学位論文要旨



No 213794
著者(漢字) 矢野,和義
著者(英字)
著者(カナ) ヤノ,カズヨシ
標題(和) 人工分子認識素子の合成とその応用
標題(洋)
報告番号 213794
報告番号 乙13794
学位授与日 1998.03.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13794号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 輕部,征夫
 東京大学 教授 二木,鋭雄
 東京大学 教授 井街,宏
 東京大学 教授 満渕,邦彦
 東京大学 講師 池袋,一典
内容要旨

 本論文は安定な人工分子認識素子の合成とその応用に関するものであり、8章より構成されている。

 酵素や抗体などの生体が有する優れた基質特異性、分子認識能を巧みに応用したバイオセンサーが、様々な分野で大きな注目を集めている。一方、バイオセンサーは分子認識素子として生体由来のものを利用しているため、長期にわたる安定性に欠ける、高温・高圧や有機溶媒中での使用に耐えられない、などの欠点を持つ。また、生体由来の素子ではセンサーとして得られる感度が十分でなく、実サンプルに適用できない場合もある。さらに、どのような目的の分子に対しても認識や触媒反応などの機能を持つ生体由来の物質が自然に存在するわけではなく、応用範囲が事実上既に存在する生体物質に依存している。バイオセンサーに対する関心がますます高まり、測定対象が広範囲になっていく現代社会において、こうした問題は極めて深刻である。このため、生体に由来するこうしたバイオセンサーの欠点を克服するため、生体機能を持った人工分子認識素子の創製が必要とされている。

 そこで本研究では、生体に代わる新規人工分子認識素子を合成し、これを計測分離システムに応用することを目的とした。まず、比較的安定な素子である脂質を対象とし、天然には存在しない2種類の人工脂質を分子認識素子として用いることによって、高感度においセンサーを構築した。次に、人工分子認識素子の合成方法としてさらに汎用性のあるモレキュラーインプリンティング法に着目し、これを用いて分子認識能を持つ様々な高分子を合成した。さらに得られた高分子をセンサーの素子として応用した。

 第1章は緒論であり、本研究の行われた背景について述べ、本研究の目的と意義を明らかにした。

 第2章では、人工脂質を用いるにおいセンサーの開発を行った。脂質の疎水基に着目し、脂質膜の流動性に影響を与えると思われるさまざまなアシル鎖を持つ脂質を水晶振動子に固定化して、作製したセンサーの感度を評価した。脂質のアシル鎖長が短くなると、このセンサーは極性の低いにおい物質に高い応答を示した。また脂質膜にコレステロールを20%添加することで、においセンサーの感度を約2倍向上させることが可能となった。さらに三重結合を持つ人工脂質を官能膜として用いてにおいセンサーを作製すると、飽和アシル鎖を持つ天然のホスファチジルコリンを用いたにおいセンサーより低い応答を示した。一方位で分枝したアシル鎖を持つ人工脂質をセンサーの官能膜として用いると、においセンサーの応答値は3倍以上に増大した。さらに人の嗅覚試験で用いられる標準におい物質を測定した結果、分枝構造を持つ人工脂質を官能膜として用いたにおいセンサーは、人の嗅覚と同程度の感度を示した。

 第3章では、におい物質の官能膜への吸着量を増やすために、水晶振動子の上に多孔性高分子膜を形成して脂質の担持膜とし、におい物質に対する応答を評価した。用いたポリビニルクロライド、ポリスチレン、ポリビニルブチラール、ナイロンの高分子のうち、多孔質膜を作製するのに必要なエマルションを形成したのはポリビニルブチラールとナイロンであった。このなかでナイロンが最も安定で高い応答を示した。アルコールを測定した場合、脂質だけを用いたセンサーより多孔質ナイロン膜を脂質の担体とするセンサーの方が3倍から8倍高い応答値を示した。さらに位で分枝したアシル鎖を持つ人工脂質をナイロン担持膜に固定化したセンサーは、におい物質に対して、脂質だけを用いたセンサーよりも高い応答を示した。このセンサーと人の嗅覚の感度を比較した結果、人の検知閾値の濃度でも本センサーは明らかに応答し、人と同程度の感度を持つことが示された。

