学位論文要旨



No 213795
著者(漢字) 米倉,等
著者(英字) Hitoshi,Yonekura
著者(カナ) ヨネクラ,ヒトシ
標題(和) 東ジャワの変貌するトウモロコシ市場における農民と商人に関する研究
標題(洋) Farmers and Tranders in A Changing Maize Market in East Java
報告番号 213795
報告番号 乙13795
学位授与日 1998.04.06
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第13795号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 原,洋之介
 東京大学 教授 田中,学
 東京大学 教授 藤田,夏樹
 東京大学 教授 泉田,洋一
 東京大学 教授 加納,啓良
内容要旨

 農業の多様化という1980年代以降のアジアの農業発展を特徴づける変化に焦点を当て、その具体事例を東ジャワでの農村調査にもとづきミクロ的に検討した。インドネシアでは1980年代後半以降、飼料産業の発展とともにトウモロコシの需要が急増し、農村地域の生産や流通の過程に大きな変化がもたらされた。その実態を1990年から91年の時点でとらえた。第1章の序文は基本的な枠組みの提示と調査方法の概説である。前段(第2,3章)では調査村・地域の紹介を兼ねた社会経済概要を述べ、中段(第4,5章)で農村における農産物取引の変化と飼料産業の展開を検討、後段(第6,7章)でその影響として品質問題と金融に着目する。最後の第8章が結論である。以下、章別に内容を要約する。

 第1章は、途上国農業の最大の課題である農村の所得水準の向上と雇用機会の拡大のために農村の市場構造の改善が重要との認識が高まっていることを踏まえて、本稿の課題設定とそのための実態調査の方法を示す。市場の機能が不完全な場合が多い途上国の農村市場では、伝統的な取引慣行や制度が重要な役割を果たしている。市場の不完全性が存在する場合には、バルダンらが指摘するように、労働と土地あるいは農産物市場と資金市場とが分離していないなどインターリンケージ即ち市場連結が存在する。本稿は、東ジャワの事例によりトウモロコシの品質問題と商人の資金的紐帯に着目し、彼ら経済主体が市場の不完全性にどう対応しているか、その具体例を提示するものである。その対応は伝統的な制度に則って自生的な展開を示すが、この事例研究の成果を踏まえて、農業開発の課題に答える戦略的かつ具体的な知見を獲得しようというのが本稿の究極の課題である。この課題に答えるために、トウモロコシの飼料需要が新規にかつ大規模に展開して農村での生産や流通に大きく深い影響を与えている地域を調査地として選定した。トウモロコシをはじめとして農業生産の中心である東ジャワの中でも、農業の多様化の進んだパチェとワジヤッの2郡を対象地域とした。調査は、調査地選定と調査票作成のための農村概要調査(30カ村)、パチェの1調査村(行政的には村desaの下の区dusun)における81軒の悉皆調査、36軒の農家を対象とした3回1年にわたる農家世帯調査、102軒の商人(加工業者を含む)を対象とした流通構造調査、各流通段階での1年間の価格モニタリング調査からなる。

 第2章は、調査地域の農業および社会経済学的なコンテクストを理解するための、パチェ郡の調査村についての報告である。調査村は全戸81軒うち農家44軒、土地なし労働者世帯15軒であった。農業労働に従事することがあるものは189人の就業人口中83人に上る。農家の経営規模は零細で大半は0.5ヘクタール以下でしかない。農家の所得源泉は(村全体でみれば)既にかなりの程度多様化している。非農業雇用機会は農村内の所得格差を拡大させている。ジャワ農村における伝統的な収穫慣行デルッパン(収穫作業に村人の参加を認め収穫したうちから一定の割合、たとえば1/6や1/12など、を収穫労賃として現物で分け与える制度)が稲作に存続している。トゥバサンのような商業的な収穫請負制度が浸透していながらもなおデルッパンが存続していること、その対象面積と収穫処理の量が、一集落という限定された範囲内であるが具体的に数値で明らかになった。

 第3章は、調査村のファーミングシステムの分析である。トゥバサンと呼ばれる請負収穫制度が浸透するのは、多毛作化即ち農地の高度利用の進展と並行している。雨季の水稲収穫作業から次の推移季(雨季と乾季の間の季節)の水稲作の田植(もしくは大豆作の播種)に移る期間は1週間程度ときわめて短い。この期間に農業労働需要の極めて高いピークロードが発生する。比較的経営規模が大きく、農業労働の不足する農家ほどこのトゥバサンに収穫を頼る傾向が強い。速水・菊池の研究は実質労賃の低下と社会的紐帯の弛緩がこのような収穫制度の導入の要因であるとしたが、むしろ農業経営的あるいはファーミングシステム上の条件が決定的であることを調査結果は示している。

