遠心分離法の次のウラン濃縮法として、現在開発が進められている原子レーザー法同位体分離においては、レーザー光のターゲット蒸気への照射効率を向上させ、レーザー光およびターゲット蒸気を有効に利用することが、その経済性を向上させるために重要である。このため本研究では、主として原子レーザー法同位体分離用のレーザー照射光学系をはじめとする光学機器の設計・開発へ寄与することを目的として、波動光学的手法を用いてレーザー光の強度分布を制御することのできる新しい光学技術の開発を目指した。具体的には円形断面のガウスビームから四角形均一強度ビームへの変換を一例として取り上げて、 1)高出力レーザー光の強度分布制御の可能性の理論的な評価 2)強度分布変換に必要とされるミラー面の汎用的な設計プログラムの作成と評価 3)デフォーマブルミラー(表面形状可変鏡)を用いたレーザー光の強度分布制御装置の製作と評価 4)強度分布変換に適用可能な加工ミラーの製作と評価 について実施した。これにより、高出力レーザー光の強度分布変換および制御に関し必要とされる基盤技術を確立できた。論文は6つの章と結論からなり、各章で実施した内容と得られた成果の概要を以下に示す。 第1章では、本研究の背景となる原子レーザー法ウラン濃縮の技術開発の現状、および本研究を展開するに当たっての技術的な基盤となるデフォーマブルミラー、位相回復手法、光学面の加工技術について述べた。また、理論的な背景を述べた。 第2章では、高出力レーザーの強度分布を制御することを目的として、デフォーマブルミラーを用いたビーム整形システムを提案し、シミュレーションによりその実現性を評価した。ビーム整形システムとは、デフォーマブルミラーを用いて光学的な座標変換、すなわち、レーザー光の電界を意味する複素振幅の位相成分を操作し、それをフレネルまたはフラウンホーファー伝播させることで積分変換させ、これによりレーザー光の強度分布を空間的コヒーレンシィを維持したままで別の形状に変換し、さらにその後で位相分布補正をするものである。その実現性を評価するために、光学的座標変換および反射による位相分布の変形について検討し、レーザー光の強度分布変換特性についてのシミュレーションを行った。これにより、変換後の位相分布形状などを明らかにした。さらにガラス薄板の変形特性について有限要素法を用いたシミュレーションを行い、わずか5個の駆動点と4個の固定点により、ガウス分布から四角形均一分布への強度分布変換に必要とされる表面形状が得られることを明らかにした。これらのシミュレーション結果から、反射ミラーのガラス薄板を変形させることにより、レーザー光の強度分布を制御できる見通しを得た。 第3章では、様々な形状のレーザー光の強度分布変換に必要な位相面の形状の設計手法として、エラーリダクション法に着目し、フレネル変換への適用を行い、その計算精度を評価した。レーザー光の強度分布変換においては、変換前の与えられた強度分布と変換後の目標とする強度分布は既知である。したがって、レーザー光強度分布変換に必要とされるミラー面形状の設計の問題は、これら2つの強度分布から必要な位相分布を求める問題、すなわち位相回復問題となる。このため、第3章では位相回復手法の一つであるエラーリダクション法をフレネル変換の場合に適用した。まず、FFT法を用いたフレネルエラーリダクションプログラムを作成し、それにより得られた結果を停留位相法より導出された連立微分方程式の解析解と比較することにより、その計算精度および収束特性を明らかにした。その結果、フレネルエラーリダクション法では輪郭形状が正確に再生できること、位相分布に関する計算精度が現状では1程度であることが分かった。この位相分布の計算誤差1の原因は、誤差の減少が繰り返しと共に飽和することであると考えられる。これにより、フレネルエラーリダクション法はビーム整形光学装置の設計や、レーザー光の重要な品質であるレーザー光波面の計測に用いることができる見通しを得た。後者の場合には特殊な波面計測機器を必要とせず、2箇所でのレーザービームプロファイルをCCDカメラなどによりモニターし、それを本手法を用いて解析すれば良い。ただし、実用化のためには、どちらの場合にも計算精度をさらに一桁程度向上させることが望ましい。 第4章では、前章までにおいて得られた知見を基に、実際にデフォーマブルミラーを試作し、それを用いてレーザー光の強度分布変換が可能であることを初めて示した。試作したデフォーマブルミラーは9個の駆動点と4個の固定点により表面形状を決定する。これらの駆動点と固定点は、円形断面のガウスビームを四角形均一強度分布のビームに変換するのに適した配置に設計されている。