学位論文要旨



No 213804
著者(漢字) 宮地,弘幸
著者(英字)
著者(カナ) ミヤチ,ヒロユキ
標題(和) フタルイミド構造を有する新規生物応答調節剤の創製
標題(洋)
報告番号 213804
報告番号 乙13804
学位授与日 1998.04.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第13804号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋本,祐一
 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 助教授 遠藤,泰之
 東京大学 助教授 樋口,恒彦
内容要旨 (始めに)

 TNF-は生体防御・免疫機構に広く関わるサイトカインであり免疫機能亢進作用や抗腫瘍作用等有益な作用を示す一方で、発癌プロモーション作用や悪液質の誘導等有害な作用をも併せ持つ。そこで、TNF-の産生をある局面では促進し、又他の局面では抑制し得るような薬物開発がTNF-を標的とした生物応答調節剤創製の観点から、又TNF-の産生制御機構解明の観点から重要と考えた。

 リード化合物として"サリドマイド"に着目した。サリドマイドは催奇形性の副作用のために市場撤退した催眠剤であるが、決して過去の歴史の中に葬られた医薬ではなく、現在その有用性が再認識され再び注目されている薬物である。そしてその作用はTNF-の産生調節にあるとされている。サリドマイドの催奇形性については未だ明快な科学的解答が無いが、その高い種特異性から代謝物が催奇形性発現の本体である疑いが濃い。サリドマイドの有効な薬効がTNF-産生調節活性にあるのならば、この活性を指標にしての"ニューサリドマイド"の創製が可能であると考えた。

(サリドマイドの二方向性TNF-産生調節作用)

 サリドマイドはTNF-産生を抑制するとの報告が多いが、必ずしも定量性、再現性のある実験系で認められたものではない。そこで評価系の構築から着手した。迅速かつ安定した結果の得られる一次評価系が必要である事から、培養白血病細胞株のHL-60を選択した。刺激剤には代表的発癌プロモータ-を検討した。HL-60は発癌プロモータ-刺激に鋭敏に反応しTNF-産生を示したので、応答の良いTPA及びオカダ酸(OA)を用いた評価系を構築した。この評価系を用いてサリドマイドを検定すると、サリドマイドが刺激剤及び細胞種特異的な二方向性のTNF-産生調節作用を示す事を見出した。TPA/HL-60系ではTNF-産生促進剤として作用し、OA/HL-60系では産生抑制剤として作用している。しかし他の白血病細胞株であるTHP-1の場合には何れの刺激剤を用いても産生抑制作用を示した。

(サリドマイドの構造展開)

 これらの知見を踏まえて更に強力なTNF-産生調節剤の創製を目指した。構造展開戦略は、サリドマイドの催奇形性にはグルタルイミド環部分の構造とその代謝物に依存する事が推定されていたので、N-フェニルフタルイミドを基本とする構造修飾を行った。その結果、ベンゼン環の二つのオルト位への疎水性の嵩高い置換基導入がTNF-産生調節作用には重要である事が判明した。特に2,6-ジイソプロピル体17はサリドマイドを遥かに凌ぐTNF-産生調節剤であった。興味深い化合物は17をテトラフルオロ化した23である。この化合物はナノモルオーダーの薬用量でTNF-の産生調節作用を示した。この様にして活性の強度という点からは概ね満足できる化合物を創製する事に成功した。

(二方向性TNF-産生調節作用の構造展開による分離)

 今後の医薬化学及び作用機構研究の観点から重要な次なる課題は二方向性調節作用の分離にある。フタルイミド誘導体のTNF-産生調節作用の構造活性相関は類似しており、平面的な分子の形状変換による作用の分離には限界を感じ、化合物の電子的性質の変換による作用の分離を期待した。その結果、産生促進に関しては電子吸引性のニトロ基の導入により活性が向上し、電子供与性基の導入は活性を落とした。逆に産生抑制に関しては電子吸引性基の導入は活性を下げ、一方特に5位へ電子供与性の水酸基の導入が抑制活性を向上させる事が判明した。このように電子的性質の変換により二方向性調節作用をある程度分離した化合物を得る事に成功した。これらの結果は、産生促進と産生抑制の各系で化合物の形状や電子的な性質が厳密に認識されている、即ち、別々の薬物受容体が存在する事を示唆していると考える。一般に薬物受容体は光学活性な生体内高分子である。そこで光学活性な化合物をデザインする事により作用の特異性を上昇させ得ると考えた。