 第4章は、農民と商人との売買取引が必ずしも安定した関係ではないことを示している。取引の半分はいわゆるキャッシュアンドキャリーといえる。これは、農村における商人の活動が競争的であるという速水・川越の先行研究を追認するものである。しかし、この結論にはやや留保が必要である。流通過程を飼料工場にいたるまで丹念に追いかけると、集散地における卸売商(large urban trader)を頂点に、産地の規模の大きな集荷商(精米兼集荷商:large local collector、集荷仲買商:large local broker)そして農民と直接取引する農村集荷商((inter)village collector)、プヌバス(収穫請負人:penebas)や小集荷商(bakul:small collector)との間には縦の系列が形成されており、調達資金の前貸しや輸送コストの削減など自生的組織的な対応が観察される。このような対応がトウモロコシ市場のダイナミックな展開を可能にしている。

 第5章は、4章の分析を踏まえて各種商人による流通経路と流通マージンを明らかにした。さらに様々なタイプの商人の職歴と学歴を検討、都市の大卸商に多い華人系商人と比較すると、農村の零細なジャワ人商人は自立するまでのトレーニング期間が短く、両親などから事業を世襲する傾向は小さいが、意外に学歴が高い者もいることが明らかになった。資産の規模は、流通段階によって極めて大きな差がある。農村の零細な集荷商の100万ルピア程度から、同じ農村部でも集荷仲買商では数億ルピアに達する(1ドル1950ルピア)。前記の商人の縦の系列を強化する契機は、品質の保証と量の安定的確保という飼料工場側からの要求である。調査地域の農村経済がかつて経験しなかった新たなそして厳しい要求であった。それはあたかも新たな商品に対する需要が発生したかのようでさえある。

 第6章は、品質管理という点で、産地の精米兼集荷商や集荷仲買商の役割が重要であることを明らかにしている。主に彼らが乾燥調整を良く行うことで、飼料工場の要求に答えている。価格に関する情報の非対称性は、ラジオの普及などにより観察されない。しかし品質と価格決定方法に起因する取引の不確実性が存在する。彼らは、売り手の農民や小集荷商(bakul)及びプヌバスに対し水分計を使うとはいえ、品質チェックにもとづいた価格決定の論拠と方式を十分説明するわけではない。水分計量という新技術の導入が、情報優位と劣位とを作り出したと言える。しかし、これは商人の取引戦略のみに帰せられない。価格決定方式のアカウンタビリティが低いというもう一つの要因がある。水分以外の不純物を含む場合、様々な要因を勘案して価格決定を可能にする科学的で誰にでも了解可能な方法があるわけではない。他方、米の場合は精米によって不純物の問題は一般には払拭されてしまう。トウモロコシでは精米兼集荷商や集荷仲買商が品質管理上主要な役割を果たしているとはいえ、流通の各段階でその都度品質検査を繰り返さざるを得ない。一部集荷仲買商などの例外を除いて、品質管理の徹底が米ほどではない。財の認定と価格決定に関して不確実性が米市場より大きい。換言すれば、トウモロコシ市場の不完全性が大きい。

 第7章は、商人の取引関係に資金的紐帯(クレジットタイ)が存在することを明らかにした。零細な小集荷商やプヌバスは、精米兼集荷商や集荷仲買商など産地の規模の大きな商人から集荷資金を借りて集荷を行い、現物で借金を償還する。さらに精米兼集荷商らは集散地の卸商から資金を借りてそれを小集荷商やプヌバス等からの農産物購入資金に充てる関係が成立している。農村部の住民には十分な担保力がなく銀行の支店もないなどのため、農民に限らず商人でもフォーマルな機関金融へのアクセスが容易ではない。規模の大きな集散地の卸商がその役割を代替して資金を産地の商人に提供している。ただし注目すべきは、卸商の資金源は商業銀行からの借入であり、彼らの規模の大きさと所在地が、銀行借入を可能にしている。農産物の品質を保証する制度が確立していない即ち農産物市場での財の標準化が保証されず、かつ信用に対するアクセスが制限されるなど農村金融市場においても不完全性が存在する状況下で、クレジットタイという制度が自然発生的に形成されている。言い換えれば、二つの市場で不完全性が存在する状況下でクレジットタイという制度的な適応が発生し市場の不完全性が補完されるメカニズムが作用しているのである。

 第8章は、本稿の全体を観察された事実を中心にまとめたもので、内容は上記の要約にほぼ同一である。そこから得られた政策的含意の第1は、トウモロコシを中心とする畑作経済の発展のためには農民、商人そしてアグリビジネス・農産加工業の間の相互連関が不可欠である。第2に、畑作農業における持続可能な発展のためには、農民による地力の維持努力と、農村の社会的な紐帯の存続が欠かせない。第3に、農産物の品質管理と価格決定に関する技能、情報、技術の発展が農民や商人に利益をもたらす。だが生産地の農民や商人がそれらを獲得する上で一般には不利な立場におかれている状況を改善する必要がある。第4に、収穫・集荷段階での農産物の計量方法と品質特性の標準化は売買における不確実性を縮小しかつ農村の雇用機会を拡大する。同時に、アグリビジネス・農産加工分野との産業連関を促進することになる。第5に、生産地における金融商品の標準化と機関金融へのアクセスの改善は農村の商人や農民の投資を促す。このような投資は、生産地の経済に商人をより深く関与させ彼らの機会主義的な行動の抑制につながる。