 第4章では、人工分子認識素子の合成方法として汎用性のあるモレキュラーインプリンティング法に着目し、これを用いてテストステロンに選択的なポリマーを合成した。従来のモレキュラーインプリンティングでは、機能性モノマーの種類、溶媒、温度など重合の際の条件を詳細に検討した例がほとんどなかった。そこでテストステロンを鋳型分子として重合する際のさまざまな条件を詳細に検討した。鋳型分子と機能性モノマーであるメタクリル酸のモル比は1:8が最適であることがわかった。また、メタクリル酸以外の機能性モノマーで強塩基性の2-(ジエチルアミノ)エチルメタクリレートの効果を調べたところ、逆に分子認識能を低下させることが明らかになった。鋳型分子と機能性モノマーとの間で可逆的な共有結合を形成させることによって認識することを試みたが、選択性の向上には結びつかなかった。溶媒としてクロロホルムのかわりに極性の高いテトラヒドロフランを用いたところ、ポリマーの認識能が低下したことから、分子認識が水素結合によって行われている可能性が示唆された。重合の温度を40℃から60℃に上げると選択性が下がり、鋳型分子と機能性モノマーの相互作用が高温では阻害されることが示唆された。紫外線照射による低温での重合を試みたが、これもインプリンティングの効果は観察されなかった。架橋剤はエチレングリコールジメタクリレートのほうがより架橋点間距離の長いプロピレングリコールジメタクリレートよりも良い選択性を示した。

 第5章では、タンパク質のヘリックスやシートに見られるペプチド間相互作用を模倣したモレキュラーインプリンティングを行った。目的分子と多点水素結合を形成する新規機能性モノマーとしてL-バリン誘導体を合成した。これを用いてインプリントポリマーを合成し、ジペプチド誘導体とそのジアステレオマーの認識の差を評価した。この新規機能性モノマーがインプリントポリマーの立体特異性に及ぼす効果を調べたところ、用いた鋳型に対して最も立体特異性を有していることが確認された。鋳型としてより大きな側鎖を持つペプチドを用いるとその効果はさらに向上した。鋳型分子と新規機能性モノマーのモル比は1:2または1:3が最適であることがわかった。さらに、重合の際の溶媒の極性が低いほどポリマーの立体選択性が高くなり、鋳型の認識が水素結合を介していることを強く示唆した。

 第6章では、核酸塩基間の相補的水素結合を模倣したモレキュラーインプリンティングを行った。新規機能性モノマーとして、認識対象分子と多点水素結合を形成すると考えられるアクリルアミド誘導体を設計・合成した。これを用いてモレキュラーインプリンティングを行い、核酸塩基誘導体の選択的な認識を試みた。アロキサンを鋳型として合成したポリマーは、類似物であるチミンやテオブロミンよりもアロキサンをよく保持し、新規機能性モノマーを用いたインプリンティングの効果が示唆された。また鋳型分子と新規機能性モノマーのモル比は1:2または1:3が最適であることがわかった。さらに、重合の際の溶媒は極性が低いほど選択性が高くなり、鋳型の認識が水素結合を介していることが強く示唆された。また、この機能性モノマーを用いたポリマーを薬物の分析に応用することを試みた。その結果、バルビツール酸誘導体の一つであるシクロバルビタールを鋳型として合成したポリマーは、鋳型に対して極めて強い親和性、特異性を示し、インプリンティングの効果が最大限に発揮された。

 第7章では、モレキュラーインプリンティングによって合成したポリマーを用いたセンシングシステムの開発を行った。抗生物質であるクロラムフェニコールを鋳型としてモレキュラーインプリンティングを行い、極めて選択的なポリマーを合成した。クロラムフェニコール類似体を用いて認識機構を検討した結果、2つのヒドロキシル基が認識に重要な役割を果たしていることが示唆された。メチルレッドで標識されたクロラムフェニコールがこのポリマーに保持されることを利用して、色素のポリマーからの溶出を利用した光学的センシングシステムを構築した。この結果、3-1000g/mlのクロラムフェニコール濃度とピーク面積は良い直線関係にあることが検量線から示された。さらに、このセンシングシステムは血清から抽出したクロラムフェニコールも感度良く測定することが可能であり、実サンプルの測定にも十分対応できることが明らかになった。

 第8章は総括であり、本研究を要約して得られた研究成果をまとめた。

審査要旨

 本論文は安定な人工分子認識素子の合成とその応用に関するものであり、8章より構成されている。

 第1章は緒論であり、本研究の行われた背景について述べ、本研究の目的と意義を明らかにしている。

 第2章では、人工脂質を用いるにおいセンサーの開発を行っている。アシル鎖に三重結合を持つ人工脂質を官能膜として用いてにおいセンサーを作製している。これを飽和アシル鎖を持つホスファチジルコリンを用いたにおいセンサーと比較したところ、アルコールに対しては低い応答を示したと述べている。一方位で分枝したアシル鎖を持つ人工脂質をセンサーの官能膜として用いると、においセンサーの応答値は3倍以上に増大している。さらに人の嗅覚試験で用いられる標準におい物質を測定した結果、分枝構造を持つ人工脂質を官能膜として用いたにおいセンサーは、人の嗅覚と同程度の感度を示したと述べている。

