サリドマイドによるヒトでの奇形発生を契機として、新規な医薬品あるいは農薬の開発にあたり奇形学的検討がおこなわれるようになったが、臨床試験にて催奇形性の有無を検討することは倫理上できないため、動物実験の結果を外挿してヒトのリスクを的確に予測することが求められる。しかし、実験動物において異常を誘発する因子は1000を超えるが、ヒトでの奇形誘発が確認されている因子は30あまりにしかすぎない。食塩でも実験動物において奇形を誘発することが知られている。ヒトでの安全性を的確に評価することは、有益な化学物質を安全に使用する上で極めて重要な課題である。現在、実験動物での結果からヒトでのリスクを的確に予測する普遍的な方法はないが、農薬の場合、ヒト推定暴露量と動物実験における催奇形量を比較し、その比が100を上回るか否かで判断することが、古くから簡便な方法として多用されてきた。しかし、科学的根拠に基づいたものではなく、ヒトでの発生毒性発現の予知性をさらに向上させるためには、発生毒性の発現機序に基づきヒトでも起こり得るものか否かを判断し、ヒトでも起こり得る場合ヒトと動物でその機序が惹起される量にどれほどの差があるかを勘案することが、より的確にヒトでの安全性を評価する上で重要となる。しかしながら、実験動物に発生毒性を示す多くの化学物質、とりわけ哺乳動物に対する活性が不明な農薬は、ほとんどの場合その発現機序は明らかでない。 S-53482はN-フェニルイミド系の化合物で広葉雑草に対し卓越した殺草活性を持ち、ダイズ用除草剤としての有用性が期待される。S-53482の安全性評価の一環としてラットの催奇形性試験を実施したところ胎児致死作用、催奇形作用および発育抑制作用が認められた。一方、ウサギにおいて発生毒性は認められなかった。本研究において、S-53482のヒトでの安全性評価をより的確に行うために、ラットにおける発生毒性の発現機序ならびに種差の原因を検討し、ヒトと実験動物との感受性を比較評価するin vitro系を確立した。 1.S-53482により誘発される発生毒性の特徴(1)発生毒性発現の種差 ラットにS-53482の30mg/kgを胎児の器官形成期(妊娠6日より15日)に経口投与し、出産直前(妊娠20日)に胎児を帝王切開にて摘出し、次世代に及ぼす影響を検討したところ、胎児致死作用、催奇形作用(心室中隔欠損および波状肋骨等の誘発)および発育抑制作用が認めれれた。一方、ウサギに3000mg/kgを胎児の器官形成期(妊娠7日より19日)に経口投与しても胎児に対して影響はなく、発生毒性の発現に顕著な種差がみられた。 (2)類縁化合物間にみられる発生毒性発現の差違 S-53482の構造類縁化合物であるS-23121ならびにS-23031をラットの器官形成期に経口投与した結果、S-23121はS-53482と同じタイプの発生毒性を20mg/kgで誘発したが、S-23031は1500mg/kgにおいても発生毒性を誘発せず、薬剤間にも著しい差が存在した。 (3)発生毒性発現の感受期 胎児の発生段階に応じて催奇形物質に対する胎児の感受性は異なる。ラットの妊娠11日から15日までの各日にS-53482の400mg/kgを単回経口投与し、胎児死亡、心室中隔欠損および低胎児体重が誘発される感受期を特定した。いずれの観察項目とも妊娠12日に最も強く影響があらわれた。直接心臓に作用して心室中隔欠損を誘発する化学物質は、通常感受期のピークが妊娠12日以前にある。心室中隔は中隔を形成する部位が接近し癒合することで室間孔が閉鎖して完成するが、S-53482投与により心室中隔はこの癒合部位で欠損する。この遅い感受期と欠損部位から、S-53482により心室中隔を形成する部位の位置にずれが生じ癒合できないために、心室中隔欠損として認められた可能性が示唆された。また、各観察項目の感受期が一致していることから、各発生毒性作用は共通した機序により引き起こされていることが示唆された。 2.プロトポルフィリンIXの蓄積 S-53482はポルフィリン合成酵素の一つであるプロトポルフィリノーゲン酸化酵素(PPO)を阻害し、プロトポルフィリンIX(PPIX)を植物細胞内に蓄積させる。PPIXの光増感作用により活性酸素が生じ生体膜の損傷などが引き起こされ、植物は死に至る。ポルフィリン合成経路はヘムおよびクロロフィル合成経路の主要部分を構成し動植物に共通していることから、S-53482の発生毒性とPPO阻害との関連性を、PPO阻害の結果蓄積すると考えられるPPIXを測定することにより検討した。 (1)PPIX蓄積の種差 S-53482の1000mg/kgを発生毒性の感受期である妊娠12日にラットおよびウサギに投与し経時的に胎児および母体肝におけるPPIXを測定した。ラット胎児には、投与後12時間をピークとしてPPIXが著しく蓄積したが、ウサギ胎児には蓄積しなかった。母体肝においても胎児に比較して低濃度ではあるがラットには蓄積し、ウサギには蓄積しなかった。 (2)PPIX蓄積の薬剤間における差 S-53482、S-23121ならびにS-23031を妊娠12日のラットに1000mg/kg投与し、14時間後にPPIXを測定した。S-53482とS-23121において顕著なPPIXの蓄積が胎児に認められたが、S-23031ではPPIXの蓄積は認められなかった。母体肝においてもS-53482とS-23121に蓄積する傾向がみられた。 (3)PPIX蓄積の感受期 妊娠10日から15日までの各日にラットには400mg/kgを、ウサギには1000mg/kgを単回投与し、14時間後のPPIXを測定した。ラットにおいて胎児へのPPIX蓄積と発生毒性の感受期はほぼ相関した。ウサギではいずれの日にも蓄積はみられず、S-53482に対して非感受性であることが確認された。 以上の結果、種差、薬剤差ならびに感受期に関して、胎児へのPPIXの蓄積は発生毒性の発現と極めてよく相関しており、発生毒性の原因として胎児PPOの阻害とそれに伴う胎児ヘム合成の阻害が示唆された。肝は胎児と同様な反応をした。 3.初期病的発生過程に関する病理組織学的研究 S-53482の1000mg/kgをラットおよびウサギの妊娠12日に投与し、胎児の病理組織学的な検索を経時的におこなった。投与6時間後にはヘモグロビン合成が盛んな多染性赤芽球のミトコンドリアに鉄の沈着が認められ、ヘム合成阻害により余剰となった鉄が蓄積したものと考えられた。その後、変性した赤芽球が循環血中に出現した後、貧血に対する代償性の変化である心拡張を示唆する心室壁の菲薄化が認められた。ウサギにはS-53482投与の影響はみられなかった。 これまでに得られた結果から次のような仮説を立てた。PPOの阻害によりヘム合成が抑制され、赤芽球が変性し、胎児が貧血状態に陥る。胎児貧血に対する適応性変化として心拍出量を増大させるために心拡張が惹起される。この機械的歪みあるいは異常な血液動態により心室中隔欠損が引き起こされる。また、貧血に伴う肝機能の低下によりタンパク合成が低下し浮腫ならびに波状肋骨を誘発する。 4.発生毒性発現機序 この仮説を検証するために、S-53482の400mg/kgをラットの妊娠12日に投与し、経日的に胎児を摘出し、外形から心拡張および浮腫の有無を観察するとともに臍帯より採血し、赤血球数、ヘモグロビン量および血清タンパク量を測定した。胎児は固定し室間孔の閉鎖の有無及び肋骨の形状を観察した。心臓の拡張および浮腫が妊娠14〜16日に認められ、同じ時期に赤血球数、ヘモグロビン量および血清タンパク量のいずれもが著しく減少した。心臓の室間孔の閉鎖は遅延し、妊娠末期においても開存している胎児が心室中隔欠損として観察されたものと考えられた。肋骨も化骨が遅延し、妊娠末期に波状を呈した。 以上より、S-53482によるPPO阻害を原因として胎児が貧血に陥り、死に至るあるいは生存したものでも代償性の心拡張による心室中隔欠損を呈し、発育も遅れるなどの発生毒性があらわれたものと考えられた。 5.プロトポルフィリノーゲン酸化酵素の阻害 S-53482によるPPO阻害を検討したところ、PPOの阻害は発生毒性と大略対応していた。また、酵素阻害の程度に肝と胎児のPPOの間で相関性があり、肝PPOの性質は胎児のPPOと相関性があるものと思われた。これより、S-53482による発生毒性についてヒトと実験動物における感受性を比較評価可能なin vitro系として肝PPO阻害試験系を確立した。 ヒト、ラットおよびウサギの肝PPOに対しS-53482はラットPPOを最も強く阻害し、次いでヒトPPO、ウサギPPOの順に阻害したことから、ヒトの安全性評価に際してはラットの結果を基にリスク評価を行うことがより的確と考えられた。 結論 N-フェニルイミド系除草剤S-53482によりラットに胎児致死作用、催奇形作用および発育抑制作用が認められた。この発生毒性は、PPO阻害により胎児が貧血に陥り、死に至る、あるいは生存しても代償性の心拡張による心室中隔欠損や発育抑制が惹起される結果と考えられた。発生毒性の種差が酵素阻害の種差に起因することより、S-53482による発生毒性に対する感受性をヒトと実験動物とで比較評価可能なin vitro系を確立した。 |