審査要旨

 1980年代以降目覚ましい経済発展をとげている東南アジアでは、農業の多角化が著しい。このような農業の多角化ないし多様化という動きのなかで、農業の生産と農産物流通においてどのような経済組織・制度上の変化と問題が生じているかを解明することが本論文の課題である。本論文は、需要サイドの変化なかんずく工業セクターからの新たな需要の発生とその量的な急増がおこっている農産物の代表としてトウモロコシを考察の対象としてとりあげている。

 具体的には、インドネシアの東ジャワ州ンガンジュッ県パチェ郡とマラン県ワジャッ郡をとり上げ、(前者を中心とする)ケーススタディによってその変化と影響の実態を明らかにしている。インドネシア農業の多角・多様化に関する研究としては既にいくつかの調査研究等がある。これら先行研究に対して、商人という流通過程の担い手に着目して農業多角化の影響を検討した点に、本論文の特徴と大きな貢献がある。

 研究は、1990年から91年にかけて1年余にわたって行った4種類のフィールド調査をベースにしている(第1章)。第2章、3章は調査地域(パチェ郡)及び調査村(集落)の農業と社会経済状況の検討である。パチェ郡は、農業の多様化が進んだトウモロコシの生産地で、飼料工場への原料供給地である。調査村は、米とトウモロコシの他大豆、野菜などが栽培される純農村だが、農家の所得源泉はすでに多様化し、非農業所得が50%近くを占める。農家の平均経営面積は0.36ヘクタールと零細で、年2毛作ないし4毛作が行われている。牛などの畜産動物の飼育によって得られる堆厩肥が農地の地力維持に役立っている。しかし昨今は、都市部への労働移動など、堆厩肥生産に必要な労働力不足が懸念され、伝統的な地力維持の体系が脅かされている。農業の多様化(多毛作化)は季節的な労働力不足を発生させ、収穫作業ではトゥバサンと称せられる商業的な収穫請負制度が広く行われるようになった。しかし、同時にデルッパンと称せられる伝統的な収穫慣行が依然として存続するなど農村の社会経済構造はその伝統的姿をとどめている。農業生産は規模の経済が働かず小農的であることが生産関数分析により明らかにされている。

 以上のような小農経済と規模の経済の働く工業セクターとを結ぶ流通過程に注目したのが4章以下である。1980年代以降のトウモロコシ流通では、トゥバサンを行う収穫請負人や精米兼集荷商、集荷仲買商といった産地商の役割が生産地域で重要となった。さらに本論文は、流通における品質問題と資金的側面に特に着目している(第6章、7章)。飼料工場のような工業セクターの需要に答えるには、まず第1に新たに求められる品質を満たす良質の農産物を安定して供給することである。特にトウモロコシの水分調整は最も重要である。新たな品質要求は、水分テスターの導入使用など、商品の品質検査の方法を大きく変えた。取引の不確実性を除去し市場の効率性高める観点から、新たな基準による商品標準化の徹底が重要になってきた。

 トウモロコシ需要の急増は、商人の取引量を飛躍的に増大させ、商人間の調達競争を激しくさせた。またこの競争激化のなかで、調達資金確保の重要性も高まった。規模の大きな集散地の卸売商が調達資金を産地商に貸し、それを借りた産地商は収穫請負人や集荷商等に更に転貸するクレジットタイが、相互信頼をもとに形成されている。借手には納入義務が課せられるが、金利はゼロである。産地の商人や農民がフォーマルな銀行から融資を得ることは、土地など担保が必要である等の理由により困難である。そのため、機関金融へのアクセスは容易でない。彼らは取引を契機としてとり結ばれた社会的な関係にリンクした金融に依拠している。この意味で農村の金融市場は不完全市場であるといえる。

 クレジットタイに見られる金融では、利子の比較が困難であるなど、金融商品としての標準化が不完全である。これは、飼料原料トウモロコシという財の標準化が十全でない事実とともに、市場の発達にとって財の標準化という基本的要素が極めて重要であることを具体的に再確認させる。農産物流通過程の効率化にとっては、この種の標準化が重要問題となっており、農業の多角化が進む東南アジア諸国の農業開発論上の課題であることを明らかにしている。商人という流通過程の担い手に着目して、農業多角化がかかえる問題点をえぐり出した点に、本論文の非常に重要な貢献がある。

 以上、本論文は、学術上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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