はじめに 有機合成化学は、周期表上の様々な元素の固有の性質を活かした化学反応の開発に伴って発展してきた。医薬等の有用な光学活性化合物の供給法として重要な不斉合成の分野でも、近年遷移金属をはじめとする種々の金属元素を含有する不斉触媒が開発され、既存の概念では達成が困難と思われた触媒的不斉合成反応が可能になってきている。筆者は、今までに不斉合成への適用が十分に検討されていない金属元素を含有する不斉触媒を創製し、新規な触媒的不斉合成法を開発することを目的として本研究に着手した。 1.新規多点制御型不斉触媒Gallium Sodium bis(binaphthoxide)(GaSB)錯体の創製と第二世代型GaSB錯体を用いる触媒的不斉Michael反応 柴崎らは、希土類或いはAlとアルカリ金属の二種類の金属と不斉配位子binaphtholを含有する不斉触媒を開発している。これらの触媒の特徴は、希土類あるいはAlがルイス酸として働き、アルカリ金属binaphthoxideがブレンステッド塩基として働くことにより、分子間反応における複数の基質を多点で立体制御すると同時に活性化する点である。筆者は、様々な反応において高い不斉収率を実現するこれらの不斉触媒の特徴に着目し、これらとは異なる金属元素を含有する新規多点制御型触媒の創製を目指した。AlLibis(binaphthoxide)(ALB)は、Al、Li、binaphtholを1:1:2の比率で含有する錯体であり、触媒的不斉Michael反応の優れた触媒である。その構造はX線結晶構造解析により明らかにされている。筆者はまず、Alと同じ13属のB、Ga、Inを中心金属とするALB型の錯体を合成し、これらを触媒とする2-cyclohexen-1-one(1)とdibenzyl malonate(2)とのMichael反応を検討した。その結果、Gaを中心金属とする三種の錯体とInKbis(binaphthoxide)錯体が触媒活性を有することを明かとした。Gaを含有する触媒の不斉合成への応用はこれが最初の例である(Table1、entry1)。GaLibis(binaphthoxide)錯体(GaLB)及びGaNabis(binaphthoxide)錯体(GaSB)の合成は、GaCl3と2モル当量のbinaphthol及び4モル当量のn-BuLi或いはNaO-t-BuをTHF中室温下で混合することにより達成した。GaLB及びGaSBの構造は、LDI-TOF-MSあるいはFAB-MS及び13C-NMRの測定結果から、ALB型の構造と推定している(Figure1)。 Scheme1.Preparation of Ga catalystsTable1.Enhancement of catalyst activity for asymmetric Michael reactions using GaSB Michael反応においてGaSBを用いた場合にALBと同等の高い不斉収率(98%ee)で成績体が得られたものの、反応性はALBと比べて劣るものであった。反応性を改善するために種々検討した結果、GaSBに対して0.9当量のナトリウム塩基(NaO-t-Buなど)を加えた触媒系(以後、第二世代型GaSBと呼ぶ)が、不斉収率を低下させることなく、反応速度を著しく増大することを明かとした(Table1、entry2)。第二世代型GaSBを用いたMichael反応成績体の不斉収率は高く、2-cycloheptene-1-one(3)と2との反応では、99%ee以上の不斉収率で成績体を与えた。この値は、これまで報告されている3を基質に用いたMichael反応での最高の不斉収率である。GaSBを用いる1と2との反応を、第二世代型GaSBとGaSB触媒下について反応速度定数を比較した結果、第二世代型GaSB触媒下の反応が約50倍速いことが明かとなった。第二世代型GaSBは、アキラルな塩基と不斉触媒GaSBが速やかに自己集合することにより、アキラルな塩基が錯体の外で単独に働くことなく、触媒サイクルに存在する平衡反応を生成物側に有利にする役割を担っていると考えている。 2.GaLBを用いるチオールによるエポキシドの触媒的不斉開環反応 上記不斉Ga触媒を用いる新規触媒的不斉合成反応の開発を目指して以下に検討した。アキラルな対称エポキシドの求核剤による開環反応は連続不斉炭素構築のための有用な方法の一つである。本触媒を用いれば、エポキシドがGaにより活性化され、アルカリ金属binaphthoxideにより酸性プロトンを有するチオールのような求核剤が同時に活性化されると考えた。