本論文は、ケミカルビームエピタキシー(CBE)法を用いたIII-V族化合物半導体、特にInP系半導体の選択成長技術とそれを応用した新しい半導体レーザ作製技術に関する研究成果をまとめたものである。 この四半世紀の光ファイバ通信や光情報処理の目覚ましい発展は半導体レーザに代表される光半導体デバイスの飛躍的な性能向上に負うところ大である。21世紀の情報化社会においては、光通信技術は全世界的規模で張り巡らされる幹線系光ファイバ網はもとより、加入者系や光インターコネクションなどの新規用途への拡大が期待されており、そのためには半導体レーザはサブmAオーダーの低閾値電流化や100Gb/s以上の超高速化など、更なる性能向上と、光電子集積回路の実用化による低コスト化が不可欠である。しかし、現在光通信用長波長帯のInP系半導体レーザ作製においては、電流狭窄構造や光共振器構造を形成するために複数回のエピタキシャル成長やエッチングを必要としたり、端面反射鏡を形成するために結晶劈開を用いるなど、歩留まりの低い工程が残存している。上記のニーズに応え課題を解決していくためには、デバイス作製プロセス技術におけるブレークスルー、すなわち膜厚や形状を精密に制御した選択成長技術や低損傷で高精度な加工が可能なドライエッチング技術、および両者を組み合わせて所望のデバイス構造を作り込む新しい方法の開発が求められている。 本研究では、光通信用半導体レーザの高性能化のために、InP系化合物半導体混晶の成長法としてCBE法をとりあげ、III族原料ガスとしてトリエチルガリウム、トリメチルインジウム、V族原料ガスとしてアルシン、ホスフィンを用いたCBE装置を新たに構築し、その場観察によりそのヘテロエピ結晶成長、特に選択成長の特徴、機構を明らかにするとともに新しい半導体レーザ作製プロセスへの適用を図った。CBE法は、高真空の成長室中に保持された加熱基板上に原料ガスを分子線として供給して、熱化学反応を利用してエピタキシャル成長を行うMOCVD法とMBE法の両特長を兼ね備えた結晶成長法であり、原料ガスの流量制御によって精密な膜厚や組成の制御が可能であって、急峻なヘテロ界面や量子井戸構造の形成、また分子線の指向性により誘電体薄膜マスクを用い選択成長も可能である。本研究では、まずGaAs,InP,InGaAsのエピタキシャル成長および成長層の電気的、光学的特性評価を行い、反射高速電子線回折(RHEED)装置を活用して基本的な成長機構を調べると共に装置の制御性を確認した。 CBE法では基板表面における原料ガスの熱分解反応を利用した成長のために、原料ガスに含まれるカーボンがエピタキシャル結晶膜中に混入する問題点があることが知られていた。ノンドープGaAs成長においてはエピタキシャル膜はp型の導電性を示し、V/III比5のとき550℃付近でキャリア濃度は最小の4×1014cm-3になり、キャリア濃度はSIMS分析より求めたカーボン濃度と整合した。550℃で成長した試料を除いて、欠陥に起因した束縛励起子の発光ピークがフォトルミネッセンス(PL)スペクトル中に観測された。これらの結果からGaAsエピタキシャル膜中のp型不純物がカーボンに由来することを述べ、膜質の成長条件依存性からカーボン混入の機構を明らかにした。またRHEED振動の計測により、成長速度のその場観測を行い、GaAs成長速度には従来から知られていた基板温度依存性以外にV族流量依存性があり、成長速度の逆数がV族流量に比例することを明らかにした。またV族ガスのクラッキング中に発生し、成長雰囲気中に存在する水素が結晶成長機構に及ぼす影響を明らかにすると共にその反応モデルを提案した。InP成長においては、成長中のRHEED強度振動を初めて観察し、厚さ200nm以上にわたって単分子層毎の成長が続くことおよび高純度の結晶がCBE法で成長できることを明らかにした。InGaAs成長に関しては、二結晶X線回折による混晶組成の評価結果から、成長温度と原料ガスの流量を制御すれば再現性よく組成制御できることがわかった。InGaAs/InPのヘテロ界面については、透過型電子顕微鏡での観察によって、原子配列の乱れのない原子層オーダーでの急峻な界面の形成を確認した。以上の結果により、本装置がInP系混晶の結晶成長に対して十分な制御性を有していることを確認した。 半導体レーザの作製や他の光電子デバイスとの集積化プロセスにおいては、ダブルヘテロ構造の選択成長技術や、エッチング技術と組み合わせた再成長技術が重要である。