学位論文要旨



No 213806
著者(漢字) 宮本,昌志
著者(英字)
著者(カナ) ミヤモト,マサシ
標題(和) 代謝調節型グルタミン酸受容体の生理機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 213806
報告番号 乙13806
学位授与日 1998.04.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第13806号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長尾,拓
 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 教授 桐野,豊
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 助教授 岩坪,威
内容要旨 緒言

 L-グルタミン酸は哺乳類中枢神経系の主な興奮性神経伝達物質の一つと考えられており、神経伝達や記憶・学習または脳の発達の過程等に重要な役割を担っている。また、神経細胞のグルタミン酸受容体を過度に刺激すると興奮毒性を呈することから、てんかん・脳虚血後の神経細胞死・パーキンソン病等における神経変性の生体内原因物質の一つとしても考えられている。グルタミン酸受容体は大別して、イオンチャンネルを形成するイオンチャンネル型グルタミン酸受容体(iGluR)と、Gタンパクと共役し細胞内2次メッセンジャー系を介して機能する代謝調節型グルタミン酸受容体(mGluR)の2種類があることが知られている。iGluRは更にNMDA型・AMPA型・カイニン酸型受容体の3種に細分され、それぞれ数種のサブユニットがクローニングされているが、iGluRに関しては様々なアゴニスト・アンタゴニストが開発されていることもあり、研究が先行している。一方mGluRは現在までに8つのサブタイプ(mGluR1〜mGluR8)がクローニングされており、それらはGroupI(mGluR1,5)・Group II(mGluR2,3)・Group III(mGluR4,6,7,8)の3つのグループに細分されている。Group I mGluRの活性化はイノシトール三燐酸(IP3)の生成と細胞内Ca2+動態の変動を起こす。これに対して、他のグループでは全て、フォルスコリンで誘発した細胞内cAMPの生成を抑制することが知られているが、Group IIとGroup IIIはアゴニストの選択性によって分けられている。mGluRに関しては選択的アゴニスト・アンタゴニストの開発が遅れたこともあり、その機能にはまだ不明な点が多い。

 そこで、篠崎らが開発した強力なmGluRアゴニストを用いて、特にin vivoにおける実験を中心にmGluRの生理機能の解明を行った。その中の一つ、(2S,1’R,2’R,3’R)-2-(2,3-dicarboxycyclopropyl)glycine(DCG-IV)(図1)はGroup II mGluRの選択的且つ強力なアゴニストであり、膜電位感受性Ca2+電流を抑制することで神経終末からの神経伝達物資の遊離を抑制することが、種々のin vitroの実験から明らかにされている。

図1.篠崎らが開発したmGluRアゴニストL-CCG-I・DCG-IVの構造
1.ラットにおけるmGluRアゴニストによるハロセン麻酔の睡眠延長

 一般的に中枢抑制作用を示す薬物は麻酔の作用を増強することが知られているが、DCG-IVをラット側脳室内に投与すると、極く低用量の30-300pmolで用量依存的にハロセン麻酔からの回復時間を延長させた。用量を上げて1nmolにすると軽度の振戦やwet-dog shakes(WDS)等の弱い中枢興奮作用が発現し、ハロセン麻酔からの回復時間延長作用は逆に減弱した(図2)。即ち、DCG-IVの中枢抑制作用はベル型の用量作用曲線を示した。mGluRアゴニストとして従来から使用されてはいたが、全てのGroupを活性化させる非選択的アゴニスト(1S,3R)-1-aminocyclopentane-1,3-dicarboxylic acid[(1S,3R)-ACPD]や、Group II mGluRアゴニストとしての効力や選択性がDCG-IVより低い(2S,1’S,2’S)-2-(carboxycyclopropyl)glycine(L-CCG-I)は、100nmolを投与してはじめて回復時間延長作用が認められた。この中枢抑制作用の強さはin vitroで報告されているGroup II mGluRアゴニスト活性と平行していた。以上からGroup II mGluRを活性化すると中枢抑制作用を示すことが明らかとなった。

図2.mGluRアゴニストによるハロセン麻酔からの回復時間の延長それぞれ4から5例の平均値±標準誤差を表す。P<0.05,★★P<0.01コントロールに比較して有意。分散分析の後2-side least significant difference multiple comparison testを用いて検定した。
2.DCG-IVにより誘発される中枢興奮と神経細胞死