エポキシドのチオールによる触媒的不斉開環反応の報告は、Wynbergら或いは向山、山下による二例が知られている。しかし、これらの反応は、反応性、不斉収率、基質の一般性に関して十分とは言えない。 まず、GaLB或いはGaSB(10mol%)を用いて、cyclohexene oxide(4)とPhCH2SH(5)との反応をテトラヒドロフラン(THF)中で行ったところ、ラセミ体ではあるものの開環成績体がそれぞれ42%、85%の化学収率で得られ、Ga錯体が本反応に触媒活性を有することが明かとなった。次に、反応溶液をトルエンに置換して反応を行った結果、GaSBでは5%ee、GaLBの場合に40%eeの不斉収率(化学収率87%)で開環体を得ることに成功した。反応の経時変化等を詳細に検討した結果、チオールとGaLBの間で配位子交換が生じ、これが不斉収率を低下させる原因であることが示唆された。そこで、立体的要因により配位子交換を抑える目的で、第三級チオールのt-BuSH(6)を用いて4との反応を行った。期待した通り、98%eeという高い不斉収率で生成物が得られたものの、化学収率は35%にすぎなかった。反応性を改善するために添加剤の効果を検討したところ、モレキュラーシーブス4A(以下、MS4Aと略記)の添加により反応速度が大幅に向上することが分かった。その結果、室温下9時間の反応によって不斉収率をほとんど低下させることなく(97%ee)、目的の開環成績体を80%の化学収率で得ることに成功した(Scheme2)。 Scheme2.The Reaction Rate Enhancement by Addition of Molecular Sieves(MS)4A 上記のGaLBとMS4Aからなる触媒系を用いることにより、種々のエポキシドから、高不斉収率、高化学収率で、目的物を得ることに成功した。また、プロスタグランジン合成の重要中間体(91%ee、全収率77%)の触媒的不斉合成にも成功した(Scheme3)。 Scheme3.Catalytic Asymmetric Synthesis of a Key Intermediate for Prostaglandins 本開環反応の機構は、つぎのように考えられる。すなわち、エポキシドはGaに配位することにより活性化され、チオールはGaLB錯体中のLi binaphthoxideとのプロトン交換により活性化される。二つの基質は不斉空間の適切な位置に配向制御されつつ、硫黄原子の求核攻撃が起こる。最後に生成したガリウムアルコキシド中間体と錯体内のフェノール性水酸基との、酸性プロトンの授受により、生成物を与えるとともに触媒が再生する。MS4Aによる活性化の機構は、明かではないものの、触媒サイクルの最終段階において、生成物であるアルコールの錯体からの解離を促進していると考えている。また、本反応を開発する過程で、過剰量のMS4AがGaLBからGaSBへの変換を起こすという興味深い現象を確認した。 3.光学活性ガリウム触媒を用いるフェノールによるエポキシド不斉開環反応 酸素求核剤によるエポキシドの触媒的不斉開環反応は、連続する不斉炭素を構築するのみならず、求核剤の種類に応じて、酸素官能基を保護した形で導入できることから合成化学的に有効な方法である。しかし、求核力の弱い酸素求核剤を用いるこの種の反応例は、ごく最近のJacobsenらによるサレン-Co錯体を用いる方法に限られる。数種のフェノールを求核剤として用い、GaLB(20mol%)存在下、4との反応を50℃にて検討した結果、4-methoxyphenol(7)を用いた場合に反応が高い不斉収率(93%ee)で進行することが分かった(Table2、entry1)。本反応の問題点の一つは、反応時間が長いうえに、化学収率が低いことである。この問題点を改善すべく、binaphtholを構造修飾した種々の配位子を用いてGa錯体を調製し、4と7との開環反応を検討した結果、octahydrobinaphtholを配位子として用いた場合、反応性の向上がみられた。特にアルカリ金属部分をナトリウムとした触媒、GaNabis(octahydobinaphhoxide)錯体(GaSO)を用いた場合には、化学収率の向上がみられた(entry2)。また、この傾向は他の基質にも見られ、GaLB触媒では反応しなかった基質でも比較的高い化学収率(75%)で目的物を得た。不斉収率の改善と更なる錯体の安定化が今後の課題である。 Table2.Ga complexes catalyzed asymmetric ring openings of epoxides with 4-methoxyphenol |