駆動点の変位はヒステリシスの少ないPMN駆動素子により与えられる。その駆動電圧を調整することにより、四角形断面形状のレーザー光強度分布を得た。また、変換後の位相分布形状を干渉計測により測定し、ほぼシミュレーションにより予測される形状に近いことを確認した。この結果、従来はデフォーマブルミラーはレーザー光の歪んだ波面を補正することのみに用いられてきたが、さらに積極的に波面を制御することによりレーザー光の強度分布制御のようなより高度な使用法が可能である見通しを得た。同位体分離で必要とされる矩形均一ビーム化については、断面形状の矩形化は達成された。均一化については、変換された強度分布は空間周波数3の成分を有しているが、空間周波数3の成分の制御性をより向上させるために、5×5の駆動素子の配置にすることにより、均一化についても充分な性能が期待できる。 第5章では、時間的に変動するレーザー光の強度分布を制御したり、様々なレーザー光強度分布変換に最適なミラー面形状を求める際に必要となる自動制御技術の可能性と課題を明らかにすることを目的として、前章で試作したデフォーマブルミラーを用いて、レーザー光強度分布の自動制御を初めて試みた。デフォーマブルミラーによる強度分布変換制御は、従来から行われている位相補正制御に比べて制御アルゴリズムが複雑になる。これは位相補正制御では計測値の波面とミラー面形状を反転しただけで同じ形状に制御すれば良いのに対して、強度分布変換制御においては、必要なミラー面の形状を求めることは2強度分布からの位相回復問題と同じであるためである。さらに、駆動素子の非線形性やガラス板の変形応力のために、駆動電圧に対する実際のミラー面の変位形状はほとんど未知である。このため、入力を印加電圧、出力を強度分布形状とした場合のシステムの伝達関数は極めて複雑である。このため、本研究では制御アルゴリズムとして、遺伝的アルゴリズムを用い、ミラー面形状の最適化を行った。デフォーマブルミラーで反射されたレーザー光の強度分布はCCDカメラにより測定され、画像処理の後に、矩形断面形状との類似の度合いが判定される。この結果を基に遺伝的アルゴリズムにより求められた駆動素子の印加電圧が計算され、それに基づきデフォーマブルミラーが変形された。この制御法では制御対象を全くブラックボックスとして扱っているが、それでも30ループ程度の制御を反復した後、この制御システムのハード的な制限内ではほぼ最適な形状が求められた。これにより、レーザー光強度分布の自動制御への見通しが得られた。 第6章では、レーザー光の強度分布や位相分布形状が時間的に安定しており、さらにあらかじめ予測できる場合への適用を想定し、デフォーマブルミラーに比べて非常に単純で安価な加工光学素子を用いた強度分布変換の可能性と問題点を明らかにした。 具体的には、プラズマCVM(Chemical Vaporization Machining)法を用いて非球面の加工ミラーを試作し、その加工精度などを評価した。また、そのミラーを用いてレーザー光の強度分布変換特性を評価した。この加工ミラーは、従来はホログラムのみにより可能であったレーザー光の強度分布変換を行うことが可能である。同様の方法により、レンズ型の光学素子も実現が可能である。プラズマCVMを用いた場合の加工誤差は現状では0.1m程度であった。ただし、強度分布変換においては、ミラーの加工面形状精度については振幅が10nm程度のリップルでもミラー面の傾斜が急である場合には問題となることが分かった。このため、今後は形状補正や加工装置駆動部の改良などによる加工精度の向上が課題となる。これにより、このような加工ミラーやレンズは変換効率も高く、従来のミラーやレンズと同様の使用が可能であることが示された。これらの光学素子を用いることにより、従来にはなかった新しい方式のレーザー光学機器が可能となると期待される。さらに、これらのミラーやレンズはレーザー光強度分布変換以外にも波面補正などに使用できる。また、加工ミラーの適用箇所として、レーザー共振器内における座標変換による強度分布変換の可能性を検討した。その結果共振器内の2点において、異なる任意の強度分布形状を持つ複素振幅の組が共振器内に存在できることを理論的に示した。この座標変換の考え方をレーザー共振器に適用すれば、共振器内のレーザー光の強度分布を自由に設計できるようになるものと期待できる。 本論文では、レーザー光強度分布の矩形化による強度分布変換の照射効率の向上のみに的を絞り議論してきたが、今回開発された新しい光学技術は、その他にも様々な応用が可能である。 |