 サリドマイドはラセミ体で用いられ、光学活性と薬理作用の関係が議論されていた。化学的には不斉炭素に結合した水素の産生は高く容易にラセミ化が起こると考えられ、実際通常の生物検定系では光学活性体間の生物作用の差を検出できなかった。そこで光学的に安定な光学活性メチルサリドマイドを合成して調べると、TPA/HL-60系では(S)-体のみが促進活性を示し(R)-体は不活性である事が、一方OA/HL-60系では(R)-体の方が(S)-体よりも強い抑制活性を示すという二方向性調節作用の立体選択性を示す事を見出した。光学活性の導入により作用の完全分離の可能性を示す事ができたので、これまでの構造活性相関の知見を踏まえ更なる構造修飾を行った。作用増強の期待されるテトラフルオロフタルイミド骨格を有する光学活性化合物を評価するとやはり二方向性調節作用の立体選択性が認められた。特に33や35は0.3Mという低濃度でTNF-の産生をほぼ完全に抑制し、同薬用量で促進活性を示さない優れたTNF-産生抑制剤であった。一方42はTNF-の産生抑制作用を示さない強力なTNF-産生促進剤であった。これらの化合物を見出した事により、TNF-産生調節機構解析の上でも、又TNF-を標的とする生物応答調節剤開発を行う上でも優れたプローブ或いはリードを提供できたと考える。二方向性の作用機構としては薬物受容体として産生促進に関与する因子と、それとは別の抑制に関与する因子の存在を考える事により説明できると考えている。現在この仮想的蛋白性因子の候補の探索を行っている。手法としては作用の特異性に優れた33と34をリガンドとするアフィニティゲルを調製し、それに結合する蛋白を探索するという方法を試みている。SDS-PAGEからは、(R)-体と(S)-体由来のゲルの両方に特異的結合が認められるバンド、片方のみに特異的に認められるバンド等が検出されている。これらの蛋白質がTNF-産生制御機構の中枢に位置している事を期待して実験を進めている。

(TNF-産生調節剤の抗アンドロゲン作用)

 TNF-は内因性の発癌プロモーターであると報告されている。一方、重要な内因性発癌プロモーターとしてアンドロゲンやエストロゲンがある。近年、ホルモン依存性の癌患者が増加し、抗ホルモン剤の癌治療への展開が図られている。例えば乳癌治療に抗エストロゲン剤のタモキシフェンが用いられている。更にタモキシフェンにはTNF-産生抑制作用も認められ、タモキシフェンの抗癌剤としての有効性にこの作用も寄与していると推測されている。それならば抗アンドロゲン剤もTNF-産生抑制作用を合わせ持てばより有効な前立腺癌治療薬になるのではないかと考えた。そこで抗アンドロゲン剤フルタミドのTNF-産生抑制作用を調べたが活性は認められなかった。ところで、TNF-とアンドロゲンはその生物活性に類似性が見て取れる。又フタルイミド誘導体は非ステロイド性抗アンドロゲン剤と構造上の類似性も認められる。そこでこれらのフタルイミド誘導体中に抗アンドロゲン作用を示す化合物がある事を期待した。活性評価はCATアッセイによるアンドロゲン受容体の活性化阻害効果、及びアンドロゲン依存的に増殖するSC-3細胞の増殖抑制効果を観ることで行った。その結果、テトラフルオロフタルイミド誘導体の中にフルタミド以上の抗アンドロゲン作用を示す化合物がある事が判明した。CATアッセイの結果とSC-3の増殖抑制は良い相関を示しており、これらの化合物はフルタミドと同様核内アンドロゲン受容体に直接作用する拮抗薬であると推測する。

 一方、抗アンドロゲン作用とTNF-産生抑制作用の相関は乏しい。例えば、強い抗アンドロゲン作用を示した34,36は0.3Mの薬用量ではTNF-産生抑制作用を示さなかった。更にTNF-産生抑制作用には明確な立体選択性が認められるが、抗アンドロゲン作用には立体選択性は認められず、各エナンチオマーとも同等の抗アンドロゲン作用を示した。