 一方、DCG-IV3nmol以上の用量になると中枢興奮作用が強くなり、50nmolでは投与した全てのラットに痙攣が誘発された。この用量では投与1週間後には海馬・皮質帯状葉・中隔側背部等に神経細胞死が観察された。L-CCG-Iや(1S,3R)-ACPDでは1molの高用量を投与すると、軽度の中枢興奮作用が観察されたものの、神経細胞死は見られなかった。高い用量のDCG-IVはNMDA受容体も活性化することが明らかにされており、高用量で観察された中枢興奮作用が、NMDA受容体の活性化を介したものであることも考えられた。そこでNMDAの興奮毒性を抑制できる十分な量(300pmol)の、NMDA受容体の競合的アンタゴニストである3-[(RS)-2-carboxypiperazin-4-yl]propyl-1-phosphonic acid(CPP)を同時に投与しても、DCG-IV50nmolの中枢興奮作用は一部しか抑制する事ができず、完全に抑制するためにはCPP3nmol以上必要であった。従ってDCG-IVの中枢興奮作用は単にNMDA受容体を活性化するのみでなく、Group II mGluRとNMDA受容体の活性化の協調によって誘発されている可能性が考えられた。

3.カイニン酸の興奮毒性に対するDCG-IVの抗痙攣及び神経細胞保護作用

 DCG-IVが示した中枢抑制作用の性質を詳細に調べるため、抗痙攣作用について検討した。iGluRの最強のアゴニストの一つであるカイニン酸を、ラットの脳室内に投与すると、投与直後は過呼吸やwet-dog shakes(WDS)などの興奮状態が観察され、更に1時間ほどすると辺縁系痙攣が数分間隔で起こるようになった(散発的辺縁系痙攣)。時間と共にこの辺縁系痙攣が絶え間なく起こるようになり(持続的辺縁系痙攣)、激しいものは強直性痙攣が誘発された。この痙攣は数時間持続し、カイニン酸投与後1週間経過したラットの脳には、海馬CA3・大脳辺縁系・膝状体内側部で重度の神経細胞死が観察され、海馬CA1・中隔・視床内側部・視床側背部等には軽度神経細胞死が見られた。中枢抑制作用を示す低用量のDCG-IVの単回投与では、カイニン酸による痙攣をほとんど抑制することができなかった。そこで、浸透圧ポンプを用い、極く低用量のDCG-IV(8-2400pmol/h)を持続的に(17時間前から)側脳室内に適用しながら、カイニン酸を投与した(投与後7時間までDCG-IVを持続投与)。8-2400pmol/hのDCG-IV投与それ自体では、ラットに目立った行動上の変化は観察されなかった。カイニン酸投与によるWDSや散発的辺縁系痙攣の発現は抑制されなかったが、DCG-IV80pmol/hにおいて持続的辺縁系痙攣の発現が抑制された。DCG-IV240pmol/h以上では痙攣抑制作用は減弱した(表1)。

表 1.DCG-IVを側脳室内に持続投与しながらカイニン酸2nmol/ratを脳室内投与したときに誘発される痙攣。投与量を除き数字はラットの数を表す。*ACSF群に比較して有意(p<0.01,chi-square test). ACSF:人工脳脊髄液

 また、DCG-IV24,80pmol/hの持続投与により皮質帯状葉・中隔・扁桃核・視床・膝状体内側部でのカイニン酸誘発神経細胞死が軽減された。更に、驚くべきことにDCG-IV24pmol/hにおいては、カイニン酸に最も脆弱である海馬CA3領域の錐体細胞の変性を軽減した。DCG-IV240pmol/h以上の用量では、幾つかの部位でカイニン酸誘発神経細胞死がわずかに軽減されたが、海馬CA1領域の錐体細胞の変性の程度はむしろコントロール群より悪化した。また、カイニン酸の興奮毒性を軽減したDCG-IV24,80pmol/hの持続投与では、10分間の脳虚血再灌流によって起こる、ラット海馬CA1領域の錐体細胞の遅延細胞死は全く抑制できなかった。以上のことからDCG-IVによるGroup II mGluRの持続的な活性化は、痙攣を減弱させ、部位特異的な神経細胞保護作用を示すことが明らかとなった。