次に本研究では、InP基板上にSiO2薄膜のマスクパターンを利用してウエットエッチングや反応性エッチング(RIE)エッチングによって[110]方位又は[-110]方位に伸びたストライプ状溝を形成し、InPやInGaAs/InPダブルヘテロ構造を埋め込み選択成長させて、CBEによる成長の選択性、成長形状の結晶面方位依存性および選択成長層の品質等を調べてその特徴を明らかにした。CBE法ではシャドーイング効果のために、III族フラックスが照射されない溝内部では、基板回転を行わないと結晶成長が妨げられてストライプ形状が非対称になる。しかし基板回転を導入することによって、InP基板上にウエットエッチングで形成したストライプ幅5-7mのエッチング溝の内部においても、良好な選択性と平坦性を保ちつつInGaAs/InPダブルヘテロ構造の選択埋め込み成長を行うことが可能になった。またInPバッファ層なしにInGaAs層を成長した場合には、底面の荒れが界面の平坦性に影響するが、0.1-0.2m程度のInPバッファ層を形成すれば明瞭な(100)面が形成されて、良好な表面モホロジーおよびストライプ内部での膜厚の均一性を保ちながらInGaAs/InPのヘテロ構造を多層成長できることを見いだした。さらに選択埋め込み成長したストライプ幅3mおよび10mのInGaAs/InPダブルヘテロ接合構造の光学的特性は、室温と77KのPL法および顕微PL法を用いて評価した。その結果、3m程度のストライプ幅まではそのPL発光強度が大幅に低下しており、マスク端付近で結晶欠陥が存在すること、およびそのエッジ付近での格子不整合の影響は3m幅のストライプに対しても顕著であることを明らかにした。従って半導体レーザの活性層として用いる場合には5-6m以上のストライプ幅が必要である。またエッジ付近の組成が長波長側にずれるため、この領域はストライプ中心部での発光に対して吸収領域となり、損失が増大する。これらの知見は、CBE選択埋め込み成長を半導体レーザ作製に応用する上で重要である。 半導体レーザの超低閾値化や超高速化のためには、その短共振器化は有力な解決策である。また理論的には超低閾値短共振器レーザの実現には、端面反射鏡の散乱損失を十分に低減して99%以上の高い反射率を持つ共振器ミラーが必要である。しかし通常のファブリ・ペロー型半導体レーザにおいて用いられている劈開法による端面反射鏡の形成では、50m以下の短い共振器の作製は困難である。一方、RIE法を用いれば結晶方位に依存することなく微細加工による短い端面対の形成が可能であるが、基板表面に対して完全に垂直で平滑なエッチング側壁を実現するのは難しく、そのエッチング側壁をそのまま短共振器レーザの端面反射鏡として用いても、端面の散乱損失が存在するためにレーザ発振の閾値電流の増大や微分量子効率の劣化は避けられない。そこで本研究では、この問題を解決するためにCBE選択成長技術の特長を活かして、劈開面と同程度に平滑で散乱損失の少ないファブリ・ペロー型短共振器半導体レーザの端面反射鏡を形成する新しい作製プロセスを開発、提案した。 SiO2をマスクとしてRIEでリッジ形状を形成し、そのエッチング面上へCBE選択成長を行えば、適切な成長条件のもとでは劈開面と同程度に平滑で、かつInP(100)基板表面に完全に垂直な(110)面を形成できることを初めて示した。 最後にCBE埋め込み選択成長技術および端面選択成長技術を半導体レーザ作製に適用するための検討を行った。まずウエットエッチング溝内部へのCBE選択埋め込み成長技術を利用して、プレーナ構造のInGaAs/InP選択埋め込みレーザの試作を行い、初めて室温でのレーザ発振を実現した。レーザ特性の評価結果をもとにこの方法の利点と問題点を明らかにし、光電子集積回路(OEIC)へ適用可能性を示すことができた。さらにエッチング端面の選択成長を利用して形成した垂直ファセット対を用いて共振器長400mのリッジストライプ型の半導体レーザを試作し、室温でのレーザ発振を確認した。劈開面による半導体レーザとの閾値電流比較により、本研究で提案した方法によって劈開面と同程度のミラー特性を持つ端面の形成が可能であることを示した。 以上のように本研究によって、CBE法によるエピタキシャル成長の基本技術を確立し、GaAs,InP成長機構に関する新たな知見を得るとともに、より高性能なInP系半導体レーザの実現の可能性を示した。光集積回路への応用を目的として埋め込み選択成長の実験を行い、これを用いてInGaAs/InPダブルヘテロレーザを試作することができた。さらにRIEとCBE選択成長を組み合わせて、劈開法に替わるレーザの端面反射鏡の作製方法を開発し、将来の低閾値短共振器レーザや集積化光デバイスの実現に道を開いた。これらによって半導体レーザ作製プロセスへの適用に対するCBE選択成長技術の利点と問題点を明確にすることができた。 |