 強いTNF-産生抑制作用を示す33,35及び37には抗アンドロゲン作用も認めらた。アンドロゲンもTNF-も共に癌の増悪因子である事を考えると、これらの化合物は"抗アンドロゲン作用とTNF-産生抑制作用の両作用を合わせ持つ新規前立腺癌治療薬"という新しいコンセプトの抗癌剤のプロトタイプとして興味深いと考えている。

(まとめ)

 以上私は新規生物応答調節剤の創製を目的としてサリドマイドに着目し、構造修飾を展開した結果、ナノモルオーダーの薬用量で二方向TNF-産生調節作用を示すテトラフルオロフタルイミド誘導体を見出した。

 またこれらの化合物のTNF-産生調節に関わる二方向性の作用の分離にも成功し、TNF-産生抑制活性のみをもつテトラフルオロフタルイミド誘導体及び選択的なTNF-産生促進活性のみをもつテトラフルオロフタルイミド誘導体をそれぞれ創製した。

 更にはTNF-産生調節剤中に抗アンドロゲン作用を示す化合物をも見出した。これらのフタルイミド系生物応答調節剤をプローブとしたTNF-の産生制御機構解明という基礎研究及び医薬としての応用研究が期待される。

審査要旨

 サリドマイド(1)は催奇形性のために市場撤退した薬物として有名であるが、近年、本薬のエイズをはじめとする種々の難治性疾患に対する有効性が注目されている。同薬効は、本薬の持つTNF-生産抑制活性に基づくとされているが、その活性は科学的に不明確であった。

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 宮地弘幸は、よりすぐれたTNF-生産調節剤の創製を目指し、サリドマイドをリードとした医薬化学研究を展開した。

1.発見

 本研究開始に当たり宮地弘幸は、サリドマイドのTNF-生産調節作用を科学的に明確にすべく生物検定系を構築した。その結果、サリドマイドのTNF-生産調節作用が、細胞種ならびに細胞刺激剤に依存する2方向性のものである事を証明した。

 すなわち、サリドマイドは同一の細胞刺激剤を用いても細胞種によってそのTNF-生産を抑制もしくは促進すること、同一の細胞種においても細胞刺激剤の種類によってTNF-の生産を抑制または促進することを発見した。

2.構造展開

 次いで、宮地弘幸は、サリドマイドの構造を大胆に改変して母化合物にはるかに勝る2方向性TNF-生産調節活性を持つ一連のフタルイミド誘導体を創製した。構造活性相関を明確にし、FPP-33(2)やPPS-33(3)などの優れたTNF-生産調節剤を創製した。

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3.2方向性TNF-生産調節作用の分離

 さらに宮地弘幸は、サリドマイド及び自ら創製した化合物群のTNF-生産調節作用にかかわる2方向性が、光学活性に依存することを見いだした。本知見ならびに蓄積した構造活性相関に関する知見をもとに新たな化合物をデザインして合成し、2方向性TNF-生産調節作用の完全分離に成功した。すなわち、TNF-生産促進活性をまったく持たずに強力な生産抑制作用を有する純粋なTNF-生産抑制剤[例えば(R)-FPTP(4)]ならびに強力かつ純粋なTNF-生産促進剤[例えば(S)-FP13P(5)]の創製に成功した。

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 宮地弘幸はさらに以上の結果から、サリドマイド及び自ら創製した化合物群のTNF-生産調節作用にかかわる薬物受容体として、2種の結合蛋白の存在を想定した分子作用機構を仮説として提唱している。

4.非ステロイド型抗アンドロゲンへの展開

 加えて宮地弘幸は、これまで顧みられなかったサリドマイドとアンドロゲンの生物作用的および構造的な類似性に気づき、TNF-生産抑制活性を合わせ持つ非ステロイド型抗アンドロゲンの創製研究に着手し、いくつかの強力な抗アンドロゲン(6-8)の創製に成功している。

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 以上の研究は、近年社会薬学的にも大きな問題となっているサリドマイド様医薬の開発ばかりでなく、TNF-生産抑制作用を合わせ持つ抗アンドロゲン剤という新しいコンセプトに基づく医薬開発に対して確実な科学的基盤を付与するものである。本研究は医薬品化学、分子設計学の発展に寄与するものとして、博士(薬学)の学位論文に値するものと認めた。

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