 第3章では、におい物質の官能膜への吸着量を増やすために、水晶振動子上に多孔性高分子膜を形成して脂質の担持膜とし、におい物質に対する応答を評価している。脂質だけを用いたセンサーより多孔質ナイロン膜を脂質の担体とするセンサーの方がにおい物質に対して3倍から8倍高い応答値を示すことを明らかにしている。さらに位で分枝したアシル鎖を持つ人工脂質をナイロン担持膜に固定化したセンサーは、脂質だけを用いたセンサーよりも高い応答を示したと述べている。このセンサーと人の嗅覚の感度を比較した結果、人の検知閾値の濃度でも本センサーは明らかに応答し、人と同程度の感度を持つことを明らかにしている。

 第4章では、人工分子認識素子の合成方法として汎用性のあるモレキュラーインプリンティング法に着目し、これを用いてテストステロンに選択的なポリマーを合成している。特に重合の際のさまざまな条件を詳細に検討している。鋳型分子と機能性モノマーであるメタクリル酸のモル比は1:8が最適であることを明らかにしている。また、メタクリル酸以外の機能性モノマーで強塩基性の2-(ジエチルアミノ)エチルメタクリレートの効果を調べたところ、逆に分子認識能が低下することを明らかにしている。さらに、極性の高い溶媒を用いるとポリマーの認識能が低下することから、分子認識が水素結合によって行われている可能性を示唆している。

 第5章では、ペプチド間相互作用を模倣したモレキュラーインプリンティングを行っている。目的分子と多点水素結合を形成する新規機能性モノマーとしてL-バリン誘導体を合成してモレキュラーインプリンティングに利用し、ジペプチド誘導体に対する立体特異性を評価している。その結果、この新規機能性モノマーは用いた鋳型に対して最も高い立体特異性を有していることを確認している。鋳型としてより大きな側鎖を持つペプチドを用いるとその効果はさらに向上することを示している。さらに、得られたインプリントポリマーはアミノ酸配列に対しても選択性を持つことを明らかにしている。

 第6章では、核酸塩基間の相補的水素結合を模倣したモレキュラーインプリンティングを行っている。新規機能性モノマーとして、認識対象分子と多点水素結合を形成すると考えられるアクリルアミド誘導体を設計・合成し、これをモレキュラーインプリンティングに応用して、核酸塩基誘導体の選択的な認識を試みている。アロキサンを鋳型として合成したポリマーは、類似物であるチミンやテオブロミンよりもアロキサンをよく保持し、新規機能性モノマーを用いたインプリンティングの効果が示唆されたと述べている。さらに、この機能性モノマーを用いたポリマーを薬物の分析に応用している。その結果、シクロバルビタールを鋳型として合成したポリマーは、鋳型に対して極めて強い親和性、特異性を示し、インプリンティングの効果が最大限に発揮されると述べている。

 第7章では、モレキュラーインプリンティングによって合成したポリマーを用いてセンシングシステムの開発を行っている。クロラムフェニコールを鋳型としてモレキュラーインプリンティングを行い、極めて選択的なポリマーを合成している。メチルレッドで標識されたクロラムフェニコールがこのポリマーに保持されるのを利用して、光学的センシングシステムを構築している。この結果、3-1000g/mlのクロラムフェニコール濃度とピーク面積は良い直線関係にあることを検量線で示している。さらに、このセンシングシステムは血清から抽出したクロラムフェニコールも感度良く測定することが可能であり、実サンプルの測定にも十分対応できることを明らかにしている。

 第8章は総括であり、本研究を要約して得られた研究成果をまとめている。

 このように本論文では、安定な人工分子認識素子を設計・合成し、これを測定分離システムに応用している。人工脂質をにおい物質の認識素子として用いることによって、従来の天然脂質では達成できなかったセンサーの高感度化に成功している。またモレキュラーインプリンティング法によって高い分子認識能を持つ様々なポリマーを合成している。さらに得られたポリマーを分子認識素子として利用することによって、安定なセンシングシステムを開発している。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51075