特発性心筋症は原因不明の心筋疾患と定義されており、拡張型心筋症と肥大型心筋症に通常分類されている。拡張型心筋症は左心室拡大と心筋の収縮不全を特徴とする予後不良な疾患であり、5年生存率は40-70%ときわめて悪い。一方、肥大型心筋症は左心室壁肥大を特徴とする疾患で10年生存率は80%と比較的良好であるが、とくに若年者の突然死における潜在的な基礎疾患として重要であると考えられている。 一般的に、突然死の定義は事故、外傷、自殺などの外的要因による死を除いた自然死(病死)のうち、原因疾患の発症から24時間以内に認められる死とされることが多い。わが国における突然死の疾患別比率は、心血管系疾患が約70%と高率を占め、ついで脳血管系疾患が20%、その他の疾患が10%を占めている。さらに、若年者における突然死において心血管系疾患の占める比率が著しく高く、その中で、肥大型心筋症による突然死の割合は虚血性心疾患についで高い比率を占めている。肥大型心筋症はその進行が緩徐であるため無症状な場合が多く、運動中や運動直後に突然死の好発することが報告されている。しかしながら、現状において突然死の予知や機序に関する研究は緒に着いたばかりであり、これらの解明は予防および治療薬の開発の観点からも重要な研究課題であると考えられる。 心筋症ハムスターは、心筋症を遺伝的に自然発症する動物であり、加齢が進むと形態学的にも病理学的にもヒトの心筋症に類似した病態を示す動物モデルとして知られている。心筋症ハムスターは、肥大型心筋症を起こすBIO14.6、拡張型心筋症を起こすBIO53.58、さらに、その中間型としてBIO40.54、BIO82.62などの系統が開発されている。 BIO14.6は肥大型心筋症ハムスターの系統の起源であり市販されてもいるため、これまでにBIO14.6を使用した多くの研究が行われてきた。そして、心筋症の進行段階によって病理学的に4段階に分類されており、心筋症の病態がStageごとに詳細に検討されているため、月齢から動物の病理組織学的な状態をかなり正確に予測することが可能である。しかしながら、心機能を含めた生理学的な検討はあまり行われいない。 しかも、肥大型心筋症の病態の進行はBIO14.6においても緩徐であり、突然死の発症までには少なくとも半年以上の観察が必要となる。本研究では、まず、これまで比較的重度の心筋症モデルとしてhypertrophic stageで使用されてきたBIO14.6の、若齢期(myocytolytic stage)における心電図学的特徴を含めた生理学的な特性を明らかにすることを目的とした。さらに、若年者の肥大型心筋症における突然死の発生機序の一端を解明する目的で、若齢期のBIO14.6に寒冷拘束負荷を加えることにより実験的な突然死の誘発を試み、その際の変化に関して詳細な検討を加えた。 第1章では、序論と肥大型心筋症における臨床上の知見および突然死との関連性に付いて触れ、心筋症ハムスターの特徴と有用性を述べるとともに、本研究の目的を鮮明にした。 第2章では、若齢期における心筋症ハムスター(BIO14.6)の心電図学的特徴を詳細に検討する目的で、ヒトにおけるホルター心電図に相当する無麻酔・無拘束下における24時間にわたるテレメトリー心電図を記録し、基礎的な解析を行うとともに突然死に関連する変化の検出感度が高いとされている心拍変動解析についても行った。さらに、若齢期における心筋症ハムスター(BIO14.6)の特徴を鮮明にする目的で、血液生化学的および臓器重量についても測定し対照ハムスター(F1B)と比較検討を行った。 若齢期の心筋症ハムスター(BIO14.6)における心電図学的特徴は、R-R間隔とPQ間隔がF1Bと比較して有意に短かく、QT間隔の長いことが明らかとなった。しかしながら、F1Bと比べてBIO14.6に特に不整脈などの心電図学的な異常は認められなかった。若齢期のBIO14.6およびF1BにおけるCVR-Rに差異は認められず、また、血漿中ノルエピネフリン値とエピネフリン値にも両系統間に差が認められなかった。形態学的特徴としては、心臓と腎臓の体重に対する相対重量が対照ハムスター(F1B)よりも重いことが明らかとなった。そして、血液生化学的には、CPK、GOTおよびGPTがF1Bよりも有意に高値を示した。 以上のことから、若齢期におけるBIO14.6は、血液生化学的には既に心筋の障害が生じていると推察されたが、心電図学的には明らかな異常は認められず、しかも、自律神経機能も正常な範囲に保たれていると考えられた。このことは、若年者の肥大型心筋症患者における突然死の病態を解明する上で、このStageにおけるBIO14.6は潜在的に肥大型心筋症の素因を持っているにもかかわらず無症状な状態にあると考えることができることから、以下の章における寒冷拘束負荷による突然死の誘発モデルとして有用な動物であると考えられた。 