4.ラット扁桃核キンドリングに対するDCG-IVの抗痙攣作用

 Group II mGluRの活性化が痙攣を減弱することが示されたため、ラット扁桃核キンドリングに対するmGluRアゴニストの抗痙攣作用を検討した。脳内に電極を埋め込み、単回では痙攣を誘発しない弱い電気刺激を繰り返し与えると、てんかん様反応が進行性に増強し、最終的には同じ弱い刺激により二次性全汎化発作へと発展するが、この現象をキンドリングと呼ぶ。刺激により二次性全汎化発作が必ず起こるようになった状態を完成したキンドリングと呼び、電気刺激を長期間休止しても再開により直ちに全汎化発作が起こるのが特徴である。そのためてんかんのモデルとして、また中枢神経の可塑性の研究対象として広く研究されているが、完成したキンドリングを比較的容易に作成できることから扁桃核刺激が多用されている。L-CCG-I500nmolの脳室内投与ではキンドリングの発達は抑制されなかったが、完成したキンドリング痙攣がL-CCG-I500nmolの投与により完全に抑制される例が見られた。DCG-IV80pmol/hを持続的に12日間投与しながら扁桃核の刺激を行ってもキンドリングは正常に発達した。一方、キンドリングが完成したラットにDCG-IV80pmol/hを持続投与すると、扁桃核刺激による痙攣が軽減され、扁桃核から記録される後発射電位の持続時間も著しく短縮された。以上から、Group II mGluRの活性化はキンドリング痙攣の発達には影響しないが、完成したキンドリング痙攣を抑制することが示唆された。

総括

 Group II mGluRアゴニストは中枢抑制作用を示すことが明らかとなった。Group II mGluRアゴニストであるDCG-IVは極めて低用量で中枢抑制作用を示したが、意識の喪失を伴うような非特異的な抑制作用ではなく、それ自体では一般行動に大きな影響を与えないものであった。更に、DCG-IVは一般行動に影響を与えない程度の極めて低用量の持続投与により、部位特異的な神経細胞保護作用や抗痙攣作用を示した。抗痙攣作用も完成したキンドリング痙攣やカイニン酸による持続的な辺縁系痙攣のような特定の場合にのみ顕著に現れる可能性が示された。これらのDCG-IVの作用は、Group II mGluRの活性化により、神経終末からの神経伝達物質(グルタミン酸)の過剰な遊離を抑制するためと考えられる。更に、神経細胞に流れ込むCa2+電流を抑制することで、直接的に神経細胞に対し保護作用示した可能性もある。これらの研究成果は、Group II mGluR活性化の観点から新たな抗痙攣薬・神経保護薬などの薬物の開発を行うことの意義を強調するものである。

審査要旨

 L-グルタミン酸は哺乳類中枢神経系の主な興奮性神経伝達物質の一つと考えられており、その受容体には、イオンチャンネル型グルタミン酸受容体(iGluR)と、代謝調節型グルタミン酸受容体(mGluR)の2種類があることが知られている。様々なアゴニスト・アンタゴニストが開発されている事などから、iGluRは比較的研究が進んでいる。mGluRは現在までに8つのサブタイプ(mGluR1〜mGluR8)がクローニングされており、2次メッセンジャー系の差・アゴニストの選択性の違いにより、GroupI(mGluR1,5)・Group II(mGluR2,3)・Group III(mGluR4,6,7,8)の3つのグループに細分されている。選択的アゴニスト・アンタゴニストの開発が遅れたこともあり、mGluRの機能には不明な点が多かった。近年篠崎らは、2-(carboxycyclopropyl)glycine(CCG)の誘導体から数種の強力なmGluRアゴニストを開発した。その中の一つ、(2S,1’R,2’R,3’R)-2-(2,3-dicarboxycyclopropyl)glycine(DCG-IV)はGroup II mGluRの選択的且つ強力なアゴニストであり、膜電位感受性Ca2+電流を抑制して神経終末からの神経伝達物資の遊離を抑制することが、in vitroの実験から明らかにされている。本研究は、これらのアゴニストを用いて、特にin vivoにおける実験を中心に、mGluRの生理機能の解明を行ったものである。

1.ラットにおけるmGluRアゴニストによるハロセン麻酔の睡眠延長

 まず、mGluRアゴニストを投与した際のラットの行動変化を調べた。DCG-IVを側脳室内に投与すると、極く低用量の30-300pmolで用量依存的にハロセン麻酔からの回復時間を延長させた。用量を1nmolにすると弱い中枢興奮作用が発現し、ハロセン麻酔からの回復時間延長作用は逆に減弱した。即ち、DCG-IVの中枢抑制作用はベル型の用量作用曲線を示した。非選択的mGluRアゴニスト(1S,3R)-1-amino-cyclopentane-1,3-dicarboxylic acid[(1S,3R)-ACPD]や、Group II mGluRアゴニストとしての効力や選択性がDCG-IVより低い(2S,1’S,2’S)-CCG(L-CCG-I)は、100nmolではじめて回復時間延長作用が認められた。この中枢抑制作用の強さはin vitroで報告されているGroup II mGluRアゴニスト活性と平行していた。即ち、Group II mGluRを活性化すると中枢抑制作用を示すことが明らかとなった。

