元菌Alcaligenes faecalis S-6由来の亜硝酸還元酵素(NIR)を金電極上に装着し、1-メトキシPMSをメディエーターとして、亜硝酸センサーを構築した。濃度領域0-0.1mgl-1において、亜硝酸イオン標準液濃度と電流減少値は直線関係を示した。バッチフロー型の亜硝酸センサーは0.01mgl-1の検出下限を示したが、この値は雨水中の亜硝酸イオン濃度の測定には十分であった。NIRは大量発現系が確立されており、遺伝子工学的により活性の高い酵素を用いればさらに高性能な亜硝酸イオンセンサーが構築できると考えられる。

 第9章では、化学発光法を用いるフローインジェクション型亜硫酸センサーを構築した。サルファイトオキシダーゼを多孔質ビーズに固定化し、リアクターカラムに充填してフロー系を構築し、酵素反応の結果得られる過酸化水素をルミノールと反応させ、生じる化学発光をフォトンカウンターによって測定した。緩衝液が化学発光強度に及ぼす影響を調べたところ、炭酸緩衝液を用いた場合が最も高い化学発光強度を示した。亜硫酸イオン濃度領域3×10-10M-10-6Mにおいて発光強度は濃度と直線関係を示した。3×10-10Mという検出下限は、バイオセンサーによる最も低い値であった。

 第10章は結論であり、本研究を要約して得られた研究成果をまとめた。

審査要旨

 本論文は、センサーによる環境負荷物質の測定に関するものであり、10章より構成されている。

 第1章は緒論であり、本研究の行われた背景について述べ、本研究の目的と意義を明らかにしている。

 第2章では、生物発光を用いる抗生物質センサーを開発している。ホタルルシフェラーゼ遺伝子を持ち体内のアデノシン三リン酸量に依存する生物発光を示す大腸菌をビーズ中に固定化し、クロラムフェニコールによる発光量の阻害を測定している。10ppmのクロラムフェニコールで明らかに発光強度が阻害されることを示し、大腸菌固定化粒子を用いて毒物の検出ができることを明らかにしている。

 第3章では、プラズマ重合膜を用いて作製したセンサーチップを表面プラズモン共鳴(SPR)測定装置に応用している。クロムと金をスパッタリングしたガラス基板上にエチレンジアミンのプラズマ重合膜を形成させ、グルタルアルデヒドを介して抗HSA抗体を固定化し、センサーチップを作製している。市販のセンサーチップを用いた場合のヒト血清アルブミンに対する応答と比較して、自作のセンサーチップは市販のチップより低濃度の領域からアルブミンの測定が可能であると述べている。

 第4章では、前章のSPRセンサーチップを農薬測定に応用している。前述のセンサーチップに抗エトフェンプロックス抗体を固定化し、農薬であるエトフェンプロックスの測定を行っている。作製したセンサーチップを用いた場合、1から50mg/lのエトフェンプロックスに対して市販のセンサーチップに比べて大きい応答値が得られ、また、他の農薬であるアトラジンが存在しても選択的な応答が得られると述べている。

 第5章では、センサーチップの大量生産に適したシランカップリング剤を用いてセンサーチップを調製し、これにモノクローナル抗体を用いてアトラジンの高感度測定を行っている。抗アトラジンモノクローナル抗体をセンサーチップ上に固定化し、河川水中にアトラジンを加えた試料をセンサーシステムに注入した結果、アトラジン標準液に対する応答と同様の応答が得られたと報告している。検出下限は0.05g/lであり、このセンサーチップが河川水中の農薬成分の測定に有効であることを明らかにしている。

 第6章では、抗体をポリエチレングリコール(PEG)で化学修飾し、有機溶媒中でも活性を持つように調製し、有機溶媒中でアトラジンの免疫測定を行っている。修飾抗体の結合定数は2×107/Mで、修飾前と同値であったと述べている。この修飾抗体の溶解度はトルエンに対しては26g/ml、クロロホルムに対しては270g/mlであることを明らかにしている。化学修飾前後の抗体をそれぞれガラスビーズに固定化し、これを用いてエンザイムイムノアッセイ(EIA)を行ったところ、水溶液中では両者共にアトラジンと結合したが、トルエン中では修飾抗体だけが結合したと述べている。

 第7章では、微生物を用いる硫酸イオンセンサーを開発している。鉄酸化細菌Thiobacillus ferrooxidansを膜上に固定化して酸素電極に装着した微生物センサーを開発し、電流減少値と硫酸イオン濃度の間に相関関係があると述べている。4M以上の硫酸イオン濃度の測定が可能であり、雨中の硝酸イオンと塩化物イオンはこのセンサーの応答に影響を与えないことを明らかにしている。

 第8章では、亜硝酸測定用メディエーター型センサーを開発している。亜硝酸還元菌Alcaligenes faecalis S-6由来の亜硝酸還元酵素(NIR)を金電極上に装着し、1-methoxy-5-methylphenazinium methylsulfateをメディエーターとして用いている。0から0.1mg/lの濃度範囲において、亜硝酸イオン濃度と電流減少値は直線関係を示し、検出下限は0.01mg/lであり雨水中の亜硝酸イオン濃度の測定に十分適応できると述べている。

 第9章では、化学発光法を用いるフローインジェクション型の亜硫酸センサーを開発している。サルファイトオキシダーゼを固定化した多孔質ビーズをリアクターカラムに充填し、発生する過酸化水素とルミノールを反応させ、化学発光をフォトンカウンターによって測定している。炭酸緩衝液を用いた場合が最も高い化学発光強度が得られることを明らかにしている。亜硫酸イオン濃度3×10-10Mから10-6Mにおいて直線的な応答が得られており、これがこれまで報告された最も高感度なバイオセンサーであると述べている。

 第10章は結論であり、本研究を要約して得られた研究成果をまとめている。このように本論文では、環境負荷物質である農薬成分及び酸性雨成分を計測するために様々な原理に基づいたセンサーを開発している。またセンサー技術は環境分野において環境負荷物質のオンライン計測に極めて重要であることを明らかにしている。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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