第3章と第4章では、心機能および自律神経機能に異常が観察されない若齢期の心筋症ハムスター(BIO14.6)に単回および連続寒冷拘束負荷を与えることによって実験的な突然死の誘発を試み、負荷に対する影響を心電図学的および血液生化学的に評価した。 単回寒冷拘束負荷によって、若齢期のBIO14.6は寒冷拘束負荷の初期から心室性頻脈を発生した。その後、経時的に心拍数が減少し寒冷拘束負荷終了時には顕著な徐脈が認められた。興奮伝導時間に延長がみられたが、負荷終了1時間後にはほぼ負荷前の値に回復することが明らかとなった。また、CVR-Rは低下した。血漿中のCPK、GOT、GPTが経時的に上昇し、とくに、CPKは負荷終了1時間後でもさらに上昇を示した。一方、BUNは寒冷拘束負荷によって変化を示さなかった。そして、心筋障害の最も重要な指標である血漿中CPKMBアイソザイムが経時的に上昇し、この逸脱酵素の由来は心臓であることが推察された。 以上のように、単回寒冷拘束負荷は若齢期におけるBIO14.6の心筋に障害を進行させ、VTなどの不整脈も誘発することが明らかとなった。しかしながら、興奮伝導時間等ほとんどの測定値は負荷終了1時間後には負荷前の値に回復していたことから、単回寒冷拘束負荷により誘発さる変化は、可逆的な範囲から逸脱していないものと考えられた。 第3章において単回寒冷拘束負荷では突然死が誘発できなかったことから、第4章では、連続寒冷拘束負荷を行い突然死の誘発を試み、心電図学的、血液生化学的、生存率、および臓器重量の変化から経時的に突然死に至る過程における病態の推移に関して検討を加えた。その結果、連続寒冷拘束負荷によりBIO14.6に実験的に突然死を誘発できることが明らかとなった。連続寒冷拘束負荷により死亡した個体における解析から徐脈性の不整脈が頻繁に観察され完全A-Vブロックも認められた。このことから刺激伝導系や固有心筋における興奮性の低下が示唆された。また、CVR-Rが低下したことから迷走神経活動の低下が示唆された。そして、血液生化学的解析および形態学的変化から心筋障害は慢性化に移行している可能性が推察された。 以上の結果から、連続寒冷拘束負荷を行うことによって単回寒冷拘束負荷によって誘発される心筋の障害が可逆的な状態から不可逆的な状態に、機能的にも形態的にも進行するものと考えられた。そのような状況下において急激なストレスが加わることによって突然死が誘発されるものと考えられた。 第5章では、若齢期の心筋症ハムスターにおいて連続寒冷拘束負荷により誘発された突然死の機構の一端を解明する目的で、薬理学的にアドレナージック、コリナージック、セロトナージックおよびドーパミナージックな自律神経系遮断薬が連続寒冷拘束負荷によって誘発される突然死に及ぼす影響を検討した。さらに、単回寒冷拘束負荷によって誘発される心電図変化や心筋障害により血漿中に逸脱する酵素に関しても検討を加えた。 ベータアドレナージック受容体阻害剤のpropranololが連続寒冷拘束負荷による突然死を抑制し、連続寒冷拘束負荷による心肥大、腎肥大および寒冷拘束後のCPK上昇も抑制した。ドーパミン1受容体阻害剤のSCH23390がpropranololとは異なる作用機序により連続寒冷拘束負荷による突然死を抑制した。しかも、連続寒冷拘束負荷による腎肥大および寒冷拘束後のCPK上昇を抑制したが、心肥大の抑制効果は明らかではなかった。臨床上クラスII抗不整脈薬として使われるpropranololは寒冷拘束誘発頻拍性不整脈を抑制した。しかし、SCH23390には抗不整脈作用が認められなかった。これらの結果から、寒冷拘束負荷により誘発される突然死には交感神経系のベータアドレナージック受容体が大きく関与していることが明らかとなった。一方、ドーパミン1受容体がベータアドレナージック受容体とは異なる機序で突然死の誘発に関与していることが明らかとなった。 以上の成績を総合すると、若齢期におけるBIO14.6は、血液生化学的には既に心筋の障害が生じていると推察されたが、心電図学的には明らかな異常は認められず自律神経機能も正常な範囲に保たれており、しかも、連続寒冷拘束負荷により実験的に突然死が誘発されたことから肥大型心筋症と突然死の関連性を研究する上で有用なモデル動物であることが明らかとなった。さらに、これまでに治療薬として使用されていたベーターアドレナージック受容体遮断薬が突然死の予防に有用であることが確認されたのみならず、ドーパミン1受容体がベータアドレナージック受容体とは異なる機序で突然死の誘発に関与していることが明らかとなった。これらの知見は、十分な治療法のない肥大型心筋症における突然死の機構を解明するための基礎データとして重要であるとともに、予防薬や治療薬を開発する上で薬剤をスクリーニングする際にも本法が有用であるものと考えられた。 |