2.DCG-IVにより誘発される中枢興奮と神経細胞死

 DCG-IVの投与量を上げた際の中枢興奮作用について検討した。DCG-IVの投与量を50nmolに上げると、痙攣及び部位特異的な神経細胞死が誘発された。この作用はNMDA受容体の活性化を介したものとも考えられた。しかし、NMDAの興奮毒性を抑制できる量の、NMDA受容体アンタゴニストである3-[(RS)-2-carboxy-piperazin-4-yl]propyl-1-phosphonic acid(CPP)では、DCG-IV50nmolの中枢興奮作用は一部しか抑制されず、完全に抑制するには高用量のCPPを要した。従ってDCG-IVの中枢興奮作用はNMDA受容体を活性化するのみでなく、Group II mGluRとNMDA受容体の活性化の協調によって誘発されている可能性が考えられた。

3.カイニン酸の興奮毒性に対するDCG-IVの抗痙攣及び神経細胞保護作用

 低用量のDCG-IVによる中枢抑制作用を更に検討するため、カイニン酸(KA)を投与した際に見られる痙攣や神経細胞死に対する作用について検討した。KAをラットの脳室内に投与すると、wet-dog shakes(WDS)などの興奮状態がみられ、1時間程すると辺縁系痙攣が数分間隔で起こり(散発的辺縁系痙攣)、時間と共にこの辺縁系痙攣が絶え間なく起こるようになった(持続的辺縁系痙攣)。KA投与1週間後には、海馬CA3・大脳辺縁系・膝状体内側部で神経細胞死が観察された。DCG-IVの単回投与では、KAによる痙攣を抑制することができなかったため、浸透圧ポンプを用いて、低用量のDCG-IVを持続的に側脳室内に適用しながら、KAを投与した。DCG-IVの持続投与それ自体では、ラットに目立った行動上の変化は観察されなかった。KA投与によるWDSや散発的辺縁系痙攣の発現は抑制されなかったが、DCG-IV80pmol/hにより持続的辺縁系痙攣の発現が有意に抑制された。また、DCG-IV24,80pmol/hの持続投与により大脳辺縁系・膝状体内側部でのKA誘発神経細胞死が軽減された。更に、KAに最も脆弱である海馬CA3領域の錐体細胞の変性も軽減された。即ち、DCG-IVによるGroup II mGluRの持続的な活性化は、KAによる痙攣を減弱させ、部位特異的神経細胞保護作用を示すことが明らかとなった。

4.ラット扁桃核キンドリングに対するDCG-IVの抗痙攣作用

 Group II mGluRの活性化が抗痙攣作用を示したため、ラット扁桃核キンドリングに対するmGluRアゴニストの抗痙攣作用を検討した。L-CCG-I(500nmol)の脳室内投与ではキンドリングの発達は抑制されなかったが、完成したキンドリング痙攣がL-CCG-I投与により完全に抑制される例が見られた。DCG-IV80pmol/hを持続的に投与しながら扁桃核刺激を行ってもキンドリングは正常に発達した。一方、キンドリングが完成したラットにDCG-IV80pmol/hを持続投与すると、扁桃核刺激による痙攣が軽減された。以上から、GroupIImGluRの活性化はキンドリング痙攣の発達には影響せず、完成したキンドリング痙攣を抑制することが示唆された。

 以上よりGroup II mGluRアゴニストは中枢抑制作用を示すことが明らかとなった。DCG-IVは極めて低用量で中枢抑制作用を示したが、意識の喪失を伴うような非特異的なものではなく、それ自体では一般行動に大きな影響を与えないものであった。更に、DCG-IVは一般行動に影響を与えない程度の低用量の持続投与により、部位特異的な神経細胞保護作用や抗痙攣作用を示した。抗痙攣作用も完成したキンドリング痙攣やKA誘発の持続的辺縁系痙攣のような特定の場合にのみ顕著に現れる可能性が示された。これらの作用は、Group II mGluRの活性化により、神経終末からの神経伝達物質(グルタミン酸)の過剰な遊離を抑制するためと考えられる。

 本研究の成果は、代謝調節型グルタミン酸受容体の生理学的機能の解明に大いに貢献し、Group II mGluR活性化の観点からの新たな抗痙攣薬・神経保護薬などの創薬に寄与すると考えられ、博士(薬学)の学位を授与するに値すると認めた。

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